恋ノ岐川遡行

日程: 2009年9月19日 – 21日 前夜発
山域: 只見川恋ノ岐川(平ケ岳)
参加者: 国府谷(L)・志村・中村
行程:
第1日目: 恋ノ岐橋出発(8:30) – オホコ沢出会より30分上流(16:45)
第2日目: 出発(6:30) – 1711m付近(11:25) – 池ノ岳(姫ノ池)(12:40) – 平ケ岳(13:30) – 池ノ岳(姫ノ池)(14:50)
第3日目: 出発(6:20) – 鷹巣登山口(10:20)

写真はこちら

恋ノ岐川は、すべてのガイドブックで優しくて美しい沢として人気No.1であり、また岩魚の宝庫とされているため、以前から期待していた沢である。8月の葛根田川-大深沢山行の帰りの車の中で、国府谷さんと9月の連休に行きましょうということなり、楽しみにしていた。

9月18日(金)

新宿駅西口22:30出発。小出経由銀山平へ。白銀の湯の駐車場でテントを張る。

9月19日(土)

さらに車を走らせて恋ノ岐橋にて駐車。すでに5-6台の車が止まっており、数パーテイが遡行準備している。8:30出発。水量が少なく、天気も数日は良さそうなので、ルンルン気分で進む。始めの30分ほどは小規模なゴルジュだが、そのうちゴーロと淵を伴った小滝の連続となる。ところどころで股から深いと腰くらいまで浸かって淵を通過したり、へつって滝の側壁を登ったりの繰り返しが続く。基本的にこの渓相が源流部まで続く。確かに、ナメや滝で美しいところも多いが、源流部まで10時間以上も続くため、最後はさすがに長くて単調で、もういいな、という気持ちになってしまった。

支流らしき支流もなく、判別しがたく、いつになったら清水沢が出てくるのかと思いながら過ぎ去ってしまった。明らかなのはオホコ沢のみだった。注意が足りなかったのだろうか。オホコ沢出会いに良いテント場があるということだったが、すでに先行パーテイに先を越されており、さらに上流に進み、右岸の2mほど高台になっているところでテンパった。前回の大深沢で、下島さんのてほどきで初めて岩魚を2匹釣ったので、今回は独力でと釣りざお・餌・調理道具を持ってきて張り切っていたが、オホコ沢出会いから急に水流も減り、魚影もなかった。テン場についたのも遅かったので、焚き火に注力することにして、釣りは次の山行までお預けとした。

9月30日(日)

6時半出発。この地点から5-6時間で池ノ岳という標準タイムらしいが、水量のすくなさからそんなにかかるのかと思っていたが、行けども行けども同じような源流部の渓相が続いたため、一番稜線(登山道)に近くなるあたり(50mのナメ滝手前)で右岸の支流を南に取った。20分ほどの藪こぎで登山道にひょっこり出た。近くにいた3人の親子連れは熊が出たと思った、と緊張した顔をしていた。

そこから池ノ岳まで約1時間の登りで、姫ノ池にひょっこり出たときは、あたりの高層湿原の美しさと平ケ竹の紅葉に、歓声をあげた。そこをテント場として、ザックを置いて紅葉と草紅葉の平ケ岳とその周辺の湿原を2時間ほど周遊した。テント場は経験したなかでもベストのロケーションと快適さであった。

9月21日(月)

寒さでなかなか眠れず、夜中に何度かキジうちに出たが、満天の星に迎えられ納得。
6時20分発。長い下山路にゲンナリ。後半はヤセ尾根上の登山道で滑ったり蹴躓かないように神経を使い、腰や足首も痛くなり、思ったよりしんどかった。
10:20鷹巣登山口着。そこから歩いて20分ほどで小屋があり休憩。国府谷さんが恋ノ岐橋まで車を取りに3時間の道路歩きを始めようとしたが、志村さんが小屋の主人に頼み込み車で送ってもらうことができた(ただし有料)。

大変期待した恋ノ岐川であったが、われら3人とも、美しいが長くて単調、さらに下山路の長さといやらしさを考慮すると、また来たいとは思わない、ということで一致した。

(中村記)

聖岳登山

日時: 2009年8月14日(金) – 16日(日)
山域: 聖岳(南アルプス)
参加者: 飯田・平井・URAN(会友)・他1名
行程: 本文参照

8月14日(金) 晴れ

Img_0001 午後2時静岡山岳会のURANちゃん他1名と静岡駅にて待ち合わせ、必要な食料など買い求め、2時20分頃出発する。東名高速が地震のため一部崩壊があり、一般道を迂回しなければならなかったなどのため、予定よりかなり時間が掛かり、国道152号線(秋葉街道)を通り、本日の目的地の遠山川沿いの道にさしかかる頃には日も傾いていた。入口を探している内、たまたま反対方向の飯田方面から逆に国道152号線をこちらに向かってくる平井さんとばったり出会った。平井さんも遠山川沿いの入口が分からなく迷っているようであった。でも結果的には入口付近であり、あまり時間のロスなく目的地の聖光小屋駐車場に午後8時頃到着した。

私は全く予期していなかったことであるが、平井さんの計らいで平井さん私物のテントを駐車場の空いているところに張り、これも平井さんが持ってきたBBQセットおよび食料(肉・野菜など全て)を持ち込み、遅い夜のひとときを楽しんだ。終わって仮眠に入ったのはなんと午後11時であった。ここは駐車場の他、便ヶ島(タヨリガシマ)広場があり、テント場や炊事場、トイレなどが完備された快適な場所である。

8月15日(土) 晴れ

Img_0002 午前4時半頃起床し、駐車場を出発したのは6時55分であった。当初の予定としては本日の行程は長いが、聖岳を往復して聖平小屋泊まりとすれば翌日の行程が楽であると考えたが、出発が遅くなり余り無理行動は避け、本日は薊畑(アザミハタ)から聖平小屋へ向かうこととした。

便ヶ島から西沢渡までは遊歩道で水平であるが、側面の山々からの崩落が激しいと地図にあり、確かに所々落石が歩道にかなりあった。

西沢渡は沢を渡る場所で、そこにはロープウェイが架かっている。ロープウェイといっても簡単な物で我々4人が乗って手動でロープを引きながら進むという方法で渡るという物である。

ここからかなり急登である。縦走路の薊畑に出たのがちょうど12時であった。

我々と1日早く同じコースをたどった当会の牧田・後藤の2名に登りの途中で会うのではと思っていたが会うことがなかった。

ここで15分ほど休み、後は会員の掛川の待つ聖平小屋に向かい20分ほどで小屋に到着した。掛川さんは土曜日で登山客の接客に追われていた。しばらくして彼に再会できて感激した。この小屋は静岡県営で立派な小屋である。我々はまだ夕食まで時間があったので、小屋の前で周囲を観察したり歓談したりして時間を過ごした。しばらくして小屋の従業員から小屋泊やテント泊の人を含め周囲にいた全員にスイカを振る舞ってくれた。この思いも寄らないプレゼントに登山客達や我々は大喜びであった。

小屋の周囲にはいろいろな高山植物の花が咲き乱れていた。夕食は席の関係で、1回で全員できないので3回に別れての食事である。我々は掛川さんの計らいで最初の食事で4時半であった。次が待っているので1回の食事時間は20分と限られていて慌ただしかった。消灯は8時であった。今夜はかなりの雨が降っており、翌日の天気が心配であったが局地的な物らしく、翌日の行動には支障ないだろうと判断した。

翌日の行程は長いので、午後1時に駐車場へ到着するにはかなり早く出発する必要があると判断された。朝食はおにぎりを夜の内に作ってもらった。

8月16日(日) 晴れ

午前3時起床、4時10分掛川さんに見送られて小屋を後にした。まだ薄暗くヘッドランプをつけての出発であった。薊畑に4時40分到着した頃には薄明るくなってきてランプは不要になった。

私は2リットルの水の入ったペットボトル2本持参したが2本は不要と途中デポし、小聖岳に到着したとき全員ここでザックをデポし、空身で聖岳を往復することにした。苦しいが天気も良く心地よい登りであった。聖岳頂上には7時に到着した。この頂上は360度視界を遮る物がないので素晴らしい眺めを満喫することが出来た。富士山・中央アルプス、遠くにはかすかに北アルプスなどが遠望できた。この聖岳は南アルプスの3000メートル以上の山では最南端の山である。ここで雷鳥の歓迎を受ける。この鳥は保護色で、冬の雷鳥の方が純白で美しいように思われた。

ここで20分ほど山々の眺望を満喫した後下りに掛かる。薊畑には9時到着。10分の休憩の後下る。駐車場は予定通り午後1時ピッタリに到着した。

国道152号線に出た付近の公衆浴場にて入浴、休憩の後平井さんは飯田方面へ、私たちは反対の静岡方面にと別れて帰途についた。

(記: 飯田)

北アルプス 水晶岳周辺山行報告

日程: 2009年8月13日(木) – 15日(土) 前夜発
山域: 水晶岳(北アルプス)
参加者: 久世(L)・松林
行程: 本文参照

写真はこちら

8月12日(水)夜22時30分 調布にて、久世・松林集合。
松林さんの車にて、一路七倉を目指す。しかし調布ICから乗った途端、事故渋滞26km、最悪の出だしである。日付が変わり、ようやく渋滞を脱し、途中で運転を変わり、3時半過ぎ七倉着。そのまま車の中で、仮眠をとる。

8月13日(木)

朝5時半過ぎから、信濃大町から電車利用組と思しき、タクシーが何台も来る。タクシーは高瀬ダムより、戻ってくると七倉にて客待ちをしている。我々も、6時半に七倉をタクシーにて出発。あっという間に高瀬ダム堰堤上に到着(2000円)
7時、天気がすっきりしない中、ダムを出発、まずは湯俣を目指す。
何年振りの湯俣への道、以前2回は北鎌尾根を登った時のアプローチに過ぎず、ほとんど記憶に残っていない。コースタイム3時間半のところ、あっさり2時間半で晴嵐荘に到着。
晴嵐荘には、秘湯ブームの影響か湯俣温泉に入浴目的だけのお客が多いようだ。
我々は、ここから湯俣川を遡行し、途中から鷲羽岳に突き上げるワリモ沢に入る為、沢ごしらえをして、雨が降り始めてきた10時湯俣川に入渓する。
まず水俣川の吊橋を渡るが、中央部の足場が壊れている。(多分修理する事はなさそうなので、いずれ北鎌尾根に行くには、まずこの吊橋部分が第一関門になるだろう)吊橋を渡り、少し進むと、湯俣の噴湯丘が見えてくる。ここまでは観光客も来ている様だ。
直前の台風の影響か、大分増水しているような気がする。噴湯丘を過ぎて少しのところで右岸から左岸に渡渉する、腰上まで水に浸かり、かつ流れも速く冷たく、慎重に渡りきる。左岸を高巻きを含め進むと、また右岸への、腰上の渡渉となる。雨が本降りとなる中、藪漕ぎ混じりの高巻きをして行くと、衝立岩の直下に出る。右岸は行き詰まり、左岸に移らねばならないが、渡渉ポイントが見当たらない。水量多く、白泡波立つ状態であった為、ワリモ沢を諦め、11時45分撤退する事とする。やはり台風の直後に沢に入れば、通常の状態より、かなりの増水を覚悟せねばならない様だ。
来た道を戻り、13時湯俣 晴嵐荘着。雨の中、沢拵えを片付け、13時30分晴嵐荘裏手より、竹村新道に取り付く。竹村新道は最初から、かなりの急登で、なかなかピッチが上がらない。16時前に2017m地点先に、良いテント場があったので、そこで幕営する。
夜になっても、雨は止まず、陰湿な感じの中、就寝。

8月14日(金)

朝3時起床。どうにか雨は止んでいるらしいが、朝モヤで、何も見えない。
4時45分出発。1ピッチで湯俣岳山頂に着く、眺望はなく、やぶ蚊も多く、松林さんのキジ待ちの間に、腕の至る所を刺される。この先の南真砂岳までの間の、竹村新道は崩壊やガレが酷く、あまり快適ではない。しかし南真砂岳のあたりから、天気も快晴で、快適な稜線となり、北鎌尾根、硫黄尾根や行くはずだったワリモ沢も良く見える様になって来ました。
9時45分裏銀座縦走の主稜線に出る、ここに荷物をデポして、ほぼ空身で水晶岳を往復
する事とする。水晶岳は、日本100名山にトライしている松林さんにとって、本州でクリアしていない最後の山となります。水晶岳に行く松林さんは、なんだかとても嬉しそうでした。水晶小屋から水晶岳に行く道からは、雲の平などが綺麗に見え、初めてこの周辺に来た私も、なんだか楽しくなってしまいました。12時50分に水晶岳着、その後水晶小屋で大休止をして(水を買いましたが、500ml 300円でした。また小屋ではdocomoの携帯も繋がりました)、往路と同じ道を、荷物をデポしてある真砂岳直下まで戻る。途中の岩稜帯は、人気のある縦走路にしては悪く、途中岩場で滑って、顔をバックリ切ってしまった人とも出会いました。(この人は、水晶小屋まで自力で行けるから大丈夫だと話し、行ってしまいました)
荷物を回収し、今日は野口五郎小屋のテント場に泊まろうと思っていたので、16時過ぎに野口五郎岳の頂上直下のコルで、荷物を乾かしていた所、巡視員に幕営と勘違いされ、注意を受ける。18時少し前に、荷物を乾かし終わり、小屋へ向かってみると、1張もテントが張っていない。ちょっとおかしいと思いながら、小屋に着くと幕営禁止の看板がある。私の地図は、10年位前のものであったので、それにはしっかり幕営地となっていたのだが・・・・。(松林さん、すみません)
しかたないので、烏帽子小屋を目指し、出発しようとすると、先ほどの巡視員がまたやって来て、「烏帽子小屋までは、何があっても行ってください」と言う。
我々も、何とか早めに行く為、疲れた体に鞭をいれて進む。8時過ぎに烏帽子小屋近くにて幕営する。この日は最後まで天気が良く、星がとても綺麗に見えました。
盛り沢山の夕食を食べ、就寝。

8月15日(土)

朝はゆっくり起床する。ワリモ沢に行けなかったので、今日は烏帽子岩を往復したら、
下山である。荷物を小屋の脇に置いて、烏帽子岩に行く、途中おばちゃん組が前にいて少し時間をとられる。頂上でも賑やかで、あまり落ち着けない。8時50分烏帽子小屋
出発。ブナ立尾根の急登を下る。今日は登ってくる人より、下る人のほうが多いらしい。
11時20分高瀬ダム堰堤上に着くと、タクシーが3台ほど待機していた。
温泉は葛温泉の高瀬館(烏帽子小屋と同じオーナー)にて、汗を流す。洗い場のシャワーのお湯まで、源泉の湯でしたので、石鹸が泡立たないが、良い温泉でした。
帰りは豊科ICから、上信越道経由、関越道にて帰ってきたのが大当たりで、まだ明るいうちに、東京へ着きました。

(記: 久世)

葛根田・大深沢源流行

日時: 2009年8月8日(土) – 11日(火)前夜発
山域: 岩手県八幡平
参加者: 国府谷(L)・廣岡・齊藤・下島・中村
行程:
第1日目: 滝ノ上温泉(8:50) – お函(11:20) – 滝ノ又沢出合(18:00)
第2日目: 滝ノ又沢出合(6:40)―北ノ俣沢左俣(7:10) – 八瀬森登山道(10:40) – 八瀬森山荘(11:20) – 関東沢支流下る(12:00) – 大深沢出合(15:00) – ナイヤガラの滝(16:20) – 四つ又出合(17:00)
第3日目: 四つ又出合(7:20) – 仮戸沢終了(11:30)―大深山荘(13:30)
第4日目: 大深山荘(6:30) – 関東森分岐(7:30) – 小畚山(8:30) – 三ッ石山荘(10:20) – 滝ノ上温泉(12:40)

写真はこちら

8月7日(金)

お盆休みが始まる。今年は夏合宿に東北の沢登りが計画に上り、葛根田川となる。
新宿西口に21時集合。台風8号と前線の影響が西日本に雨を降らせている。
東京もやがて雨模様となりそうな天気だった。5人が揃い北東北に向け出発する。
盛岡までの長丁場をいかにするかを車内で相談し渋滞の影響もまだ出ておらず、途中のあだたらPAでテン泊を決め込む。PAの小高い丘の上にテントを張る。

8月8日(土) 曇り

翌朝、5:00にあだたらPAを出発。良く眠れ夜行突撃の強行軍は避けられた。昨日の夜と同様にお盆休みとあって車の量は多い。流れは順調で8:50滝ノ上温泉に到着する。
駐車場は広く、休憩所の施設が良くできていた。
荷物を分配後、工事中の地熱発電所の脇の林道を詰め葛根田川に降りる。
川幅の広い低い堰堤を乗り越え沢歩きが始まった。しばらくで東北の沢らしいナメ床の歩きが続く。休みを入れながら明通沢、大ベコ沢と通過する。ナメのへつりのお函を過ぎ、大石沢に合流。テン場があり、釣り師が良く利用する場所のようだ。
ここまでの具合をみて、本日のテン場は予定通りの滝ノ又沢出合と決定され先を急ぐ。
ザックの中の隠し竿はオアズケで進む。途中、竿を持った二人組に合い話しを聞くと今日のテン場には既に2パーティー10人近くが居るとの情報。本人たちもその内の一パーティーのメンバーでした。これは今宵の岩魚危うし。ここまで来ても人の方が多いわい。
結局、18時に到着。小生はさっきの話でもはや岩魚の気力も失せてしまっていた。
ところが、今回の食事当番をお受けいただいた、下島シェフは元気一杯。「さっ、いくぞ」と戦闘体勢で出かけていく。その勢いに負け後に続く。
流石でした。一等地のテン泊をする若者集団の目の前で下島名人はあっという間に4匹の今宵の岩魚汁の食材をゲット。(小生は心がけが悪くボウズ)
かくして、初日の今宵。おいしいカレーに岩魚汁が振舞われ、無事に終了。

8月9日(日) 晴れ後雨

本日は八瀬森を越え、大深沢に下る。
6:40テン場を出発する。すぐに6m滝に出合、分岐でコースを選びつつ沢を詰める。
登山道までは以外にかかり10:40に藪を抜け飛び出す。ここからすぐで八瀬森山荘のあるお花畑のような湿原を通過する。小屋でしばらく休み、関東沢の支流を下り始める。
反対側はさすがに魚影が濃く、たまりに各所で岩魚が泳ぐ。休みにそーっと竿をだすとすぐに喰い付いてきた。ここではリリース。先を急ぐ。
やがて、大深沢の出合に到着するがここで空は雨模様に変わった。この出合にテン泊の予定をしていたが地形が変わっていて、5人が寝るテン場が無い。仕方なく先にテン場を求め進む事になる。ナイヤガラの滝にぶつかり、ザイルを出し上に登る。その少し先で四つ又の出合でテン場とする。この頃には雨がいっそうひどく降り、設営に苦慮する。
持参のツエルトをタープ代わりとし、狭い炊事場を作る。そんなこんなで既に夕闇が迫るなか、またしても名人が食材をゲット。岩魚初挑戦の中村さんも師匠に伝授されゲット。(雨具の無い小生は意気消沈でした。)
結局、一晩中雨が降り続くなか岩魚三昧のフルコースがシェフによって振舞われました。
さしみ、天ぷら、から揚げetc.etc 廣岡さんの歓声が轟きました。

8月10日(月) 雨

前夜、ラジオの気象情報を聞くと台風9号が急に発生し西日本から関東、東北にかけて激しい雨を降らせる模様と放送。また、関東でかなり強い地震があったと報道していた。
朝方の3時のニュースで再度確認しテントの皆に知らせる。台風の進路と速度が気になる。
4時には出発の支度を始めて、増水の状況を確かめた。安全策を取り、仮戸沢を登り稜線の登山道に出ることにする。沢の傾斜は緩いが、藪こぎがひどく登山道まで4時間を要した。
雨模様は変わらず、予報では北東北も夕方には強い降りになるという。結局、大深山荘にて泊まることとする。快適な避難小屋である。夜までに4パーティが宿泊する。
予定変更の為、本日の岩魚料理はなし。おいしい雑炊ご飯にシジミ汁をいただきました。

8月11日(火)曇り後快晴

昨夜のうちに雨は過ぎたようだ。6:20に小屋を出発する。帰りの行程が長くなった。
大深岳(1541m)を越え、三ツ石山、三ツ石山荘を経由して駐車場へ向かう。
途中から快晴となり八幡平の全貌が見渡せた。森が深く平らで広大な景色だった。
このブナの森にはもう一度、来ようと思う。岩魚にも会いに来なくては。
帰りには良い温泉に浸かり、自動車道も思いのほか空いており順調にて東京に帰還となりました。

(記: 齊藤)

小室川谷遡行

日程: 2009年7月19日(日) – 20日(月) 前夜発
山域: 小室川谷
参加者: 国府谷(L)・松林・中村・土井・有富
行程:
第1日目: のめこい湯(6:30) – 三条新橋・泉水谷林道駐車場(7:15) – 小室川谷下降点(7:48) – 小室川谷出合(7:52) – 2段8m(8:17) – 廊下(8:42) – 5m滝(9:07) – S字峡(9:27~9:47) – 松尾沢分けて連続小滝 – 5mトイ状の滝(10:17) – 小室の淵(11:05~11:30) – 5mトイ状の滝 – すだれ状2本滝(11:36) – 3m滝(11:52) – ナメ滝(12:04) – 15m雨乞ノ滝懸垂(12:40/13:24) – 4段ナメ滝(14:20) – F7・7m(14:34) – F7・8m(14:40) – 蛇抜け沢出合1385m(15:30)
第2日目: 蛇抜け沢出合出発(6:45)  – フルコンバ小屋窪(蛇抜け沢二俣の左俣)入渓 – 登山道(09:17大休止) – 大菩薩嶺 – 丸川峠 – 泉川谷林道 – 駐車場(13:30)

丹波に泉水谷あり、泉水谷に小室川谷あり――
昔から、賞賛されてきた沢らしく、夏に思う存分泳ぎ、かつ遊べる沢だという触れ込みだ。だが、過去の記録を調べると、滑落事故あり、ヘリ救出劇ありと、手強そう。心して臨んだのは言うまでもない。(敬称略)

7月18日

松林・中村・土井は調布駅にて21時集合。3時間後、丹波山村「のめこい湯」で、リーダーの国府谷・新会員の有富と落ち合い、駐車場にテント設営。前日まで雨だったため、駐車場は濡れていた。

7月19日

仮眠3時間は44歳の中年には辛い。だが、有富は元気いっぱい。さすが28歳だ。泉水谷林道を歩くこと約30分、小室川谷下降点に到着。10分もかからず小室川谷出合。鬱蒼とした緑のトンネルから、さらさらと水流が奔り出ている。小室川谷は、最初から雰囲気のある沢だった。

国府谷・有富・中村・松林・土井の順で遡行開始。すぐに2段8m滝となり、上段は右岸から登る。単調なゴーロをいくと、8m滝。左岸からスイスイと越えていく有富を見て、感心する。とにかくバランスが良い。だてにアフリカで鍛えていないな、と舌を巻く。

明るかった廊下は、やがて狭まり、淵をかかえた5m滝。ここは胸まで水に入り左岸をへつるしかない。この冷たさを求めてきたのだから、「いっちょ、やってやろうか」という気分になる。
で、水に入ったが、やはり冷さには勝てない…。ケチせずにネオプレーンの上着を買うべきだった。よし、来月は飲み会を減らして、浮いた小遣いで買うぞ。ジャブジャブと浸かりながら、胸に誓う。

しばらくすると、S字渓。ここも、深い釜の左側を腹まで水に入り、へつる。滝手前で壁に這い上がるのだが、このスリルがたまらない。この後、S字峡はミニゴルジュとなり、先頭4人は途中から右岸を巻く。天邪鬼の小生、水線通しにチャレンジするが出口の滝がかぶっていて敗退。ロスタイム10分、皆さんごめんなさい。

ゴルジュを越えると、松尾沢を右岸に分けた。次々と小滝を越えていくと、石門ノ滝。滝は諦めて、左の垂壁にぶらさがっているロープを頼りに、まず松林さんが突破。小生も続いたが、15mほどの垂壁は苔だらけで足の置き場が以外と難しい。ロープを信用して登ってしまったが、こうした安易な登り方をする人に限って事故に遭うもの。神罰だろうか、最後の一手のところで落石がヘルメット直撃。目眩がして、しばらく頭がグラグラしていた。
下から見て危惧したのだろう、残る3人は草付きを高巻いた。これが正解だと思う。

その後、核心の「小室の淵」が現れた。きれいな深緑の淵の奥にCS滝がかかっている。遡行図によると、手前から右岸を巻けるらしいが、今日は河童になる覚悟なので突入だ。
まず、リーダー国府谷が泳いで偵察。「淵の下にフットホールドないし、這い上がれないよ」という。見渡したところ、両岸は垂直に切り立っているし、垂壁上部の草付きも傾斜が強く、相当悪い高巻きになりそうな予感がする。
淵を突破する自信なんて、これっぽっちもない。だけど、草付きは、もっといやだ。つい、「僕がやってみます」と口走ってしまった。
淵を10mほど泳ぐが、冷たいのなんのって。滝の手前から這い上がろうとしたが、やはりスタンスもホールドもなかった。
いつもなら簡単に諦めてしまうのだが、この日は強気だった。CS滝から少し戻って、必死に立ち泳ぎで粘る。「しまった。空身で泳ぐべきだった」と後悔したが、おめおめと皆の所に戻るのもかっこ悪い。
水の中から観察すると、壁に溝が走っているので、チャレンジ。スタンスはないけれど、小さなホールドを拾っていける。そして、気がついたら水から上がれた。万歳!
溝の中から右へソロリソロリと細かくへつると、そこはCS滝の脇の岩場。シュリンゲ2本を結んで、泳いでくる4人にお助け紐を出す。淵から上がると4m滝だが、これは右岸のルンゼから巻き、おしまい。
「ヘタレ」の小生にとって、小室の淵は難関でした、本当に。敢えてトップを任せてくれた皆さんに感謝。

さて、淵の上部にある滝は直登不能。右岸ルンゼから巻く。無数の小滝をやっつけると、大きな淵をもった10m雨乞ノ滝。左岸から大きく高巻くが、簡単に降りられそうにない。「クライムダウンできるよ」と攻撃的なのが松林。何ともタフな58歳である。だが、ここは懸垂で落ち口に下降。

そこから、すぐに4段ナメ滝。3段目から傾斜がきつくなり、滑りそうで怖い。トップの国府谷が左岸からロープを出してくれて一安心。草付きをスルスルって上がっていく後姿に、「やっぱり実力者は違うなあ」と感じる。小生と有富は、ここまで泳ぎまくっているため、ずぶ濡れ。3段目上部の淵も、腹をくくって泳ぐが、歯がガチガチと鳴って仕方がない。
怖かったのは4段目最上部。再びトップとなったが、出口の一歩は、ぎりぎりのフリクションで登るしかない。左岸に残置シュリンゲが下がっていて、「おいらに、ぶら下がりな」と盛んに色目をつかってくる。だが、あんな古臭い代物に体重をかけて、万が一抜けたら大事。誘惑に負けまいと、小さな岩の突起を頼りに何とか登りきった。
出口に後続を確保できるような支点はなく、ロープを伸ばして小さな木2本で確保。今思えば、小室の淵よりも、4段目が核心だったかな。

この後は、中村がトップ。素晴らしいスピードで遡行していく。若かりし頃、上越と東北の沢を攻めまくったという経歴、だてではない。松林、有富もガンガンと登っていく。実は、古傷の左膝が痛みはじめていたので、ピッチをあげられない。カンカンに熱した鉄串を刺されたような感じだ。
「テン場、まだかなあ」「もう限界だよ」なぞと思い始めたころ、中村がザックを下ろした。15時、蛇抜け沢とフルコンバ小屋窪の出合に到着。入渓から7時間、ようやく幕営となった。

流木を集め、焚き火を囲んで飯を食べる。食当ではないが、持参したアスパラ3束とオクラ3袋を茹でた。ドレッシングなしでも十分美味い。星が瞬く頃には、一日を遊び尽くした河童5人は疲れ果てて、次第に無口になっていく。皆、静かに火に当たっている。
「生きているって良いなあ。でも、この膝だからなあ。あと何回、皆と山に行けるやら」。うとうとしながら、妙にしんみりとしてしまった。

7月20日

夏の谷の朝は早い。4時40分、空はもう明るい。寒いので、松林さんが埋み火を熾すと、自然と皆が集まってきた。暖をとりながら、棒ラーメンを食べる。男5人がチンマリと小さな火を囲む光景は、滑稽でちょっぴり物悲しいかもしれない。

フルコンバ小屋窪へ入渓。とはいっても、大石と倒木だらけのガラガラの沢だけに面白くない。しばらくすると、階段状の滝、苔むしたスダレ状の滝が現れ、嬉しくなる。
源頭に近づくにつれ、沢は再び荒れはじめ、難儀する。やがて水は涸れて、長いつめに耐える。いいかげんに参ったころ、斜面が緩み人の声がした。登山道だった。

1時間近く休憩してから、再出発。丸川峠を越えて泉水谷林道に降りた。ここから、駐車場までの長かったこと。膝が痛んだけれども、水と戯れることができた。また訪れたい沢だった。

(記: 土井)

裏妙義山行報告

日時: 2009年6月6日(土)
山域: 裏妙義山(北関東)
参加者: 松林(L)・平井
行程: 裏妙義国民宿舎駐車場(7:10) – 9: 30丁須岩(9:30) – 丁須の頭ピーク(9:40) – 烏帽子岩 – 赤岩トラバース – 三方境(11:30) – 国民宿舎駐車場(13:00)

曇り一時雨

20090606uramyougi1 登山道は標識も豊富でペンキのマークも明瞭だが、連日の雨続きのため路はぬかるんで岩場・鎖は滑りやすく、一般道の割には結構緊張する個所が多かった。

中腹から上部は湿った厚い雲に覆われて周囲の展望もきかず、つかの間の雲の切れ間で位置確認ができる程度、ロープを出して丁須の頭ピークに立った頃には着衣はじっとりと濡れていた。

今回の目的は「丁須の頭ピークに立つ」こと。眺望もきかない悪条件のなかでの谷急山までの縦走はあきらめ、三方境から早々に下山することにした。20090606uramyougi2

随所にある鎖は雨で滑るため、鎖に頼るとかえって危険。ルート核心部のチムニー下降も鎖は滑って使えなかった。チムニー内はホールド、スタンスとも十分にあるが濡れた泥が付着しているので緊張する。烏帽子岩、七人星、赤岩とかいろいろあったようだが、雲と小雨の中でどこを歩いていたのかもよく判らなかった。赤岩トラバースに設置してあるステンレスの橋や木製のハシゴは不安定で信頼性が無くちゅうちょしながらの通過だった。

20090606uramyougi3 昼過ぎ国民宿舎に帰り着いた頃には雨もあがり、雲も切れ、青空も見えてきた。駐車場には車2台だけで、この日山に入ったのは我われ二人のみのようだった。

このあとロックガーデンをのぞいて見たがゲレンデは荒れて草が茂り、ほとんど使われていない様だ。

裏妙義は結構大形の山ヒルが多いので要注意。とくに国民宿舎、ロックガーデン周辺。その後のくつろぎの湯で数箇所吸われていたことがわかった。20090606uramyougi4

(記: 松林)

小川山・甲府幕岩

日時: 2009年6月13日(土) – 14日(日)
山域: 小川山・甲府幕岩
形態: フリークライミング
参加者: 国府谷・他1名
行程: 本文参照

20090613mawarime 梅雨の晴れ間にクライミング。
大方の天気予報に関わらず土日とも天気に恵まれました。

土曜日は小川山。
横浜を5時半に出発して、9時前に着いた大日広場は2割程度の駐車具合。
砦岩やII峰が日射しに輝くようないい天気。
S木さんとどこに行こうか、ポケットマントルとか、リバーバンクとか思案した結果、近いからという理由でI峰のバイシクルダイクへ決定。
取り合えず、河(ルート名です)にながーい枝でプリクリしてから、S木さんがトライしたが、途中にスズメバチが巣を建築中。
あえなく断念。散々苦労した挙句ヌンチャクを回収して降りてきた。
(詳しいことはめんどくさいから言わない)
せっかく1撃できそうだったのに・・

20090613route

(写真: バイシクルダイク)

しかたなく、アップもそこそこに、S木さんがバイシクルダイクに再度オンサイトトライ。
予想外に苦戦して(めんどくさいから詳細はナシ)トップアウトして降りてきた。
私は、絶対無理、と思いながらトップロープでトライ。
いきなり、出だしのトラバースが出来ない。
とりあえず、そこはチョンボして上部のスラブだけやってみるとそこそこつながった。
まあ、トップロープだからだな。
リードしていたS木さんは3本目上から4回くらいドカ落ちしてたし。
スラブなのに・・
(おー、怖)
S木さんは、私の新らしめのミウラを履いてやってみたら、サクサク登ってたので、シューズを新調したら、すぐでしょう。

この岩場には他にルートが無いので、おむすび岩に移動して時間つぶし?
私はここでまだ登っていなかったジェイコブズ・ラダーをとりあえずマスターオンサイト。
テンション掛けるのがもったいなくて、慎重になってしまって時間がかかってしまった。
私はこの日はコレで終了。
S木さんはクジラ岩にボルダをしに行ったので、クルマで昼寝をしていたのであった。

さて、日曜日は甲府幕岩。
10時過ぎに着いたら駐車スペースがいっぱい。
岩場もさぞかし混んでるかと思ったら、適当にバラけているのか、皆さんお上手なのか、あんまりルートがかぶることもなく平和な一日になりました。

いつも、ちゃんとしたアップをすることが苦手なので、いきなり昨年からの宿題のWORK ONに取り付いた。
昨年に1回やっただけなので当然(?)ムーブは覚えてない。
取り付きからアレコレ試して、ウロウロしてとってもカッコ悪い。
でもなんとか、マスターRP
もうすでに前腕パンパン

この後は、もうひとつの宿題のサイコモーターを何度かやってみたけど、やっぱり出だしのボルダムーブが出来なくて敗退。

ちゃんとトレーニングし直してから出直します。
同行のS木さんは、安近短を1撃して12クライマーになりました。

とても刺激になります。

すぐにでもまた幕岩行きたい。

(記: 国府谷)

涸沢岳

日時: 2009年5月4日(月)
山域: 涸沢岳(北アルプス)
参加者: 久世(L)・飯田
行程: 本文参照

快晴

過去に於いて涸沢岳は春夏秋冬何回か通ったことがあるが、今回は天候に恵まれ快適に山行が出来たと思います。
パーティーは久世リーダー・飯田の2名である。5:00涸沢BCを出発、前日同様北穂沢を詰める。松濤岩のコルに8:30頃到着、ここから北穂高岳頂上と反対の涸沢岳を目指す。私たちと同じルートを通ったパーティーは2・3パーティ都少なく、マイペースで通過できた。稜線は岩稜帯のアップダウンの連続である。途中の危険箇所には鎖やハシゴが掛かっており特に問題はない。正午には目的の涸沢岳に到着した。涸沢岳は穂高連峰では奥穂高岳に次いで二番目の高峰である。前方には穂高岳山荘が目の前である。目的はおおむね達成されたと思う。晴天のもと快適である。12時半頃白出のコルに建つ穂高岳山荘に到着した。
久世さんは前穂北尾根隊の状況を把握するため、奥穂高岳まで偵察に出掛けた。私は休憩の後白出のコルからあずき沢を下り涸沢のBCに向かってゆっくり雪面を下っているところへ途中から久世さんが後を追ってきた。話しでは前穂北尾根隊の状況を把握できなかったとのことであった。
20090504karasawadake 14時頃BCに到着した。前穂北尾根隊を待つべくテント内で湯を沸かし、お茶の準備などして待機していたがなかなか下りてくる気配が感じられなかった。かなり日が長くなってきた季節であるにしても、明るい内に到着して欲しいと願っていた。心配して白出のコル方面の稜線を見つめていると日も陰り始めた頃稜線に4名の人影が見えた。間違いなく前穂北尾根隊のメンバーであると思われた。しばらくすると4名の内の1人が他の3名に先行してBCに戻ってきたので話しから状況がつかめ安心した次第である。今回は天候に恵まれ実りのある山行であった。

(記: 飯田)

北穂高岳東稜

日程: 2009年5月3日(日)
山域: 北穂高岳(北アルプス)
参加者: 久世(L)・飯田・松林
行程: 本文参照

快晴

20090502kitahojpg 天候に恵まれ、久世リーダー・飯田・松林の3名で5:00涸沢BC出発、涸沢小屋右手から北穂沢を詰め2時間ほど登った付近から右の北穂東稜に取り付く。私は数年前無積雪期に一度このルートを登ったことがあるが、積雪期の登攀は初めてである。東稜の稜線までは無積雪期は樹林帯を登るので、積雪期の方がむしろ楽である。8時半頃東稜の稜線にたどり着く。先に5・6パーティ画登っていた。東稜の稜線の前半分くらいがこのルートの核心部ゴジラの背と言われているところである。無積雪期では一部岩稜帯を馬乗りになって通過した記憶がある。核心部は当然ザイルを使ってのスタカット・クライミングになる。こういうところは何回通っても緊張させられる。7・8ピッチあっただろうか。

20090502kitaho1jpg岩稜帯を無事通過し、後は雪稜をひたすら登るだけである。北穂高小屋がすぐ目の前に見えてもなかなか登り甲斐がある。北穂高小屋に着いたのは正午であった。小屋のすぐ上が頂上である。頂上ではかなりの登山者で賑わっていた。快晴で奥穂高岳・槍ヶ岳・常念岳等々360度の眺望が素晴らしかった。北穂沢を下って涸沢BCには14時頃到着した。

(記: 飯田)

2009春合宿

日程: 2009年5月2日(土) – 5日(火)
山域: 明神岳東稜・前穂高岳北尾根(北アルプス)
形態: バリエーション
参加者: 国府谷(L)・廣岡・土井・松林(北尾根のみ)

第1日目: 上高地(8:00) – 明神(8:45) – 宮川のコル(10:33/10:45) – ヒョウタン池(11:50/12:10) – 第1階段(12:41/13:05) – バットレス基部(ラクダのコル)(16:30)
第2日目: バットレス基部(5:55) – バットレス取付(6:11/07:10) – 明神岳(7:32) – 前穂(10:01) – 奥穂(12:43) – 白出のコル(13:20/14:10) – 涸沢(15:10)
第3日目: 涸沢(5:40) – 北尾根5・6コル – 3峰コル(08:00/09:30) – 3峰 – 前穂(14:29) – 奥穂 – 白出のコル(16:30) – 涸沢
第4日目: 涸沢(5:20) – 横尾 – 上高地

写真はこちら

近くて遠い山。上高地から見上げることができるのに、孤高を誇っている明神岳は、そんな称号がピッタリの鋭鋒だと思う。09年春合宿は、この明神岳東稜から涸沢を目指し、さらに前穂北尾根も登るという欲張りな山行となった。国府谷さんという強力無双なリーダーがいてこそ実現した山行だったが、〝家財道具一式〟を背負ってのバリエーションは、自分の実力(体力不足と認識の甘さ)を知る良い経験となった。

5月1日(晴れ)

仕事を終わらせ、午後10時に松林さん、飯田さんと調布駅で待ち合わせ。合宿参加の残り5人とは沢渡で集合する予定だ。深夜の高速をスムーズに飛ばしたが、今春からスタートした1000円高速には感動した。八王子ICから松本IC(約280km)が一人330円。財布の中身が寂しい昨今、我々には力強い味方だ。沢渡第2駐車場に午前2時着。入山前夜は、いつも深夜の宴から始まる。山行が無事終わることを期し、缶ビールで喉を潤して3時に寝た。

5月2日(晴れ)

午前5時起床。さすがに眠い。車の外に出ると、隣の車から志村さんが顔を出して「おはよ~」。渋滞のせいで1時間しか仮眠していないというのに、この明るさ。若さには勝てないなあ。身づくろいを済ませ、一台に4人のすし詰め状態、タクシーで上高地へ。沢渡から上高地間のバス代が1200円に値上がりしたため、タクシーの方が安い。一昔前に考えられなかったことだ。
午前8時、8人全員で元気よく出発。まず、明神で我々「チーム国府谷」が東稜に向けて離脱。徳沢で後藤・志村組が蝶ガ岳へ向かい、残る久世・松林・飯田の「チーム久世」は横尾経由で涸沢を目指すことになっている。飯田さんは75歳。でっかいザックを背負ってもピンシャンしている。往年の山屋、恐るべし。

「気をつけて」「涸沢で会おう」。5人の激励を背に、明神橋を渡り右折。養魚場跡地と信州大学の施設を目安に森の中に分け入ってゆく。地形的にはガレた広い谷で、ここが下宮川だろう。国府谷さんをトップに、廣岡さん、そして自分。まあ、実力通りの順番だ。かすかな踏み跡を頼りに、とにかく森を上へ上へと目指してゆく。やがて、デブリ混じりの明瞭な谷となり、30分もすると3人パーティーの背中が見えた。その少し上では、2人組が左岸の小さな谷筋へ這い上がろうとしている。「ヨッコラショ」。樹の根を頼りに、我々もボロボロの斜面を這い上がり、谷を上がってゆく。暑くてたまらない。

窮屈だった谷も、高度を稼ぐうちに広まってゆき、赤茶けたガレ場で一気に視界が開けた。左手に明神5峰。頂上からの展望は秀逸だといい、いつかは幕営してみたいと思っている。午前10時30分、上宮川の斜面で一本だけ生えている木の下で最初の休憩だ。喘ぎながら見上げると、雪の斜面の奥に、コルが確認できる。その上部にヒョウタン池があるはずだ。記憶が正しければ、明神からヒョウタン池は高度差800m。そして、池から明神主峰(2931m)まで更に600m。「まだまだ先は長いなあ」。とりあえずザックを下ろすと、谷を駆け降りた涼風が、どんくさい44歳を歓迎してくれた。やれやれである。

暖かい春の陽射しのなか、眠気と闘いながら雪の急斜面をゆく。弱音をはきそうな心を鼓舞しながら歩を進めるのは、けっこう辛い。「頑張れよ」「こんな程度か、お前は」。歯をくいしばって、廣岡さんの背中を追いかける。
せっかく穂高の一角にいるというのに、まだ身体が山とシンクロしていない。ぼくは、単調で苦しい登りのとき、山とは別の、何か楽しいことを考えるようにしている。雪の消えた東稜は、荒らされていない、とびっきりのお花畑だと聞く。だから、ここでは、斜面に咲き誇るであろう花々を想像してみる。「ミヤマトリカブト、ハクサンフウロウ、それにタカツメクサ」「イワギキョウも咲いているかも」。アレレ、次の花の名前が思い浮かばない。柄にもなく美しいものを愛でようとしたのが失敗だったか。あっという間に現実の急斜面に引き戻されてしまい、実に興ざめだ。
あれこれ考えているうちに、ようやくヒョウタン池。池といっても、この季節は雪に埋まった変哲もない雪原だ。登ってきた上宮川の向こう側には霞沢岳。芳野さんと登った2年前が懐かしい。そして東側を振り返れば、眼下を梓川がうねうねと蛇行している。

ここで幕営できたらと思う。うららかな春の一日、テントの中でゴロリと昼寝。ウットリするような贅沢な時間の過ごし方だが、そんな夢想を見透かしたように国府谷さんの号令が飛ぶ。「さあ出発しましょう」。
ギアを装着して、お神輿を上げた。ここからは、やせた雪稜。グングンと登ってゆくと、「第1階段」と呼ばれる岩場に突き当たる。先行2パーティーが登り切るのを待ち、いざ我々の出番。くたびれたフィックスロープが垂れ下がっているが、それは無視。1ピッチ目は、まずブッシュ混じりの木登り。すぐに大きな岩に遮られるが、岩伝いに右上して雪壁を小さく登って終了。2ピッチ目の雪壁は、腐った雪が次々と足元で崩れてしまい、いやらしかった。廣岡さんも難儀している。露出している木の根などを頼りに這い上がるが、9年前に滑落死亡事故があったのは、ここではなかろうか。「気を抜くなよ」と気合を入れなおす。

雪綾と雪壁が交互する快適なピッチが続くが、ここで我々は2パーティーに追い抜かれた。ロープを出したのでスピードが落ちたのだ。残雪期バリエーションに対する哲学の違いだから、その是非は論議できない。ただ、滑落が許されない場所で、雪が腐りはじめていた。そして、我々の隣をノーロープで一気に追い抜こうとした1人は、グズグズの雪でスリップした。幸い、後続メンバーが背中を支えて事なきを得たが、見ているだけでゾッとした。「いちいちロープを出していられない」というのも真理だろう。でも、パーティーの実力を考慮して、躊躇することなくロープを出した国府谷さんに感謝したい。

午後3時、梓川を隔てた蝶ガ岳と肩を並べるくらいの高みまで至る。谷を挟んで見える前穂東壁が荒々しい。この角度からの前穂は初めてで、新鮮だ。ただ、頭上の岩峰たちの影法師が谷間に下りてきている。日差しも心なしか弱まり、元気がない。そろそろ今宵のテン場が気になる頃合いなのだ。明日は、前穂・奥穂を越え、涸沢で久世さんたちと合流する計画。逆算すれば、やはり最低でもバットレス基部までたどりつきたい。そのせいだろう、国府谷さんのピッチがトップギアに入ってしまった。

徹夜明けの登高で消耗しているようだ。いくら登っても周りの山々は我々よりも高く感じてしまう。「5峰なんて、ちっとも高さが変わらないぞ」「東壁は、むしろ高くなっているんじゃないか」。錯覚だと分かっているが、小癪である。そして、安全なテン場が見つからないため、神経がささくれる。小さなシュルントの下にツララが8本。ポキッ。一本失敬して口のなかで転がす。舌の上で融けた氷柱が、心と身体を潤してくれた。よし、これでまた頑張れる。

午後4時20分過ぎ、先を行く国府谷さんが雪稜の上で手を振っている。しかも、遠目からも笑っているのが分かった。ピークの向こう側にテン場があるようだ。午後4時30分、何とかバットレス基部、ラクダのコルにたどり着いた。
狭いコルの安全な場所には、先着パーティーのテントが5張り。我々は、雪稜を整地するしかない。日が暮れる前に雪を切り崩して今宵の宿を立ち上げた。東側斜面の一部は整地しきれず、テントがちょっと宙に浮いている。隙間に雪のブロックを押し込んだが、平気だろうか。
テントの中に転がり込めば、そこは天国。萎れていた体の細胞が、熱々のココアでザワザワガヤガヤと元気よく騒ぎはじめる。携帯で天気を確認すると、明日も大きく崩れることはなさそうだ。安心してキャベツとベーコンのスープをいただき、あっという間に睡魔に負ける。夜半、風がテントを叩いたが、疲労困憊のせいか子守唄にしかならず熟睡できた。

5月3日(晴れ後曇り)

午前3時30分起床。空が白々としはじめたなか、トイレのため外に出た。雪稜から転げ落ちないようロープを腰に巻きつけて用をたす。眼下には明神と徳沢の灯りがゆらめている。「小屋の人たちが朝食の準備を始めているのかな」。寒いので長居は無用だが、一級の展望トイレだ。
テントを撤収して、ザックを背負う。早朝の空は、どこまでも青く、雪稜は静まりかえっている。目の前には黒々とした小さなバットレス。世界は白と青と黒のみ。さあ、これからだ。東稜の核心部が始まろうとしている。

最初の岩場は左側の草付から難なく越え、次の岩場の基部でロープを出した。国府谷さんのリードを詳細に観察する。最初のピンから右岩に移動する際、右足アイゼン先端を岩の亀裂に入れて立ちこみ、凹角を上がっていった。その先は岩が邪魔して見えないが、ガリガリという音から奮闘しているにちがいない。途中からスラブへトラバースしはじめ、わずかなスタンスを探しながら右足を目いっぱい伸ばしている。絶妙なバランスだ。後続パーティーは国府谷さんのアクロバティック登攀を目にして「あんな登り方するのか」「左側に逃げられないか」なぞと相談中。2番手の廣岡さんも、やはり途中からトラバースしたが、スタンスが見つからずガリガリとアイゼンで派手な音を立てている。ホールドも細かいのかもしれない。その登攀を見て、待機中の連中は岩場を諦めたらしい。トップは左側の雪のガリーへとさっさと消えてしまった。
廣岡さんが視界から消えてしばらくして、コールが響く。「おーい登ってきて」。いよいよ自分の番だ。亀裂に立ちこむと簡単に狭い凹角に入り込めた。ストッパーを回収しながら岩溝を直上する。下からは見えないが、上部にホールドがあると聞いた。そのホールドにさえ手が届けば、トラバースせずに済むわけだ。「ここは一つ冒険してみようじゃないか」「落ちてもセカンドだから」と無責任にも再スタート。岩溝にねじこんだ左足をテコに、今度は右足で立ちこんで背伸びしたら、あった、あった。素敵なホールドが。そして、あっけなく核心を突破してしまった。
後は雪壁をグイグイと登るのみ。岩稜帯を越えたら、ひょっこりと明神岳主峰に出た。南側眼下には梓川と上高地、そして目の前に明神2峰。西に目を転じれば、西穂、奥穂、前穂と続く3000m級のスカイライン。自分が勝ちとった高さを実感する。

前穂へは、明神主稜線を忠実にたどり、奥明神沢最上部の雪壁に合流した。午前10時に前穂頂上。行動食を詰め込み、30分後には奥穂へ向かう。まったく忙しい一日だ。そして、奥穂までの吊り尾根が実にしんどかった。トレースはあるのだが、時に夏道を、時に稜上を、岩と雪のアップダウンを繰り返す。最低鞍部からは、はるか下に涸沢のテント村が米粒のように見える。ここから下降できたら、どんなに楽だろう。未練がましく覗き込んでいる自分に腹が立った。

空には筋雲が流れはじめ、天候は下り坂だ。黙々と尾根を行くが、一か所、雪の薄い壁のトラバースで肝を冷やした。1番手がピッケルとアイゼンで道筋をつけ、2番手はその雪を落としながら進む。そして、3番手の僕の時には、雪が落ちてしまっている。ピックを突き刺しても意味のない草付。雪が落ちて、妙にのっぺりとしたスラブ。「ここ、どうやってトラバースするんだ?」。泣きたくなった。渡り切ってしまえば、ちっぽけな壁にすぎない。ところが、自分の心の弱さが、そんな壁をも大袈裟な難所に変えてしまう。精神的弱さを克服してゆくのもアルパインクライミングなのかもしれない。

午後2時40分、奥穂。もうオーバーヒート寸前。「明日も、この吊尾根を登るのかよ」「北尾根はやめて北穂東稜にしたいなあ」。国府谷さんには明かせなかったが、心身とも弱っていた。奥穂からは下るだけ。白出乗越で一服した後は、尻セードで一気に涸沢へ下降だ。童心に戻ったようで、最高の気分だ。

涸沢は、GWにしてはテントが少ない。行き交う人々の中で、久世さんの姿を見つけたときは本当に嬉しかった。テン場を整地してくれていただけでなく、お茶まで沸かして待っていてくれるとは。山岳会ならでは、仲間を実感できる瞬間だ。自分たちのテントを設営後、久世さんのテントに合流。まだ午後4時だが、もう腹が減ってたまらない。国府谷チームも久世チームも、しめし合せたかのように麻婆春雨。材料は微妙に違うけれど、同じ大コッヘルで調理してしまう。山では飲むもの食べるもの、すべてが旨いのだ。些細なことは気にしていられない。それにしても、松林さんのザックからは珍味が出てくるわ出てくるわ。まるで、魔法の泉のようだ。サーモンと海老には参りました、本当に。

5月4日(晴れ後曇り)

3時半起床。昨日の疲れが取れていない。それでもヘッドランプを灯して準備にかかる。
北尾根5・6のコルまでは雪がクラストしていて快適だ。ところが、雪壁からダケカンバの木がまばらに顔を出している当たりで体調が急変した。腹が痛いのである。脂汗も出てくる。国富谷さんから遅れ、廣岡・松林さんにも抜かれる。恥も外聞もなく尻を出した。だが、出るものが出ない。皆に遅れること10分、真っ青になってコル到着。6峰の雪壁の這い松の陰で「KIZI」を打って、ようやく楽になる。
既に廣岡・松林さんは5峰を登り始めているし、国府谷さんからは「平気ですか?登れますか?」と憐れみの声をかけられる始末。ああ、情けない。力が入らないのだが、ここは踏ん張らないと。「もちろん、いけます」と威勢よく返事をしたが、どうもヘッピリ腰で格好悪い。
気を取り直して5峰。急な登りが続くが、そう大したことはない。涸沢側を見下ろすと、数人が北尾根を目指してきている。「彼らに追い抜かれたいかん」と思うと、どこからかファイトが沸いて出てきた。
個人的には、続く4峰が手ごわかった。特に、上部の奥又白側のトラバースと雪壁は、一瞬の油断もできない。スリップすれば即身成仏間違いなし、汗たらたらだ。トレースはあるのだが、先行する3人の落とす雪でステップが消えてしまい、手袋で掘り起こすのに必死。本当は確保が欲しいところだが、猛者ども3人はスタコラと登っていってしまう。グルグルキュルキュルと、腹の具合も追い討ちをかけ、スピードが出ない。「おーい、皆待ってくれ」。

3峰のコルには既に3人組が取りついていて、さらに3人組が待っている。我々4人は3番目。
今回の我々は実に変則的な登攀形式だ。国府谷さんリードを松林さんがビレイ。松林さんと廣岡さんは2本目のロープでつながっていて、さらに3本目のロープで廣岡さんと私がアンザイレンされている。登りきった廣岡さんが、小生をビレイするわけだ。理由あっての形だが、とにかく時間のかかる登攀スタイルであることは間違いない。廣岡さんがプロテクションを回収してゆくので、ロープはルートと関係なく伸びている。従って、確保こそされているが、ルートファインディングは「自分次第」というわけだ。
3峰1ピッチ目のルートは二通りで、右寄りのカンテ側壁(IV級)と左手の凹角状(III級)がある。当然、凹角状をゆく。小テラスから左に登り、かぶった岩を乗越すのだが、夏には簡単だったムーブがアイゼンを履いていると難しい。しかも、ロープは緩んだまま。さては、上部の岩にでも挟まったか。廣岡さんに声をかけても届かない。仕方なく、一段降りてから赤茶けた一枚岩を抱えるようにしてトラバースし、斜上バンドに入り込んだ。
2ピッチ目は、雪のついた斜面から右の岩溝へと誘導されていった。夏は左側のチムニーを登ったので、この岩溝は初めて。岩溝の左側に窓のような穴があったのには驚いた。岩溝の突き当たりからが3ピッチ目。急な凹角を登っていくのだが、これがけっこう面白い。この頃から、西穂・奥穂に雲が迫ってきて槍ヶ岳もガスに隠れてしまった。4ピッチ目は涸沢側がスッパリ切れ落ちた雪稜を直上。岩が重なり合ったような岩稜帯を左に越えてゆくと、3峰終了だ。
最後の2峰も高感度のある岩稜だったが、まあ3峰に比べたら屁のカッパ。2峰クライムダウンもさっさと終わらせ、もう最終章。ガスの立ち込める前穂で、無事登りきったことに感謝して握手しあった。
そして、昨日も手痛い目にあった吊り尾根へ突入。やはりというか、ほうほうの体で登りきったとしかいいようがない。奥穂への最後の登りでは、あまりにもスピードダウンしてしまい、国府谷さんにロープを持ってもらう始末。国府谷さん、本当にありがとうございました。

5月5日(晴れ後雨)

今日は下山するだけで気楽だが、高速の渋滞を回避するために早起き。涸沢のお椀の底から、穂高のモルゲンロートを眺める。去りがたい気持ちでいっぱいだが、やむえまい。飯田さんを先頭に下山。雪に埋まった横尾谷は歩きやすかった。徳沢当たりから雲行きが怪しくなり、上高地でパラパラと小雨が顔をたたいた。沢渡温泉「湖畔の湯」から眺める新緑が眩しかったが、日焼けした皆の顔も輝きに満ちていた。充実した山行だった。

(記: 土井)