関根庄寿永年会員・最高顧問が亡くなられました

当会永年会員・最高顧問の関根庄寿(2期 No.9)の葬儀が、渋谷区の代々幡斎場にて、
お通夜: 4月1日18時 – 19時
告別式: 4月2日10時 – 11時
に執り行われました。

・お通夜参加者(敬称略)

2期: 犬塚寿子
4期: 中野夫人・(故)野々村会員ご子息
6期: 窪谷
15期: 高橋(義治)・三竹会長・内嶋・(元会員)川室夫妻
16期: 青木
17期: 花井
18期: (故)高島夫人
19期: 藤平
20期: 石井(康夫)・飯田
25期: 清水東京支部長
26期: 安達
55期: 掛川
56期: 久世
関西支部: 17期: 齋藤副会長
上越支部: 14期: 定形
九州支部: 20期: 大渡支部長

・告別式参加者(敬称略)

2期: 犬塚
4期: 中野夫妻
15期: 三竹会長・(元会員)川室夫人
17期: 花井
25期: 清水東京支部長・馬場
26期: 広川・安達
27期: 南
33期: 高橋(裕)
35期: 轟
65期: 後藤
関西支部: 17期: 齋藤副会長・30期: 関戸
上越支部: 14期: 定形
九州支部: 20期: 大渡支部長

他に、鵬翔山岳会創成期OBの親睦会「チムニー会」の方々が、参加されていました。

葬儀はご遺族のご要望もあり、友人葬(関根さんは趣味が多く、スキー・ゴルフ・釣り・囲碁・麻雀・カラオケなどなどあり、友達がとても多くいらっしゃいます)でという事で、読経もなく宗教色もなく。
お通夜は、齋藤副会長の関根さんの会でのご活躍やエピソードなどのお話で始まり、献花を参列者で行いました。
告別式は、同じく齋藤副会長の関根さんの会でのご活躍の紹介、そして三竹会長の告別の語りで進み、全員の献花およびお別れの儀式で火葬場にお送りしました。
少し残念なのは、ご遺族からもお話がありましたお送りするときに、鵬翔山岳会の会歌「谷川岳の歌」、そして「鵬翔エール」は葬儀場の都合でかないませんでした。
火葬までの時間、そしてお骨揚げ後のお伽では、昔話に関根さんを偲び語り合いました。 
また、お通夜の後、有志で幡ヶ谷駅近くの白木屋にて久しぶりの顔合わせ飲み会、そして新宿歌舞伎町のバーで飲みました。
告別式の帰りも、幡ヶ谷駅の近くで旧交を温めました。
当会も創立69年になろうとしています。その初期近くの方も参列されましたが、残念ながら物故で亡くなられた方、遭難で亡くなられた方も大勢います。
天国で再開し、山の談義をされることをお祈りしました。

関根さんの、当会でのご活躍は、関西齋藤正明さんの急遽作られた山のアルバム、~鵬翔山岳会の仲間とともに~にある程度載っていますが、改めて紹介しますと戦前、中央大学法科を出て大蔵省に入られ、昭和16年22歳で当会に入会。丹沢・一の倉・穂高へと通い、昭和18年12月の入営直前まで仲間と登山に励み、出兵。昭和21年に復員後、昭和22年には、越後御神楽岳奥壁の初登攀を果たし、岩に沢に多くの足跡を残し、肺結核で治療養生の為、大蔵省を退職。その後、現在の下北沢に化粧品屋を開き、山が縁での奥様との生活。その後、スポーツ屋「メイジンスポーツ」として現在に至っています。
その経験豊富さと人柄から当会の代表として(当時は会長でなく代表と言っていました)、長い間会をまとめ、後輩を指導していました。
しかし、25年前の黒部での大量遭難において、その処理に多大なる力を注ぎ、裁判沙汰になりそうな遺族との問題などを処理し、三竹会長に席を譲ったのです。
当会は、先輩誰でもおっしゃいますが、山での付き合いよりその他の付き合いの方が長く続き、家族的な付き合いをし、そのため会が縁で結婚したり、仲人をしたりしても貰ったりの付き合いがかなり多いのです。そのため、葬儀にもご夫婦での参列が、または故高島さんの奥様のように、奥様だけでも参列されているのです。
チムニー会では、昨年10月はお元気で温泉旅行に行かれていました。
今年になり、体調を崩し入院、そして4月27日0時44分に帰らぬ人となりました。

(記: 安達)

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