中央アルプス 空木岳 (静岡山岳会との合同山行)

日程: 2011年6月4日(土) – 5日(日) 前夜発
山域: 空木岳(中央アルプス)
参加者: 国府谷(L)・飯田・平井・(静岡山岳会より9名)
行程:
前夜: 平井車にて駒ヶ根菅の台駐車場付近にて仮眠(国府谷・平井)・静岡駅にて静岡山岳会会長の車に便乗し駒ヶ根菅の台駐車場にて仮眠(飯田)
第1日目: 菅の台駐車場 – 三本木地蔵登山口 – 池山避難小屋分岐 – マセナギの頭 – 空木岳避難小屋分岐 – 空木岳避難小屋
第2日目: 空木岳避難小屋 – 駒峰ヒュッテ – 空木岳山頂往復 – 空木岳避難小屋 – 三本木地蔵登山口 – 菅の台駐車場
6月3日
私は19時静岡駅で静岡山岳会会長の車に便乗させてもらい、5名で23時頃駒ヶ根菅の台駐車場に到着。既に静岡山岳会の方5名が駐車場の奥の方でテント2張り張って私たちの到着を待っていた。1時間ほど前に到着していたようである。国府谷・平井は夜も遅かったので、どこで仮眠しているか確認しなかった。
6月4日
3時半起床、朝食の後、5時半頃テントを撤収し、出発の準備をしていた。その頃国府谷・平井と合流できた。参加者12名、車3台に分乗し林道を登っていく。今日は晴天である。三本木地蔵登山口にて身支度を調え、7時頃出発する。
林道終点から遊歩道コースを登る。カラマツ林の中を直線的に進む。旧池山小屋跡を左下に見送り、細かく蛇行すると水場に着く。新池山小屋、池山を巻いて空木岳方面へ進む。マセナギはササ原で南側が大きく崩壊している。ここから尾根を進むと、大地獄、小地獄と呼ばれる桟橋やハシゴ、鎖場などがありスリリングな登りである。慎重に登る。やがて森林帯を抜け直接空木岳へ登るのと空木岳避難小屋への分岐点に到着した。14時くらいだったろうか。本日予定の空木岳避難小屋へ向かう。
這松・灌木混じりの雪道で道がはっきりしない藪こぎを静岡山岳会の小田会長がトップで進む。14時頃空木岳避難小屋に到着した。本日は誰もこの小屋を利用した形跡はない。空木岳頂上往復するかとの話しもあったが、私を始め皆かなり疲れているので本日はここまでとし夕食の準備に掛かる。
小屋の周囲はまだ雪に覆われている。幸い春山で谷筋は雪の解けているところが小屋の近くにあり水が流れていた。雪を解かして水を作る必要が無く助かった。17時から18時頃から夕食が始まる。
この避難小屋は我々12名の貸し切りである。持ち込んでもらったビール・ワイン・焼酎・ウイスキーなどで乾杯する。尚、今回は私とURANちゃんの恒例となったBD山行なのである。
静岡山岳会会員の方々の心遣いで直径30から40cmくらいもある手製のバースデーケーキを2個も差し入れてくれ、私はこの時まで全く知らずビックリしてしまった。静岡山岳会会員の方々には心より感謝している。
実は、私とURANちゃんは生まれた月日がたまたま6月9日と同一であったことから何かの縁であったということで記念に山行をやろうというのが始まりであった。12名全員でおいしいケーキを頂きお祝いをしてもらった。
夜の更けるのも忘れて歌を歌ったり談笑したりの楽しいひとときであった。
私はおかけでこの度喜寿を迎えることが出来ました。
6月5日
昨夜半から風雨で本日はどうなることかと思っていたが、夜が明ける頃には風雨も収まり曇り空ではあったが行動には支障なく、3時半起床、6時出発というリーダーの指示に従って朝食後空身で空木岳を往復することになった。
ピッケル、アイゼンを使っての雪面登りである。小田会長をトップに予定通りの時間に出発した。
我々の登るコースは誰も登っていない。途中這松帯で藪こぎがあったりで手こずったが、やがて雪のない登山道に出た。
駒峰ヒュッテを通り、7時頃空木岳頂上に到着した。
天候はあまり良くなく遠望は聞かなかったのが残念であった。でも頂上を踏んだ達成感は何とも言いようがない。日本の百名山の1つですから。
記念写真など撮った後、来た道を通らず空木平、避難小屋へ通じる雪深い下山道を下る。
避難小屋が近くなった頃静岡山岳会会員の数名は滑落停止の訓練をやっていた。
9時頃には身支度をして小屋使用料一人1000円を払って小屋をあとにした。
下りも皆慎重に行動した。14時頃には駐車場に到着した。菅の台バス停から少しバス道を登ったところの公衆浴場で全員ひと風呂浴び、国府谷・平井はそこで別れ、私は静岡山岳会会員の人たちと食事の後、入山したときとは別の車のメンバーと別れ、私は静岡駅まで送ってもらって帰宅した。
(記: 飯田)

鵬翔山岳会創立70周年記念集会

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2010年3月13日(土)に東京銀座のホテル銀座ラフィナートにて、多数の会員の方々の出席を頂き、鵬翔山岳会創立70周年記念集会が開催されました。
第一部の記念集会では三竹幸雄会長の挨拶の後、創立会員の向後保会員からお話を伺うことが出来ました。70年前に当会を立ち上げた会員の方が、ご健在であることに会員一同の喜びは非常に大きいものがありました。
その後齋藤正明副会長による70年の歩み、またこの間に亡くなられた会員の鎮魂譜が読み上げられました。各支部より挨拶が、東京は内嶋揚一会員・九州は鶴田清二会員・関西は丸尾信会員・上越は田中壮佶会員よりありました。
最後に内嶋揚一会員の指揮のもと、全員で「谷川岳の歌」を斉唱し、安達重輝会員の閉会の挨拶で終了いたしました。
その後部屋を変えて、第二部懇親会が催されました。青木宏之副会長の乾杯のあと、スクリーンには創立当時から現在に至るまでの写真が映し出され、和やかな雰囲気のなか、参加者の方々はこれまでの、またはこれからの山に対する想いなどをそれぞれ語らいあいました。
また記念集会に参加された方が壇上にて一通り紹介され、最後に鵬翔エールがコールされ、名残惜しみつつ閉会となりました。

参加者: 向後(1期)・犬塚(2期)・高橋義治(15期)・三竹(15期)・内嶋(15期)・青木(16期)・中森(17期)・齋藤正明(17期)・石井康夫(20期)・飯田(20期)鶴田(20期)・大渡(20期)・田中(25期)・馬場(25期)・安達(26期)・南(27期)・久松(27期)・丸尾(27期)・関戸(30期)・吉田(33期)・井上(35期)・縣(39期)・平井(48期)・久世(56期)・国府谷(56期)・牧田(60期)・坂田(64期)・松林(68期)・廣岡(68期)・土井(68期)・下島(69期)・齊藤俊夫(69期)
   (敬称略)
来賓: 関根照子様・中野洋子様・清水恵様
会友: 高山幸子様・川室清一様

雪洞山行

日程: 2008年2月16日(土) – 17日(日)
山域: 天神峠(谷川岳)
参加者: 坂田(L)・塩足(SL)・飯田・志村・松林・中村・鈴木(泰)・佐藤
行程:
第1日目: 8:30(ロープウエイ乗り場) – 9:05(ロープウエイ降り場) – 11:30(天神峠) – 12:00(雪洞掘り開始) – 16:05(雪洞完成)
第2日目: 7:30(天神峠) – 8:52(ロープウエイ乗り場)

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昨年中は雪山山行に参加できず、会に入って今回初めて冬の山行となった。四半世紀前の登山靴を3週間前から皮革油を塗って生き返らせ、新たに装備を買うなど準備万端、雪洞もさることながら、天候に恵まれて頂上にいけたらと、少々わくわくして出発した。しかし、その期待もロープウェーから降りてすぐに始まった胸までのラッセルで、黄信号が点滅。これがずっと続くとしたら、明日天候が良くても頂上は難しいかなと。順番でラッセルの先頭をやり始めたが、これでは時間がかかると、坂田さんが空身になってまさにラッセル車のように進み始め、天神峠着。天候ははじめ雪が舞っていたが、視界は良好。ただし稜線に出ると風が強く、100mほど行った傾斜地で雪洞を掘ることにした。

2mほど離れて同時に2箇所から掘り始め、3mほど掘り進んでから雪洞をつなげて8人でも余裕の大きなものにした。完成まで4時間。手前側が奥より低くなったり壁と床の角をちゃんと直角にしてスペースを確保するなど、飯田さんのアドバイスもあって、快適な雪洞ができた。トイレは飯田さんが完成。おかげで夜中から朝にかけての吹雪の中でも何とか用が足せた。それにしても雪洞を掘るのは重労働ですね。。。

雪洞が完成するころには晴れ間が出てきて遠くの水上高原や武尊山なども見渡せるときもあり、冬型の気圧配置がゆるんできたのかなと、明日の天候を期待した。

しかし、朝起きてみたら吹雪といえるような悪天候で、昨日は少なくとも非難小屋の先くらいまでは行きたいと言っていたが、諦め、トレースのなくなったルートをまたラッセルしながら下山した。その後ビーコンの使い方の講習を行ったが、かなり使い方に慣れないと役に立たないのではと思われた。

今回は、スキー場からすぐのところまでしか行けなかったが、雪洞を掘るコツが習得できたこと、厳冬期の谷川を極めることの厳しさを垣間見たことが収穫でした。

(記: 中村)

正月合宿

日程: 2007年12月30日(日) – 2008年1月2日(水) 前夜発
山域: 槍ヶ岳中崎尾根(北アルプス)
参加者: 坂田(L)・清水(SL)・飯田・塩足・志村・大和田・鈴木(泰)
行程:
第1日目: 新穂高温泉(7:20) – 白出沢出合(10:17) – 滝谷出合(12:41) – 槍平(15:30)
第2日目: 槍平(8:30) – 奥丸山から少し下ったところ
第3日目: 奥丸山から下ったところ(7:22) – 200m程度前進 – 撤収(9:00) – イヌノクボ沢2200m付近(15:05)
第4日目: イヌノクボ沢2200m付近(7:10) – 白出沢出合(10:25) – 新穂高温泉(11:36)

今回の山行は出発前から、暮れから正月に掛けての悪天候の予報が報じられていた事と、我々の入山地域で雪崩事故が発生した事もあり、留守本部をお願いした安達会員を始め会員及び関係者に心配いただきましたこと、御礼を申し上げます。

12月29日(土) 現地は雨

大和田車隊(武蔵境発)・志村車隊(船橋発)の車2台が談合坂サービスエリアで落ち合い、新穂高に向かって20:30に出発。

12月30日(日) 雪

0:30新穂高温泉に到着、天候は雨(予想以上に気温が高い)。テントでの仮眠を予定していたが、冬用テントでは雨は凌げない。たまたま開放されていたバスターミナルの待合室(床暖房付)にて快適な仮眠を取る。駐車場は冬期間のみ登山者用に無料スペースが設けられていた。先着の1パーティの他に、後から到着した1パーティ程が同じ場所で仮眠を取った。
7:20 朝食後、新穂高から槍平に向かう3パーティ程が前後して出発(天候は湿雪)。
10:20白出沢出合を通過、涸沢岳西尾に向かう1パーティと分かれる。白出沢出合付近で漸く湿気の無い雪に変わる。この辺で積雪は50~70cm、但し旧雪の上に30~40cmの新雪が積もった状態で特に問題なし。先行パーティのトレースがありラッセルの苦労は、さほど感じられないが、スノーシューのチームがステップを崩して先行した為、思ったよりもズブリ、時間が掛かる。
3s ブドウ谷、チビ谷は何れも雪崩によるデブリがあり、この上を通過する(但し、何れも全層雪崩で発生後1~2日を経ていることから、前日までの高い気温と雨によって発生したと思われ、雪崩のブロックも硬く締まっており、当日の新雪による表層雪崩の可能性は少ないと思われた)。
滝谷出合から先は前日のものと思われるトレースがうっすらとあるのみでラッセルが必要となる。スノーシューのチームが先行して行く。斜面の通過には時間を費やしていたが、平地や暖斜面では効果があるようで快適に登っている。我々も出合を過ぎた「故 藤木久三氏のレリーフ」(第1次R.C.Cの設立者で滝谷登攀の先駆者、孤高の人の主人公である加藤文太郎氏の恩師)の前でワカンを装着して登る。出合上部で新雪の積雪は50~60cm。右岸の枝沢からのデブリあり、先行パーティが夏道の斜面を途中まで登り立ち往生していた。
我々は、このパーティとは別の、先行している4人チームの後を追うように沢床に降り、途中で彼らと先頭を替わり槍平に向う。沢床は風が舞う為、風の向きが一定せずブリザード状の天候で雪煙が顔面に吹き付ける。後続のパーティを加えると総勢30名程がこの日に入山した事になるが、ワカンを装着していないパーティが多く見られた(持参しているのかどうかは不明)。
2s 15:20槍平の幕営地に到着、他のパーティも次々に到着する。
大和田さんが先行確保した幕営地は、槍平小屋の東面、北に冬季小屋と2面を障害物が遮り、東面は南岳からの森林帯があり、比較的安全性の高い場所と思われる(但し、風の向きによっては雪の吹き溜まりになる)。

12月31日(月) 雪

7時出発予定で準備をする。夜間の積雪は50cm~60cm程度で、除雪も1回行った程度でテントが潰されるほどの積雪ではない。
前日のトレースは降雪で隠れ、中崎尾根の取り付きまでの積雪が気になるので、清水・坂田・鈴木の3名が尾根の取り付まで空身で偵察に行く(7:10~8:10)。飛騨沢を越えて枝尾根の取り付までワカン装着で1mほどのラッセルはあるものの、傾斜はゆるく雪崩の心配は無いことからテントを撤収し、中崎尾根へ向う事にした。
8:40槍平を出発、状況によって何時でも尾根の森林帯で幕営することも前提に置く。我々と前後して南岳西尾根に2パーティが出発していった。尾根上はラッセルが続くものの雪崩を心配するような場所も無く、所々にうっすら残るトレースを頼りにラッセルを続ける。枝尾根を上り詰めて中崎尾根に合流する手前、奥丸山岳手前のピークの登りで先行していた2人パーティに追いつく(2人パーティと思ったが実は単独登山者2名で、新穂高から槍平までに2日間掛かり、今日も槍平を5:30に出発してきたとの事)。彼らの話から29日は山中でも雨天だったことを知る。
尾根の手前の急斜面は頭までの新雪のラッセルで、雪崩を起こさないよう斜面を切らずに直上し、枝尾根の尾根筋を忠実に経て中崎尾根と合流するように指示する。坂田君がトップで上部までラッセルをして下降中、既に通過が終わったトラバース部分から小規模ながら表層雪崩が発生した。但し、これは斜面を切った状態で上部から重力と振動を与えた為のもので自然発生ではない。
15:20中崎尾根の合流点に到着。降雪と視界の悪さからこれ以上進むことは得策でないことと、天候条件も今日・明日が最悪と考えた場合の退路も考え、尾根の上の暖傾斜を削り幕営をする。更に先行すると思われた2人の単独パーティ?も、30m程離れた尾根の斜面に雪洞を掘って泊まっていた。今日は大晦日で、年越しそばやらバライティーなご馳走に至福の時を過ごす。
この夜は一晩中降雪が続き数箇所で雪崩る音が聞こえたが、冬山で特に珍しいわけでも無く、むしろ翌日の積雪が問題と考えた。夜間は2回程、山側から流れてくる雪でテントが圧迫され除雪を行う。過去の冬山では1時間ごとに除雪をやった事もあり、その点では尾根の幕営は楽である。

1月1日(火) 雪

1s5:00起床、元旦のおせち料理を皆でいただく。昨夜の降雪と積雪から考えると西鎌尾根すら到達は困難ではないかと考え、行けるところまでを前提に出発する事とし、飯田さんにはテントキーパーをお願いする。我々の近くで雪洞を掘って泊まっていた2人の単独登山者は、日数が無いとの事で下山を開始した。
7:30出発して奥丸山岳とのコルの下降に入り、トップの坂田リーダーが斜面で首まで潜ってのラッセルとなる。斜面の積雪、斜面下部のトラバースを考え表層雪崩の危険性大と判断、即座に行動の中止を決定し幕営地に引き上げる。
積雪状況から登れる状態になるには2~3日掛かると思われる事と下降にも時間を要すると考えられる為、計画はここで断念することと決め早速テント撤収を行う。
9:20下山を開始、程なく先行した単独登山の2人に追いつく。登路に使った枝尾根は森林限界上部の傾斜から見て危険と判断し、奥丸山岳経由で南東尾根を下降することにした。奥丸山岳までは首までのラッセルを3時間ほど交代で繰り返し、12:00ピークの直下に到着、南東尾根の下降に掛かる。
奥丸山岳直下の東側斜面(槍平から西側に突き上げている斜面)が大きく雪崩た跡があり新雪のスラブ断層の厚さは1m程、下部の幅は約50mの規模と確認できた。我々は雪崩跡の旧雪に沿って50m程下降、更に50m程のトラバースを行い南東尾根に到達する。この時点で志村さんのワカンの爪が効かずスリップ、30m程滑落するが幸いに止まり、駆けつけた坂田リーダーが回収し、全員が南東尾根に集結する。
その後も南東尾根の暖傾斜帯は、首までの深い雪に交代でザックを置いての空身のラッセルを強いられ、14:30イヌノクボ沢(白出沢出合の若干上部)に下降した。この下降もイヌノクボ沢上部で沢床に降りた場合、傾斜の急な斜面に雪崩の危険性があると思われる為、出来るだけ沢床の下部に降りるべく東側に進路を取りながら下降を行った。尾根筋を忠実に下降することも考えられたが、末端に出た場合の急斜面も予測されることから地図で方角を定めて下降したが、結果的に予測より若干上部でイヌノクボ沢の沢床に降り立った。幸い沢床の積雪は雪崩が出た形跡も無く且つ安定しており、ラッセルの苦労も無くスピーディに、安全地帯へ到達することができた。
15:00単独登山の2人と別れ、森林に囲まれた平坦地(2,200m付近)の雪をならし快適な幕営地とする。

(雪崩事故の事実は大和田さんの報告にあるとおり、1月1日の夜「事故の発生から約19時間後」彼女の携帯に知人からのMailが入り知る事となった)
雪崩事故の要因は27日~28日の晴天、29日の雨で雪面が比較的締まった状態に、30日からの集中的な多量の降雪、それに伴う新雪表層雪崩によるものと考えます。我々が奥丸山岳直下で確認した雪崩現場は、地図で見る限り槍平は直下であり、確定は出来ないながらも、これが要因ではないかと思わせるものがあった。
大和田さんの携帯を借りて留守本部の安達会員に無事下山中の連絡を入れる。我々の登山地域が事故発生地と同じ事から心配をされていた。
後日判明したことであるが、今回の雪崩事故の犠牲者に、鵬翔に入会する前の塩足会員の沢登り・渓流釣りの仲間であった越前屋晃一さんが居られた。彼の所属する三峰山岳会は80年の歴史を持つ古い山岳会である。我々と数十メートル離れた所にテントを設営した為に命運を分ける結果となったとするならば、彼女の気持ちも複雑なものがあったと思う。かつて、この場所には1973年にも雪崩があり、京都大学山岳部が5人の犠牲者を出している。但し、時期的には11月であり現場も400m程上流であることから、多量の降雪があったとしても一概に同じ条件ではないと考える。

1月2日(水) 小雪

5:00 予定通り起床
7:15 出発、イヌノクボ沢を下降する。
沢の下流は所々、沢床の水流が露出しており沢床途通りに下降が出来ず側面を迂回しながら下降する。膝上までのラッセルがあるものの、所々に先行した単独登山の2人のトレースもありスピーディに下降出来た。それにしても鈴木君がワカンを装着してトップで下降する中、ツボ足で遅れもせずぴったり付いていく坂田リーダー、この二人の馬力(見方によってはハンドルの無い暴走車)には頼もしさを感じる。
9:00 飛騨沢との出合に到着、ここで蒲田川右又谷の本流に出くわす。川の水量は多く、簡単に渡れるような場所が見つからない。先行者の渡渉地点は、どう見てもたっぷりと水に漬かっているように見える為、二手に別れ何とか濡れずに済む渡渉地点を探す。漸く坂田リーダーの見つけた場所を渡渉地点としたが水深15cm程の滑りやすい足場に苦労し、濡れずに渡渉できたのは僅か数名。下山日の渡渉で、さほどの問題は無かったが、入山日ならばダメージは大きいと考えざるを得ない場面だった。
10:00夏道の登山道に到着、よく踏まれた雪道を新穂高に向かう。(後で解ったが昨日、雪崩の遭難現場に向かった山岳救助隊と生存者の20~30名が数時間前に下山した為に完璧なトレースが出来たとのことである)
渡渉で足が濡れたメンバーは休んでいられないらしく、途中で休憩も取らず一気に新穂高に向かう。
この頃から上空をヘリコプターが行き交う。昨日は天候が悪く行動が出来なかった為と思われる。県警ヘリコプター6回、報道と思われるヘリコプター2回の出動があった。各機が往復するためしょっちゅう頭上でヘリコプター音を聞きながら新穂高へ向う。
11:35坂田・鈴木が新穂高到着、遅れること1時間以内で大和田、他5名が到着。雪に埋もれた車の除雪を行い平湯に移動し、平湯の森で入浴・食事を済ませ東京に向かう。思った程の渋滞もなく帰京できた。

今回の山行は同じ地域での大きな事故があったことも捕らえ、各人色々と考えることも多かったと思います。私なりに今回の山行を振り返り検証をしてみましたので、今後の参考にしていただけたらと考えます。

1. 予測天気図と実際

今回に関しては、支援天気図と週間予測が極めて一致していたこと、12月29日から崩れてきた天候の回復は1月2日頃からと読めたが、実際の天候も全くその通りでした。良い条件での登山を望むならば、好天に合わせて登山計画を組むべきかも知れません。然しながら、社会人で、しかも勤め人の場合、天気に合わせて山行計画を組んで実行することはなかなか出来る事ではありません。ましてや長期の休みが確保できる年末年始の場合は、現地での判断による行動しか方法が無いのが現実ではなかろうかと考えます。然しながら、ここまで科学的な予知方法が進歩してきた今日、パーティの命を預かるリーダーとしては、状況により総合的見地から日程の変更、山域も含めルートを大幅に変更すのも一つの選択肢と考えます。色々な山行での体験が経験として積み上げられる事により、的確な判断が出来る人材が育つことを期待します。

2. 雪崩の予知に関し

斜面に雪が積もった場合、重力とのバランスが崩れれば雪崩が発生するのは自然の摂理であり、これには斜度、積雪量で判断出る方程式や法則はありません。原則的に雪の斜面は雪崩れると考えるべきでしょう。自分の居る斜面が雪崩れるかどうかの判断は、それなりの知識と経験によるものが現状と考えます。今回の入山時にはブドウ谷、チビ谷及び滝谷出合上部の枝沢と、多くの沢に全層雪崩の跡がありました。しかし新たな全層雪崩が発生する為には、それなりの降雪と気温等の条件が必要となります。半面、条件によっては、同じ場所でも数回に渡り表層雪崩が発生することは充分にあります。地形と状況を見ることにより新たな雪崩が発生する要素があるか無いかの判断もできます。今回の槍平での雪崩事故に関しては、事故現場にいた訳ではないので断言は避けたいと思いますが、テントが潰された状態で流されていないことから考えると、奥丸山岳方面からの新雪表層雪崩によるもので、2m程の段差のある飛騨沢の沢床を越えた新雪がテントの上に落ちて来たことも考えられます。
私が参加した1975年のNepal Himalayaのダウラギリ主峰サウスピラー登攀の際に5名のメンバーを雪崩で失っていますが、雪崩を避けるために岩稜の末端に設営したキャンプに、隣のルンゼから溢れた新雪表層雪崩が岩稜を飛び越え落下したことにより、真上から潰されています。助かったメンバーは体を半身にして就寝していた事が要因と考えられますが、亡くなったメンバーはいずれも窒息死の状態でした。寝袋に入って就寝中、顔の上にテントの生地と雪が落下し、その重みで動くことも出来なかったと推測されます。
これらの状況から考えれば、雪崩の出ない斜面は基本的にあり得ないと考えることも出来ます。新雪表層雪崩の場合、落下する雪そのものもありますが、雪を含んだ雪煙状の衝撃圧の威力も証明されています。NET情報では長野、新潟の豪雪地帯で発生する「ホウ雪崩」と言われるもので、スピードは時速200km以上に及び、1938年12月に黒部川志合谷の工事用宿舎で84人、1918年1月に越後湯沢で158人、それ以外にも黒部川出し平で34人、竹原谷で21人と多くの犠牲を伴う被害が記録されています。

3. テント場(幕営地)の選択

冬山に向かう場合、絶対に安全な幕営地はあり得ないのが結論です。雪の少ない稜線、広大な平地は雪崩の危険性は無いものの、強風の脅威に晒されます。今回の槍平の幕営場所の選定に関し、西に槍平小屋、北に冬季小屋と樹林帯、東に南岳西尾根に続く樹林帯があり、あの場所での幕営地として考えた場合、比較的に安全性は高いと言えます。建物の近くに幕営する場合、建造物の屋根からの落雪、建造物の破壊による事故もあり得ますが、槍平小屋は東西に細長く建設されており、その東面に設営したことは、小屋の屋根からの落雪、建造物の破壊を受けるような雪崩、何れからも保護された場所と考えます。但し、風の向きによっては吹き溜まり場所となり、夜中に数回の除雪を迫られる場合も考えられます。幕営地の上部に斜面がある場合、雪崩に対して全く安全な場所はあり得ないと言っても過言ではありません。大きな雪崩は対岸にまで押し寄せてきます。森林帯でも樹齢が若く成長の早い潅木を見た場合(例えば白樺等)その樹林帯は長期的には大きな雪崩が発生している場合もあります。唯、それが50年に一度か30年に一度かは樹齢を見ることで目安にはなるでしょう。無雪期の登山を通して地形とともに沢の出合や対岸の植生等を観察しておく事も大切です。
中崎尾根の幕営地に関しては、尾根筋に出ることにより積雪・雪質も安定していることを期待していました。当初の幕営予定地は尾根通しにコル迄下降して更に登り詰め2,400m付近で幕営の予定でしたが、尾根上の積雪も多く不安定なことと、翌日の天候も期待できない状況から最悪閉じ込められて脱出する場合、改めてラッセルしながら登り返す労力と時間の無駄を考え、リーダーと協議して決定しました。翌日の幕営地に関しても同様なことが言えますが、冬の幕営地選定に当たって、利便性は二の次としてまずは安全性最優先で考えるべきです。
幕営地の決定をする際の要素として、冬山の日照時間も考慮に入れた時間的タイミングも重要です。勿論、時期によって日照時間に差はありますが、幕営の為の整地、設営に要する時間も考慮して、遅くとも日没の1時間以上前に幕営地に到達、又は選定を済ます必要があります。冬は日没と同時に、またたく間に暗くなります。パーティ登山の場合、メンバーの足並みにバラツキがある場合は特に時間的な余裕を持つ必要があります。

4. ラッセルに関し

今回の入山時、滝谷出合上部で会ったパーティの多くはワカンを持参していなかったか、持参しているにも拘わらず装着していなかった。近年、日本列島の温暖化現象か不明ですが山の雪は少なく、正月の上高地でも足首程度でラッセルなど考えられなかった。仮に多少の降雪があったとしても年末の暮れには何処もトレースが作られており、ラッセルの苦労などあり得ないと言った考えも当たり前の状況にあり、いきなりの大雪で立ち往生してしまったのが現状かと考えます。今回の冬山の天候状況は一昨年の爺ケ岳の東尾根~鹿島槍ケ岳の赤岩尾根依頼、久方ぶりにラッセルをしたと言う感じがしました。短時間での多量の降雪は状況によっては閉じ込められる可能性もあります。パーティとして、ラッセル力があるか無いかでは、あらゆる面での安全性にも繋がってくると考えます。今回の我がパーティには幸いな事に、坂田・鈴木の機関車並みの強力なラッセル車がいたこともあり、閉じ込められる心配は全くありませんでした。又、最近の傾向として、アルミパイプを加工したワカンが主流のように見えますが、つま先が長く装着も構造上、靴がフラットに接触することから平地での効果は認められる反面、斜面の登りには足首に負担が掛かってきます。それに伴い、ステップ確保の為の蹴り込みが要求されます。
雪の斜面に於いて、先行者のステップを崩しながら登ることは、新たなステップを作る必要が出てくる為、時間を費やすと同時に著しく体力を消耗します。ワカンでの歩行も登山技術の一つかと考えます。

5. 日程と予備日の関係

今回の山行計画の日程は予備日を含め、12月30日(前夜発)~1月4日でした。然しながら1月4日から仕事と言うメンバーが数人居ました。その為、実質的な計画は1月3日で予定を組んでいました。その意味では計画書も予備日を含め、現実的には1月3日までとするべきであったと感じます。
坂田リーダーが1月3日の夜から次の計画があるため、2日には下山したいとの希望は聞いていました。但し、これに関しては私としては極めて楽観視していました。何故ならば、リーダーとしての責任においてパーティで入山した以上は、次の山行等は二の次で、当然、現在、山行を共にしているパーティの安全が保証された上で初めて許されることが前提だからです。

(記: 清水)

雪上訓練

日時: 2007年12月15日(土) – 16日(日) 前夜発
山域: 谷川岳天神尾根
参加者: 清水(L)・国府谷(SL)・飯田・平井(16日)・坂田・塩足・志村・松林・土井・齊藤・鈴木(泰)・佐藤
行程:
第1日目: ロープウェイ乗り場(8:05) – テント場(9:40) – 雪上訓練(11:30/14:50)
第2日目: 起床(5:00) – 出発(7:00) – 熊穴沢避難小屋(8:15/8:30) – テント場(9:00/10:30) – ロープウェイ乗り場(11:00)

12月14日(金) 小雪

天神尾根雪上訓練に参加した。今回は松林さんの車にお世話になる。夜10:30に新宿西口ロータリーに集合。
10分前に松林さんと合流。その後、国府谷さん、佐藤さんが着き、土井さんが仕事から抜け出してきた。
土合駅近くまでほとんど雪はなく、結局ロープウェイ駅までチェーン無しで到着。

深夜1:30 ロビーに向かうが、もうほとんど寝静まっていて手分けをして探すも鵬翔の判別がつかない。
適当に場所を決めようと思った矢先に知った顔が大きないびきを掻いていた。
後着組のささやかな酒盛りの後、寝袋にもぐる。

12月15日(土) 晴れ

Dscn1466s  朝、周りの支度の音で目が覚めるが鵬翔のメンバーはまだ半分も起きていない。
ほとんど周りがいなくなった頃、ようやく支度が始まった。6:30起床。
しばらくして外を見ると、もうロープウェイが動いている。
土日祝日は1時間早く7:00から営業すると分かった。
8:00にロープウェイに乗り込み、天神平スキー場へ8:20到着。天神尾根を登り始める。
トレースはあるものの雪が多く登りずらい。
元気な若者集団(坂田、志村、佐藤、鈴木の面々)はトレースを外し、腰までのラッセル訓練で登っている。
(その元気がうらやましい。)
Dscn1467s 1時間ほどでテント場にする天神峠に到着。設営にかかる。テント場も大賑わいで方々にテントが設営されていた。
11:30 設営終了で今回目的の雪上訓練が始まった。
昨日に降った雪が斜面に積もりまだ柔らかい為、固めて練習場を作る。
雪上歩行・滑落停止・スタンディングアックスビレイ・コンテの停止 等々を教わる。
転がり役が上から勢いをつけて転がるのでアックスビレイが吹っ飛ぶ経験は参考になる。
昼もわすれて練習していたせいか、陽が傾き始めた頃にはお腹がすいてきた。14:50に練習を終了する。
テント3張りに分かれ、夕食は大テントで皆で食べる。おいしい○○鍋でした。○○が思い出せない。でも味も良く、おいしい鍋でした。食当様。
稜線のテン場の為、夜は時に強烈な風が吹き、テントの上にも音をたてて雪が積もっていた。Dscn1486s

12月16日(日) 風雪

翌日、小テント組(国府谷、松林、齊藤)組は少し早出をして、西黒尾根経由で下る計画だった。
4:30に起床。素うどんを食べ6:00に出発しようとテント撤収するが、朝から風が強く、吹雪状態が
収まらない。大テントに相談をし、一緒の行動とする。
テン場はそのままで、7:00天神尾根を登り始める。他のパーティーも同じルートで活動を始めた為、一時渋滞待ちに。相変わらず横殴りの風雪が吹き抜ける。昨夜の雪で一層

つぼ足も深くなっていた。
8:15 熊穴沢避難小屋到着。雪もだいぶ深く、これより先は止めテン場に戻る。
9:00 テン場に到着。ちょうどこの頃、平井さんが合流する。
10:30 撤収。ロープウェイにて麓へ。
帰りの立ち寄り湯は湯テルメ谷川(550円)で暖まり帰路についた。

今回の谷川は日中の寒いときで-5℃。夜の寒いときでも-10度でキンキンの寒さではなかった。
それでも雪は十分に有り、それぞれ収穫があったのではないでしょうか。
幹事、講師のみなさんありがとうございました。

後日談に、帰京後ジムで岩トレが催されたと聞きましたが・・・(育ち盛りの食欲のようでスゴイ)

(記: 齊藤)

ボッカ訓練

日程: 2007年10月20日(土)
山域: 川苔山赤杭尾根(奥多摩)
参加者: 坂田(L)・飯田・安達・平井・掛川・志村・松林・大和田・芳
野・下島・鈴木
行程: 古里駅(9:00) – 川苔山(12:45/13:15) – 奥多摩駅(15:45)

いつもは、多少は負荷を掛けるもののハイキングで終わらせてしまっていたが
、もったいないので冬山へ向けたボッカ訓練とした。設定した赤杭尾根は登り
ごたえがあって良かったが、ちょっと長すぎた(特に下山、あんなにアップダ
ウンがあろうとは…)。二時間で下れると思っていたのが甘かった。もうちょ
っと余裕を持ってザイル祭の準備が出来るように来年は考えたい。

近頃は軟弱になって軽量化ばかりを考えているのできつかった。久々に下りで
足がガクガク。翌日は筋肉痛。息は切れないのだが、筋肉がついていかない。
遅れは取るし、リーダー失格だった。初めて一緒に山行した筋肉マンの鈴木(
泰)に負けたことがとにかく悔しい。これをバネに日頃からトレーニングに励
まねばならないのだが…。

(記: 坂田)

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晴れ。ザイル祭の前哨戦として、久しぶりの大人数のハイキングだ。
とある山行でとんでもなくルートを外した私は、罰として、いやいや先輩方の温かい指導として、先頭を指名されてしまった。トップは苦手だけど今回はボッカ。標準タイムを目指す目標なので、まだ救われた。
山に入り、ザックに石を詰める皆々方。私は現状のザックで体力一杯なので勘弁してもらう。大和田さんは冬山に向けて、自分の限界に挑戦するとの事。いつもながら、頭が下がる。その姿を見て、見習わなければいけないな…。後ろから掛川さんや安達さんが色々とアドバイスを掛けて下さる。途中、大蛙に睨まれながら進む。
ほぼコースタイム通りに山頂についてホッと一息。山頂は大賑わいだ。ハイキングの軽装の方々が、我々の重装備を見て驚いている。かなり異質に見えるに違いない…。宴会の食事について熱い議論を交わすが、時間がない!との事で、さっさと下山する。
下山はあっという間。という予想を思いっきり裏切られて、下った分以上に登ったり…。「下山じゃないじゃーん!」と心の中で泣きながら必死に歩く。つま先が痛くて仕方がない。そんな私に対して、安達さんや平井さん芳野さんは楽々と喋りながら登ってくる。体力の違いに悲しくなった。平井さんは痛めた膝も良くなっているようで、一安心。鈴木君もへー然としている。私位ヘトヘトになる重さのザックを背負ったら、何キロ位のザックになるんだろう?30キロ?40キロ?と考えてみる。…是非今度試してもらおう。
急げ急げと下りたけど、「目標時間」には到着できず。お待たせしました。さぁ、これから宴会だ!!

(記: 志村)

鵬翔スキー懇親会

日時 : 2007年3月3日(土)~4日(日)2日間、前夜発         
場所 :長野県白馬八方尾根スキー場      
宿泊 :白馬村八方。 旅館 {あらや}      
参加者: 関西支部:久松(27期)、丸尾(27期)、県(39期) 3名      
東京支部:飯田(20期)、馬場(25期)、安達(26期)、坂田(64期)、後藤(67期)、志村(67期)、坂本(68期)、鈴木(安達友人)  9人   合計12人

報告 : 当初の計画の参加者が、相次いで不参加になり連絡が大変でしたが、久松君の、長い間の付き合いがある、宿との事で、それらはクリアーして各、参加者の都合により、宿屋の夜中あるいは、明け方、朝食までに着きました。      

3月3日 : 夜中着いた、人は、集まり、少し話と、関西支部のとのご無沙汰をいたみ、お酒を酌み交わし 就寝、朝着の丸尾君、坂本君を交え、朝食後、シャトルバスでスキー場に向かいました。      
幸い、天候はまあまあで、皆でリフトを乗り継ぎ、兎に角上まで行きました。      
それからは、レストラン「ウサギ平109」での昼食時間まで、大体一緒にすべる。      
老若男女のメンバーですが、さすが関西支部の久松会員、丸尾会員、カナダまですべりに 丸尾君は、国内でも、山スキーにあちこち、行っているようですが、スキー暦は浅いといいます。
坂田君や、志村さんはとても上手だし、何しろ力強いすべりをしている。
後藤君は、たった一人スノウボウドで頑張っている。

Image001_2 
昼は、ウサギ平109にて皆で昼食、ビールや、ウイスキーを飲む人もいて、楽しい時間である。
午後は、若い人たちは、自由滑走、我々は、一緒にすべる。久松君が面倒を見てくれる。
その夜は、値段の割りに豪華な食事に、酒は進みますが、いつもの如く、部屋での、懇親パーテェーになりました。

3月4日 : 関西支部の会員で、長い間、大町市役所の観光課に勤めていた 県君が朝から参加できるというので、朝食時に合流、彼には大分昔に爺が岳スキー場での、 懇親スキーにはスキー場で、バーベキュウの用意をしてもらったり、山に行くとき情報を得たり、 色々お世話になっているので、ありがたいことです。鵬翔の広がりを感じます。
昼まで、すべり昨日のウサギ平で昼食を取り、自由解散にしましたが、色々あり、 宿では皆一緒になり、夜行バスで、兵庫に帰る丸尾君を残し、関西支部の久松君を白馬の駅まで送り、 志村車、坂本車、安達車と、長野まで、オリンピック道路を行き,長野で早い夕食をたべ、 そこで解散。それぞれ帰りました。

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関越道は、藤岡から渋滞、安達車は、そこから下道に下り、羽生から、東北道に乗り、帰りましたが、 渋滞を我慢した、志村者は。40分ほど、安達車より、早く東京に着いたそうです。

毎年行っているスキー懇親会を、今回は関西支部に計画を委ねまして、八方尾根での、 楽しい懇親会が出来ました。ただ、直ぐにバラバラになり、なかなか全員の集合写真が取れませんでした。
久松君が、使わなくなった、カービングスキーを下さるというので、来年はカービングで、 デビュウかも。

記 安達