甲斐駒ケ岳 黄蓮谷右俣

2003/12/29(月)~30(火)前夜発

メンバー:(L)久世・国府谷

コースタイム : 12/29 竹宇駒ケ岳神社7:30~五合目小屋11:30~黄蓮谷13:00~ビバーク地点17:00

12/30 ビバーク地点7:30~奥の滝8:30~甲斐駒ケ岳11:30~五合目小屋14:30~竹宇駒ケ岳神社14:45

(だいたいの時間)

年末年始の山行は当初前穂北尾根の予定だったが、坂田さんが体調不良で不参加となった為急遽黄蓮谷へ行くことになった。軟弱である。12月28日の夜に東京を出発して深夜に竹宇の駐車場へ着く。車の中で仮眠する。他にもそれらしきクルマが何台かあった。星が綺麗である。翌29日朝7時半頃出発。長い長い黒戸尾根の登りが始まる。前に来たときは最初から飛ばしすぎてすぐにバテたので抑え気味にペースを守って歩くことを意識する。でもまあまあのペースで五合目小屋に着く。黄蓮谷へ降りる道は所々分かりにくいが1時間掛からずに谷へ降りられた。他に4人パーティが一組あったがこの日はここまでで泊まりのようだった。我々は出来るだけ先まで進む事にする。このルートは全体には易しい部分が多い為、長い氷のすべり台みたいなところでフリーソロになる部分も多い。ビビリが入るが天気もいいし行かない理由は何も無い。あとは緊張感を切らさず登るのみである。最初に出合う坊主ノ滝は2ピッチロープを出す。あまり結氷が良くない。この先は全体に積雪が氷の上に乗っていてアイスクライミングというより雪壁登りのような感じで薄いトレースの跡を登っていく形が多い。その為千丈ノ滝なども判然とせず自分たちがどのあたりにいるかよく分からなかった。結果的にはビバーク地点は奥千丈の滝を過ぎインゼルの少し上あたりだったのだがその時点ではまだ左俣との二股を過ぎたあたりかな?と思っていた。まだ全然進んでいない、という考えでいたため、もっと先まで行かなくてはと思い、ビバークは随分遅くなってしまった。16時頃からビバークの良い場所を探しながらも、いい場所かな?と思った場所は近づいてみるとダメだったりで結局場所を決めたのは17時近くで大分暗くなっていた。上手くツエルトは張れずとも、なんとかねぐらを確保できてひと安心。軽量化の為暖かいシュラフもお酒も無し。燃料も少ない。氷を割ると水が採れたのはラッキーだった。

翌日は7時過ぎに明るくなってから出発する。改めて見るとツエルトから出たところはいきなりアイゼン無しでは歩けないようなところだった。登り始めてすぐにテントの中にいるパーティに出会う。随分のんびりしているなー、と思いながら現在位置を聞くと目の前が奥ノ滝とのお返事を頂く。なんだよ、昨日随分と頑張りすぎちゃったな、と嬉しいやら‥‥。我々はかなり悲観的な判断をしていたことになる。いつもあんまり自分を信用しないことにしているからかな。じゃあ今日中に下山できるな、ということで奥ノ滝、1ピッチロープを出して登りきり、後は浅くなった谷からハイ松帯をラッセルしながら終了点を目指す。頂上にいる人が見える。風が強いせいか、頂上に近づくにつれてだんだん雪が浅くなりしばらくして祠のある頂上に着いた。快晴だが風は強い。そそくさと記念撮影と腹ごしらえをしてからまた長い長い下山にかかる。八合目くらいからはポカポカ陽気でウエアをどんどん脱いでいく。五合目でアイゼンも外して大休止。明るいうちに降りることを目指して緩い斜面は駆け下りていく。なんとか日没前に駐車場に到着してホッとする。あとは寝正月だな、こりゃ。

今回は谷全体に雪が多く、本来ならばロープを出すようなところもダブルアックスの雪壁登りで通過してしまうことが多かったが、その分緊張感が大きかった。雪に覆われたその下が氷とは限らずスラブ状の岩の上をアイゼンの前爪だけで登るところもあった。相変らず我々の装備は最新式ではないのですが、最近の流行りはプラブーツでなくて革靴、縦爪クランポン(シャルレが多い)、バナナピックに前傾シャフトのアックス(これもシャルレ多し)のようです。(記 国府谷伸幸)

八ヶ岳 赤岳天狗尾根

2003/12/13(土)~14(日)

メンバー:(L)国府谷・坂田

12月13日(土)

快晴風弱し。新宿5:38発、長坂8:53着。タクシーで美しの森駐車場まで。6000円程度。9:35着。欲張ってスキー場の方まで登ってからタクシーを降りたが、結局は下降するはめになり、30分程ロス。天気は最高。雪は思った以上にあり、出合小屋までのアプローチ部分も10センチは積雪があった。今年は雪不足でスキー場は悲惨ということを考えるとまずまず。多少の藪漕ぎと短いナイフリッジがあったが、とにかく天候に恵まれて問題なし。しっかりしたトレースもあり。ラッセルなし。本来は1日目にキレット小屋付近まで行く予定であったが、到着が遅かったので、岩稜(かにのつめ)手前30分ほどの幕営地でツエルトを張る。15:30。実はこの時かにのつめまでこれほど近いとは思わず、明日の工程の長さを危惧していたが、早速バテてしまって、予定より早めの幕営。気温-10度。今日はアイゼンを付けず。メニューはコーヒー・親子丼・焼酎。

12月14日(日)

快晴風弱し。チキンライス・紅茶・コーヒー。今朝は冷え込むとの予報であったが、夕方の気温とそれ程変わらない感じである。5:00前に起床。風もおだやかで良い環境で寝られた。朝から快晴。6:20出発。アイゼン装着。かにのつめ: 左から難なく巻ける。一箇所、岩が張り出していてイヤらしい感じがした。30メートル: 右のバンドをトラバースするのだが、下まで切れているので結構怖い。これで吹雪だったら大変そう。今回はトレースもあり、歩きやすい雪質で恵まれていた。トラバースの後は凹角を登る。登ったところの木で国府谷さんにビレーしてもらった。その後は20メートルほどの雪壁になったいたが、雪が安定していたので、途中のランニングビレーを取らずに上まで登った。岩は(後の大天狗に比べると)しっかりしていた気がする。ロープは1ピッチ出した。大天狗: 30メートルもデカイと思ったが、さすがに本家はこちらである。最初はトラバース。天候が良かったこともあり、足場はそれ程悪く感じない。やや新しげなシュリンゲ2本が掛かっているの見える。出っ張った岩(持つにはもろそう)に赤いテープが巻きつけてあり、直登する。この部分が、今回の核心部。セカンドなので、何とか思い切って登れたが、トップは緊張する部分である。ロープは2ピッチ出した。小天狗: 左から巻く。難しいところは無し。途中、アルパインコースらしい迫力のある沢を見下ろしながらのトラバースは気が抜けない。日当たりが悪く、雪がしまっており歩きやすい。9:45稜線に出る。大休憩。非常に天気が良く、空が青い。風もなく、温かい。-7度。赤岳は美しく、今回見た中で一番印象的。思っていたよりも順調だったが、時間を考えて赤岳登頂は見送り、ツルネを目指すことにした。10:20キレット小屋。最初はガレ場を下る。その後は樹林帯に入り、歩きやすい。10:50ツルネ。登り返しが疲れる。ツルネ付近は尾根が広く、気持ちが良い。12:45出合小屋。通常は1時間のところ、バテ&トラブルで2時間を要した。短い下りで楽だが、急な部分もあるので、雪がパウダーだとズルズル行ってしまいそう。14:45駐車場。

疲れた。林道に入ってからは単調で長く感じる。15:15駐車場発。駐車場でジュースをガブ飲み。

バテは脱水症状が原因かも。16:00清里駅着。頑張って歩いた。力尽きた。とにかく天候にも雪にも恵まれ、初めてのバリエーションにはうってつけであった。天狗尾根は核心部が短く、入門者にふさわしい。但し、国府谷さんのようなエキスパートと共にあってこそ。ツルネからは天狗尾根が見渡せ、バリエーションらしい風貌であった。今回は、出発時間に遅刻したことに始まり、バテバテでペースダウンするなど終始国府谷さんには迷惑を掛けてしまった。根気良く付き合って下さり、ありがとうございました。(記 坂田勝亮)

※編注 国府谷はエキスパートではありません。あしからず。

富士山

2003/11/22(土)~23(日)

メンバー:(L)久世・国府谷・牧田・坂田

11月のトレーニング山行第3弾である。今月会社を辞めてから体力アップに取り組んでいるがまだ成果が感じられない。耐寒訓練を含めて富士山でどのくらい出来るか少し楽しみにしていた。当日、久世さんカーで朝8時くらいには新宿を出る予定であったが、鵬翔のタトゥー・牧田が遅れた為9時半くらいになってしまった。お詫びの缶コーヒーをもらった。中央高速は順調でスバルラインを使って5合目着が12時前くらい。準備をして12時半過ぎに出発する。久世さん先行に追いつけず(>_<)。八合目の真中あたりで16時前くらいだがビバーク準備をする。久世・牧田組と国府谷・坂田組でツエルトを張る。時々突風が来るがいままでないくらいに暖かい。マイナス5度くらいか。早々に食事を終えて、凍えながら寝る。4時起床まで10時間位眠る。翌日は6時半くらいに出発。天気は良い。荷物は当然軽い。でもいろいろあって頂上着9時過ぎ。遅いな。9合目から上は雪が少ない為アイスバーン状態。この日だけでも5人が滑落するくらい。下りは9合目まで念の為ロープを出して降りる。なにかあったら大変だからねぇ。なぜかヘトヘトになってクルマに着いたのは15時過ぎていた。下りだけで4時間以上掛かっていたということか。遅いな。帰りは溶岩温泉経由ジョナサン経由道志みちから帰宅しました。まだまだトレーニングが必要でした。

(記 国府谷伸幸)

1980年パタゴニアフィッツロイ山群の記録

 古い記録ですが、1980年のパタゴニアの記録を紹介します。
 写真はフォトアルバムにあります。Image19

パタゴニア登山隊報告
 1979年11月15日~1980年3月20日
 メンバー L 岩永慎太郎(33期)井上 茂(35期)轟 哲之(35期)
〔記:岩永慎太郎〕
 1975年11月15日~1980年3月20我々はヨーロッパでの登攀を終えるとパタゴニアのフィッツ・ロイ山群へ向かった。目的は、セロ・トーレ氷壁登攀であったが、船便の荷物の遅れと悪天候のため、セロ・スタンダルトの試登に終ってしまった。
 パタゴニアは、南アメリカ大陸のリオネグロ以南の広大な地域の呼び名で、アンデス山脈の西と東に分けて、チリとアルゼンチンにまたがっている。フンボルト寒流の冷たく湿った空気が南西からこの山脈に吹き付けるので、西側のチリでは降雨・降雪が多く大陸氷床が広がり、樹木も点在する人家の周囲しか見ることが出来ない。パタゴニアは南にいくほど天候が悪くなりマゼラン海峡付近では年に3・4日ほどしか晴天の日がなく、風速20m以上の風が絶えず吹き荒れている。
 その最南端49度付近、南氷床と呼ばれる地域にフィッツ・ロイ山群がある。南西風と氷河に磨かれた、鋭く尖る岩峰の頂には絶えず吹きつける強風と湿雪のため巨大なマッシュルームと呼ばれる氷塊が付着し、荒天の後には垂壁やオーバーハングもこ氷で覆いつくされる。
 この山域では、過去にアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、日本などの強力なパーティーが登攀を試み、ポピューラーなフィッツ・ロイは7本のルートが開拓されている。西側に位置するセロ・トーレはコルコンクエストからの初登攀以来、西側より二回それと前後して東南量より同じく2回登られた。また、隣のトーレ・エガーは、1981年3月末、昨年に続き2回目の挑戦で2人のイタリア人がと東面から完登。今回私たちが試登したセロ・スタンダルトは、2人のイギリス人により既にトレースされている。
 この岩峰は標高差約900m、ルートは大きく3つの部分に分かれている。最初の400mがセラックの乗越し、そして右端のコルまで突き上げる急峻なクーロアールの登攀、そこからスラブを左上しランぺ状の氷田へ出る。ここまでが300m。最後に200mあまりのスラブが頂上へ続く。その上にまた氷のマッシュルームが聳えているが、これはまだ登られていない。初登攀は頂上直下の肩にトップが達しただけである。
 私たちは、キャンプ場からフィッツ・ロイ川に沿って8キロほど遡り、トーレ湖の手前の森にBCを設営した。ここに食料を上げ更にトーレ氷河をつめ左岸を登ったガレバにある岩小屋をABCとした。
 だが、1月から2月は晴れた日が5・6日しかなく、その晴天も2日とは続かなかった。2回のアタックを行ったがヒエロコンチネンタル〔氷床〕を望める右端のコルに達しただけで下降を余儀なくされた。
 この山域ではポピュラーなフィッツ・ロイのアメリカン・セロトーレのマエストリのルート以外は残地ハーケンも少なく、多数の各種ピトンが必要となる。また、外見以上に氷の発達が著しく、悪天候の登攀を強いられるため東面西面にかかわらず氷対策を充分に取る必要がある。
 セロ・スタンダルトも複雑に氷が付着していた。今後、3000mはあるフィッツ・ロイ西壁、2000m近く垂直にそそりたつセロ・トーレの南東壁が登山者の課題となろう。

 (行動記録)
 1979年11月15日 アルゼンチン・に着く。
            ※ 12月上旬入山予定が船便の遅れのため、ブエノスアイレスで待機
 1980年 1月11日 リオ・ガジェーゴスに軍の飛行機で向かう。
       1月19日 リオ・ガジェーゴスより軍のトラックで麓のキャンプ場(LagoVIEDMA)に到着
※ 入山が遅れたため、セロ・トーレ西壁からセロ・スタンダルトに東壁に変更する。
24日 森林限界のトーレ湖脇の森にBC設営 
※ 悪天候が続く。
2月17日 午後岩小屋(ABC)を出発。70度の氷壁を登りコルにてビバーク。
2月18日 無情にも暴風のなか、下山。BCまで戻る。
2月25日 全ての登山活動を終了。軍のトラックでカラファテに向かう。
3月 2日 カラファテから飛行機にてリオ・ガジェーゴスへ到着。
3月 8日 軍の飛行機にてブエノスアイレスへ
3月21日 ニューヨーク経由で井上・轟帰国
4月20日 岩永残務整理を終えて帰国。