HOME >>沢登り

御神楽沢

日時: 2008年7月19日(土) – 21日(月) 前夜発
山域: 只見川袖沢 御神楽沢 – 会津駒ケ岳
参加者: 国府谷(L)・清水・齋藤・下島・塩足
行程:
第1日目: 新宿 – 小出 – 奥只見ダム
奥只見ダムからの入山隊(清水・下島・塩足): 奥只見ダム(7:15) – 袖沢林道 – 取水口 – 御神楽沢・ミチギノ沢出合(15:15)
檜枝岐からの入山隊(国府谷・齋藤): 会津駒ケ岳登山口 – (バス)小豆温泉 – 三岩避難小屋 – ミチギノ沢二股 – 御神楽沢・ミチギノ沢出合(19:15)
第2日目: 御神楽沢・ミチギノ沢出合(7:15) – 1340m地点(16:30)
第3日目: 1340m地点(5:30) – ムジナクボ沢出合(10:30) – 会津駒ケ岳(17:00) – 檜枝岐(20:30)

(写真は後ほど)

只見川袖沢の御神楽沢には、10年以上前に入渓したことがある。それも2年続けて2回である。いずれも奥只見ダムからの長い林道歩きで目白アブの猛攻を受け、にもかかわらず会津駒ケ岳には至っていない。この度の計画は願っても無いことであった。
今回の入渓について、清水・下島・塩足は奥只見ダムから、国府谷・齋藤は檜枝岐から稜線を越えミチギノ沢を下るという、2パーティーに分ける方法を取った。当初、全員が檜枝岐からの稜線越えで入る計画を立てたが、初日の登り下りに若干不安があったので奥只見ダムからの入山を検討した。2パーティーに分けると車1台で奥只見ダムから入っても、車の回収に悩まなくていい。しかも車は下山する駒ケ岳登山口に置き、檜枝岐隊の入山口である小豆温泉には早朝のバスで移動してもらうというものである。檜枝岐隊に於いては相当に寝る時間が削られることになるが、そこは若さでカバーということで、ミチギノ沢出合で合流し、ここで初日の幕を張る計画を立てた。

7月18日(金)

22:10新宿西口を出発。小出に向かって5人を乗せた車を走らせる。

7月19日(土)

1:00小出着、この先はコンビニが怪しい為「湯之谷吉田店セーブオン」で最後の調達とする。2:00奥只見ダム着。それぞれのパーティーの荷物を間違い無く振り分けし、清水・下島・塩足はここで仮眠を取る。檜枝岐隊は急ぎ檜枝岐に向かう。
6:00に目覚め、我々よりももっと寝ていない国府谷さん・齋藤さんを思いながら7:15に出発。袖沢林道への頑丈なゲート前を左の踏み跡から抜け、近道で袖沢にかかる橋の手前に降りる。9:00仕入沢、ここは昨年のお盆休みの丸山岳山行で最後に下りてきた沢であった。あの時と違って、今日は一匹のアブもいない。過去2回の奥只見ダムからの歩きでも、気狂いになるくらいに目白アブに襲われた。全身が真っ黒になる程アブにたかられ、初めての人は誰でも発狂する。今回もその覚悟と対策を持って挑んだが、3週間程でこうも違うのかと拍子抜けした。檜枝岐隊とは無線で毎時00時に交信を取ることになっている。ちょこちょこ休みながらいくので12時前になるのに、まだミノコクリ沢に辿り着かない。12:00ミノコクリ沢手前でやっと檜枝岐隊と繋がる。齋藤さんの声が届く。「今、稜線、今からミチギノ沢に向かって下降開始、6人パーティーが先行」とのこと。我々は中門沢への分岐を左に折れ橋を渡る。13:00取水口前で再度交信。「1560m地点」とのこと。休んでいる最中に取水口より単独者が下って来た。夜中にダムより歩き出し大滝の手前で戻ってきたとのこと。大滝を越えるのに2人パーティーがえらく苦労をしていた、と教えてくれたがその目は「お前たち大丈夫か」と言っていた。13:30過ぎに出発、過去の記憶では取水口から直ぐに入渓したはずであったが、とても深くて下りることができない。取水口で林道は終わっている為、ここからずっと切れ切れの左岸の巻き道を行くことになる。ミチギノ沢手前500mくらいのところで14:30頃やっと沢に降り立った。どうした訳か随分濁っている。汚れていない支流の水を念の為にペットボトルに詰めていくことにする。沢靴に履き替え見覚えのあるミチギノ沢には15:15に着いたが、ちょっとの入渓であったにもかかわらず水量は多くパンツを濡らしてしまった。ミチギノ沢出合は、安心できる幕場は右岸に狭い台地があるのみである。12:00の交信で、足の揃った6人パーティーが先行していたとのことであったので、思わぬ時間がかかった我々よりも先に、この場所を確保されたかなと心配であったが誰もおらず、果たしてこの日は我々のみの幕場となった。沢の濁りはミチギノ沢からであった。その濁りは一時ではあったが突然真っ黒になった。新たな土砂崩れが起こったことが想像された。焚き火を熾し夕餉の仕度をしながら3時間が経ったが、まだ檜枝岐隊は降りてこなかった。交信でミチギノ沢出合いに向かって下降していることは分かっていたので待つのみであったが19:15真っ暗になる直前、彼らの顔をみることができた。濁った水の上、巻き道が厳しかったとのことである。私の過去2回の御神楽沢は、何れもミチギノ沢をベースにしたもので、2回目はミチギノ沢を詰めて檜枝岐に出た。そんなに厳しかった覚えはないが、条件が変わると大きく様子が変わる沢に、今回、私は奥只見ダムからの入山でよかったと思った次第だ。檜枝岐隊はほとんど寝ていない状態で、それが相当堪えているようだ。国府谷さんのザックから2日分の人数分のビールが出てきた時には驚いた。感謝しながらビールを開け、下島さんが釣った岩魚が入った味噌汁と、マーボー春雨丼でお腹を満たす。食後間もなく、爆睡状態となった。

7月20日(日)

5:20テントを開けっぱなしにして寝たので、朝の冷気に起こされた。昨夜の火を熾しラーメンの朝食をとる。朝食後、サンダル履きの国府谷さんが靴下を水に濡らさないように沢の石を飛んでいたが、滑ったのを見てしまった。この時は何のこともない情景であった。下山してから国府谷さんが「骨折しているかも」と言われたのには驚くほかない。下山するまで一言も痛いと言わず、そんな素振りを微塵も見せてはいなかったからだ。足の親指が痛んでいたらしい。国府谷さんとはあまり山行を共にしたことがなかったが一面を知ることになる。
7:15発ミチギノ沢出合いの瀞は幕場からの巻道を行く。8:00暫く行っての滝で右岸の大高巻きを行ったが、ここは右の滝(滝を登らず左に抜ける)から行けることが後でわかった。右の滝を登ると左岸の下降ポイントの状態が分からなかった為、右岸の大高巻きを行ったが我々が大高巻きをしている最中、下をみると6人パーティーが右の滝から抜けて行くのが確認された。この大高巻きに1時間以上かかった。11:00前岩畳、ここで、これまでにかかった時間に対し、これから先のことを検討する。予定通り先に進むか、戻るか。予定通り先に進むことに決まった。後でつくづく凄いと思ったのは、ここで国府谷さんが足の痛みに触れなかったことだ。痛みに鈍感な人であるのかな。12:00間もなく大滝であろうというところで先の6人パーティーが休んでいた。何と見知っている方であったのには驚いた。岩魚の刺身をご馳走してくれようとは、何という余裕のある人達か!このパーティーは、昨日、ミチギノ沢で国府谷さん達の前を行ったパーティーでもあった。下っている沢が濁っていたので、ミチギノ沢本流に尾根越えし幕営したとのこと。その為、昨日会わなかったのに突然現れたものである。6人パーティーが先に腰を上げたものの間もなくのスラブ状大滝で40分程待つことになる。大滝の上には雪渓が見える。滝の飛沫で体に震えがきた。大滝は左の滝の落ち口から簡単に抜けられそうであったが、水量が多くそちら側に行けない。右の滝の落ち口までスラブ状の大ナメを行き、ザイルで確保されながら残置のシュリンゲを掴み抜ける。身体が振られちょっと苦労する。13:30大滝の上の雪渓をくぐって先を行く。その後も大きい雪渓が現れ、雪渓上を歩いて稼ぐ。2時間程行った川原で6人パーティーが休んでいた。ここを幕場とするという。随分早いのではないかと思われたが、岩魚の絶好ポイントかと思われる。当初の我々の予定では本日の幕営場はムジナクボ沢出合であった。到底行き着けることはできないことがこの時ハッキリしていた。未だ歩ける時間ではあったが、この先は良い台地が得られなくなるだろうとのことから16:30  1340m地点を幕場とする。下島さんと齋藤さんが早速竿を手に出かけて行った。焚き火の跡のある台地の、イタドリ林を払い整地すると広い平な地面が現れた。テントとツエルトが余裕で張れる。雨がポツリポツリと降り出す中、清水さんが奮闘して火を熾してくれた。幸いに雨は強くはならず無事飯ごう飯が炊け、間もなく釣師は岩魚9匹をぶらさげて帰ってきた。焚き火のお陰で一人一匹の香ばしい塩焼きにありつくことができた。大型の岩魚は刺身に捌かれ、味噌汁、骨酒と堪能することができた。今日のメニューは、ちらし寿司と春雨キュウリのサラダであったが、釣果を期待できるのなら来る途中に沢山あったミズやフキの山菜と共に、米と味噌だけを持って山を楽しむのが私の憧れである。

7月21日(月)

今日の行程は長い。3:00起きの予定が30分程寝坊してしまった。あれからも雨は降らずに熾き火は残っていた。カレーうどんで素早く出発できるかと思っていながらも何やかんやと遅くなってしまう。5:30発、地図上では未だミチギノ沢とムジナクボ沢の3分の2の地点である。果たしてムジナクボ沢には何時に着くのであろう。岩畳より上は始めての溯行であるが、さすが名渓との声が高い沢の様相を示してきた。岩畳の評判は、あれっぽっちの規模では納得のいかないものであったが、なる程ここら辺りまで来ると先が楽しみになってきた。しばらくいくと周囲が開け大滝にぶつかった。左側を高巻くが、用心を取ってザイルでフィックスする為に時間がかかる。ムジナクボ沢は未だか未だかと思いながら連続する滝や雪渓を越えていくと、9:30ゴルジュの向こうに迫力のある直瀑があるところに出た。腰上まで瀞につかり滝の下に行き、左の急な草付きを登り藪コギで抜ける。10:30まもなくムジナクボ沢に着いた。手前で休んだ為にここは休まずさっさと通過してしまったが、清水さんが幕場の確認に行ってくれたところ10張程張れる台地があったとのこと。3泊4日の計画で、ここでゆっくり過ごしたいものだ。その後の電光形と呼ばれる滝で国府谷さんに続いて直壁を登ったが、カンテに出たところで一歩が出なくなってしまった。お助け紐をこちらから渡すのに苦労する。上部はゴルジュ状で、左からザイルをフィックスし抜ける。11:10深い釜にぶち当たる。とうとう泳ぎか、私は泳ぎは苦手である。齋藤さんさえも足が届かないところであったが、右壁のホールドを伝って行くことができた。この上にでると源流の様相となる。詰めを間違わないように慎重に地図と高度計で現在位置を確認しながら、崩れた雪渓の残る源頭部を行く。14:00を越えていた。二俣では続けて2回左へ入り、次の二俣で右に入った。間もなく藪の中に突入、棘のあるハリギリが一杯生えていた。1時間位で藪を抜けられると思っていたが、改めて現在位置を確認すると会津駒山頂にダイレクトに突き上げるルートであるようだ。もっと右にルートを取る。やがて中門岳へ続く稜線が見えてきた。草原の木道をハイカーが歩いていた。藪から突然木道に出て5分位で会津駒山頂に着いた。17:00であった。もう12時間近く歩いているが、未だ下山に2 – 3時間かかる。
山頂で記念写真を撮り、登山靴に履き替え17:30下山開始。17:40会津駒山荘前で久世さんに下山報告Telを行う。先程のハイカーが、小屋の前のテーブルでビールのコップを傾けていた。20 – 30人はいただろうか。皆、明日はお休みなのか‥‥。17:50足を引きずり引きずり、その前を通過して下りにかかる。19:00を過ぎ暗くなってきた山道をヘッデンを点けて、痛みの更に強まる右足首の古傷に泣きながらの下山であった。会津駒登山口着は20:30であった。本日の行動時間15時間である。ここで国府谷さんに足の親指の件を聞いたのであるが、私の古傷どころではない話である。
その後の話をすると、沢臭い身体のまま帰途には付きたくない。20:45営業時間は21:00までという村営の駒の湯に国府谷さんが交渉し、何とか入れてもらう。入っちゃえばこっちのもんだ、という考えは、さすが村営、そんなに甘くはなかったが、取りあえず汗は流せた。21:30駒の湯発、途中、会津田島高原「ココストア」で晩飯を確保し、東京着は当然日にちが変わる。電車は動いていない時間だ。どうする。果たして車で送ってもらえる距離ではない人達は、某会社の前の荷物置き場にテントを張り、シャッターの音で目覚める朝を過ごしたのであった。

(記: 塩足)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です