雪洞山行

日程: 2008年2月16日(土) – 17日(日)
山域: 天神峠(谷川岳)
参加者: 坂田(L)・塩足(SL)・飯田・志村・松林・中村・鈴木(泰)・佐藤
行程:
第1日目: 8:30(ロープウエイ乗り場) – 9:05(ロープウエイ降り場) – 11:30(天神峠) – 12:00(雪洞掘り開始) – 16:05(雪洞完成)
第2日目: 7:30(天神峠) – 8:52(ロープウエイ乗り場)

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昨年中は雪山山行に参加できず、会に入って今回初めて冬の山行となった。四半世紀前の登山靴を3週間前から皮革油を塗って生き返らせ、新たに装備を買うなど準備万端、雪洞もさることながら、天候に恵まれて頂上にいけたらと、少々わくわくして出発した。しかし、その期待もロープウェーから降りてすぐに始まった胸までのラッセルで、黄信号が点滅。これがずっと続くとしたら、明日天候が良くても頂上は難しいかなと。順番でラッセルの先頭をやり始めたが、これでは時間がかかると、坂田さんが空身になってまさにラッセル車のように進み始め、天神峠着。天候ははじめ雪が舞っていたが、視界は良好。ただし稜線に出ると風が強く、100mほど行った傾斜地で雪洞を掘ることにした。

2mほど離れて同時に2箇所から掘り始め、3mほど掘り進んでから雪洞をつなげて8人でも余裕の大きなものにした。完成まで4時間。手前側が奥より低くなったり壁と床の角をちゃんと直角にしてスペースを確保するなど、飯田さんのアドバイスもあって、快適な雪洞ができた。トイレは飯田さんが完成。おかげで夜中から朝にかけての吹雪の中でも何とか用が足せた。それにしても雪洞を掘るのは重労働ですね。。。

雪洞が完成するころには晴れ間が出てきて遠くの水上高原や武尊山なども見渡せるときもあり、冬型の気圧配置がゆるんできたのかなと、明日の天候を期待した。

しかし、朝起きてみたら吹雪といえるような悪天候で、昨日は少なくとも非難小屋の先くらいまでは行きたいと言っていたが、諦め、トレースのなくなったルートをまたラッセルしながら下山した。その後ビーコンの使い方の講習を行ったが、かなり使い方に慣れないと役に立たないのではと思われた。

今回は、スキー場からすぐのところまでしか行けなかったが、雪洞を掘るコツが習得できたこと、厳冬期の谷川を極めることの厳しさを垣間見たことが収穫でした。

(記: 中村)

正月合宿

日程: 2007年12月30日(日) – 2008年1月2日(水) 前夜発
山域: 槍ヶ岳中崎尾根(北アルプス)
参加者: 坂田(L)・清水(SL)・飯田・塩足・志村・大和田・鈴木(泰)
行程:
第1日目: 新穂高温泉(7:20) – 白出沢出合(10:17) – 滝谷出合(12:41) – 槍平(15:30)
第2日目: 槍平(8:30) – 奥丸山から少し下ったところ
第3日目: 奥丸山から下ったところ(7:22) – 200m程度前進 – 撤収(9:00) – イヌノクボ沢2200m付近(15:05)
第4日目: イヌノクボ沢2200m付近(7:10) – 白出沢出合(10:25) – 新穂高温泉(11:36)

今回の山行は出発前から、暮れから正月に掛けての悪天候の予報が報じられていた事と、我々の入山地域で雪崩事故が発生した事もあり、留守本部をお願いした安達会員を始め会員及び関係者に心配いただきましたこと、御礼を申し上げます。

12月29日(土) 現地は雨

大和田車隊(武蔵境発)・志村車隊(船橋発)の車2台が談合坂サービスエリアで落ち合い、新穂高に向かって20:30に出発。

12月30日(日) 雪

0:30新穂高温泉に到着、天候は雨(予想以上に気温が高い)。テントでの仮眠を予定していたが、冬用テントでは雨は凌げない。たまたま開放されていたバスターミナルの待合室(床暖房付)にて快適な仮眠を取る。駐車場は冬期間のみ登山者用に無料スペースが設けられていた。先着の1パーティの他に、後から到着した1パーティ程が同じ場所で仮眠を取った。
7:20 朝食後、新穂高から槍平に向かう3パーティ程が前後して出発(天候は湿雪)。
10:20白出沢出合を通過、涸沢岳西尾に向かう1パーティと分かれる。白出沢出合付近で漸く湿気の無い雪に変わる。この辺で積雪は50~70cm、但し旧雪の上に30~40cmの新雪が積もった状態で特に問題なし。先行パーティのトレースがありラッセルの苦労は、さほど感じられないが、スノーシューのチームがステップを崩して先行した為、思ったよりもズブリ、時間が掛かる。
3s ブドウ谷、チビ谷は何れも雪崩によるデブリがあり、この上を通過する(但し、何れも全層雪崩で発生後1~2日を経ていることから、前日までの高い気温と雨によって発生したと思われ、雪崩のブロックも硬く締まっており、当日の新雪による表層雪崩の可能性は少ないと思われた)。
滝谷出合から先は前日のものと思われるトレースがうっすらとあるのみでラッセルが必要となる。スノーシューのチームが先行して行く。斜面の通過には時間を費やしていたが、平地や暖斜面では効果があるようで快適に登っている。我々も出合を過ぎた「故 藤木久三氏のレリーフ」(第1次R.C.Cの設立者で滝谷登攀の先駆者、孤高の人の主人公である加藤文太郎氏の恩師)の前でワカンを装着して登る。出合上部で新雪の積雪は50~60cm。右岸の枝沢からのデブリあり、先行パーティが夏道の斜面を途中まで登り立ち往生していた。
我々は、このパーティとは別の、先行している4人チームの後を追うように沢床に降り、途中で彼らと先頭を替わり槍平に向う。沢床は風が舞う為、風の向きが一定せずブリザード状の天候で雪煙が顔面に吹き付ける。後続のパーティを加えると総勢30名程がこの日に入山した事になるが、ワカンを装着していないパーティが多く見られた(持参しているのかどうかは不明)。
2s 15:20槍平の幕営地に到着、他のパーティも次々に到着する。
大和田さんが先行確保した幕営地は、槍平小屋の東面、北に冬季小屋と2面を障害物が遮り、東面は南岳からの森林帯があり、比較的安全性の高い場所と思われる(但し、風の向きによっては雪の吹き溜まりになる)。

12月31日(月) 雪

7時出発予定で準備をする。夜間の積雪は50cm~60cm程度で、除雪も1回行った程度でテントが潰されるほどの積雪ではない。
前日のトレースは降雪で隠れ、中崎尾根の取り付きまでの積雪が気になるので、清水・坂田・鈴木の3名が尾根の取り付まで空身で偵察に行く(7:10~8:10)。飛騨沢を越えて枝尾根の取り付までワカン装着で1mほどのラッセルはあるものの、傾斜はゆるく雪崩の心配は無いことからテントを撤収し、中崎尾根へ向う事にした。
8:40槍平を出発、状況によって何時でも尾根の森林帯で幕営することも前提に置く。我々と前後して南岳西尾根に2パーティが出発していった。尾根上はラッセルが続くものの雪崩を心配するような場所も無く、所々にうっすら残るトレースを頼りにラッセルを続ける。枝尾根を上り詰めて中崎尾根に合流する手前、奥丸山岳手前のピークの登りで先行していた2人パーティに追いつく(2人パーティと思ったが実は単独登山者2名で、新穂高から槍平までに2日間掛かり、今日も槍平を5:30に出発してきたとの事)。彼らの話から29日は山中でも雨天だったことを知る。
尾根の手前の急斜面は頭までの新雪のラッセルで、雪崩を起こさないよう斜面を切らずに直上し、枝尾根の尾根筋を忠実に経て中崎尾根と合流するように指示する。坂田君がトップで上部までラッセルをして下降中、既に通過が終わったトラバース部分から小規模ながら表層雪崩が発生した。但し、これは斜面を切った状態で上部から重力と振動を与えた為のもので自然発生ではない。
15:20中崎尾根の合流点に到着。降雪と視界の悪さからこれ以上進むことは得策でないことと、天候条件も今日・明日が最悪と考えた場合の退路も考え、尾根の上の暖傾斜を削り幕営をする。更に先行すると思われた2人の単独パーティ?も、30m程離れた尾根の斜面に雪洞を掘って泊まっていた。今日は大晦日で、年越しそばやらバライティーなご馳走に至福の時を過ごす。
この夜は一晩中降雪が続き数箇所で雪崩る音が聞こえたが、冬山で特に珍しいわけでも無く、むしろ翌日の積雪が問題と考えた。夜間は2回程、山側から流れてくる雪でテントが圧迫され除雪を行う。過去の冬山では1時間ごとに除雪をやった事もあり、その点では尾根の幕営は楽である。

1月1日(火) 雪

1s5:00起床、元旦のおせち料理を皆でいただく。昨夜の降雪と積雪から考えると西鎌尾根すら到達は困難ではないかと考え、行けるところまでを前提に出発する事とし、飯田さんにはテントキーパーをお願いする。我々の近くで雪洞を掘って泊まっていた2人の単独登山者は、日数が無いとの事で下山を開始した。
7:30出発して奥丸山岳とのコルの下降に入り、トップの坂田リーダーが斜面で首まで潜ってのラッセルとなる。斜面の積雪、斜面下部のトラバースを考え表層雪崩の危険性大と判断、即座に行動の中止を決定し幕営地に引き上げる。
積雪状況から登れる状態になるには2~3日掛かると思われる事と下降にも時間を要すると考えられる為、計画はここで断念することと決め早速テント撤収を行う。
9:20下山を開始、程なく先行した単独登山の2人に追いつく。登路に使った枝尾根は森林限界上部の傾斜から見て危険と判断し、奥丸山岳経由で南東尾根を下降することにした。奥丸山岳までは首までのラッセルを3時間ほど交代で繰り返し、12:00ピークの直下に到着、南東尾根の下降に掛かる。
奥丸山岳直下の東側斜面(槍平から西側に突き上げている斜面)が大きく雪崩た跡があり新雪のスラブ断層の厚さは1m程、下部の幅は約50mの規模と確認できた。我々は雪崩跡の旧雪に沿って50m程下降、更に50m程のトラバースを行い南東尾根に到達する。この時点で志村さんのワカンの爪が効かずスリップ、30m程滑落するが幸いに止まり、駆けつけた坂田リーダーが回収し、全員が南東尾根に集結する。
その後も南東尾根の暖傾斜帯は、首までの深い雪に交代でザックを置いての空身のラッセルを強いられ、14:30イヌノクボ沢(白出沢出合の若干上部)に下降した。この下降もイヌノクボ沢上部で沢床に降りた場合、傾斜の急な斜面に雪崩の危険性があると思われる為、出来るだけ沢床の下部に降りるべく東側に進路を取りながら下降を行った。尾根筋を忠実に下降することも考えられたが、末端に出た場合の急斜面も予測されることから地図で方角を定めて下降したが、結果的に予測より若干上部でイヌノクボ沢の沢床に降り立った。幸い沢床の積雪は雪崩が出た形跡も無く且つ安定しており、ラッセルの苦労も無くスピーディに、安全地帯へ到達することができた。
15:00単独登山の2人と別れ、森林に囲まれた平坦地(2,200m付近)の雪をならし快適な幕営地とする。

(雪崩事故の事実は大和田さんの報告にあるとおり、1月1日の夜「事故の発生から約19時間後」彼女の携帯に知人からのMailが入り知る事となった)
雪崩事故の要因は27日~28日の晴天、29日の雨で雪面が比較的締まった状態に、30日からの集中的な多量の降雪、それに伴う新雪表層雪崩によるものと考えます。我々が奥丸山岳直下で確認した雪崩現場は、地図で見る限り槍平は直下であり、確定は出来ないながらも、これが要因ではないかと思わせるものがあった。
大和田さんの携帯を借りて留守本部の安達会員に無事下山中の連絡を入れる。我々の登山地域が事故発生地と同じ事から心配をされていた。
後日判明したことであるが、今回の雪崩事故の犠牲者に、鵬翔に入会する前の塩足会員の沢登り・渓流釣りの仲間であった越前屋晃一さんが居られた。彼の所属する三峰山岳会は80年の歴史を持つ古い山岳会である。我々と数十メートル離れた所にテントを設営した為に命運を分ける結果となったとするならば、彼女の気持ちも複雑なものがあったと思う。かつて、この場所には1973年にも雪崩があり、京都大学山岳部が5人の犠牲者を出している。但し、時期的には11月であり現場も400m程上流であることから、多量の降雪があったとしても一概に同じ条件ではないと考える。

1月2日(水) 小雪

5:00 予定通り起床
7:15 出発、イヌノクボ沢を下降する。
沢の下流は所々、沢床の水流が露出しており沢床途通りに下降が出来ず側面を迂回しながら下降する。膝上までのラッセルがあるものの、所々に先行した単独登山の2人のトレースもありスピーディに下降出来た。それにしても鈴木君がワカンを装着してトップで下降する中、ツボ足で遅れもせずぴったり付いていく坂田リーダー、この二人の馬力(見方によってはハンドルの無い暴走車)には頼もしさを感じる。
9:00 飛騨沢との出合に到着、ここで蒲田川右又谷の本流に出くわす。川の水量は多く、簡単に渡れるような場所が見つからない。先行者の渡渉地点は、どう見てもたっぷりと水に漬かっているように見える為、二手に別れ何とか濡れずに済む渡渉地点を探す。漸く坂田リーダーの見つけた場所を渡渉地点としたが水深15cm程の滑りやすい足場に苦労し、濡れずに渡渉できたのは僅か数名。下山日の渡渉で、さほどの問題は無かったが、入山日ならばダメージは大きいと考えざるを得ない場面だった。
10:00夏道の登山道に到着、よく踏まれた雪道を新穂高に向かう。(後で解ったが昨日、雪崩の遭難現場に向かった山岳救助隊と生存者の20~30名が数時間前に下山した為に完璧なトレースが出来たとのことである)
渡渉で足が濡れたメンバーは休んでいられないらしく、途中で休憩も取らず一気に新穂高に向かう。
この頃から上空をヘリコプターが行き交う。昨日は天候が悪く行動が出来なかった為と思われる。県警ヘリコプター6回、報道と思われるヘリコプター2回の出動があった。各機が往復するためしょっちゅう頭上でヘリコプター音を聞きながら新穂高へ向う。
11:35坂田・鈴木が新穂高到着、遅れること1時間以内で大和田、他5名が到着。雪に埋もれた車の除雪を行い平湯に移動し、平湯の森で入浴・食事を済ませ東京に向かう。思った程の渋滞もなく帰京できた。

今回の山行は同じ地域での大きな事故があったことも捕らえ、各人色々と考えることも多かったと思います。私なりに今回の山行を振り返り検証をしてみましたので、今後の参考にしていただけたらと考えます。

1. 予測天気図と実際

今回に関しては、支援天気図と週間予測が極めて一致していたこと、12月29日から崩れてきた天候の回復は1月2日頃からと読めたが、実際の天候も全くその通りでした。良い条件での登山を望むならば、好天に合わせて登山計画を組むべきかも知れません。然しながら、社会人で、しかも勤め人の場合、天気に合わせて山行計画を組んで実行することはなかなか出来る事ではありません。ましてや長期の休みが確保できる年末年始の場合は、現地での判断による行動しか方法が無いのが現実ではなかろうかと考えます。然しながら、ここまで科学的な予知方法が進歩してきた今日、パーティの命を預かるリーダーとしては、状況により総合的見地から日程の変更、山域も含めルートを大幅に変更すのも一つの選択肢と考えます。色々な山行での体験が経験として積み上げられる事により、的確な判断が出来る人材が育つことを期待します。

2. 雪崩の予知に関し

斜面に雪が積もった場合、重力とのバランスが崩れれば雪崩が発生するのは自然の摂理であり、これには斜度、積雪量で判断出る方程式や法則はありません。原則的に雪の斜面は雪崩れると考えるべきでしょう。自分の居る斜面が雪崩れるかどうかの判断は、それなりの知識と経験によるものが現状と考えます。今回の入山時にはブドウ谷、チビ谷及び滝谷出合上部の枝沢と、多くの沢に全層雪崩の跡がありました。しかし新たな全層雪崩が発生する為には、それなりの降雪と気温等の条件が必要となります。半面、条件によっては、同じ場所でも数回に渡り表層雪崩が発生することは充分にあります。地形と状況を見ることにより新たな雪崩が発生する要素があるか無いかの判断もできます。今回の槍平での雪崩事故に関しては、事故現場にいた訳ではないので断言は避けたいと思いますが、テントが潰された状態で流されていないことから考えると、奥丸山岳方面からの新雪表層雪崩によるもので、2m程の段差のある飛騨沢の沢床を越えた新雪がテントの上に落ちて来たことも考えられます。
私が参加した1975年のNepal Himalayaのダウラギリ主峰サウスピラー登攀の際に5名のメンバーを雪崩で失っていますが、雪崩を避けるために岩稜の末端に設営したキャンプに、隣のルンゼから溢れた新雪表層雪崩が岩稜を飛び越え落下したことにより、真上から潰されています。助かったメンバーは体を半身にして就寝していた事が要因と考えられますが、亡くなったメンバーはいずれも窒息死の状態でした。寝袋に入って就寝中、顔の上にテントの生地と雪が落下し、その重みで動くことも出来なかったと推測されます。
これらの状況から考えれば、雪崩の出ない斜面は基本的にあり得ないと考えることも出来ます。新雪表層雪崩の場合、落下する雪そのものもありますが、雪を含んだ雪煙状の衝撃圧の威力も証明されています。NET情報では長野、新潟の豪雪地帯で発生する「ホウ雪崩」と言われるもので、スピードは時速200km以上に及び、1938年12月に黒部川志合谷の工事用宿舎で84人、1918年1月に越後湯沢で158人、それ以外にも黒部川出し平で34人、竹原谷で21人と多くの犠牲を伴う被害が記録されています。

3. テント場(幕営地)の選択

冬山に向かう場合、絶対に安全な幕営地はあり得ないのが結論です。雪の少ない稜線、広大な平地は雪崩の危険性は無いものの、強風の脅威に晒されます。今回の槍平の幕営場所の選定に関し、西に槍平小屋、北に冬季小屋と樹林帯、東に南岳西尾根に続く樹林帯があり、あの場所での幕営地として考えた場合、比較的に安全性は高いと言えます。建物の近くに幕営する場合、建造物の屋根からの落雪、建造物の破壊による事故もあり得ますが、槍平小屋は東西に細長く建設されており、その東面に設営したことは、小屋の屋根からの落雪、建造物の破壊を受けるような雪崩、何れからも保護された場所と考えます。但し、風の向きによっては吹き溜まり場所となり、夜中に数回の除雪を迫られる場合も考えられます。幕営地の上部に斜面がある場合、雪崩に対して全く安全な場所はあり得ないと言っても過言ではありません。大きな雪崩は対岸にまで押し寄せてきます。森林帯でも樹齢が若く成長の早い潅木を見た場合(例えば白樺等)その樹林帯は長期的には大きな雪崩が発生している場合もあります。唯、それが50年に一度か30年に一度かは樹齢を見ることで目安にはなるでしょう。無雪期の登山を通して地形とともに沢の出合や対岸の植生等を観察しておく事も大切です。
中崎尾根の幕営地に関しては、尾根筋に出ることにより積雪・雪質も安定していることを期待していました。当初の幕営予定地は尾根通しにコル迄下降して更に登り詰め2,400m付近で幕営の予定でしたが、尾根上の積雪も多く不安定なことと、翌日の天候も期待できない状況から最悪閉じ込められて脱出する場合、改めてラッセルしながら登り返す労力と時間の無駄を考え、リーダーと協議して決定しました。翌日の幕営地に関しても同様なことが言えますが、冬の幕営地選定に当たって、利便性は二の次としてまずは安全性最優先で考えるべきです。
幕営地の決定をする際の要素として、冬山の日照時間も考慮に入れた時間的タイミングも重要です。勿論、時期によって日照時間に差はありますが、幕営の為の整地、設営に要する時間も考慮して、遅くとも日没の1時間以上前に幕営地に到達、又は選定を済ます必要があります。冬は日没と同時に、またたく間に暗くなります。パーティ登山の場合、メンバーの足並みにバラツキがある場合は特に時間的な余裕を持つ必要があります。

4. ラッセルに関し

今回の入山時、滝谷出合上部で会ったパーティの多くはワカンを持参していなかったか、持参しているにも拘わらず装着していなかった。近年、日本列島の温暖化現象か不明ですが山の雪は少なく、正月の上高地でも足首程度でラッセルなど考えられなかった。仮に多少の降雪があったとしても年末の暮れには何処もトレースが作られており、ラッセルの苦労などあり得ないと言った考えも当たり前の状況にあり、いきなりの大雪で立ち往生してしまったのが現状かと考えます。今回の冬山の天候状況は一昨年の爺ケ岳の東尾根~鹿島槍ケ岳の赤岩尾根依頼、久方ぶりにラッセルをしたと言う感じがしました。短時間での多量の降雪は状況によっては閉じ込められる可能性もあります。パーティとして、ラッセル力があるか無いかでは、あらゆる面での安全性にも繋がってくると考えます。今回の我がパーティには幸いな事に、坂田・鈴木の機関車並みの強力なラッセル車がいたこともあり、閉じ込められる心配は全くありませんでした。又、最近の傾向として、アルミパイプを加工したワカンが主流のように見えますが、つま先が長く装着も構造上、靴がフラットに接触することから平地での効果は認められる反面、斜面の登りには足首に負担が掛かってきます。それに伴い、ステップ確保の為の蹴り込みが要求されます。
雪の斜面に於いて、先行者のステップを崩しながら登ることは、新たなステップを作る必要が出てくる為、時間を費やすと同時に著しく体力を消耗します。ワカンでの歩行も登山技術の一つかと考えます。

5. 日程と予備日の関係

今回の山行計画の日程は予備日を含め、12月30日(前夜発)~1月4日でした。然しながら1月4日から仕事と言うメンバーが数人居ました。その為、実質的な計画は1月3日で予定を組んでいました。その意味では計画書も予備日を含め、現実的には1月3日までとするべきであったと感じます。
坂田リーダーが1月3日の夜から次の計画があるため、2日には下山したいとの希望は聞いていました。但し、これに関しては私としては極めて楽観視していました。何故ならば、リーダーとしての責任においてパーティで入山した以上は、次の山行等は二の次で、当然、現在、山行を共にしているパーティの安全が保証された上で初めて許されることが前提だからです。

(記: 清水)

雪上訓練

日時: 2007年12月15日(土) – 16日(日) 前夜発
山域: 谷川岳天神尾根
参加者: 清水(L)・国府谷(SL)・飯田・平井(16日)・坂田・塩足・志村・松林・土井・齊藤・鈴木(泰)・佐藤
行程:
第1日目: ロープウェイ乗り場(8:05) – テント場(9:40) – 雪上訓練(11:30/14:50)
第2日目: 起床(5:00) – 出発(7:00) – 熊穴沢避難小屋(8:15/8:30) – テント場(9:00/10:30) – ロープウェイ乗り場(11:00)

12月14日(金) 小雪

天神尾根雪上訓練に参加した。今回は松林さんの車にお世話になる。夜10:30に新宿西口ロータリーに集合。
10分前に松林さんと合流。その後、国府谷さん、佐藤さんが着き、土井さんが仕事から抜け出してきた。
土合駅近くまでほとんど雪はなく、結局ロープウェイ駅までチェーン無しで到着。

深夜1:30 ロビーに向かうが、もうほとんど寝静まっていて手分けをして探すも鵬翔の判別がつかない。
適当に場所を決めようと思った矢先に知った顔が大きないびきを掻いていた。
後着組のささやかな酒盛りの後、寝袋にもぐる。

12月15日(土) 晴れ

Dscn1466s  朝、周りの支度の音で目が覚めるが鵬翔のメンバーはまだ半分も起きていない。
ほとんど周りがいなくなった頃、ようやく支度が始まった。6:30起床。
しばらくして外を見ると、もうロープウェイが動いている。
土日祝日は1時間早く7:00から営業すると分かった。
8:00にロープウェイに乗り込み、天神平スキー場へ8:20到着。天神尾根を登り始める。
トレースはあるものの雪が多く登りずらい。
元気な若者集団(坂田、志村、佐藤、鈴木の面々)はトレースを外し、腰までのラッセル訓練で登っている。
(その元気がうらやましい。)
Dscn1467s 1時間ほどでテント場にする天神峠に到着。設営にかかる。テント場も大賑わいで方々にテントが設営されていた。
11:30 設営終了で今回目的の雪上訓練が始まった。
昨日に降った雪が斜面に積もりまだ柔らかい為、固めて練習場を作る。
雪上歩行・滑落停止・スタンディングアックスビレイ・コンテの停止 等々を教わる。
転がり役が上から勢いをつけて転がるのでアックスビレイが吹っ飛ぶ経験は参考になる。
昼もわすれて練習していたせいか、陽が傾き始めた頃にはお腹がすいてきた。14:50に練習を終了する。
テント3張りに分かれ、夕食は大テントで皆で食べる。おいしい○○鍋でした。○○が思い出せない。でも味も良く、おいしい鍋でした。食当様。
稜線のテン場の為、夜は時に強烈な風が吹き、テントの上にも音をたてて雪が積もっていた。Dscn1486s

12月16日(日) 風雪

翌日、小テント組(国府谷、松林、齊藤)組は少し早出をして、西黒尾根経由で下る計画だった。
4:30に起床。素うどんを食べ6:00に出発しようとテント撤収するが、朝から風が強く、吹雪状態が
収まらない。大テントに相談をし、一緒の行動とする。
テン場はそのままで、7:00天神尾根を登り始める。他のパーティーも同じルートで活動を始めた為、一時渋滞待ちに。相変わらず横殴りの風雪が吹き抜ける。昨夜の雪で一層

つぼ足も深くなっていた。
8:15 熊穴沢避難小屋到着。雪もだいぶ深く、これより先は止めテン場に戻る。
9:00 テン場に到着。ちょうどこの頃、平井さんが合流する。
10:30 撤収。ロープウェイにて麓へ。
帰りの立ち寄り湯は湯テルメ谷川(550円)で暖まり帰路についた。

今回の谷川は日中の寒いときで-5℃。夜の寒いときでも-10度でキンキンの寒さではなかった。
それでも雪は十分に有り、それぞれ収穫があったのではないでしょうか。
幹事、講師のみなさんありがとうございました。

後日談に、帰京後ジムで岩トレが催されたと聞きましたが・・・(育ち盛りの食欲のようでスゴイ)

(記: 齊藤)

ボッカ訓練

日程: 2007年10月20日(土)
山域: 川苔山赤杭尾根(奥多摩)
参加者: 坂田(L)・飯田・安達・平井・掛川・志村・松林・大和田・芳
野・下島・鈴木
行程: 古里駅(9:00) – 川苔山(12:45/13:15) – 奥多摩駅(15:45)

いつもは、多少は負荷を掛けるもののハイキングで終わらせてしまっていたが
、もったいないので冬山へ向けたボッカ訓練とした。設定した赤杭尾根は登り
ごたえがあって良かったが、ちょっと長すぎた(特に下山、あんなにアップダ
ウンがあろうとは…)。二時間で下れると思っていたのが甘かった。もうちょ
っと余裕を持ってザイル祭の準備が出来るように来年は考えたい。

近頃は軟弱になって軽量化ばかりを考えているのできつかった。久々に下りで
足がガクガク。翌日は筋肉痛。息は切れないのだが、筋肉がついていかない。
遅れは取るし、リーダー失格だった。初めて一緒に山行した筋肉マンの鈴木(
泰)に負けたことがとにかく悔しい。これをバネに日頃からトレーニングに励
まねばならないのだが…。

(記: 坂田)

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晴れ。ザイル祭の前哨戦として、久しぶりの大人数のハイキングだ。
とある山行でとんでもなくルートを外した私は、罰として、いやいや先輩方の温かい指導として、先頭を指名されてしまった。トップは苦手だけど今回はボッカ。標準タイムを目指す目標なので、まだ救われた。
山に入り、ザックに石を詰める皆々方。私は現状のザックで体力一杯なので勘弁してもらう。大和田さんは冬山に向けて、自分の限界に挑戦するとの事。いつもながら、頭が下がる。その姿を見て、見習わなければいけないな…。後ろから掛川さんや安達さんが色々とアドバイスを掛けて下さる。途中、大蛙に睨まれながら進む。
ほぼコースタイム通りに山頂についてホッと一息。山頂は大賑わいだ。ハイキングの軽装の方々が、我々の重装備を見て驚いている。かなり異質に見えるに違いない…。宴会の食事について熱い議論を交わすが、時間がない!との事で、さっさと下山する。
下山はあっという間。という予想を思いっきり裏切られて、下った分以上に登ったり…。「下山じゃないじゃーん!」と心の中で泣きながら必死に歩く。つま先が痛くて仕方がない。そんな私に対して、安達さんや平井さん芳野さんは楽々と喋りながら登ってくる。体力の違いに悲しくなった。平井さんは痛めた膝も良くなっているようで、一安心。鈴木君もへー然としている。私位ヘトヘトになる重さのザックを背負ったら、何キロ位のザックになるんだろう?30キロ?40キロ?と考えてみる。…是非今度試してもらおう。
急げ急げと下りたけど、「目標時間」には到着できず。お待たせしました。さぁ、これから宴会だ!!

(記: 志村)

2006年ザイル祭、六つ石山ハイキング

 鵬翔山岳会の重要な行事でありますザイル祭が、奥多摩鳩ノ巣渓谷、バンガローで、厳粛に行われました。(登山における、山道具への感謝、山への感謝、安全登山へのご加護の祈念等々)これにより1年間無事故の感謝、これからの冬山への安全を祈念しました。

Image001 六つ石山ハイキング
期日 : 2006年11月18日(土)
 当日のハイキング、奥多摩六つ石山ハイキングには、大先輩平栗さんはじめ、大勢の参加者を見ました。
参加者:平栗、飯田、清水、安達、坂田、塩足、志村、松林、廣岡、平野、大和田、アンディー君 以上12名(敬称略)

 前日の17日に、当日の朝早くの、奥多摩駅集合に難点を覚え且つ、買出しする為に、清水、安達、塩足、アンディーの4人は、車にて出発、中山にて、塩足さんアンディー君を乗せ、轟君が築地場外市場で、わざわざ購入した、新巻きサケとイカを受け取りに、中央高速道、深大寺バス停にて、クールボックスを受け取る。明日のザイル祭に使うのに、すごいこだわりで、驚く。
清水さんの住む、小平市の近くの若葉町スーパーにて待ち合わせ、清水さんの言うところの、若葉町のスーパー「セイフ―」がいくら探しても無い。そうである、とっくに名前が別の横文字のスーパーに変わっていたのだ。清水さんはさんざん、塩足さんに怒られる。
そこで、殆どの食料を買出し、鳩ノ巣渓谷に向かう。
 鳩ノ巣町営駐車場に車を止め、ヨーレイカのテントを張り、前夜祭を執り行う。
18日、上記の参加者で、奥多摩駅に待ち合わせ、9時半過ぎに徒歩にて、六つ石山を目指す。住宅街からの結構な登りが始まるが、直ぐに静かな山の中にと導かれる。
Image003 久しぶりという平栗さんです、大和田さんが直ぐ後をサポートしてくれる。道の前に木の枝や、障害物があると前へ出て、それを取り払ってくれる、その気の使いように、驚く。
紅葉も今が見ごろであろうか、針葉樹の中に、時々紅葉が映える。 それよりか、落ち葉が多く、まるで落ち葉のラッセルのところがある。
童心に返り、膝下まである落ち葉を踏みしめ、素晴らしい天気の元を、心置きなく楽しむ、清水リーダーのピッチも宜しく、あまり汗もかかず、快適に登る。
ゆっくりとしたペースで、 深秋の山を味わう。それぞれの会員の親睦も、楽しそうである。
Image004 Image005 意外と遠い頂上に2時過ぎに着く、記念撮影後、急いで下山。
3時15分、ワンピッチ1時間くらいで奥多摩水根沢バス停に着く。
ところが、バスの時刻が、3時台は一台も無く、臨時バスがあるというので暫く待ちそれで奥多摩に戻る。鳩ノ巣に電車で戻り、バンガローへの荷物運び役はバンガローへ

ザイル祭
期日 : 2006年11月18日(土)夜7時より
参加者:平栗、飯田、清水、馬場、安達、轟、坂田、塩足、後藤、志村、松林、廣岡、平野、大和田、芳野夫妻、ゲスト、アンディー君(安達友人)

 奥多摩買出し組(清水、安達、志村)は、車で奥多摩駅の近くのスーパーへ、残りの酒、つまみを買い出しに行く。
 既に合流していた、馬場さん、来たばかりの後藤君、遅れてきた轟君を加え、大急ぎで、準備が進む。
轟君が買ってくれた、いかが、私の思っていた、はらわたのある、スルメイカでなく、「赤いか」で、はらわたが無く、それに一匹800円もしたイカを、調理するのはもったいなく、刺身にしたところ、私が裁いていくそばから、周りの会員が、旨い旨いと、食べ始め、こまりました。5杯もあるので大丈夫でしたが、結果良い誤算でした。
調理も済み、後は味付けの鍋の段階で、部屋に皆集合、ザイル祭の始まりです。
飯田神主の心からの祝詞、榊でのお祓い、後は、先輩、後輩の無い、無礼講の宴会です。自己紹介の後は、あっちでもこっちでも楽しい会話に酒も弾み、 いつもの通り、いつの間にか、寝袋に寝かされていました。
19日、平栗さんの「起きろー、飯ダー」の声に起こされましたが、まだおきない人もいました。うどんと、おじやの美味しい朝食を戴きました。
そうだ。昨日のうちに、アンディー君が帰っていて、今朝、大和田さんが帰り、土井さんが着ました。
雨模様のうち、駅の近くで解散。直ぐに帰り組み、バットレスに向かう組、車で帰る組に分かれました。
後日聞くところによると、バットレス岩登り組は、雨の為中止したそうです。
私の車には、清水さん、塩足さん3人が乗り、奥多摩の温泉に行き、まだ酒が抜け切れない、清水さんをご自宅まで送り、塩足さんを、西船橋に送り、帰りました。眠くて遅い昼寝をしました。
 飯田さんの、のりとの言葉を踏みしめ、これからの安全登山を目指したいと思います。
記 安達

丹沢新歓山行

日時 ; 2006年7月8日(土)~9日(日)
山域 ; 丹沢水無川流域(7/8新芽ノ沢、7/9勘七ノ沢)
    7月8日は滝沢園バンガロー泊で 懇親バーベキュー
参加者; CL坂田、SL清水、飯田、平井、塩足、後藤、志村、清水(幸)、松林
     廣岡、坂本、
    ゲスト 平野、福山
    (静岡山岳会)掛川、田村、鈴木、吉田
    (町田グラウス山の会)後藤(母)
    BBQのみ参加 安達、牧田
    計20名

報告 松林

7月8日(土)前日夜列車出発組、当日朝東京駅発レンタカー組、長津田発マイカー組、静岡山岳会が8時30分に丹沢新芽山荘駐車場で集合。伝達事項、注意事項伝達の後、自己紹介  を行い山荘より上手の林道脇から入渓。
   天候;曇り一時小雨 無風 湿度高いが暑くは無い。
   水量は例年よりやや大目だがたいした量ではないとのこと。新芽ノ沢は初級コースと聞いていたが、薄暗く苔むした谷底に下りると初心者の私には薄気味悪さも感じる。
 沢登り用のフェルト靴はさすがに滑らない。いったんひざまで水につかってしまうと水しぶきの中を歩いているほうが楽しい。沢の水に戯れながら遡ると滝が現れた。岩壁の上部にFナンバーが書いてある。なるほど人気のあるコースのようである。
 と、ここまでは記憶があるのだが後はどの滝が何番だったか、順番も、翌日遡った「勘七ノ沢」の滝とこんがらかってどれがどれだったかサッパリ覚えていない。
 しかし、おもしろい。滝やえん堤に出くわすと興奮して目先のルート、足の置き所、ホールドにしか目がいかない。コース全体を見回す余裕などまだ無いのだろう。
 トップを行く坂田CLの手足の動きと足場の位置を凝視し、しっかり覚えたつもりがさて自分の番になると、岩場からはあるはずのホールドも足場も消滅していた。あげくが2,3歩踏み出したとたん、ズルッ!ドボン! 
  いくつの滝とえん堤を登ったか記憶が定かで無いが、とりあえず尾根道に出た。手足は重いが気分は高揚し、そう快で、満足感で満たされていた。
 降りの林間道は薄暗く既に夕方間近であった。

7月8日(夜) 徳沢園でバーベキュー大会
 買出し組と会場設定組に分れ、各自持ち寄ったツマミとアルコールで買出し組の到着を待てずに乾杯。宴会スタート。山談義に盛り上がった。

7月9日(日)勘七ノ沢
 鍋割山陵南面の四十八瀬川(しじゅうはっせがわ)上流右俣の別名で人気のある沢のひとつだが事故も多く発生している、と山渓に記されていた。
 二俣まで車で分乗して行き、入渓。5mのF1がすぐに現れた。いきなり苦戦。
 坂田、後藤の華麗な登坂のあとは、滝つぼの洗礼を受ける者が続く。大人数のため時間がかかる。じっと待っていると山ヒルに狙われる。犠牲者2名。
 滝の上のゴルジュ帯は気持ちの良い別天地だった。えん堤、F2とすぎたところに、深い釜をもったF3が現れた。本日のメインディッシュである。落ちる者、助ける者、自ら浸る者。沢登スタイルはまちまちであったが全員が満喫気分。その後いくつかのえん堤と滝を越え(ここらへんから記憶がこんがらかってしまった)、尾根筋に出て下山。
 今年の丹沢はヒルが大発生しているとは聞いていたが、二俣手前の林間はヒルの巣窟だった。地面からはそこらじゅうでヒルが立ち上がってこちらを狙っている。
 立ち止まったが最後、恐ろしく速いスピードで靴を這い上がって来た。秘密兵器の食卓塩が大活躍であった。
 二俣下山後、静岡山岳会メンバーと別れ、ほたるの湯へ。湯上り後解散。

Winter ! ,Most Beautiful Sesason

谷川岳雪上訓練報告

山域:谷川岳
期間:2005/12/17~05/12/18
行程
 12/17:上野~水上~谷川岳ロープウェイ駅~天神平~熊穴沢出合手前幕営
 12/18:幕営地~天神平~谷川岳ロープウェイ駅~上毛高原駅~東京駅
参加者:清水(清)、塩足、志村、清水(幸)、後藤[記]

12/17
7:20上野駅
 水上1号にて水上に向かう。途中清水(清)さんと合流。
9:40水上駅
 豪雪のニュースを聞いていたが、見た感じはさほど積もっているようには見えない。
 バスにて谷川岳ロープウェイ駅へ向かう。
10:20谷川岳ロープウェイ駅
 新型のロープウェイで天神平に昇る。
 初対面の谷川岳が目に飛び込んでくる。空気がクリアで遠近感がまったくつかめない。
 とにかくでかくて、ハイコントラストで、空の一角を切り取ったように鋭角だ。
10:30天神平
 快晴、日差しが強烈。
 天神平で積雪3mと聞いていたが、屋根の雪は60cm程度。降った新雪が圧縮されたようだ。空気と雪は乾いている。
 11:00発、天神岳を北にトラバースして谷川岳方面に尾根を歩く。
 途中清水(清)さんのヒマラヤ遠征時の仲間と出会う。いつもこの人の経歴には恐れ入る。
 お互いにこんなとこで何やってるんだなんて云っている。
12:00天神岳北稜線にて休息
 眼下の沢に大きな煙突状の構造物がある。関越トンネルの換気口だ。
 初めて参加する清水(幸)さんがまったく疲れていない、なぜ? 後で聞いたらマラソンをやっているとの事。
13:00熊の穴沢出合手前
 目の前に谷川の雄姿を仰ぐ。実に美しい。
 テントを2張設営。雪がやわらかく、固まらない。圧雪に苦労する。
14:30雪上訓練
 今回は雪山が初のメンバー(自分も含む)向けに雪上歩行の練習。つぼ足、アイゼンでの歩き方、わかん、スノーシューでの雪上歩行を行う。
 夕方の空が美しい。谷川から北に伸びる峰から灰色の手が稜線を侵食してくる。今夜は荒れそうだ。
15:30雪上訓練終了
 キムチ鍋の夕食
 夜半より吹雪。二度雪下ろし。気温はさほど低くない。-10℃程度か。
 一夜で1m以上の降雪があったがテントの丈夫さには感心した。

12/18
8:00朝食
 カレーうどん。昨夜のキムチ鍋とあわせて地上よりたっぷり食事を戴けた。感謝しております、塩足さん。
 天候は吹雪だが、風は徐々に弱くなる。積雪と風雪で谷川岳にアタックは不可能だが、閉じ込められることは無さそうだ。
11:00テント撤収
 天候の回復を待って天神平へ下る。昨夜の降雪でトレースは確認困難だが、スノーシューが頼もしい。
12:30天神平への下り
 20名程の大パーティに追いつく。先頭が新雪のラッセルに苦闘していて動きが遅い。
 スノーシュー・わかんを使っているメンバーでラッセルを交代(清水(清)、志村、後藤)。
 空身で効率的なラッセルが出来たと思う。かっこよかったですよ、志村さん。
13:30天神平着
 ロープウェイにて下の駅へ降りる。
14:00(?)水上
 昨夜の降雪で水上-沼田間が止まっているとの事。バスでそのまま上毛高原へ向かう。
15:00(?)上毛高原駅
 水上-上毛高原間で天候はあっけらかんと晴れてしまった。典型的な北関東の冬といった感じである。
 新幹線にて東京へ
17:00(?)上野駅

今年初めての雪、最高でした。
今年はスキーも楽しそうです。もちろん山も。

記:後藤(67期)

新人歓迎山行

2005年5月14日(土)~2005年5月15日(日)

丹沢(小草平の沢・葛葉川本谷)

鵬翔山岳会: 清水・安達・掛川・牧田・坂田(L)・塩足・和内・後藤・志村(ゲスト)

静岡山岳会: 掛川(浩)・小野田

バリエーションとスキートレーニングを両立させるぞと意気込んだシーズンはあっという間に過ぎ去り、気付けば新緑の5月。

昨年度は、塩足(66期)・和内(66期)・後藤(67期:年度末ギリギリだったため)3名もの新人に恵まれ、恒例行事である「新人歓迎山行」を計画した。

恒例と言いながらも64期として自分が歓迎されて以来であり、実に3年ぶり。

にも関わらずいつもの気まぐれが災いし、告知が10日前くらいになってしまったため、参加者が少ないんじゃ…という心配もしたが、結局は、静岡山岳会から小野田さんに駆けつけていただき、総勢11名と近年にない賑やかな山行となった。

参加者の皆様に感謝!

5月14日(土) 小草平の沢

安達・牧田・坂田(L)・和内・志村

10:42 取り付き開始

10:57 勘七の沢分岐

11:50 三段12m

13:05 4mCS

14:10 稜線

15:15 二俣

東京駅7:00集合(安達・和内・志村)。安達車にて現地へ。渋沢駅にて横浜組(牧田・坂田)と合流し、二俣へ入る。二俣への林道は相変わらず狭くて車に優しいとは言えず、安達さんの寿命を縮めてしまったようだ。

この日は参加者も少なく、こじんまりとした山行となった。沢もこじんまりとしているが、開放感があり明るい。特筆すべき滝はないが、初心者の志村さんには絶好の沢である。倒木が多かったのが残念。もう少しすっきりした沢だとより遡行価値が高くなるのだが…。鵬翔お決まりの源次郎も良いが、より手頃である。ただ遡行中は10度未満で肌寒く、今にも雨が降り出しそうな雲行きで沢日和とはいかなかった。

結果としては、初心者同伴だとしても全て直登すべきであった。1ヶ所、やや大きな高巻きをしてしまい、時間を要してしまったのが悔やまれる。初心者向けの沢ではあるが、入渓者が多くないためか巻き道が不明瞭なところもあった。数々の不手際があったが、安達さんのフォローに助けられ、志村さんがどうやら沢嫌いにならずに済んだことが良かった。

和内さんに感想を求めたところ、二俣で耳にしたニュースが最も印象的だったとか。二俣にやけにパトカーが多いと思いきや、56歳の行方不明者を捜索しているという。もし、発見したら通報して欲しいとのことであった。下山後、再度確認したところ、勘七の沢上部で遺体が発見されたとのこと。どうやら尾根から迷い込んで滑落したらしい。

牧田さん?相変わらず。おっと牧田さんにも感謝せねばならないことがあった。あろうことかATCを滝壺へ落としてしまい、セカンドの牧田さんにずぶ濡れになって探してもらうはめになってしまった(残念ながら見付からず)。あってはならないことであり、精神的ショックがでかい。確保器は予備があるので事なきを得たが、日頃からATCをフリーで扱わない習慣が大事だ。

さて、この日のメインイベントは夕方からの歓迎BBQ!夕方から続々と後発組が到着し、大いに盛り上がった。書きたいネタは山ほどあるが、キリがないので割愛する。

5月14日(日) 葛葉川本谷

清水・掛川・牧田・坂田・塩足・和内・後藤・志村

掛川(浩)・小野田

8:45 駐車場着

9:10 取り付き開始

11:40 林道

12:16 富士形の滝

13:10 終了点

14:15 三ノ塔

15:55 駐車場着

6:00起床。皆、散々酔っ払っていたにも関わらず、快調な(!?)目覚めだった様子。卵&野菜&しょうゆラーメンで朝食を済ませる。天候は怪しいが、暖かな朝。

葛葉公園前の駐車場には車がなく驚いたが、我々に負けないくらいの大パーティが準備中であった。これはやばいと思ったが、結局は後塵を拝することとなった。

志村さんにはわらじを履いてもらった。これがかなり効果アリで、まるで水を得た魚のように志村さんは沢遊びを楽しんでいた(様に見えた)。スタートこそスムーズとは行かなかったが、一度遡行を開始してしまえばザイルもほとんど出すことなく、予想よりもずっと順調であった。途中でわらじが何度も脱げてしまうだろうと思っていたが、一度締め直した程度でハイキングシューズに良く馴染んでいた。

こんな大勢で沢へ入ったのは初めてである。非常に賑やかで楽しかった。パーティが大きくなると、リーダーの力量も問われるが、志村さんのフォローで手一杯になってしまい、後続は清水さん・掛川さんを大いに当てにしてしまった。

雨のためか水はにごっており、昨日とは打って変わって生暖かい。調子に乗って、志村さんにどっぷり水に浸かってもらっていたら掛川さんからお叱りが。反省。

適当な間隔で適当な滝が続き、易しいながらも登りごたえバッチリの沢である。源次郎からの乗り換え決定か。

塩足さんは相変わらず淡々と問題なくこなし、和内さんはすっかり沢慣れしたようだ。後藤君は好き勝手に登っており、その様子が自分のコピーを見ているようで思わず苦笑。志村さんもどんどん不安のない登り方へと進歩していた。ちょっと疲れたかな?

新人の皆様、楽しんでいただけたでしょうか。

(記: 坂田)

北アルプス表銀座・槍ヶ岳縦走記録

日程:4月28日~5月4日(5月5日は予備日)
参加メンバー:掛川(L)、安達、坂田、後藤(記)
行程:北アルプス表銀座縦走(燕岳~蝶ヶ岳)~横尾~槍ヶ岳往復

8
第1日目(4/28)
新宿6番ホームに集合。30kg近いザックがやたらと重く感じる。この量は背負った事が無いが、大丈夫か?一抹の不安を覚える。帰りのラッシュに巻き込まれ大変難儀する。
安達さん、坂田さんと合流。坂田さんは食料担当のため、ザック以外にも大量の荷物を持っている。どうやってラッシュを乗りきったのだろうか?そしてこの荷物は果たして全部ザックに入るのか?
23:54新宿発ムーンライト信州81号に乗車のはずが、出発予定時刻を過ぎても電気トラブルのため車両到着せず。結局発車は予定の1時間後。特に気にしない事にする。

第2日目(4/29)
4:00頃 甲府にて掛川さん合流。
5:16 穂高駅着
信州に来ていた轟さんが迎えてくれる。
6:07 タクシーにて中房温泉着
他のパーティも多い。
7:00 行動開始 16℃ 風が強い、曇り
7:58 14℃天気良好
安達さんの足が痙攣。荷物と急登のせいか。雪道になる。アイゼンは不要。ピッケルのみ。
8:55 10℃
尾根筋に出ると強風、徐々に雨強くなる。
11:00
時折日差し有、サングラスを出す。樹林帯なので風が無い。北アルプス3大急登と荷物(20kg後半か)にかなりバテる。
11:47 合戦小屋到着
8℃ 曇り。稜線で風が強く、停滞すると大変寒い。
12:30頃 合戦小屋直後の急登
稜線に出るとみぞれ、強風。記録をつける余裕なし。
子供連れのお母さんと出会う。子供は軍手しかしていないが大丈夫か。こちらはペースが遅いので先に行かせる。
13:35 燕山荘着
小屋の西面は狂風。直立しがたい。掛川さんと僕のザックカバーが飛ばされる。掛川さんのカバーのみ回収。
テント設営。今回が初使用のICI6人用。雪面を掘り下げ、周囲を雪のブロックで固める。テントは背が高いせいか風の影響をかなり受ける。設営の予行演習をしていなかったため、設営に時間がかかる。隣の大学山岳部のパーティは人海作戦でかなり立派なものを作っていた。
1時間程度で設置完了。中に避難。暖房と衣料品の乾燥のためにMSR(ガソリンバーナー)を炊く。自分にも給油(アルコール)。
日没前に雨と風収まる。外に出ると夕暮れの赤い光に染まった幽玄の燕岳がみえる。大変美しい。燕山荘はG.W.期間のためか、かなり込んでいる。きれいなおねえさんが多い。
夕食にビールが出る。まさか缶を荷揚げしていたとは。メニューは鍋。うまかった。
21:00 就寝

第3日目(4/30)
4:00 起床
3:00起床予定が僕の時計のアラームが小さすぎて聞こえず。
朝食はジンギスカン、うどん。やたらとボリュームがある。テントの中が羊くさくなってしまった。今回は食料を軽量化したと聞いていたのに何故生肉が?
6:30 行動開始
3℃。幕営地にザックをデポして燕岳往復。
7:00 燕岳山頂
登山者多し。縦走路は残雪ほとんどなし。
7:30 幕営地へ戻る
ザックを回収し縦走開始。荷物がかなり軽くなった気がする。ビールがなくなったせいか?
9:20 蛙岩
気温高し、晴天。西面から吹く風が心地よい。蛙岩の通過に時間を要する。夏ルートは雪面の下、冬ルートはザイルが必要。他のパーティも停滞していたため、結局夏ルートを通る。滑落したら止まらないだろう。ザイルを出す。
稜線は風の当たる西面積雪なし。東面は雪庇あり。左右に夏と冬の表情が見えて面白い。
10:40 大天井岳まで1時間
バテる。自分の行動食がとても不味い。
12:00 大天井岳直下
掛川、坂田、後藤先行。坂田さんのピッチが早すぎて追いつけない。
12:45 大天井岳山頂
直下より200mほどの標高差を登高。大学生グループがいる。悔しいが彼らにはなかなか勝てそうに無い。写真を撮ってもらう。
13:05 大天荘着
大天荘は冬季休業中。冬季小屋もあったがテント設置。
13:45 安達さん到着
鵬翔コールが聞こえて安達さんが山頂に姿をあらわす。
前日の行程と幕営で濡れた装備・シュラフ等を干す。テントの設営場所が雪面でないため、心地よい。風が弱く日差しがあるので快適。穂高~槍ヶ岳のスカイラインが美しい。
水は吹き溜まりの雪を溶かして確保。
早々とテントに入り行動終了。夕飯は真空パックの鳥の照り焼き。一人分が3パックというのはさすがに多すぎやしないか?僕は全部食べきれずに明日の朝食にとっておく。
夜間も地形(コル)のわりに風弱し。穂高町の夜景が見える。他に大天荘付近に幕営したパーティは2組。

第4日目(5/1)
3:00 起床
朝飯は五目御飯、おでん、味噌汁。僕は昨日残した鳥も食べる。
5:40 出発
5度 晴れ(ガス有) 無風
出発直前にライチョウを見かける。まだ羽が白い。
尾根伝いに南へ縦走。穂高町辺りの田んぼに水が張ってあるのが見える。
イワヒバリがいる。
6:40 横通岳手前で小休止
縦走路に高低差があまりなく快適。
この辺りは登山者があまりいない。
8:00 常念乗越
常念岳が目前にそびえる。標高差400m程度か。常念小屋で天候を聞いたところ午後よりくずれるとのこと。
9:25 常念岳山頂
山頂付近着雪有。西風が強い。曇り。南西方向の乗鞍岳の辺りにかぶさっている雲塊が気掛かり。こちらに来なければよいが。
10:50 常念直下にて小休止
後続のチェコ人のカップルと話す。日本に観光に来たという。北アルプス表銀座を縦走した後、京都観光に行く予定だそうだ。2週間の予定というから結構ハードだ。ヨーロッパ人はやはり旅慣れしているのか。
11:20 樹林帯にて休息
風がさえぎられるため、雪上とは思えないほど暑い。坂田さんは半そでで行動している、鳥肌が立ってるんですが。自分には出来そうにない。
チェコ人の二人に追い越される。かなり健脚なようだ。こちらはバテ気味で追いつけない。
14:30 蝶槍
稜線は強風。天候が崩れてきたため、蝶ヶ岳への縦走はあきらめて横尾に下るルートをとる。携行した飲料水を使い果たしてしまい、坂田さんに分けてもらう。バテたせいか水の消費量が多い。
下山中樹林帯で雨が降り出す。安達さんが遅れてきたため、掛川、坂田、後藤が先行しテントを張ることにする。僕もスパッツバンドが取れやすくなってしまい、何度も直すはめになる。結局掛川さんのスペアをもらう。自分は用意すらしていなかったから、詰めが甘かった。
下山路に積雪が多く、雨で大変滑りやすい。足をとられて完全にバテる。先行の掛川さん、坂田さんの馬力について行けずかなり遅れる。
16:00 横尾着
BC設営。設営完了の頃、本格的な雨となる。
横尾山荘へ生ビールを飲みに行く。
付近の土手にふきのとうがたくさん出ている。国立公園だったが、いくらか頂いてふき味噌を作る。夕飯は中華丼、ビーフン、スープにふき味噌。酔っ払ったせいか、なかなか進まない。

第5日目(5/2)
6:00 起床
本日は行動予定がタイトでないため、周りが明るくなっても寝ていた。朝食はスパゲッティアラビアータ。唐辛子を炒める本格(風)のレトルトパックだったが、炒めたときに唐辛子の煙がテントの中に充満し、4人とも催涙ガスを嗅いだような状態になる。熊でもあるまいし。
9:15 出発
13度曇り、上空晴れ。ガス有
安達さんは上高地に下山。他のメンバーは蝶ヶ岳ピストンへ。
10:15 槍見台
ガスが晴れ快晴。穂高から槍までよく見渡せる。昨日の下山時は見る余裕など無かったが。
11:50 蝶ヶ岳山頂
微風。山頂付近は携帯電話の通話が可能だった。掛川さんが奥さんと話している。この日の行程は下山を残すのみだったので頂上には長い時間とどまる。
12:50 下山開始
前日の下山路と同じコースだったがザックが軽いせいか楽に下れる。体力、気力ともに余裕がでる。日差しが強くサングラスが必須。
4:10 横尾BC到着
前日と同じく横尾山荘にビールを飲みに行く。今日は野外で呑む。日差しがかげると急に気温も下がるのでテントに退散。運動後のビールが効いて寝てしまう。掛川さんすみません、何も手伝えませんでした。
夕食はカレー、スープ。
今回は当会九州支部が涸沢に定着していたが、会いに行く事が出来なかった。いつか合同山行でも行きたいものだ。

第6日目(5/3)
2:00 起床
朝飯はワンタン麺と餅。餅を入れると手軽にボリュームが増やせて便利だ。
4:10 出発。日の出前なのでヘッドランプをつけて行動する。
4:50二ノ俣谷分岐
-1度。空が明るくなる。ヘッドランプをしまう。
5:50ババ平
6:40大曲
日が昇ったためサングラスをつける。傾斜が急になる。アイゼン装着。
8:00ヒュッテ大槍直下
やっと大槍が見える。トレースが明確なためアイゼンを外す。
他にもかなりのパーティがいるが、大抵下山してくる。槍の肩の小屋に泊まっていたようだ。
スキーヤーを数人見かける。あれがシュプールを描くって事なのか。今度やってみたくなる。
ヘリが何度か大槍周辺を旋回してまた去っていく。荷揚げ用かと思ったが、遊覧飛行だったのかもしれない。
9:25 槍ヶ岳山荘
夏の槍沢はやたらと長いと聞くが(僕は今回が初めて)、積雪があるためさほど苦労せずに登れてしまった。しかし雪面が太陽光を反射してとてもまぶしい。凹面鏡の上で焼かれているような感じだろうか。
10:00 槍ヶ岳山頂
360度の展望。下界が雲に覆われていて、山の頂きだけ顔を出している。富士から越後の峰々まで、浅間山の噴煙も確認できる。登山者が(比較的)少ないせいか、10分以上山頂に滞在できた。普段は後続に押し出されてしまうようだが。
10:15 下山開始
雪の表面が大変柔らかく滑るが、トレースの上を歩かなければ歩きやすい。掛川さんと坂田さんはシリセードでさっさと滑っていってしまった。結局二人は雪まみれになっていたが。僕は着ていたウェアに防水性が無かったため頑固に歩いた。
12:37 槍沢ロッジ
ほとんど休憩無しで下ってしまったが、歩きやすかったため、さほど体力は消耗しなかった。槍沢ロッジには登山者が多く、本当にごった返している感じだった。有名なルートのせいか。二日目に幕営した燕山荘も同じ感じだったが、北アルプスの名のあるルートは他の山域と比べて本当に登山者が多いように感じた。
槍沢は雪解けのせいか水量が大変多い。しかもとても澄んでいる。まるで屋久島の沢のようだ。横尾に戻る途中、掛川さんが槍沢に泳ぐ岩魚を見つける。なかなかおいしそうだったが釣る手段がない。3人で5分くらいそいつを眺めていた。
14:10 横尾BC到着
戻るとやっぱりビールを呑みに行ってしまった。横尾の辺りで1杯700円は安い。僕は今回一番アルコールに弱かったので、またもやぐでんぐでんになってしまう。2杯呑んだだけだったのに。
随分焼けたなといわれたので確認してみると、ゴーグルとバンダナの跡がくっきり残って、他の部分は真っ赤。日焼け止めを塗らなかったせいか?まるでやけどのようにひりひりする。
夕飯は散らしずしと味噌汁。酔っ払いすぎてほとんど食べられず(器を持って寝てしまった)。残りは次の日の行動食となってしまった。この山行を始めてから酒を飲まなかった日が無い。

第7日目(5/4)
朝食は牛丼、カルビ丼、スープ。味が濃くてしょっぱいが、塩分の摂取が必要だからかえってちょうど良かったかもしれない。
BC撤収
8:30 出発
9:15 徳沢
テント場でぬれたテントを干す。
掛川さんがごみをあさりにきた猿に負ける。とても体格がよかった。あれには勝てそうに無い。
10:15 徳沢発
途中、明神池に寄り道する。この辺りまで来ると登山でもキャンプでもない、観光の人が多い。
12:00 上高地
本当に人が多い。河童橋を渡るとき、御爺さんにどこまで登ってきたのかと聞かれる。きっとすごく焼けていたためだろう。槍ヶ岳です、と答えるのが誇らしい。
村営のホテルで一風呂浴びる。風呂の鏡で改めて自分の顔を見ると(別にまじまじと見るほどの顔でもないが)本当に焼けている。まるでパンダかタヌキだ。風呂場の窓から前穂がよく見えた。
上高地より新島々までバス。新島々より松本まで電車を使う。
僕はバスで寝ているうちに峠を越えてしまったが、上高地に入るのが今ほど容易でない頃は、燕岳、あるいは常念乗越、徳本峠経由でこの山域に入ったという。これらの行程はそれだけで大変なものだが、そこまでして入るのはこの山域が崇高であるためだと思う。僕は北アルプスへ来たのは今回が初めてだったが、確かに、人が言うとおり、北アルプスは美しい。出来る事ならばまた訪れたいと思う。願わくばこの美しさが人に汚されず永遠に続く事を。

帰ってから日焼けした皮膚がどんどんむけていった。はたしてひと皮むけた男になったのか?さあどうだかね。

2005.06.02 後藤 祐介(66期) 記