丹沢沢登り レスキュー訓練

日 時 : 200747() 8()

参加者 : 4/7 CL掛川義孝 ・ 塩足京子

参加者 : 4/8 CL掛川義孝 ・ 清水清二 ・ 塩足京子

報告者 : 塩足京子

47日(土)曇

900に渋沢駅に集合の指示であった。時間近くになっても東京組の清水さんが現れない。携帯Telの繋がりが悪く、やっと声が拾えたと安心する間もなく、その声は「まだ家にいる」と告げる。風邪気味で具合が悪いとのこと。この日は掛川夫人も風邪で静岡の自宅でダウンしているという。静岡から参加予定のあった小野田さんもつられてパスである。5人の予定が急遽、掛川さんと2人になってしまった。清水さんが夕方には行けるだろうとのこと。このため今日はレスキュー訓練の予定であったが、源次郎沢を遡行することにした。

今シーズン初めての沢登りである。私の沢登りの幕開けはいつもGW明けであった。GWが終わって冬靴を仕舞い、沢靴を出す。GW 1ヶ月前の沢は始めてであり、雪の山からまだ頭が切り替わっていない状態に緊張しながらの山行きであった。私の源次郎沢遡行は20年以上前で、記憶は全く無い。

戸沢キャンプ場に車を止め、1015本谷山荘経由で沢出合い着。ここで沢靴に履き替えるが、掛川さんの靴とヘルメットはおニューであった。1045遡行開始。岩はボロボロで全くの涸れ沢である。1時間半程登ったところで掛川さんから、この沢はどうも違うようだとのこと。一本手前の沢に入ってしまったようだ。源次郎尾根だと思っていた尾根は、天神尾根であった。天神尾根を越えて源次郎沢に入るべく行動するが、どんどん天神尾根を下ってしまって結局、源次郎沢の堰堤まで来てしまった。立派な源次郎沢の案内看板がある。1245気を取り直して改めて源次郎沢遡行開始である。曇り空で陽射しは無いが、思っていたほど水は冷たくはなく、淡い緑と桜の花を眺めながら、時々お助け紐を出してもらい、瑞々しい春の沢を新鮮さ一杯で遡行する。二俣を右俣に入ったところのF5でザイルを出してもらった。寒くはないが、袖口から水が入る登りはしたくはない。そこを過ぎるとまもなく水は涸れ、大きなチョックストーンのあるF9に行き当たった。この特徴のある涸滝に、昔の記憶が蘇った。左右の壁にピンがあったが、右のルートを行く。がっちりしたホールドがあり、思ったほど難しくない。305沢をツメ、踏み跡を辿り大倉尾根の花立山荘の下に出た。330ポツポツと雨が降り出し下山開始。大倉尾根から天神尾根に入り425戸沢キャンプ場に戻ってきた。

復活した清水さんを迎えに渋沢駅に急ぐ。その夜はサザエ、ハマグリの網焼き、お鮨、キムチ鍋で元気になられた清水さんを祝うのであった。

48日(日)曇

翌朝600起床。今日はレスキュー訓練である。モミソ沢で行うことにした。900モミソ沢に降りて行くと、既に20名ほどの人が何かしらのトレーニングの為ザイルを出していた。我々も岩場の右端にザイルをセットし、先ずは登攀者が滑落した時の自己脱出の練習をプルージックを使って始める。続いてビレイヤーの自己脱出、懸垂下降からの脱出等行うが、あっという間にお昼となる。午後は、対岸の傾斜の緩い所に場所を移し、事故者を確保しながらの降ろし方、事故者を背負っての懸垂下降に取り組んだ。恥ずかしながら私には20年以上前、自分自身が事故者となって救出された経験がある。右足首の骨折で、上を向くはずの足先が下を向く開放骨折であった。沢中の事故で、この時は沢から尾根に上がり一昼夜をかけて下に降ろしてもらった。その現場で色々試されたが、事故者を背負う方法としては「ザイルを巻いたものを二つ割にしたもの」に脚を通して背負われた方法が私には良かった。その時のことを思い出すと、古傷が疼きだす。山の事故は起こしてはならぬと思うばかりであるが、もし起こしてしまった場合、何としても生還せねばならぬ。助け出さねばならぬ。皆さん、レスキュー訓練の時間を持ちましょう。訓練はその後、対岸にザイルを渡して「チロリアンブリッジ・流星法」を学ぶ。情けないが、ザイルセットは今一理解できていない。これらは何れも反復練習することで早く会得したいものである。20人ばかりいた人たちが1パーティを残し既に居なくなっていたのに気付いたのは、500であった。今回のレスキュー訓練に、大変意義ある時間を持てたことの証であると思う。掛川さん、清水さんありがとうございました。

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