北鎌尾根、単独トレーニング

日程: 2007年8月25日(土) – 26日(日)
山域: 槍ヶ岳北鎌尾根(北アルプス)
参加者: 坂田
行程:
第1日目: 上高地(6:30) – 横尾(8:10/8:20) – 槍沢ロッジ(9:15/9:30) – 水俣乗越分岐(10:04) – 水俣乗越(10:47) – 北鎌沢出合(12:15) – (ロスタイム) – 北鎌沢二俣(16:15) – 北鎌のコル(18:28)
第2日目: 北鎌のコル(5:30) – 独標(6:40) – 槍ヶ岳山頂(10:40/10:50) – 肩の小屋(11:20) – 槍沢ロッジ(13:00/13:05) – 横尾(13:58) – 徳沢園(14:40/14:50) – 上高地(15:49)

Kitakama1 新宿駅23:00発のさわやか信州号で上高地へ。前々日の予約で3席ほど空いていた。前日も前夜発で西ゼンを遡行したため、かなりの寝不足感に襲われていたにも関わらず、ほとんど寝付けなかった。

北鎌尾根にはまだ登れず仕舞い、無積雪期に登ってもつまらないとは聞いていたが、自分の実力を知るトレーニングとして、あるいは積雪期のために全体像を把握する上では良いんじゃないかと思って計画した。

北鎌尾根へ取り付く主なルートは3つ。

1. 湯俣から水俣川をたどり、p2から取り付く。
2. 大天井岳から貧乏沢を下り、北鎌のコルから取り付く。
3. 水俣乗越から天上沢を下り、北鎌のコルから取り付く。

歴史的あるいは積雪期偵察の観点からは1.を選択したかったのだが、体力勝負の2.と共に2日間では厳しいかもしれない。自ずと3.のルートを取ることとなった。これは比較的新しい(恐らくメジャーになったのは2000年代に入ってからの)ルートであり、入山と下山が同地点であることも単独行には有利だ。

8月25日(土) 晴れ

バスを降りると寒い。出発前の東京はあれほど暑かったというのに。寒さに弱いので からなかなか出られない。心積もりより30分遅れの6:30に出発となった。テントを担いではいるが、ガチャが少ないので昨夏に久世さんと屏風を登るために横尾まで歩いた時よりも随分と楽に感じる。スピードの割に汗をかくこともなく横尾まで。横尾からはさすがに暑さを感じるようになったが、水俣乗越分岐までは快調だ。大曲には道標があり、分岐を見逃すことはない。水俣乗越への登りはさすがに疲れた。休みたかったが、日当たりが良すぎるのでさっさと天上沢へと下る。踏み跡がしっかり付いており、このルートを取るパーティの多さが伺える。気付くと北鎌尾根が一望出来る。後ろから単独の人が降りてきた。抜かれまいぞとする悪いクセが出てきてしまい、目指す北鎌のコルを確認しつつ、ほとんど滑り降りる。天上沢との出合い付近にはまだ雪渓が残っていたが、避けられる程度の規模だ。天上沢は水が流れていたが、すぐに伏流水となり、ガレ場というか河原をひたすら歩くこととなる。6人パーティ(多分ガイド)に出くわす。一人だけ荷物がでかいが、おっちゃん・おばちゃん達はえらく軽装だ。北鎌沢出合いがすぐに分かるかどうか不安だったが、ケルンが積まれていたので問題なかった。貧乏沢の谷間が遠くからでも確認出来るので、行き過ぎてもすぐ分かると思う。北鎌沢にも水が流れていない。ここでふと気付いたのだが、水がない!?麦茶を1リットル持っていたが、途中で100cc程飲んでしまっている。雪渓のところまで戻るなんて面倒だし、今日400cc、明日500ccでしのごうと決め、食事は全部行動食でいいやということにする。

ここまでは想定タイム通り、順調すぎるほど。しかも北鎌沢は途中から水が出ている!ラッキ~。たらふく水を飲み、大満足。ところがこの先に罠があったのだ。取り付いていたのは北鎌沢右俣だとばかり思っていたが、違っていたのだ。正確には入渓点は正しかったのだが、途中に二俣が存在し、これを右側へ行かなければならないということに気付いていなかった。川幅の広い左俣をどんどん詰めてしまい、でかい雪渓にぶち当たった。谷は深く、所々スノーブリッジが細くなっている上、傾斜があるので取り付くにはかなり勇気がいる。トレースを探してみたが見当たらず、誰も入っていないようだ。ここで誤りに気付く、こっちは左俣ではないかと。ここまで登って来たのに悔しい~そうや、この右手の尾根を乗り越えたら右俣に行けるんちゃう?ということで猛烈な藪こぎを開始。昨日の西ゼンで傷ついた腕がまた…。これが以外に時間を食い、タイムリミットと考えていた15:00になり、まだ先がありそうだし、目の前は岩壁っぽいしということで作戦中止。もし、パートナーが居ればこんなバカな思いつきを実行することはなかっただろう。時々スリップしながら左俣へと戻った。ここから二俣まではわずか30分ほどであった。もう16:15。今日は下で幕営しようかとも思ったが、それでは初日に予定していた独標のコルまでの差がありすぎることや、夕立もなさそうだし、どんなにゆっくり登っても明るい内に北鎌のコルまでは登れるだろうということで、ほとんど水のない、今度こそは正しいと思われる右俣を登る。右俣の上部はほとんど水が流れていなかったので、早めに確保しておくのが良いだろう。途中にテープやビニールの切れ端などが落ちており、このルートで間違いないことを確信する。けれど体力の消耗が激しすぎた。足取りが重く、まるで進んでいる気がしない。ここで弱い自分を見た。最後はヘロヘロで、1時間程度の登りを2時間掛かったことになる。二俣を超えてからはルートファインディングに手間取ることはない。支沢が流れ込んでいても、広い方(本流)を選んでいくだけである。

北鎌のコルには既に先客が居た。外国人ガイドの5人パーティだ。ちょっと行ったところに狭いけどスペースあるよ、と教えてもらい、ここを幕営地とする。30分頑張ればもっといいとこあるよ、とも言われたが時間は既に18:28。それに今の自分だと1時間掛かるだろう。さらには単独者が先に行ったことも知った。2-3人用テントがギリギリ、傾斜のあるスペースだったが、疲れた体を横たわらせるには十分だった。4リットル担ぎ上げた水をたっぷり飲んだ。塩分不足からか喉の渇きが異常だ。唇と口の中の粘膜がめくれ上がっている。味噌汁を2杯飲んで補う。もし400ccしか水がなかったら…。

8月26日(日) 晴れ

いつもの通り寝坊した。4:00に起きようと思っていたがもう4:30。うだうだしているとあっという間に時間が過ぎていく。5:00頃、先行パーティが通過していく。これで火が付いた。たっぷりの飲み物に食事を取りつつ、急いで撤収。5:30出発。少し高度を上げて振り返るとp4 – p7のピークが北尾根のようにかっこよく連なっている。今回、これらのピークを省略してしまったことは惜しいが、各ピークの下降なんかに時間を取られてしまっただろう。この先の行程よりも難しそうだ。30分先行しているパーティを意識せざるをえなかったが、あっけなく追いついた(20分ほどで)。早速ロープを出している。ちょっとした乗越に苦労しているようだ。それでも独標までは易しい稜線が続き、360度の視界を堪能する。独標は千丈側の巻き道が明瞭で楽出来る。独標を過ぎれば着いたも同然、みたいな勝手なイメージを持っていたのだが、細かな岩峰が連続し、ついつい巻き道を探す癖がついて時間を食ってしまった。途中で、「迷ったら稜線通しで行け」を原則に進むようにしたらスムーズになった。ガレ場を走る巻き道に見える筋のようなものにろくなものはない。巻き道がある場合はかなり明瞭だし、巻くとしてもピークを小さく巻く感じだ。どうとでもルートを取れる感じもあり、それぞれのセンスの見せ所だろう。所々にテン場があるが、どこも狭い。2-3人用1張分だと思われるが、槍ヶ岳へ近付くにつれ、テン場が広く快適になっていく気がした。

独標を超えたくらいから槍ヶ岳が目の前に迫るが、意外に近付いてくれない。北鎌平付近ではうんざりしてくるが、稜線通しで行けば槍の取り付きへと導かれる。最後の核心部は覚悟していたが、想像していたよりは易しい。むしろ、途中の岩峰の登りの方が怖かったくらいだ(ルートミス?)。10:40頂上。やはり嬉しい。9:00の見積もりからは大きく外れてしまったが…。

この時間だと静かな時間を過ごせるかと思ったが大混雑。若い女の子に写真をお願いして、さっさと下降開始。けれど大渋滞で肩の小屋まで30分も掛かってしまった。温泉+バス時間が気になり始める。無事に北鎌尾根を登れてテンションが上がっていたのか、あんなに嫌いだった、永遠に感じられたこともある槍沢の下りが快適に感じられる。それも横尾を過ぎたくらいから疲労感が増し、ペースを保つのが大変だった。槍沢ロッジからぶっ通しで下るはずだったが、徳沢園で10分ほど休憩。ここから上高地までは周りからも見てもフラフラだっただろう。もう16:00近くであったので、上高地の温泉には入れなかったが、サンダルに履き替えた時の開放感は最高だった。荷物を片付けてバナナソフトクリームにありつく。松本行のバスがすぐに出ると判明。アイスクリーム片手に切符を買い、何とか乗り込んだ。そのまま松本駅18:35発のスーパーあずさに乗ったまでは良かったが、自由席は満席。まだ夏休みなのだ。デッキでビール&コーラを飲み干したがすぐに酔いが回り、心地良いというにはちょっと無理のある疲労感に包まれて帰宅した。

今回のルートを単独で駆け抜けることはトレーニングとして良い選択だったと思う。まだまだ気合も根性も足りないという反省の一方で、5年間の成長を実感出来たことも良かった。それに、晴れた日のクライミングは最高!

直前にも関わらず山行を許可してくれた清水さん、心配してくれた国府谷さん・URANさんに感謝します。

(記: 坂田)

木曽駒が岳往復 宝剣は途中で断念

日程: 2006年1月14日(日)
参加者: 土井(L)・廣岡
行程: 本文参照

01:30 菅の台バスセンター駐車場で仮眠。
06:30 起床。予報では氷点下15度。車内はバリバリに凍り、車の窓が開かない。エンジンをかけ、ようやく開閉に成功。オニギリも凍っていて食べるのに苦戦。
09:10 ロープウェイで千畳敷着。雲ひとつない快晴。登山者は我々を含み4人しかいない。千畳敷ホテルの従業員によると、今冬の最低気温は氷点下20度で、カール内の積雪は最大で2㍍。頻発していた雪崩は落ち着いてきたという。
09:50 千畳敷出発。宝剣からの雪崩を避け、大きく迂回しながらカールの底へと降りてゆく。冬の千畳敷は3回目だが、これほど美しく完全無欠な雪景色を見るのは初めて。見渡す限りカールにはトレースが一本しかないのだ。雪崩の跡もゼロ。真っ白なお椀の中を歩いている気分だ。先週6日・7日の大雪と、その間の遭難のせいで入山者は少なかったのだろう。
乗越浄土に向けて伸びていた微かなトレースは、カールを吹く風で見る見るうちに消えてゆき、登りに転じると完全に消えてしまった。
トレースがないということは、八丁坂はラッセル。膝上までズブズブと入ってゆく。オットセイ岩まではサラサラの雪。いくら踏み固めようとしても、アイゼンが雪をつかんでくれない。膝で固めようとしても、すぐに崩れてしまい、一歩前進しては一歩後退。我々のすぐ後方に2人いたが、ラッセルを交代してくれる気配なし。廣岡さんが「先にどうぞ」と譲ったが、「皆さんの後を行きます」と言われる。いかがなものかと思ったが、半ば意地になって登ってゆく。
疲弊し、途中10分間、廣岡氏にトップを交代してもらう。オットセイ岩でトップ復帰。            
廣岡さんに休憩を提案したが、必要がないという。驚異の53歳だ。41歳が負けるわけにはいかないので、トップで頑張る。

八丁坂上部は雪が硬く締まっており、蹴りこんだアイゼンが心地よく効く。傾斜はきついが快適きわまりない。乗越直下はアイスバーンと湿った雪が入り混じり、細心の注意が必要だった。
11:25 乗越浄土。日本海から吹きつける寒風を、まともに受ける。顔が痛い。直前まで汗だくだったが、一気に冷える。宝剣山荘は屋根のみが顔を出しており、風除けとして頼りにしていた入り口は完全に埋もれていた。山荘前にテントが1張り幕営してあったが、中で寝ているのだろうか。天狗荘の階段下に避難し、ようやく一服する。風の強さは相変わらずだ。ここで羽毛服を着込む。手袋も厚手のウールとミトンに替え、目出し帽をつける。
       
11:45 天狗荘出発。ここから中岳は雪面がクラストしていて歩きやすい。快晴だったおかげで道に迷う心配はないが、2年前はガスが湧いて視界ゼロ。そのため、木曽駒を断念した。中岳の西側は切り立った崖になっているため荒天の際は冒険する気になれなかった。

12:33 木曽駒。誰もいない。素晴らしいパノラマだが、はるか遠くの北アルプスには不吉な雲が迫っていた。西穂~奥穂の稜線は、あっという間に雲に飲み込まれ、北穂も間もなく見えなくなってしまった。
12:40 木曽駒を出発。夏道は吹き溜まりの可能性があるため回避。
13:01 中岳に戻る。強風を避けるため風下の伊那前岳側に出て休憩。
13:13 天狗荘に戻る。
13:30 宝剣へ。天狗荘から見た限り、頂上直下は岩が出ていて登れそうな気がする。しかし、二つ目の鎖場に近づくにつれ、昨年3月に単独で登った時と比べて、明らかに雪壁の状態が違うことに気づく。

【昨年】記憶が正しければ、昨年3月19日の宝剣は、スッポリと雪に覆われていた。ただ、トラバース部分が蒼氷となっており、早朝に登頂しようとした2組のパーティーが敗退して戻ってきた。そのため、私は北側の雪壁を直登。頂上直下の雪壁がハングしていたが、ここをピッケルで切り崩して頂上に何とかたどりついたわけである。
      
【今年】今年の宝剣は前述したように岩の露出が多く、昨年のように雪に覆われていない。簡単に登れるかもしれないと期待を抱かせる光景だ。しかし、実際登ってみると、その露出した岩の上部には大きな雪塊が張り出していた。明らかにハングしており、ロープなしでは越えられそうにない。さらに近づいて観察してみると、雪の塊の表面には風紋が何本も走っていて、複雑な形状を成している。何とも不敵で憎たらしい面構えをした雪である。そして、この雪塊を登った痕跡はなく、トラバース方面にもアイゼンの踏み後はなかった。頂上直下の雪田が、わずかに雪が乱されているぐらいだ。数日間、誰も登っていないのだろう。この障害物の直下は急傾斜の雪面で、
①周囲に支点となるような手頃な岩がなかった
②スタンディングアックスビレーをしたくても、雪の量が少なすぎてピッケルが支点となってくれない
③ボディービレーだけで確保する自信がない
④雪を切り崩すにしては量が多すぎ…
以上、4つの点を考慮し、技術未熟・経験不足という結論のため今回は宝剣を断念した。
廣岡さんには申し訳ないことをしてしまったようで忸怩たる思いだが、リスクを犯してでも登る必要はないと思った。

14:05 乗越浄土から下山
14:40 千畳敷ホテル前着。ホテルまでの最後の登りがこたえた。

総括

おそらく、もっと雪が降れば、宝剣の岩峰もソフトクリームのように雪に覆われ登りやすくなるのだろう。行く手を阻まれた雪塊も、きっと埋もれてしまうものと思われる。同じ冬でも1月と3月では、こうまでも頂の形状が異なるのかと感嘆した。宝剣は登れず残念だったが、良い勉強になった。

(記: 土井)

甲斐駒ケ岳黒戸尾根

期日 : 2006年12月29日~31日(前夜発)
メンバー : 清水清二 ・ 塩足京子
報告者 : 清水清二

12月28日(木)晴
新宿~竹宇駒ケ岳神社
60歳過ぎで夜行列車の出発は、シンドイと同時に体にも良くない。28日から冬休みに入れたこともあり、16:00新宿発の列車で韮崎に向かう。韮崎駅前のショッピングセンターで買出しを行い、国道沿いの焼鳥屋で腹ごしらえをして、竹宇(ちくう)駒ケ岳神社に向かい21:00過ぎ早々に眠りに入る。

12月29日(金)晴 風強し
竹宇駒ケ岳神社~七合目
竹宇駒ケ岳神社駐車場5:45出発、駐車場には他に3張りのテントがあった。神社を過ぎ、尾白川を渡り1時間ほど登り、尾白川尾根道なる分岐点でヘッドランプを消す。ここからはジグザグの、落ち葉が降り積もった登山道をひたすら登ること2時間半。痩せ尾根を経て、横手駒ケ岳神社からの登山道と合流する。この頃から、気温の冷え込みを体で感じる。同時に、一見普通の登山道が通路部分のみ凍結しており、重い荷を背負う身ではスリップが極端に体力を消耗する。1時間ほど頑張るがどうにも歩き難く、もはや時間の無駄と割り切りアイゼンを装着、凍結した道を快適に登る。今日、同じ黒戸尾根を登るチームは5パ-ティほどであるが、半数は黄蓮谷を登る人達なのか、立派なダブルのバイルをザックに付けている。やがて積雪の道となり、行動開始から6時間、12:00時前に「刃渡り」のナイフリッジを通過。陽射しがあるところは快適そのもの、しかし日陰と黄蓮谷からの強い吹き上げ風は極度に温度が低い。予想した通り冬型の気圧配置で、気圧傾度もきついようだ。刀利天狗の祠を通過して、黒戸山を巻くように五合目小屋の廃屋に到達したのが14:00前。本日はここまでか、と思いきや、塩足さんはまだ登る気満々、引き続き登る事になった。屏風岩なる、梯子と鎖の連続する登りが続く。軽装備なら難なく登れそうであるが、今回は荷物が邪魔をして思うようにバランスが取れず苦労する。15:30七合目の七丈小屋に到達。七丈小屋は営業しており、管理人は一年中殆んど入っているとのこと(要確認)。本来ならば5分程上部の旧小屋跡にあるキャンプ場の吹き曝しにテントを張ることになるが、この風の中では相当厳しい。管理人の計らいで、小屋の前の整地が出来ている風のないところに幕営をさせていただく。管理人曰く、一年中入っているからちゃんと整地されているんだよ。はっ、ごもっとも!今日のテントは我々の他、単独者のテントが一張のみ。3パ-ティは小屋利用だ。それにしても今日は、尾根の梢に吹き当たる風の音が凄まじい。夜になっても止むけはいはない。

12月30日(土)晴 風相当強し
七合目~八合目手前(行動中止)
2:00から風の様子を伺うが、一向に止むけはいは見られない。28日の予想天気図では、昨日までは気圧傾度が高いものの、本日は移動性高気圧の圏内に入ることから、今日は穏やかな天気を予想していたが、高気圧の張り出しが遅れているようだ。6:00過ぎ、尾根に様子を見に行く。小屋から頂上往復の人達が5~6人出発して行った。7:00テントを撤収し出発する。尾根筋の風は若干収まっているが、森林限界から上部の風は未だ強い。1時間ほど行動し八合目手前辺りまで来ると、大きなザックがまともに風を受けて思うように進まない。空は青空、視界は良好、しかし如何せん風が強い。度々耐風姿勢を取る。重いザックを背負ってバランスを崩したらひとたまりもない。頂上往復ならば何とかなると思うものの、縦走で下降路を探す羽目になったら最悪。日数に余裕がある事だし、明日は好天が期待できることから、本日は速やかに撤退を選択、昨日と同じ場所での幕営を決め込む。幸い、黒戸尾根は甲府盆地と国道沿いに面している事から電波状態が良く、携帯電話、無線機ともに使用出来る条件にあったため、留守本部の安達会員に一日停滞の旨を連絡する。風の無い陽の当たる所はのんびりとトカゲができるのに、何という違いであろう。青空の下、雪煙の舞う山々が印象的である。午後になり徐々に風も弱くなり、頂上を往復、又は黄蓮谷で一晩ビバーグして登ってきた人達が下山してきたが、八合目辺りの風が特に強かったとのことであった。夕刻までのんびりと過ごし19:00早々に就寝する。
(この間、黄蓮谷に向かった「久世会員」が、雪崩の危険性があると判断し、黒戸尾根に転進、中断してここ七合目の我々のテント脇を通り過ぎ、八合目に向かっていた事は知る由もなかった。)

12月31日(日)晴
七合目~甲斐駒ケ岳~北沢峠
天候を期待して4:00起床、昨夜までの風の音は嘘のように無い。朝食、準備を済ませ5:50出発、6:50日の出を迎える。7:00過ぎ八合目に到達、右手を甲斐駒ケ岳に突き上げる黄蓮谷は凄まじい迫力だ。上部より単独の下降者が凄い速さで下ってくる、しかもザックも背負っていない。今日は、我々より先行者がいることは確認していないので不思議に思っていたが7:30遭遇して「久世会員」であることが判明。
彼は八合目で風を避け、沢筋の尾根でビバーグを行い、今朝、空身で頂上を往復して来たとの事。昨日、我々のテントをしっかり確認しているが、鵬翔のテントとは知らずに通過、一緒になれなかったのは残念だ。もっとも久世会員に言わせると、今回中断している手前、ここでヌクヌクとしてしまっては不甲斐無い!とのことであった。10分程歓談して彼は、家族と正月を過ごす為下山して行った。我々は引き続き気を引き締めて頂上を目指す。八合目からの核心部の登りは、狭く急なリッジと雪壁、へつりが続く、雪の付き具合では悪くなるであろう、2ヶ所ほど荷物が大きくバランスが保てない為、踏切がつかずザックを降ろして登り、荷揚げを行い、又一部ではスリングを固定して登った。三本剣、烏帽子岩は顕著な岩に付き立った剣が象徴的で七合目からも望見できる。この岩の下を巻き、ガラ場状の尾根の斜面をしばらく登り頂上に到達する。9:30甲斐駒ケ岳頂上着。風も極端に強くなく、穏やかな登頂日和で、ついつい長い休憩を取る。
掛川隊が来ぬかと暫し待つが体も冷え、10:10北沢峠に向け下降を開始する。頂上から西斜面に続く僅かなトレースを辿って下降を行う。途中、傾斜もきつくなってきた事、方角も若干違うことから、南に方向修正して夏道に合流、駒津峰に到着。12:10交信時間を待って掛川隊と交信する。やがて「掛川会員」から明瞭な感度での入信がある。「後30分で其方に到着しますので待っていて下さい」小生は、てっきり下から登ってくるものと考えていたが、甲斐駒ケ岳頂上から下山中との事、何と我々の下山開始10分後に甲斐駒ケ岳の頂上に到着していたとのことだ。我々が夏道を外し、西面を下降している間に、すれ違ったようだ。彼らは頂上でツィルトをかむり、しばらく我々の到着を待ってくれた。彼らの到着まで駒津峰にて待機、留守本部の「安達会員」からも携帯電話で連絡が入る。合流後、記念撮影、仙水峠を経て、北沢峠に下降した。この後の記録は掛川隊を参考にされたい。皆が一山を登り終え合流できたこと、この嬉しさは酒をいっそう美味くしたのは言うまでもない。以上。

塩足感想
甲斐駒ケ岳は黒戸尾根を含め、何度となく訪れている山である。特に鵬翔に入る前のお正月は、小屋利用ではあるが毎年単独で、仙水小屋をベースに甲斐駒・仙丈であった。冬季に黒戸尾根を登り戸台に貫けるというルートはこの間ずっと思っていた。かつて、やはり正月山行で戸台から入り、黒戸尾根を下った事がある。山を始めて間もない、山を知らないくせに生意気な頃であった。あの時は分からなかったが、先輩に負んぶに抱っこの山行であったと思う。遠い昔の事で記憶が抜けている部分も相当ある。そういった思いが、改めてしっかりあの時のことを思い出したく、今回の正月山行で黒戸尾根を登り戸台に貫けるこのコースを強く希望した。果たしてあの頃とは体力が違うにもかかわらず、重たいザックを担いで縦走できたことの喜びは一入である。下山とはいえ、こんなところを縦走装備で冬季に下ったのかと、昔の仲間の助けを思った。だが今回も、清水さんの、掛川隊のサポートの御蔭があってこそ。山はそうであってよい、そういった仲間の力があるからこそ山が面白い。この度は改めて、仲間の力の素晴らしさを強く思った。単独の山歩きも面白かったが、自分の力が見えなくなった時に事故が起こる。山を続けてきて良かったと思う。改めて掛川隊と合流しての上げ膳据え膳状態の美味しいご馳走に感謝致します。

※ 親父のひとり言(便利だけど迷惑な時代)
黒戸尾根、甲斐駒ケ岳頂上、駒津峰ともに電波状態が良く、携帯電話が使えたことで、何の不安も無く、留守本部の安達会員と連絡を取り合うことが出来た。
只、予想以上の寒気でバッテリーの消耗が激しく、数分でただの金属の塊と化してしまう、テントに持ち込み、バッテリーをこすって暖め、夜は肌身離さずシュラフの中にまで入れている。まるで我が子以上の扱いをしているが、テントの外に持ち出すと、又、数分で使えなくなる。
結局は006P 9Vの外部バッテリーで事なきを得る。
反面、北沢峠の場合、地形的に携帯電話は勿論のこと、ラジオ放送も受信できない、又、アマチュア無線も交信の範囲は限られる。
北沢峠周辺での山小屋の通信手段は衛星通信電話が使用されている。
今回のように、夫々のパーティが、合流を計画した場合、お互いの連絡が取れず、更に悪天候等での停滞等の要素が加わった場合、日程のズレが生じ、予定通りに合流する事は難しくなる。
ここで我々、通信可能な黒戸班は、いきおい七合目から留守本部に携帯で伝言、あわよくば中継役を要請する事となった。(今更ながら親父には考えられないほど、便利な時代になったものだ。)
受ける側としては、無事が確認できるだけ安心は出来るかも知れないが、折角の正月気分だと言うのに、自分が登っているわけでもない雪の山中から、勝手に電話は来るわ、伝言は依頼されるわと、好きな酒も口にせず?・・家族にとっても、迷惑の極みではなかろうかと考えさせられた。(安達会員、留守本部、有難うございました。)

ヒマラヤ遠征でも、何時からかトランシーバーは各キャンプ間の連絡に欠かせない必携装備とされてきた。
出力の大きな物は、高価なうえに、大飯食らいで、大量の電池を各キャンプに配備する必要があり、その調達は装備担当の頭痛の種でもあった。
そのうえ60日間にも及ぶ登山活動中、毎日繰り返される定時交信ほど苦痛なものも無かった。
前進キャンプでは朝から交信前に行進曲「軍艦マーチ」を流される、休養日でも交信時間に寝坊して怒られる、色々な注文は来る、計画した当人でありながら、ずぼらな性格の小生には、唯、煩わしいのみ、それが落雷で壊れて使えなくなったときの喜び、開放感と安堵感は今でも忘れられない(ザマミロといった感じ)。半面、下部のキャンプで待つ身になると、連絡が付かない事が逆に、もしやと言った不安を募らせる。
思い返すと実に身勝手なものだった。

話は変わるが、45年前、当会の先輩たちが行った「積雪期北アルプス全山縦走」の記録は凄い。
(1962年2月6日~4月6日 白馬岳~槍ヶ岳~奥穂高岳(往復)~剣岳)
入山から下山まで、ヒマラヤ登山にも匹敵する70日間に及ぶ長帳場、良くぞ休みが確保出来たものと感心させられる。
当時の発想としては実にユニークであると伴に、現在でも簡単には実施出来ないと思う。
要所々にサポート隊が下界から運び上げる物資と情報以外に、トランシーバー活用された事も聞いていない。記録の凄さもさることながら、連絡手段に関しても興味深いものがある。
(文明の利器も最初から無ければそんなものかと思うかも知れないが?)

小生が近い将来、サンデー毎日になったら、秋に入山、春に下山でやってみたい気がするけど、誰かがサポートをしてくれるかな、出来れば物資だけでなく費用も、(何故なら今回も「宝くじは当たらなかった」多忙で買う暇が無かったから)・・・でも時々は下界の温泉も入りたいな・・・これも悟りの開けない煩悩の空しい初夢か・・・

ついでに、後一言
今回も、あの飯田さんが参加された。何と72歳(本人曰く、今だ72歳)現役会員と同じスピードで登っている。
特に下りはとにかく早い(農耕に駆り出された牛や馬に見られる、動物本来の帰すう本能とも見うけられるが?)あの頑固さ、人三倍の食欲が老化防止と元気を生み出しているのかな。
俺も後10年先、飯田さんの如き、化け物になれるのか、少し心配だ、全てにおいて妥協性がありすぎると自分では思っているから。
他にも80歳を超えた大御所、犬塚会員(昨年は現役の為にテントを寄付していただきました。今年の親睦スキーを楽しみにしておられる)も健在です。
10年、20年先輩が健在では、道はまだ々遠いな~、頑張らなくっちゃー。

今回の「親父のひとり言」は少し長かったかな。でも歳と伴に内に秘めたるストレスも溜まってくるものよ。
次回は別の事を、お知らせしましょう。
(清水)

剱岳早月尾根(偵察山行)

日 時 : 2006年11月3日(金)~4日(土)
メンバー: 清水(L) ・ 坂田 ・塩足
記 録 : 清水

剱岳早月尾根を正月山行として計画している坂田君の偵察山行に、清水、塩足が行動を伴にする事となった。理由は極めて単純、別山尾根や長次郎谷等は数回行っているが、馬場谷側には足を入れた事が無かったからです。早月尾根って写真では見ているけれど、どんな所かの興味で、坂田君の偵察に乗っかって行った次第です。

11月2日
23時50分新宿駅南口に集合、坂田君が手配したニッポンレンタカーの営業所に向かう。

11月3日
5:30 2回ほどの休憩で、順調に馬場島駐車場に到着、8時まで仮眠。標高760m、紅葉はこの辺が見ごろ。観光客の姿も見られるが、上高地のような混雑も無く、静かな限りである。30人程の登山者が車で来ていたが、何れも対岸の中山にハイキングをする人達で、この日の早月尾根の登山者は我々の他、3人パーティが1組のみ。8:30登山開始。上部に水場が無いとの事で各自4リットル以上の水をキープ。いきなり急登の尾根の取り付きに喘ぐ。登山道は充分に整備されており、砂袋(小石の袋)が要所々に配置され、足場もしっかりしている。然しながら、予算の都合もあるかと思うが、麻で作られた足場は安定しているものの、化繊の袋で作られた足場は破損が目立つ(化繊は元々鋭角等に弱く登山靴との接触では耐久性に乏しい事と、最近流行っているハイキング用ステッキの利用による鋭利な石突での破損であると思われる)。標高200mごとに設置されている道標(必ずしも正確とは言い難いが)が、行程の目安になる。登るごとに変化する猫又、小窓尾根の姿が印象的で、初めて見る光景が強烈に感じる。然しながら、寝不足の行動は年と伴に堪える。早月小屋まで4時間で登る予定が、5時間立っても、まだ到達しない。天候も何となく怪しくなって来た。しかし馬力は上がらない。15:30バテバテで早月小屋2200mに到着。実に長い行程だった。日本海に沈む夕日を眺めながらウイスキーをいただき、19:00早々に就寝する。

11月4日
6:30出発。登山道には雪も無く、夏道を順調に登る。2450mの表示付近から雪が現れる。夏道のトラバースルートが徐々に雪に覆われて来る。2600m地点でアイゼンを装着。烏帽子岩の登りに掛かるものの夏道は完全に雪に覆われ、アイゼンの効きが悪い。おまけにピッケッルは持参していない。有ったとしても、支点は極めて不安定(前々日、富山県警に問い合わせた範囲では、岩陰に雪が残っている程度で他は雪がありませんとの事で、高を括っていた事も事実)。9:30登行中止、坂田君のみで、獅子頭下部まで偵察に行く。11:15早月小屋帰着、昼食、テント撤収後12:20下降開始。下降を開始する直前に、早月尾根を毎年、冬季も含め何回も登っているという単独者が登ってきた。剱岳が堪らなく好きなようである。途中、小窓尾根を暫し眺め15:40馬場島到着。帰りの時間が気になったが、他の客がいない馬場島山荘の風呂でさっぱりとして、また長い道のりを坂田君一人での運転で帰京である。新宿着はレンタカーを返すギリギリの時間になったとか。小生は阿佐ヶ谷で降ろしてもらったが、塩足さんは最終電車になったとのこと。5日は坂田君以外休みであるので、辛いのは坂田君である。お疲れ様でした。 

八海山 ~ 阿寺山

日 時 : 2006年10月28日(土) ~ 29日(月)
メンバー: 清水(L) ・ 塩足
記 録 : 清水

昨年10月に越後三山(越後駒ケ岳・中ノ岳・八海山)の縦走を行った折、八海山の手前、五竜岳から伸びる緩やかな尾根が続く阿寺山に行くことを考えていた。10月27日(金)に私が私用で実家に帰る事から、土・日を利用して訪れる事にした。八海山から阿寺山に至るルートは、50年程前に草鞋履きで辿った事があるだけ。ルートが長い事もあり、久しく行ってない懐かしいルートです。

10月28日(土)
東京を早朝出発した塩足さんと合流すべく9:55の八海山スキー場行きのバスを実家の前で待つ。ところが村の知り合いと話していたら、バスの運転手さん、小生をバス待ちの客と思わず、そのまま通過してしまった。慌てて大声で怒鳴りながらバスを追いかけ、漸く乗ることが出来た。このまま置いていかれると1時間程の坂道の登りを歩くこととなる。スキー場のロープウエィを利用して一気に四合目まで昇る。天候は、今日は晴れ、明日は曇りの予報である。展望台から佐渡島までは遠望出来ないまでも、弥彦山・巻機山・谷川岳・妙高山も確認出来る、まずまずの天気。上部の紅葉は既に終わり、山麓まで降りてきている。これで初雪がくれば4色(緑・赤・黄・白)の景色が見られる。10:30千本檜小屋に向け行動開始。途中、紅葉を楽しみながら、女人堂を含め2回の休憩を入れ13:00薬師岳着。バーベキューを楽しむパーティの隣でのんびりと昼食を取りながら、水無川対岸の越後駒ケ岳とそこに派生するオツルミズ沢とモチガハナ沢、何時かは言ってみたい思いでの景観を楽しむ。14:00千本檜小屋着、時間もまだ早い。明日の天候を考慮して、今日のうちに八つ峰越えを済ますことにし15:00八つ峰越えに向かう。所要時間1時間半を予定していたが、荷物が無い為か1時間程で帰着。避難小屋は我々2人と、屏風尾根を冬の偵察で登って来た単独の人との3名で泊まることになった。下り5分の水場で水を補給し、気温は低いものの、見事な夕焼けを楽しみながら、夜の帳が降りる前から酒宴が始まる。実家の隣に住む親戚の婆さまが作ってくれた煮物を皮切りに、鍋いっぱいのアンチョビのトマト煮を3人で突く。八海山で飲む酒は当然「清酒八海山」。

10月29日(日)
6:30出発。八つ峰の迂回路を進み、新道分岐で昨夜の単独行者と別れ、入道岳(丸ケ岳)に向かう。天気はまあまあ。40年程前に登った大日岳東壁が見渡せる。入道岳からは、昨年越えて来た中ノ岳からオカメ覗きの稜線を見ながらの、ガラ場交じりの尾根の下降を行い、五竜岳からは右への阿寺山に向かう。阿寺山の山頂は特殊な地形で、山頂から伸びた2本の尾根で形成された湿地帯の窪地で、降った雨の流れる川が無い。その為か、一年中水を貯えた池塘が存在する。阿寺山頂への道は潅木に覆われ、如何に人が足を踏み入れない山かと分かる。山頂でも視界は得られず、広堀集落へ下る峠に戻り、ここで最後の景観を楽しみながら、昨夜の煮物と同様、隣の婆さまが作ってくれた蓬餅を食う。蓬の濃い味が何とも言えずに美味い。10:00発、ジグザグの森林滞を降ること2時間半、漸く広堀集落の車道に出る。ここから小生の実家までは30分。13:00実家着、風呂を立て、昼食を取って15:20のバスで帰京の為、六日町駅に向かい郷里を後にした。

有明山

日程:2006年12月23日(土) – 2006年12月24日(日)
参加者:芳野(菜)(L)・芳野(達)
行程:本文参照
記録:芳野(菜)

12月23日(土)

 中房温泉へ向かう道のゲートは締まり、手前左に駐車場が設けてあった。今年はとにかく暖冬で、雪は全く無い。
 7:50朝寝坊して遅い出発。林道を歩いていたらリスが横切って枝に乗った。木の上でゆっくりしようとしていたら私達に気づいて「え?」とあわてて姿を消した様に見えた。雪がないのでまだ餌も探せるのだろう。
8:25黒川沢の橋から林道に入り、8:30に登山口の看板を見る。森の中を進むと行者道・尾根道の看板を分けるが、行者道は谷沿いの道なので、尾根道の標識に従って右手の沢を渡る。テープが付いているので迷う事はないが、傾斜のキツイ道に濡れた枯れ草が覆うため、歩きづらい事この上ない。3月に来た時はその先の雪崩れそうなルンゼを急いで横切り、左の尾根へムリヤリ上がったがその心配も全く無い。夏道もしだいにその尾根に上がり、とにかく急登が続く。場所によっては木から木へ助けを求めたり、残置ロープを頼ったりもした。標高1500mぐらいから雪が付き(これがまた滑るのだ)、1615mからは傾斜も落ちてスネまでの雪となる。3月にワカンを履いて腰までのラッセルが続いた付近もヒザまでがせいぜい、吹き溜まりモモまでの雪も10mと続かない。でもこの尾根は長い。雪もたっぷりある。天気は無風快晴、見下ろす山や街は茶色で暖かな日差しにあふれ、私達が雪の中にいる事が不思議に思えるほどだ。テン場は1714mの先まで困らないが、尾根が細くなり道が左右に縫い、根っ子をつかんで登るようになると、どこにもなくなる。1904m手前に14:20着、笹の中にテントを張る。
気温もかなり下がり、濡れたオーバー手も固まってきた。テントに入り暖かい甘~い紅茶を飲んでホッと一息。本当にうれしい時間だ。私はその後トレースを付けに出かけたが、16時過ぎには戻り水を作りつつお酒タイム。夕飯を食べたらもうまぶたが重い。
夜は風が強く、木を揺らす音がうなっていた。

12月24日(日)

 5:30まで寝る。まだ暗いのでゆっくりと過ごし6:45出発。外はガスっているので昨日つけたトレースに安心を覚える。はしごが次々と出てくる、岩をへつり乗っ越し回り込む。根っこや木をつかみつつ登るかと思えば、足元の木の下は遥か下まで空洞だったりして気が抜けない。尾根を右・左へ移動し深いラッセルにはまる。これでもか!と次々に現れる新たな展開が面白かった。スンナリと登らせてはくれない、~山を侮ってはイケナイのだ。舐めたつもりはなかったが、長くて嫌気が差し始めた頃、見上げるすぐ先にキンキラと輝く鳥居がいきなり現れた。
8:40頂上着。快晴。燕岳方向は林に遮られ展望はきかないが、2000mの雲海より頭を出した鹿島槍を始めとする山々の180度パノラマが広がる。もちろん誰もいない。久々の絶景に見入っていたが、鼻の中まで凍る程キリリと冷えてきたので下山開始。9:30テントに戻ると雪がパラついていた。紅茶を沸かし一息入れ、10:15出発。来た道を引き返す。自分達のトレースに登りを思い出しつつ、あまりの長さに「良く登ったなぁ」と感心しきり。1500mになると雪は薄くなるが足元の傾斜が強い状態は続くのでアイゼンは着けたままにする。ピッケルやアイゼンが土に食い込み泥だらけだが、滑ったらどこまで落ちるか分からないほど急に見えるのでやむを得ないだろう。それでも下りは早い。登りの苦労がウソのようだ。川を渡るところでピッケルやアイゼンの泥を洗う。樹林の平坦地を抜けると林道、曇り空の中をタラタラ歩いて、13:05駐車場に着いた。
 しゃくなげ荘のお風呂(\400)で汗を流し、お腹を満たしてから帰路に着く。

アイスクライミング阿弥陀岳広河原沢右俣・三叉峰ルンゼ

日程: 2006年12月16日(土) – 2006年12月17日(日)
メンバー: 国府谷(L)・廣岡(記録)
行程: 文中に記載

今回のアイスクライミングは会山行の八ヶ岳計画の一部として行った。会山行は同時に鵬翔第55期の掛川さんが一年間の海外生活を終えて帰国したそのお祝いを兼ねて計画された。
我々の計画の他に赤岳登頂、石尊稜登攀が計画された。

  • 阿弥陀岳広河原沢右俣

12月16日(土)
くもり時々晴れ

前夜、東京を発ち午前2時半小淵沢の道の駅駐車場に八ヶ岳山行の参加メンバー全員が集合した。ここでテントを張り2時間半ほどの仮眠を取る。
午前6時30分、掛川さんの車に同乗させてもらい国府谷さんと私だけ船山十字路まで送っていただく。

午前7時10分、船山十字路を出発。雪のない林道をウォーミングアップをかねてゆっくり歩く。林道の先を見上げると雪を被った阿弥陀岳が姿を見せていた。その頂から右下に阿弥陀南稜が長く伸び、岩峰P1、P2、P3が特徴のある稜線を形作っている。

午前8時30分に広河原沢二俣に到着、ここから右俣に入る。途中まで我々の他に2名のパーティが少し前を歩いていたが、彼らは本谷から第3ルンゼに向かったようだ。右俣に入ってしばらくして最初の小滝が現れた。高さは3メートル弱程度。ここは足慣らしという感じで軽くフリーで登る。今シーズン初めてのアイスだったからアックスとアイゼンの効きを確かめた。まずまずだ。この小滝を越えると雪が以外に多く、いきなりラッセルとなった。国府谷さんがトップで進むが、サラサラの雪で歩を進めるたびに上から崩れてくる。

次も4メートルぐらいの短い滝だった。しかし、深くて細かい雪のために取り付くのに苦労する。国府谷さんが背丈もある雪を書き落として踏み降ろし、ようやく滝の下に入り、アックスを打ち込む。しかし、氷が薄く下の岩に当たってしまう。小さな滝だが結氷状態が悪く、不安定なところもあったので国府谷さんが上からロープを出してくれた。

この先で谷の分岐が現れた。雪でそれまでの滝が埋まっていたのだろうか、ルート図を見てもどっちが右俣ルートなのか確信が持てない。国府谷さんの判断で左側の谷に入る。(しばらく行って正しいルートだと確認できた。)正面に20メートル程度のナメ状の滝が出ていたが、滝つぼの状態が悪くここは右側斜面を巻いた。滝の上に降り立ち、そこから膝上までもぐるようなラッセルをしながら進む。

やがて、5メートル程度の滝が出てきた。滝の落ち口でザックを下ろし、小休止。朝方曇っていた天気が回復して日が射してきた。谷は寒いが太陽の光があたると急に暖かさを感じる。この滝は少し立っていたが、さほど難しくなくフリーで上がる。滝上からまた深い雪の中を進む。ここからトップを交代してラッセルを続ける。吐く息が荒くなり汗が吹き出てくる。

一ヶ所氷が出ている斜面があったが滝なのかよくわからないまま登る。30分ほど行くと再び谷が左右に分かれる所に出た。どうしたものかと振り返って国府谷さんを見ると、「この先も同じような感じだろうな。このまま上がってもラッセルばかりになりそうだから、もう稜線に上がりましょう。」という指示が出た。

今回の計画は、初日は南稜の稜線でビバーク、二日目に阿弥陀岳を経由して行者小屋に下り、会山行の他パーティと落ち合って美濃戸口に下山の予定だった。しかし、今日のアイスクライミングではなんとも不足感が残る。

時間は午後12時を過ぎたところだった。稜線に午後2時頃までに抜けることが出来れば、今日中に行者小屋に着けるだろう。そうすれば明日は予備計画としていた三叉峰ルンゼでアイスクライミングを楽しめる。

谷の分岐から草つきの尾根筋に上がり、急坂を一気に登る。斜度はきついがダブルアックスの威力は凄い。こんなところで新品のアックスを使いたくないが仕方がない。明日のクライミングに望みをつなげるために稜線までの最短距離を狙ってガンガン登る。途中から国府谷さんにトップを交代してもらう。私は少々バテ気味になってきたが、国府谷さんはさすがに強い。遅れがちな私を気遣ってくれながらも息も切らさず安定したペースで上がっていく。ようやく稜線が見えてきた。それまで伝ってきた小さな尾根からはずれて、右側の谷に切れ落ちた雪壁を慎重にトラバースしていく。雪壁の途中から今度は稜線に向かって真上に上がる。かなり立った斜面だ。アックスを氷まじりの雪壁に打ち込む。傾斜が緩いところはアックスをダガーポジションにしてアイゼンの前爪を効かし、体を持ち上げるように一歩一歩這い上がる。

国府谷さんが待つ稜線に出たのが午後2時半だった。場所はP2に近いP3との間だ。風が強い。オーバー手をちょっとはずすだけでバリバリに凍ってしまう。「この時間なら行者小屋まで問題なく行けますよ。」と国府谷さんが体力消耗気味の私を勇気付けてくれる。

「ここからは散歩みたいなものだから。」と国府谷さんに促されて先頭を行くことになった。前方にはP3が大きく迫ってくる。稜線上からは鉛色をした曇り空の彼方に富士山、南アルプスが良く見えた。厳冬期のモノトーンの世界だ。素晴らしい。
P3の左上には阿弥陀岳の頂上が、右側には間近に赤岳が見えた。この角度から見る赤岳は初めてだった。冬の赤岳は八ヶ岳連峰の盟主らしい荘厳さを感じさせる。

P3の岩峰基部のバンドを左に回りながら少し下ると、凹状のルンゼ(岩溝)の上り口に出る。ここが南稜の核心といわれるところだ。P3を巻くルンゼで稜線まで2ピッチの距離だ。出だしは3メートル程の岩で最初の一歩がやや難しく感じる。しかし、左足のアイゼン前爪を岩場左側の氷に刺し、右足はわずかな岩の出っ張りに立ち込み、バランスを保ってから肩を伸ばして右手でホールドをつかめば難なく上がれる。岩の上の安定したところで、少し頼りなく見えるフィックスロープにカラビナとスリングでビレイを取る。

後はアックスをダガーポジションにして、所々氷が出ている50度~60度程度の雪の斜面を直上する。この日の昼過ぎに右俣から南稜に上がった斜面に較べれば易しく、慎重に行けば問題ないのでロープを出さずそのまま登って行った。1ピッチ目終了点で国府谷さんを待つ。上がってきた国府谷さんに「この先もロープは要らないでしょう。」と言われ、同じように登攀を続ける。稜線に出たところで左に歩を転じ、間近に見える阿弥陀岳を目指す。途中、東側の谷に落ちる雪壁をトラバースするところは注意が必要だが、それを過ぎれば易しい岩稜を登っていくだけだ。

午後4時10分、ようやく阿弥陀岳の頂上に着いた。すでに暗くなりかけていたので、すぐに中岳のコルに向かって降りる。このくだりが結構いやらしい。数ヶ所だがクライムダウンで降りないとちょっと危ないと感じるところもあった。一般道とはいえ油断できないルートだ。アイゼンの爪をちょっとでも引っ掛ければ左右どちらの谷にも落ちる可能性がある。中岳のコルから行者小屋までは谷筋を殆ど直線に下る。阿弥陀岳の頂上から1時間、午後5時10分に行者小屋のテン場に到着した。朝からの行動時間は丁度10時間であった。

すでに鵬翔のテントでは掛川さんの帰国祝いの宴が盛大に行われていた。道具の片づけを済ますと、早速、国府谷さんと一緒に大賑わいのテントに入り、「遅れ」を取り戻すようにお酒をいただいた。
なぜか、お祝いされる側の掛川さんご夫妻が食当で、お二人でせっせと美味しい食事を作ってくれていたのには恐縮してしまった。でも、これがざっくばらんな鵬翔のいいところだなと思う。タフなこの日の山行を無事に終えて、充実感に浸りながら床に就いた

  • 三叉峰ルンゼ

12月17日(日)
くもり時々雪

午前7時10分、行者小屋テン場を出発。中山峠を越え、赤岳鉱泉まであと15分ほどのところにある橋の手前を右へ入る。石尊稜へも同じアプローチだ。最初ここの入り口がわかりにくく少し行き過ぎたので時間をロスした。トレースはあったのだが雪が深く、ここから三叉峰ルンゼのF1まで約1時間もかかってしまった。

午前9時、F1取り付きに到着。12時にテン場集合となっていたので、時間計算して稜線に抜けるのを止め、行けるところまで行って懸垂で戻ることにする。ザックをデポし、空身で登る。F1の大滝は雪で埋まり、上部3メートルほどしか出ていない。ここはフリーで問題なく登る。滝を越えてしばらくはやや傾斜のある雪原を進み、傾斜がきつくなったところで右にトラバースしながら斜上するとF2に着く。

F2も滝の下部が雪で埋まっていた。国府谷さんのリードで登る。出だしはほぼバーチカル(垂直)で3メートルほど上の小さなテラスまで登り、そこから左に回り残り2メートルを難なく上がる。アイススクリューの打ち込みはテラスと滝の左側の2箇所。特に難しいところはなかった。

ここから40度程度の雪壁をダガーポジションで登り、F3に行き当たる。高さは5メートル程。国府谷さんに「今度は廣岡さんがリードしてみてください。」と言われ、やってみることにした。アックスの効きは良い。モノポイントのアイゼンも良く刺さる。いい感触で3メートル上がり、幅10センチメートルほどのテラスで安定を保ちつつ1本目のスクリューを打ち、クリップ。アイスのリードが初めてで緊張したこともあったが、縦走用の分厚い手袋だったのでスクリューを入れるのに時間がかかってしまった。手袋も検討だが、ギアセットのスキルをもっと上げなければいけない。

残りはほぼバーチカルだったがアックスが一発で決まり、アイゼンを蹴りこんで気持ちよく滝上に上がる。この滝は2段になっていて、ナメを少し上がるとさらに一段2メートルの低い滝があった。ナメの終わりで念のためもう一本スクリューを打ち込む。そこから確保支点を探しつつ50度の雪壁を上がっていった。しかし、ちょっとした吹雪に惑わされたのかなかなか支点が見つからない。

止む無くそのまま上がっていくとF4が見えてきた。傾斜の緩そうなナメ状の滝だ。おかしいなと思いつつ支点を探しながら結局50メートルロープ一杯まで行ったところでストップ、下で待つ国府谷さんに大声で状況を報告し指示を仰いだ。すぐに国府谷さんから足場を安定させるようコールがあった。早速、柔らかい雪を踏み固め、スペースを確保しボディビレイの態勢を取る。風が強くなり、吹雪いてきた。国府谷さんを待つ間、よく見ると10メートル下、左側の岩壁に支点があった。私の不注意だった。

国府谷さんがその支点のところまで来て、ビレイを取る。時計を見ると午前10時30分だ。テン場に帰る時間を考え、ここで撤収し懸垂で降りることになった。F1下に戻ったのが午前11時20分。小休止してギア類を片付け、行者小屋に向けて下山。テン場帰着は午後12時20分だった。すでに帰還していた赤岳登頂組がテント内で私達を待っていてくれた。すぐに入れてくれた暖かいお茶を飲みながら石尊稜登攀組(坂田L、平野)の帰りを待ち、午後1時30分テン場を出発した。南沢の下山道が凍っていて時間がかかり、美濃戸口駐車場に着いたのが午後5時であった。

三叉峰ルンゼでは稜線まで行けなかったものの、メインの滝はほぼ登ることができた。積雪量が多く滝の露出が少なかったが、今シーズン初めてのアイスを楽しめたと思う。
また、初めて経験したことも多く大変勉強になった。国府谷リーダーに心から感謝したい。

(記: 廣岡)

2007年正月山行 甲斐駒・仙丈

日程: 2006年12月29日(金) – 2007年1月2日(火)
メンバー: 清水(TL)・塩足(黒戸尾根班)
     掛川(L)・飯田・志村・坂本・大和田・掛川(浩/会友)(戸台班)
行程: 本文参照

12月29日 「鵬翔1面を飾る」

 朝7時に戸台出発の予定だったが、合流に手間取り出発は約1時間遅れた。
静岡から来た私達と志村・坂本組は、途中の道の駅で合流したが、大和田・飯田組とは現地集合で、戸台の駐車場がわかりにくく、また携帯も圏外だったため、連絡が取れず、ちょっと焦った。
次回から、あまり知らない地域ではもっとわかりやすいところにしなければ、と出だしから反省その1。
さて出かけようとしていたら、長野日報の記者がやってきて写真を撮らせてほしいという。「冬山シーズンいよいよスタート」という記事で、1面に載せるという。こんな時しか新聞の1面を飾ることはあるまいとみんなで写真をとってもらう。本当に1面に載せるんでしょうね、と念を押すと、みなさんが下山する頃には、ご自宅に送りますよと、住所を聞いていったが、まだ来ない。ボツになったのかな。
今日は、北沢峠まで約6時間の行程である。
丹渓山荘の手前、八丁坂に入る所で坂本さんらには先行してもらい、先にテントを張ってもらうことにする。先行組より45分遅れの2時45分長衛小屋前テント場着。
今晩の食当は、志村さん。中華風鍋。おつまみや、アルコールも豊富で入山祝いをする。明日は甲斐駒、黒戸尾根から上がってくる清水さん、塩足さんと合流する予定だ。

12月30日 「撤退」

 夜中寒くて、隣で寝ていた志村さんには悪いなと思いつつ、何度も寝返りをうっていた。
山行前、大和田さんから、わたしは、かつげない、ついていけない、経験がない、三重苦ヘレンケラー・英子なんですというメールをいただいていたので、余裕をもった行動をとるべく2時に起き、4時15分出発。天候はまずまず。まだ入山者も少ないせいか、われわれがトップ。
トレースもあったり、なかったりで仙水峠まで樹林帯を所々迷いつつ進む。樹林帯を抜けると仙水峠まで広い谷間を進む。風が強い。トレースも無く、この道でいいのかなと少し不安になる。
やがて、駒津峰への登り口の標識に出た。6時。
ここから、駒津峰まで樹林帯の急登である。トレースはほとんどなく、ところどころひざ上のラッセルをしながらの登りとなった。8時半、駒津峰直下に着く。森林限界を超えるとまともに風が当たるので、まつげが凍る。駒津峰から先の稜線は灰色にガスっていて、甲斐駒は見えない。
駒津峰から先の岩稜帯がこのルートの核心部で危険な所だ。
冷たい風に吹かれ、思わぬラッセルを強いられ、体力を消耗してしまった。
突っ込もうという気持ちにならない。志村さんの体調が悪いこともあり、引き返すことに。
下る途中、日が高くなるにつれ、ガスも晴れてきた。途中2,3パーティとすれ違う。仙水峠まで降りると、摩利支天、甲斐駒もよく見えた。しかし、気分はもう早くテントに戻ってのんびり酒でも飲みたいモードになっていた。途中、わたしが少し遅れて仙水小屋に着くと、なにやら小屋の人におこられている。
小屋の立ち入り禁止のロープを知らずに越えて、中に入った為、小屋のおやじさんが怒ったらしい。
坂本さんが爆発する直前、大和田さんがうまく納めてくれた。さすがである。
文学を研究しているので、人の気持ちの機微がよくわかるのだろう。おやじさんによると、明日も40年やっていて初めてという絶好の天気らしい。11時20分、テント場に戻る。青空が広がり、日差しが気持ちいい。
ウランと大和田さんは、ひなたぼっこ。テントもずいぶん増えていた。
夜は鵬翔幹部の物まね大会で盛り上がった。坂本さんの芸は一見の価値あり。
この日、結局清水さんたちは来なかった。無線にも何も反応は無かった。当初の予定では、明日は仙丈に行く計画だったが、清水さんらを迎えがてら、再度甲斐駒に行く事にする。

12月31日 「合流」

今日は、先頭でラッセルするのは避けたいと、出発を5時にした。しかし、この日は前日と異なり、風もなく、また昨日のトレースもしっかり残っていてラッセルもなく、ほぼ無風の中、8時15分に駒津峰に着いた。
ここで、アイゼンをつける。ここからは、やせた尾根や、ところどころ急な雪壁がでてきたが、ザイルを使わずに10時20分甲斐駒の頂上に着いた。北岳が美しい。富士山もくっきりと見え、遠くに駿河湾が日の光を反射してにぶく輝いているのが見える。北も中央もよく見え、坂田君たちはどうしてるかなと思った。
途中から無線で清水さんを呼んでいたのだが反応はなかった。携帯で安達さんと通じたので、話を聞くと清水さん達も昨日は強風のため8合目で引き返し、7合目に幕営したらしい。
ならば、上がってくるだろうとツェルトを張って次の定時交信11時10分まで待ってみたが、やはり通じなかったので、
11時半下山を始めた。下りはザイルを出そうかなとちょっと迷ったが、後続パーティがしっかりバケツを掘っていて、行きと比べて足場がけっこう安定していたので結局ザイルは出さずに降りてしまった。
途中やっと、清水さんと交信できた。すでに登頂し、駒津峰にいるという。どこで行き違いになったのか、不思議だったが、後で聞くと清水さんは登頂後、正規のルートとは違うところを降りてきたらしく、ほぼ我々が頂上への登りで行き違いになったとわかった。駒津峰で1時に合流する。駒津峰からお互いのルートを確認していたら、清水さんの踏みあとを降りてくるパーティが2,3見えた。傾斜が急になるところで、行き詰まり、引き返していく。清水さんから黒戸尾根で久世と会ったことを聞く。黄蓮谷の状態は悪かったようだ。2時45分テン場に戻る。
大和田さんの年越しそばは、水が足りなくてそばがきのようになってしまったが、
なにより無事に合流でき、喜びもおいしさもひとしおであった。

1月1日 「しりセード」

今日は仙丈である。昨日同様好天であることを期待する。甲斐駒と比べれば、距離は長いが、悪いところはないと思っていたので、リラックスしていた。初日の出が見たいというリクエストがあったので、2時に起きる。4時50分出発。7時25分大滝ノ頭。樹林帯の切れ間から、初日の出を拝む。正月山行で初日の出を見たのはあまり記憶にない。途中志村さんが、わたしここで待ってようかな、と弱気な発言。もうすこし行こうよとはげます。小仙丈まで出れば、そんなにアップダウンはないはずだ。がんばれ、由美子。
森林限界を過ぎ、小仙丈、8時35分。昨日より稜線は風が強い。どうも天気は下り坂らしい。
小仙丈より、ところどころやせた雪稜を慎重にたどって行く。仙丈のカールを左手に眺めつつ、鞍部へ下り、再び登り返し、10時10分頂上着。昨日同様360度の視界。風は強くなっていた。
早々に降りはじめる。途中、小仙丈の下りでちょっと急でいやなところだなと思っていたら、後ろで「ああ~」という声が。振り返ると大和田さんがすべりおちてきて、志村さんとぶつかって二人すべり落ちてきた。さほど勢いがついてなかったので、すぐ止められてよかったが、ちょっとヒャッとした。後で聞くと、しりセードをしようとしたらしく、アイゼンをはいたままでは危ないと清水さん、塩足さんが説明する。樹林帯に入ってほっと一安心。
アイゼンをはずし、しりセードで降りたり、各自登頂の余韻にひたりつつ気楽に降りていく。
木漏れ日が当たり、最高の気分だ。12時50分テン場に着く。清水さん達が、長衛荘でウィスキーを仕入れてきた。今日はビールでかんぱいだ。最初、甲斐駒をあきらめたときは、今回はどこも登れないのでは、とも思ったが、甲斐駒・仙丈と二つ登れて本当に良かった。
昼間はいい天気だったが、夜のテント内は嵐のようなにぎやかさだった。

1月2日 「ふるまい酒」

8時にテント場を出る。12時35分戸台の駐車場に着く。高遠の「さくらの湯」に入り、華留運(ケルン)というそばやで、からみだいこんと、くるみという2種類のつゆのおいしいそばを食べる。おやじさんのふるまい酒がたまらなくうまい。
山の楽しみの一つに下山した地元で出会う人や食べ物は、はずせない。
うまい酒、野沢菜、みんなの元気な顔。坂田・平野組も無事下山したらしい。
今年は、この仲間達とどんな景色に出会えるだろう。

(記: 掛川)

2007年正月山行 剱岳(早月尾根)

日程: 2006年12月29日(金) – 2007年1月2日(火)
参加者: 平野(L)・坂田
行程: 本文参照

Hayatuki1s 冬の剱岳(早月尾根)は入山20日以前に富山県への登山届が必要で、予備日7日間の装備・食糧・燃料を準備する為、事前のトレーニングメニューを含め、気力・体力共に情熱を持って挑まなければならず、その頂きに立てた時の達成感や充実感は、それを経験した者にしか味わえない格別のものである。
今回の正月合宿のコンセプトは、鵬翔山岳会東京支部の若手リーダーである坂田さんに、本格的な冬山を経験してもらう事。
始まりは2006年の夏山合宿を計画する際、剱沢をベースとした剱岳の集中登山の提案からだった。
2006年は最終的に7人の新人が入会し、既に夏合宿前には5名の新しいメンバーが揃っており、会としての力量を高めるうえで必要と思われる雪上歩行や登攀経験を積むために、夏の剱岳合宿を提案した次第だが、各自の休みの日程等で結局剱岳合宿は実現せず、錫杖岳のクライミングで夏合宿を終えた。
その後、正月山行を計画する時点で、指向や経験の違い・お互いの実力を把握しきれていない新しいメンバーで、会として同じ山域とするか別パーティーとするか検討する際、坂田さんから、出来るだけ会のメンバーが参加できる冬合宿を考えなければいけないが、「冬の早月尾根に行ってみたいです」の一言で、私自身5年振りとなる正月合宿を決意した。

12月29日(金)
天候:曇り時々雪

東京駅7:00発の新幹線で長岡を経由し特急で滑川に向かうが、日本海側は天候が悪く列車は約1時間遅れで滑川駅着。
運よく富山電鉄への接続が順調で、何とか昼前に上市駅に到着。
上市駅で昼食を済ませ登山靴など山行き装備の準備後12:30上市駅発。
タクシーで伊折へ向かう途中、スーパーで入山初日用のステーキと缶ビールを購入し、車の入る最終地点である伊折13:15着。
伊折から馬場島へは約8キロの道程で、時折湿り気のある降雪の中を富山県警の雪上車に抜かれながら進み馬場島16:30着。
それにしても坂田さんのペースは速い、私よりはるかに重い荷物を担ぎ黙々と歩くので、進むうちに体は汗でビッショリ。
馬場島には4~5人用テントが1張りのみで、入山基地となる馬場島で富山県警察からヤマタンを受け取り、この日はテントを張らずに正月に営業している馬場島荘に宿泊する事とした。
馬場島荘にはガイド登山客が1名と、近くを散策する2名のお客の他、常連らしき方が1名のみ。

12月30日(土)
天候:晴れ

5:00起床、事前の天気予報では曇りだったが天候は回復に向かっており、星を眺める事が出来た。
馬場島は前日から降り続いた雪が腰位まで積もり、ワカンを付け馬場島荘6:40発。
我々が登り始める時点で4~5人用テントはそのままで出発する気配はない。
歩き始めて直ぐに腰までのラッセルとなり、早月尾根登山口では早くも頭から汗が吹き出る。
松尾平への登りにあえぎながら後続のラッセル応援を期待していると、ようやく明治大学OBの5名パーティーが近づき、空身で登り返すローテーションによる7人交代のラッセルで頑張る。
傾斜のキツイ登りでは時折胸までの雪で時間ばかり経過しなかなか高度を稼げない。
程なく十数名の後続者が加わるが2~3名のラッセル参加のみに留まった。
結局この日は最後のラッセルを終えた後1,560m付近の幕営地を確保し15:10着。
ペミカンのクリームシチューをブランデーで味わいながら、夕食を終えシュラフに包まるが、月夜の星空の基マイナス10度で思いの外冷え込みあまり熟睡といえなかった。

12月31日(日)
天候:晴れ

4:00起床、本日も星空の基で朝から晴天が続きワカンを装着し1,560m付近の幕営地6:45発。
すぐ上部で幕営している2張りのテントを追い越し、明大OB5名パーティーと合流して再び7人交代の空身ラッセルを開始する。
早月小屋からの情報では、28日午後から降り続いた雪で閉じ込められた東海大学パーティーが下山する予定との事で、ラッセル交差を期待するがなかなか降りてくる気配がない。
早付小屋手前のピークを見渡せる付近に差し掛かる所で、ようやく10名近くの東海大パーティーと合流出来た。
降り続いた雪で早月小屋幕営地で閉じ込められたのであろう、2日間の晴天でも登頂を諦め下山の判断をせざるを得なかった東海大パーティーを気の毒に思う。
早月小屋には12:20着、雪を整地した後テントを設営していると、早くも明大OB5名パーティーは翌日の山頂アタックに備えトレースを付け始めた。
我々も後を追うように後ろに付くが、ラッセルローテーションに加わる事なく2,500m付近で時間切れとなり早月小屋の幕営地へ戻る。
幕営地には階段状となったトレースを辿り20名以上の登山者が登って来た。
2日間のラッセルを要した登りも、階段状のトレースがあれば優に1日で登れてしまう。
大晦日の夜はペミカンのカレーを日本酒で味わい、象足にホカロンを入れて翌日のアタックに備え万全の体制でシュラフに包まり新年を迎えた。

1月1日(月)
天候:晴れ

Hayatuki2s 3:40起床、目覚めのコーヒーの後、ラーメン・カボチャのスープ・お茶等の水分をタップリ補給し、5:30発。
先行する十数名のパーティーにルートを空けて頂き、再び明大OB5名パーティー合流後、ラッセルローテーションを繰り返しながら登高を続け、獅子頭手前でトップにたち2人でルートを刻む。
暫く交代で膝うえラッセルを続け、次第に疲労を覚え私のペースが落ちた頃、後ろの坂田さんが交代しましょうと声を掛けてくれる。
雪壁・岩稜・ラッセルを繰り返し前剱からのルートに合流する分岐を過ぎるあたりで、坂田さんに今年一番の剱岳登頂を促すが、リーダーが先に登って下さいと謙虚な姿勢。
冬の剱岳は3回目だから先に登ってよと言っても、良いですよと言うばかりで結局私が先に立たせて頂いた。9:50山頂着。
剱岳山頂では360度の展望を満喫し、テルモスに詰めたブランデー入りのミルクティーを味わい写真撮影の後は早々に下山を開始する。
天候が良いうちに出来るだけ安全地帯へ下山する事を優先し、途中風の影響で所々消えかけたトレースを辿り、山頂へ向かう十数名のパーティーの脇をすり抜けながら結局ロープを使わずに下降を続け早月小屋の幕営地11:45着。
登攀は登りより下りがはるかに難しく、ロープの使用を判断するのはお互いの力量を見極める重要な要素であると思う。
12:50早月小屋の幕営地のテントを撤収し、7日分の食糧・燃料の重荷にあえぎながら下降を続け馬場島には16:30到着。
富山県警察へヤマタンを返却し、初日にお世話になった馬場島荘に宿泊して暖かい風呂で冷えた体を温めた後はビールで乾杯。
馬場島荘には一緒にラッセルした明大OB5名パーティーも到着した。
いつもながらに無事生還出来た冬山の後に飲むビールの味わいは最高である。

1月2日(火)
天候:晴れのち曇り

6:30起床、朝食後にパッキングを済ませた後、9:10伊折へ向かう雪上車へ同乗させて頂き伊折9:30着。
明大OB5名パーティーとジャンボタクシーで上市駅へ向かい、10:40発の富山電鉄で一路東京へ戻る。
剱岳が初めての坂田さんの為に、11月の偵察山行に同行して頂いた清水さん・塩足さん、旗用のタケを準備して頂いた飯田さん、竹ペグ・サイザルの準備の安達さん他、本当に色々な方々にお世話になり、2007年の最初に早月尾根を経由し剱岳の頂に立つことが出来た。
鵬翔山岳会のメンバーは無論、富山県警や関係各所の皆さんに感謝したい。

(記: 平野)

八ヶ岳、行者小屋テント場に、ケアテント出現、そして大笑いのわけ

谷川岳に続き、八ヶ岳での冬山訓練が行われ、風雪の中私達は、赤岳頂上に上り、他ルートパーテーも無事に帰着、ふもとの鹿の湯に入浴、道の駅で、食事後静岡に帰る掛川夫婦とも別れ、帰京しました。
さて今回は掛川君の一年ぶりの帰国祝いを、時間の都合上、山の中でやろうという、企画もあり参加しました。
ところで、テント場につき、各テントへの割り振りで、飯田さん、清水さん、そして私と、3人用のゴアライトテントに割り振られましたが、誰かが、「そのテントはケア・テントですね」と、言い大受けですが、私は、率直には認められませんでした。
雪を踏みしめての、テント場作り、荷物整理にも時間が掛かり、本日の行動はなしで、掛川君の帰国祝い、パーティーになりました。
一つのテントに12人入り、食事を作りながらの談飲食です。後から、二人増えましたが。
驚いたのは、そこに出て来たアルコール類の多さ、私は1.8リットル入りの、「いいちこ」でしたが、掛川君が、地元静岡の純米酒一升を、飯田さんが、掛川婦人のウランちゃんが10キロマラソンに参加し、いい結果での完走祝いにと、ボジョレー・ヌーボーを、ボトル入りで、清水さんは、ウィスキーを、坂田君が缶ビール500ミリリットル入りを8本、塩足さんは、スパークリングワインを、他に酒、焼酎、など等、驚くべき数のアルコールが出てきました。そしてつまみも本場静岡の旨い物等がずらり、皆、それぞれの荷物のほかに持参、4時間近くを持って登ってきたことになります。
掛川君は幸せ者です。
 そんなこんなで、宴はたけなわになりお開きで、各テントにもどりました。
私は、かたずけが下手で、いつもテントの中で、自分のもの探しては、白い目で見られていますが、今回はなにやら、清水さんが必死に探し物をしていました。
兎に角、何度もマットをどかしてみたり、ザックをひっくり返したり、荷物を移動したりしていました。
あまりに必死なので、私が清水さんに「何をお探しで」と尋ねると「羽毛のジャケットが無い」という、「何色の」と聞くと、「赤い羽毛の」とのたまう。
清水さんを見る、そこで私、「今来ているジャケットが探し物で無いですか?」というと、そうなのです、しっかり着込んでいるジャケットを、必死に探していたのです。
これには、飯田さんも、私も口をあんぐり。正に清水さん「貴方もですか」です。
そして、大笑いしてしまいました。本当に腹を抱えての大笑いを、各テントの人が、聞き、翌日私が、本当に楽しそうに大笑いしていたその理由を聞かれました。
以上がことの真相です。
これでは、我々のテントがケア・テントと言われても仕方有りませんです。
安達