剱岳・剱尾根上半部登攀報告

日時:2007年5月3日(木) – 5日(土)
山域: 剱岳剱尾根(北アルプス)
参加者: 久世
行程: 本文参照

この報告を書いているのは、実は2008年5月6日です。ちょうど山行の一年後という事になります。
なぜ今頃書いているのかというと、普段報告書など書かない故、すっかり忘れていたのですが、今年のGW後半の緊急連絡先を仰せつかって、皆のGWの山行を思いながら、
「はて?去年のGWは何してたんかいなー」と思い出し、山に行けなくて暇なので、では書こうと思い立った次第です。
しかしこの一年は、様々な事がありました。やはり十字峡での滑落が最大の事で、まだ完治していない為、GWも自宅にいて暇している訳で、それでこのような駄文を書いているのです。
さて、本題の報告に進みますが、なにせ一年後に書いてます、細かな間違いは許してください。
この山行に遡ること、2004年のGWに剱尾根に、今回と同じく単独にて挑んだのですが、尾根の下半部だけを登攀した結果に終わり、いつかやり残した上半部をトレースしたいと思っていました。翌年の5月に子供を授かったこともあり、2年間は行く機会に恵まれませんでしたが、今回再トライが出来そうなので同行者を募集しましたが、日頃の行状に問題が有るためか、またも単独となる。

5月3日(木)

前夜、三田平まで一緒の友人と共に、中央自動車道を走り、扇沢駅には深夜到着。面倒なので車の中で仮眠。
6時半の始発のトロリーバスで扇沢を出発。黒部ダムより先も一番電車ながら、今回も黒部平にて、ロープウエイを30分程度出発待ち、雄大な景色を見て朝飯を食べる時間と割り切れば仕方ない。室堂には9時頃到着、富山県警に計画書を提出し、とても良い天気の中を出発、周りは観光客だらけ。雷鳥平を過ぎ、別山乗越まで一踏ん張りし、剱御前小屋もなかなかの賑わいである。少し下り三田平で友人と別れ、剱沢をさらに下る。今回も雪質悪く、思うように下れないが、何とか長次郎出合まで辿り着き、長次郎谷をまたも独りで登り詰める事となる。昼過ぎで気温も高く、思った通り雪質はひどく、またも辛いラッセルが始まった。前回もそうだが、重たい荷物を背負い、独りでラッセル(時期的にもそんなに深いラッセルではなく、ただ踏み固まらないのである)の際に、時々足が雪に深くハマル時があり、此の時は、周りに人がいない事もあり、汚い言葉をつい叫んでしまう。
長次郎谷を半分くらい詰めた辺りで、下を見ると出合付近は10名くらいのスキーヤーが遊んでいて、その他に3-4名くらいがどうも谷を登ってくるらしい。
こうなると先程まで悪態ついていたのは、どこへやら、追い付かれたくないので、俄然、頑張って登ってしまう。なんて単細胞なんだ・・・。
そんなこんなで頑張ったが、池の谷乗越につく少し前から、辺り一面ガスってしまい、詰めの処で、ルートを確認しているとすぐ下に迫ってきて、辛うじて先に着くことが出来、ホッとしていると、そのパーティの人にラッセルを感謝された。
単細胞はそれで気分がよくなり、ガスの中、ピッケル一本でテント場を整地し、17時半頃テントにもぐりこむ。この日、池の谷乗越にはこの2組しかいなくて、もう一組は雪洞を掘ってそこで寝てました。
ガスが出てて、嫌な感じはあったが、翌日のことは楽観的に考え、疲れもあり、さっさと就寝。

5月4日(金)

4時起床のはずが、4時40分あわてて飛び起きる。6時過ぎにBCを出発、池の谷ガリー上部が早朝にも拘らず締っていない、慎重に三の窓まで下りてみると、チンネなどの岩壁も黒々でなく、少し雪が付着している。本当は剱尾根を、下から登ろうと思っていたのだが、岩への着雪を見て、あっさり放棄、やり残した上半部を登ることとする。
三の窓から池の谷尾根を下りながら回りこみ、少し登り返すとR2の取り付きとなる。
R2は前回の時に、懸垂下降で降りたように、かなりの急傾斜で、その上雪質が悪いのでかなり強くキックステップを叩き込む。距離は無いのだが、一歩一歩に時間がかかり、コルBに這い上がったのは8時頃になっていた。
前回はこのコルBで登攀を終了してしまったが、今回はその雪辱戦(かなり妥協があるが)、前回諦めた際どい岩稜に取り付く。当然トレースは無く、また良いビレー点もなくロープは出さず、落ちれない重圧と向き合い、慎重に岩を登り、尾根上に這い出る。
「いやー絶景かなー」景色は勿論、頂上や早月尾根、平野・芳野・廣岡さんが登っているであろう小窓尾根にいる人達がはっきり見渡せる。
ただ尾根上に出たが、下がすっぱり切れ落ちている、なにせ中央ルンゼや奥壁の上を登っているのである。何度も尾根の右側稜をトラバース気味に登るので、どうしても力が入ってしまう。そのうちコルAにつき、ここではじめて休憩をとる、ちょうど尾根の右面から左面に回りこむ場所に当たり、ゆっくり座ることができる処だ。
コルAから少し登り、フェース状の岩場と急な雪壁を登ると、剱尾根の頭に飛び出す。
剱尾根の頭から長次郎の頭は、すぐ目の前で、簡単な一登りで、縦走路に飛び出すことが出来た。おもわず「やったー」と叫んでしまった。頂上もすぐ近く、そこにいた人たちにおかしな人だと思われたに違いないだろう、しかし本当はうれしさよりも、安堵感からおもわず声が出てしまったのだろう。
10時頃に登攀を終了し、そこからすぐのBCに戻ると、八ツ峰主稜にも沢山の人影が見られるが、ガイド登山のパーティが多いらしかった、よく雑誌で見かける有名なガイドが何人もいて、お客は中・高年(ほとんどが高年)で占められていた。
八ッ峰主稜もピッケルワークも覚束無い様な素人でも、ガイドがいれば登れる事を知り、ちょっとガックリしてしまいました。
それは兎も角、小窓尾根組を待つだけなので、小窓尾根方向を見ていると何パーティも登っており、小窓の王の所での下降で渋滞していたので、日差しも強いしテントの中で、少し昼寝してしまう。
昼頃、テントから這い出て小窓尾根方面を見ると、小窓の王の下降地点は、相変わらずの渋滞であったが、その中の1パーティが確保なしでクライムダウンしていて、ルートも若干逸れ気味であったので、「落ちるなよ」と思って眺めていると、一人が滑落してしまった。落ちた先が池の谷乗越からは見えず、心配したがその後、芳野さんから無事だったことを聞く。
なんとなく小窓尾根組が判るような、判らないような感じで待っていると、芳野さんが登ってきて、続いて平野さん、廣岡さんも池の谷乗越に到着した。
滑落事故を見た直後だったので、合流できて本当にうれしかったです。
私のテントの横を整地し、そこに小窓尾根組のテントを張ることが出来、夕飯も一緒に食べることが叶いました(粗食の久世が、小窓尾根組の皆さんに施しを受けただけでしたが・・・感謝してます)。
お互い、後は頂上を踏んで下山するだけなので、会話も楽しく過ごす事が出来ました。

5月5日(土)

今日は皆で頂上まで向かうことが出来た。ガスが出ていて剱尾根を望むことは叶わなかったが、頂上に着いて皆で握手すると、剱尾根が見えなかった事など、もうどうでも良くなった。
名残おしい頂上から、少し下ったところで早月尾根を下る平野・廣岡・芳野さんと別れる。
私は車の関係で室堂に下ることとなる、おもったより雪が締っていて、心配した前剣の下りも難なく通過できた。1ピッチかからず三田平まで到着、前回も頂上経由で降れば良かったと悔やむ。
天気もピーカンになってきて、三田平で友人と合流し、のんびり春の剣を満喫しながら室堂まで下りました。
今度また、剱尾根を一気に登ろうと思います。
何年越しの宿題にしないようにしないと・・・(そんな事いっても、今年のGWは家にいますが)。

(記: 久世)

たくさん収穫した

日程: 2007年12月23日(日) – 24日(月) 前夜発
山域: 甲斐駒ヶ岳黒戸尾根(南アルプス)
参加者: 坂田(L)・鈴木(泰)・他1名(サブ)
行程:
第1日目: 駒ヶ岳神社(8:12) – 刃渡り(12:05) – 五合目(13:38) – 七合目(15:22)
第2日目: 七合目(6:42) – 八合目(7:29) – 山頂(9:05) – 七合目(10:25) – 五合目(12:09) – 駒ヶ岳神社(14:45)

本来であればこの週末、こーやさんと中央アルプスの奧三ノ沢でアイスをやる予定だったが、南岸低気圧の通過で土曜日の夕方から悪天候が予想されたのでキャンセルとなった。代替で八ツでのアイスを検討してもらったが、気合いを入れて望んできた反動か、すっかりテンションが落ちてしまった様子でボツとなってしまった(前もって代替案を検討していなかったのがまずかった…)。
ちょうどその時、日・月に秩父縦走を計画していた泰と筋トレ用のバーの話題で盛り上がっていたとこだったので、すかさず「一緒にいこ」と送信。既に同期の友達と一緒に登ることが決まっていたのだが、割り込ませてもらった。アイスはダメになったが、こうしてまた山へ行ける仲間に感謝!!
泰の友達(サブ)は夏山ピストンの経験はあるものの雪山は初めてということだが、泰と同等の体力の持ち主だということで、泰が計画していた秩父縦走から黒戸尾根へと変更した。ピークがカッコイイ甲斐駒であること、体力的に登りごたえのあること、雪があればちょっとだけスパイスが効いていること、冬山らしい稜線を味わえることなどなど、完璧な条件だ。標高差があるので奥多摩レベルから徐々に慣らしていけるのも大きな決め手。きっと満足してもらえるだろうと、気持ち良くふとんにもぐった。

Img_1010sサブは土曜日が仕事で時間的にかなりハードだったようだが、無事に新宿駅で落ち合うことが出来、あずさへ乗り込む。小淵沢からタクシーで駒ヶ岳神社へと向かった。天気は雨。標高700m台、さすがに雪は期待出来ないか…。駐車場に設置したゴアライトテントはあっという間にベチョベチョになり、不快だ(床面)。のんびりと朝を過ごして出発。90リッターザックが意外にでかく膨らんでしまったので、大してペースを上げられないだろうと思っていたが、落としすぎないように気をつける。サブとは初めてだったことや体力が期待出来そうなので、ちょっと足を速めてみる。おっと、なかなかやるやん、二人ともしっかりくらいついて離れない。こうなるとペースがどんどん上がってくる。この間に雨は上がったが、気温が高く汗だく。これが悪かったのか、サブの慣れない雪が出てくる頃、足に来てしまったようだ。ペースを大幅に落とす。泰の様子もおかしい。すっかりバテてグロッキー状態。

減量のために二人して摂取カロリーをコントロールしているのだが、体力が落ちてしまったのはこのせいなのか――?少なくとも前日はしっかり食べてカーボローディングに努めた方が良さそうだ、というのが今のところの結論である。正月合宿へフィードバックだ。ちなみに減量自体はパワー(筋肉)維持で体脂肪を効果的に落とせているので、数字上は問題ないはずなのだが…。まだ始めたばかり。いろいろ探っていきたい。

こうなると五合目までが長い。ここまで特に悪場もないように感じたが、トレのためにアイゼンを装着することにした。これが正解で、五合目以降はハシゴだの鎖だのが出てきてアイゼンが活躍した。五合目以降はトレースがなかった。今日はまだ誰も入ってないようだ。黄蓮谷から戻ってきたいくつかのパーティとすれ違った。時間を考えると敗退したようだ。話を聞くと、氷結悪いけど雪が多くて雪崩てもいるとのこと。七合目までも長い。いい時間だ。さすがの泰も辛かったようで疲労が色濃い。けれどこれがこれからの糧となるのだ。

小屋は超快適な暖かさ。500円/人のテン場代を払う。けどテン場は小屋から離れていて水なんかも結局は自給自足となった。

いよいよ待ち侘びた夕飯!!メニューは十穀米牛肉コロッケカレー。コロッケは泰が気を利かせてくれた思わぬトッピングだ。今日一日、歩きながら何度夢見たことか!(これを書きながら腹が鳴ってしまった)。どうやら泰も同じだったらしい。カレーも揚げ物も久々。口にすると想像を裏切らぬうまさ!忘れられない食事になりそうだ。

翌日、アイゼンを装着している横を2人のパーティが横切っていった。低気圧一過の晴天を期待していたが、ちょっとどんよりしている。泰もサブもすっかり調子を取り戻したようだ。空身なので足取りも軽い。昨日の1ピッチ目のように離されまいぞと追ってくることもなく、マイペースだ。時折ガスが取れ、朝日が顔を出す。振り返ると甲府盆地が一望出来る。天候も我々の味方となった。さっきの2人パーティ、トップはだいぶ年配のように感じられたがなかなかのペース。セカンドはバテてるので、抜かせてもらってトップを交代。腰までのラッセルがしばらく続くこともあるくらいで、なかなか楽めた。トップの人は今年だけで既に7回目とのこと。通常の年末年始よりも雪が多いらしい。ラッキー!?八合目にはあっさりついた。
Img_1036s ここから風が強まり、痩せた尾根やアイゼンが岩をこする雪壁が、泰とサブにとって快いスパイスとなったのではないだろうか。頂上までは大して悪場もなく、安心した。事件を挙げるとすれば、泰のシステム手袋のファスナーが破損してしまったこと。冬山とファスナー、やはり相性が悪い。手袋としては良く出来ていて、今のアウターが破れたら欲しいな、と思っていたのだが…。ピッケル面側はしっかりカバーされているので、破損が凍傷に結びつくような構造ではなかったのだが、正月合宿前で良かった。道のりが長くて思いの外時間が掛かったが、順調に登頂出来た。このメンバーでの成功が嬉しい。やったぜ!
Img_1039s 視界のなかったのが残念。下山が長く、風が強いので早々に頂上を後にする。風が強いのであっという間にトレースが消されていた。時々踏み抜いてしまうので、初雪山のサブはうんざりしたかも。しばしば足がつってしまうくらいの疲労が蓄積されてしまっているので尚更に。けど下りは早い。途中、泰たちが雷鳥を見付けた。
小さく、真っ白でかわいい。冬の雷鳥は今シーズン初。今年、南アルプスでの雷鳥の減少が著しい、という記事を読んでいたこともあって、ちょっとした驚きの出会いだった。日本でも相当に崩れてしまった生態系のバランスを、今取り戻さなければすっかり手遅れになってしまう。テン場に到着して焦った。テントがない!?竹ペグで固定したのにまさか…、と風下を覗いてみる。やっぱりない。改めて全体を見回すと少し広さが足りないように思ったところで、自分達のテン場がもっと下だということに気付いた。やれやれ。Img_1040

天気は回復傾向のようでテントに日が当たる。ぽかぽかと快適だ。行動食で腹を満たす。五合目までは気を引き締めねば、とハーネスなどはそのままに出発。けれど小屋からの下山者で不動のトレースが引かれていて、拍子抜けした。けど二人には良いアイゼントレになったと思う。コースタイムを考えると16時頃になってしまいそうだが、気分的には15時までに下山したいところだ。けれど五合目以降はかったるいほどになかなか標高が落ちない。雪が少ないところではアイゼンを外したい衝動にかられるが、すっかり氷化していて滑るのが目に見えてるので我慢。粘りに粘ってアイゼンを外す。もう14:15。足が軽くなったので、15時目指してちょっと早足で歩き出すが、サブが食いついてくる。「お?」と思って速度を上げるがまだまだ食いついてくる。どこにそんな体力が残っていたのかと驚きつつ、気付けば走っていた。標高差、700mくらいは残っていたと思うが、30分で駆け抜けてしまった。やっぱり下山はさっさと済ませてしまうに限る。ザックに身体が振られつつも足が軽く感じられたので、(一番後ろにいた)泰と勝負出来なかったのがちょっと残念かも?

徒歩圏に温泉があるのをチェックしておいたので直行する(新しくて快適)。すっかり晴れ上がり、八ヶ岳が手に取るようにはっきり見える。丸ごと日が当たっていてこれからでも登れてしまいそうな気さえしてしまう。さあ、次はバリエーションへステップアップだ!

温泉で体重計に乗ってビックリ。今回は行動食をたっぷり食べてむしろ太った気がしたのに、2kgくらい落ちて10年ぶりくらいの値をゲット!小淵沢駅前の入船で久々に大盛のとろろ月見定を食べ(これがうまかった!)、帰りの電車ではプリンやらあんころ餅やらスナックやらを平らげた。それでも、帰宅して体脂肪計に乗ったらちゃんと筋肉率&基礎代謝は維持しつつ体脂肪率が激減していたので、泰にまいったか!とメールしたら撃沈されてしまった。バテたにも関わらず筋肉率をキープ出来てたのだ。

今回、アイスが流れたことにかなりダメージを喰らったが、それを上回る山行が出来て満足だ。まだ雪山に足を踏み入れたばかりの二人に、きっとプラスになったと思いたい。これでサブもますます山にはまってくれれば申し分なし!今回も楽しませてもらって、サンキュ~!

(今回の収穫)
1. 新しい仲間に巡り会えた(これからがますます楽しみ!)
2. どうやら、山行前はカーボローディングが必要そうだ
3. 泰のファスナー付き手袋の破損(合宿前でラッキー)
4. 合宿前のトレーニング(体力出し切る)
5. 雪山のグレードアップ
6. 体脂肪率減
まだまだあるけどこの辺で。

(記: 坂田)

初外岩

日時: 2007年12月9日(日) 前夜発
山域: 城山(伊豆)
参加者: 坂田(L)・鈴木(泰)
行程: 省略

広河原沢で思わぬダメージを喰らって体はヘロヘロだというのに、この城山へのモチベーションは衰え知らずだった。泰とのクライミングに、これほど心躍らせている自分――。山を登り始めて間もない泰は、清水さん・志村さん・大和田さんと、みんなから引っ張りだこだ。それに物足りなさを感じて、「もっとやりたい」と欲が出てきたら一緒に登ろう、くらいの冷静さを装ってるつもりだった。けれど「ヒマラヤ」なんかに、ちょっと気のある素振りをされると、もう有頂天になってしまい、今後1年間の勝手なプランが次から次へと出てきてしまう始末。山へ打込み始めたこの1-2年で自分の中にため込んできたものが溢れ出すのを、とても抑えることが出来ないのだ。

渋谷駅23:30、泰にピックアップしてもらって城山へ向かった。目が覚めるまで快適に、たっぷり寝た。すき家で腹ごしらえをしてから南壁に取り付く。

・ホームボーイ(5.8)

泰、注目の1本目。この壁はジムと違って腕力に頼り難いということもあり、もしや苦戦するかと思ったが、あっという間に登ってしまった。なかなかやるな、と内心驚嘆する。余裕が感じられたので、ここで掛け替えをマスターしてもらった。これは失敗が許されないだけに、教える度にいつもドキドキものだ。下でいくらリハーサルしても、本番は上まで行って見てあげられない。けどすんなりやってくれたことが嬉しかった。

・アミーゴス(5.9)

ここは、いつもルートファインディングをミスってしまう。まぁどうとでも登れるので構わないのだが…。グレード分以上に、体感的に細かく感じたかもしれないが、ここも問題なし。

こうなるとついつい欲が出てきてしまう。マルチの気持ち良さを味わって欲しくなってしまった。ここで一気に岩の虜としてしまう作戦。夏には日本中の大岩壁を二人で総ナメにしたい、という野望を持っているのだ。

・エキスカーション(6p中4p目まで)

1p目: 5.10a
2p目: 5.10d(本来は5.10a)
3p目: 5.10c(2p目から切らずに一気に登る)
4p目: 5.10a

1p目を登り切ると目の前には3本ものルートが並んでいた。トポを持ってなかったので、取りあえず一番右側のが簡単そうだったので取り付く。後から調べるとこれが本来のエキスカーション(5.10a)のようなのだが、その時はパワームーブ系でイマイチな感じだったので、クライムダウンして止めた。泰は乗り気じゃなかったのだが、真ん中のルートは傾斜はあるもののボコボコだったので取り付いてみる。けどどのホールドも甘く、2本目以降登れる自信をなくして、これもクライムダウン。これは5.11aだったようだ。一番左側のルート、いかにも簡単そうで5.9を登ってもなぁと乗り気じゃなかったのだが、登ってみるとやばかった。しかも1本目のクリップが遠くてクライムダウンすら不可能。5回はトライしたと思うが、ようやく立ちこめ、一気に上がった。どうやら5.10dだったらしい。この勢いで3p目も連続して登る。細かい上にランナウト気味な5.10c、逃げまくりながら登った。泰はさすがに這い上がれずにいる。「行けるやろ?」と目線を送ると首を振っている。バックロープを垂らし、得意の腕力で登ってもらうことにしたのだが、このロープ、エーデルワイスの最新モデルで、細くて非常に伸びが良く、たぐって登るにはかなり効率が悪い。さすがに腕も限界に達しつつあるようだった。4p目(実際には3p目として登った)は嫌がらせのようにランナウトしていて恐怖だったが、ホールドやスタンスは豊富だったのは良かった。泰もさすがに疲れているようだ。意外に苦労している。日暮れが近く、追いかけてくる日陰と競争だ。最後の2m、ジリジリと苦労しながらも登り切り、日陰とほぼ同着。「よう頑張ったな!」よくも諦めずに這い上がってきたものだ。内心舌を巻きながらも、嬉しかった。ライバル意識を燃やしながら、切磋琢磨していけるパートナーかもしれない――。そんな期待が膨らんでくる。当然、負けるわけにはいかないが。

同ルート懸垂。50mギリギリ+25m。これも教える時には緊張する。リハーサルをしたところ、一発で決めてくれたので安心して下降する。この長い懸垂も初めてだろう。

めい一杯遊んだので、片付けている内にすっかり暗くなってしまった。

初外岩、ちょっと詰め込み過ぎたかなぁ(誤算の5.10dあったし)。今日はサービス精神を発揮するつもりが、自分もすっかり楽しませてもらった。サンキュ!またどっか登ろう。まさかもう懲りたなんてことは…ないよな?泰の記録を待つことにしよう。

(記: 坂田)

——-

静岡県伊豆市にある城山にフリーの特訓に向かった。ゲレンデは三つ峠以外に行ったことが無いので、前日は多少の緊張はあったが、高架橋の下にテントを張って寝たのが気持ちよく、当日はふわふわした気分で目覚めることが出来た。
車を道路脇に止めて、短いアプローチを登った。途中で坂田さんが人面石があるといい、その石を見ると確かに目のようなものがあった。近くには墓地があったため不気味すぎた。
 
岩場に着くと、すでにトップロープでおばちゃんが登っていた。僕たちは一番左端の方から登り始めた。最初は5.8を坂田さんが登り、僕はトップロープで一本登った。しかし上でロープの回収する段取りが分からなかったため、一旦降りてから懸垂下降の手順を教えてもらった。もう一度5.8を登り終え、懸垂下降の準備をしながら何度も大丈夫か確認した。自分のセルフビレーを外す時に、これが違っていたらと思い自分が落ちる所を想像してみた。そして、そうはならないと自分に言い聞かせてから僕は慎重に「こえー」と声に出しながらセルフビレーを解除した。エイト環を強めに握りながら、落ちない事を確認した。それから一度溜め息のような深呼吸をして下降をはじめた。下に降りてから、緊張のためか力不足のためか、すでに疲れがかなり溜まり始めていた。

次に5.9をトップロープで登りきれたが、どう考えてもここらへんが自分の限界に感じた。しかし、この後にマルチで3ピッチ登ることになる。

マルチのルートに選んだのは、南壁に向かって左側の少し日当たりの悪い所から登り始めた。この時の坂田さんの話しだと、いきなり10aから始まると言っていた。最初から軽いハングがあり、確かテンションはしたが、そんなに問題はなかったと思う。

しかし腕はかなり疲労が溜まり、この時点でこれ以上のグレードは絶対に無理だし、絶対に危険だと感じていた。

しかし問答無用で2ピッチ目が始まった。目の前にはルートが三つあり、一番左は2番目に難しそうで、真ん中は穴がボコボコあるものの見ただけで登るのが無理だとおもった。右側が一番簡単そうに見えていたが、一番簡単な所に挑戦すると言った坂田さんが何を思ったのか左側から行ってしまったので、もうついていくしかなかった。とは言っても、坂田さんもこの最初のハングにはかなり手を焼いていた。何度もテンションをかけたりして、色々試しているうちに結構な時間が経っていたと思う。

そして僕の番になり、最初のハングはどうやっても無理だと感じた。足を重視すれば手のバランスがとれなくなり、手を引っ掛ければ足が浮いてしまう状態で、軽くハングしている部分が本当に邪魔だった。本当は言いたくなかったが、坂田さんに「絶対無理です」と言うと、細いロープが垂れ下がってきた。自分はそれを「蜘蛛の糸」と命名した。

坂田さんは蜘蛛の糸を手に巻きつけて登れと言うのだが、ロープが引っ張れば引っ張るほど伸びるので、全く意味がなかった。

そこで、おもいっきりロープを引っ張ってから手に巻きつけてみたが、何度やってもロープが滑るために手から抜けていく。もう絶対に登れないと思って何度も坂田さんを見上げるが、坂田さんは待つのみだった。

それに自分自身ここで諦めるのが凄く嫌だった。テンションをかけてもらうのもロープを垂らしてもらうのも、全て負けの要素であったが、自分の心が折れてしまったことが悔しかった。体を鍛える時も、自分には負けない。昨日の自分に勝とうという気持ちをもって挑むようにしている。しかしこの時の自分のことは絶対に好きになれなかった。だから登るしかなかった。そして色々と考え試した結果、おもいっきり伸ばしたロープを手首に一巻きしてみた。するとロープは手から抜けなくなり、ロープをおもいっきり握るような疲れることも必要なくなった。しかもロープが元に戻る力を利用して右腕から上に引っ張り上げられるようになった。あとは手足でバランスを保ちながら、無様な格好をしながらハングを乗り越えた。

とにかく最難関は去った。しかし滑るロープを何度もフルパワーで握ったりしたため握力は無く、体を腕だけで引き上げようとしたため、腕もパンパンになってしまった。この後も休憩を幾度となく入れながらゆっくり登った。そして坂田さんの所に着いた僕は、もう心が完全に折れ、体も精神も疲れ果てたため帰りたいと言ってしまいたかった。
一刻も早く下山したかったが、「帰りたい」とこのとき言ってしまったら、この後にもう1ピッチ登ろうが登るまいが、一生後悔しそうだと感じた。それに、「こんな所で!」と思う気持ちもあり我慢した。でも心の中では坂田さんが下降するのをずっと期待していた。
 今思うことは、このとき「帰りたい」と口に出していたなら、もう二度とクライミングを好きになる事は出来なかったような気がする。だから口に出さなくて良かったと心から思う。

3ピッチ目は少しグレードも低くなり、体力もわずかに回復したので、2ピッチ目ほど精神的に追い詰められることはなかったが、上にいくほど疲れが溜まり、少し登るたびにロープにブラ下がらせてもらった。

足場もろくに無い所で長い時間ビレイしてくれ、僕には全然登れなかった所を登る坂田さんが、この日初めて凄い人に格上げになりました。ありがとうございました。
 
PS.
下降する際に初めて自分が吐き気がするほど緊張状態にいたことを知った。次はしっかりレベルアップして、さらにグレードを上げたいと思います。

(記: 鈴木(泰))

正月合宿

日程: 2007年12月30日(日) – 2008年1月2日(水) 前夜発
山域: 槍ヶ岳中崎尾根(北アルプス)
参加者: 坂田(L)・清水(SL)・飯田・塩足・志村・大和田・鈴木(泰)
行程:
第1日目: 新穂高温泉(7:20) – 白出沢出合(10:17) – 滝谷出合(12:41) – 槍平(15:30)
第2日目: 槍平(8:30) – 奥丸山から少し下ったところ
第3日目: 奥丸山から下ったところ(7:22) – 200m程度前進 – 撤収(9:00) – イヌノクボ沢2200m付近(15:05)
第4日目: イヌノクボ沢2200m付近(7:10) – 白出沢出合(10:25) – 新穂高温泉(11:36)

今回の山行は出発前から、暮れから正月に掛けての悪天候の予報が報じられていた事と、我々の入山地域で雪崩事故が発生した事もあり、留守本部をお願いした安達会員を始め会員及び関係者に心配いただきましたこと、御礼を申し上げます。

12月29日(土) 現地は雨

大和田車隊(武蔵境発)・志村車隊(船橋発)の車2台が談合坂サービスエリアで落ち合い、新穂高に向かって20:30に出発。

12月30日(日) 雪

0:30新穂高温泉に到着、天候は雨(予想以上に気温が高い)。テントでの仮眠を予定していたが、冬用テントでは雨は凌げない。たまたま開放されていたバスターミナルの待合室(床暖房付)にて快適な仮眠を取る。駐車場は冬期間のみ登山者用に無料スペースが設けられていた。先着の1パーティの他に、後から到着した1パーティ程が同じ場所で仮眠を取った。
7:20 朝食後、新穂高から槍平に向かう3パーティ程が前後して出発(天候は湿雪)。
10:20白出沢出合を通過、涸沢岳西尾に向かう1パーティと分かれる。白出沢出合付近で漸く湿気の無い雪に変わる。この辺で積雪は50~70cm、但し旧雪の上に30~40cmの新雪が積もった状態で特に問題なし。先行パーティのトレースがありラッセルの苦労は、さほど感じられないが、スノーシューのチームがステップを崩して先行した為、思ったよりもズブリ、時間が掛かる。
3s ブドウ谷、チビ谷は何れも雪崩によるデブリがあり、この上を通過する(但し、何れも全層雪崩で発生後1~2日を経ていることから、前日までの高い気温と雨によって発生したと思われ、雪崩のブロックも硬く締まっており、当日の新雪による表層雪崩の可能性は少ないと思われた)。
滝谷出合から先は前日のものと思われるトレースがうっすらとあるのみでラッセルが必要となる。スノーシューのチームが先行して行く。斜面の通過には時間を費やしていたが、平地や暖斜面では効果があるようで快適に登っている。我々も出合を過ぎた「故 藤木久三氏のレリーフ」(第1次R.C.Cの設立者で滝谷登攀の先駆者、孤高の人の主人公である加藤文太郎氏の恩師)の前でワカンを装着して登る。出合上部で新雪の積雪は50~60cm。右岸の枝沢からのデブリあり、先行パーティが夏道の斜面を途中まで登り立ち往生していた。
我々は、このパーティとは別の、先行している4人チームの後を追うように沢床に降り、途中で彼らと先頭を替わり槍平に向う。沢床は風が舞う為、風の向きが一定せずブリザード状の天候で雪煙が顔面に吹き付ける。後続のパーティを加えると総勢30名程がこの日に入山した事になるが、ワカンを装着していないパーティが多く見られた(持参しているのかどうかは不明)。
2s 15:20槍平の幕営地に到着、他のパーティも次々に到着する。
大和田さんが先行確保した幕営地は、槍平小屋の東面、北に冬季小屋と2面を障害物が遮り、東面は南岳からの森林帯があり、比較的安全性の高い場所と思われる(但し、風の向きによっては雪の吹き溜まりになる)。

12月31日(月) 雪

7時出発予定で準備をする。夜間の積雪は50cm~60cm程度で、除雪も1回行った程度でテントが潰されるほどの積雪ではない。
前日のトレースは降雪で隠れ、中崎尾根の取り付きまでの積雪が気になるので、清水・坂田・鈴木の3名が尾根の取り付まで空身で偵察に行く(7:10~8:10)。飛騨沢を越えて枝尾根の取り付までワカン装着で1mほどのラッセルはあるものの、傾斜はゆるく雪崩の心配は無いことからテントを撤収し、中崎尾根へ向う事にした。
8:40槍平を出発、状況によって何時でも尾根の森林帯で幕営することも前提に置く。我々と前後して南岳西尾根に2パーティが出発していった。尾根上はラッセルが続くものの雪崩を心配するような場所も無く、所々にうっすら残るトレースを頼りにラッセルを続ける。枝尾根を上り詰めて中崎尾根に合流する手前、奥丸山岳手前のピークの登りで先行していた2人パーティに追いつく(2人パーティと思ったが実は単独登山者2名で、新穂高から槍平までに2日間掛かり、今日も槍平を5:30に出発してきたとの事)。彼らの話から29日は山中でも雨天だったことを知る。
尾根の手前の急斜面は頭までの新雪のラッセルで、雪崩を起こさないよう斜面を切らずに直上し、枝尾根の尾根筋を忠実に経て中崎尾根と合流するように指示する。坂田君がトップで上部までラッセルをして下降中、既に通過が終わったトラバース部分から小規模ながら表層雪崩が発生した。但し、これは斜面を切った状態で上部から重力と振動を与えた為のもので自然発生ではない。
15:20中崎尾根の合流点に到着。降雪と視界の悪さからこれ以上進むことは得策でないことと、天候条件も今日・明日が最悪と考えた場合の退路も考え、尾根の上の暖傾斜を削り幕営をする。更に先行すると思われた2人の単独パーティ?も、30m程離れた尾根の斜面に雪洞を掘って泊まっていた。今日は大晦日で、年越しそばやらバライティーなご馳走に至福の時を過ごす。
この夜は一晩中降雪が続き数箇所で雪崩る音が聞こえたが、冬山で特に珍しいわけでも無く、むしろ翌日の積雪が問題と考えた。夜間は2回程、山側から流れてくる雪でテントが圧迫され除雪を行う。過去の冬山では1時間ごとに除雪をやった事もあり、その点では尾根の幕営は楽である。

1月1日(火) 雪

1s5:00起床、元旦のおせち料理を皆でいただく。昨夜の降雪と積雪から考えると西鎌尾根すら到達は困難ではないかと考え、行けるところまでを前提に出発する事とし、飯田さんにはテントキーパーをお願いする。我々の近くで雪洞を掘って泊まっていた2人の単独登山者は、日数が無いとの事で下山を開始した。
7:30出発して奥丸山岳とのコルの下降に入り、トップの坂田リーダーが斜面で首まで潜ってのラッセルとなる。斜面の積雪、斜面下部のトラバースを考え表層雪崩の危険性大と判断、即座に行動の中止を決定し幕営地に引き上げる。
積雪状況から登れる状態になるには2~3日掛かると思われる事と下降にも時間を要すると考えられる為、計画はここで断念することと決め早速テント撤収を行う。
9:20下山を開始、程なく先行した単独登山の2人に追いつく。登路に使った枝尾根は森林限界上部の傾斜から見て危険と判断し、奥丸山岳経由で南東尾根を下降することにした。奥丸山岳までは首までのラッセルを3時間ほど交代で繰り返し、12:00ピークの直下に到着、南東尾根の下降に掛かる。
奥丸山岳直下の東側斜面(槍平から西側に突き上げている斜面)が大きく雪崩た跡があり新雪のスラブ断層の厚さは1m程、下部の幅は約50mの規模と確認できた。我々は雪崩跡の旧雪に沿って50m程下降、更に50m程のトラバースを行い南東尾根に到達する。この時点で志村さんのワカンの爪が効かずスリップ、30m程滑落するが幸いに止まり、駆けつけた坂田リーダーが回収し、全員が南東尾根に集結する。
その後も南東尾根の暖傾斜帯は、首までの深い雪に交代でザックを置いての空身のラッセルを強いられ、14:30イヌノクボ沢(白出沢出合の若干上部)に下降した。この下降もイヌノクボ沢上部で沢床に降りた場合、傾斜の急な斜面に雪崩の危険性があると思われる為、出来るだけ沢床の下部に降りるべく東側に進路を取りながら下降を行った。尾根筋を忠実に下降することも考えられたが、末端に出た場合の急斜面も予測されることから地図で方角を定めて下降したが、結果的に予測より若干上部でイヌノクボ沢の沢床に降り立った。幸い沢床の積雪は雪崩が出た形跡も無く且つ安定しており、ラッセルの苦労も無くスピーディに、安全地帯へ到達することができた。
15:00単独登山の2人と別れ、森林に囲まれた平坦地(2,200m付近)の雪をならし快適な幕営地とする。

(雪崩事故の事実は大和田さんの報告にあるとおり、1月1日の夜「事故の発生から約19時間後」彼女の携帯に知人からのMailが入り知る事となった)
雪崩事故の要因は27日~28日の晴天、29日の雨で雪面が比較的締まった状態に、30日からの集中的な多量の降雪、それに伴う新雪表層雪崩によるものと考えます。我々が奥丸山岳直下で確認した雪崩現場は、地図で見る限り槍平は直下であり、確定は出来ないながらも、これが要因ではないかと思わせるものがあった。
大和田さんの携帯を借りて留守本部の安達会員に無事下山中の連絡を入れる。我々の登山地域が事故発生地と同じ事から心配をされていた。
後日判明したことであるが、今回の雪崩事故の犠牲者に、鵬翔に入会する前の塩足会員の沢登り・渓流釣りの仲間であった越前屋晃一さんが居られた。彼の所属する三峰山岳会は80年の歴史を持つ古い山岳会である。我々と数十メートル離れた所にテントを設営した為に命運を分ける結果となったとするならば、彼女の気持ちも複雑なものがあったと思う。かつて、この場所には1973年にも雪崩があり、京都大学山岳部が5人の犠牲者を出している。但し、時期的には11月であり現場も400m程上流であることから、多量の降雪があったとしても一概に同じ条件ではないと考える。

1月2日(水) 小雪

5:00 予定通り起床
7:15 出発、イヌノクボ沢を下降する。
沢の下流は所々、沢床の水流が露出しており沢床途通りに下降が出来ず側面を迂回しながら下降する。膝上までのラッセルがあるものの、所々に先行した単独登山の2人のトレースもありスピーディに下降出来た。それにしても鈴木君がワカンを装着してトップで下降する中、ツボ足で遅れもせずぴったり付いていく坂田リーダー、この二人の馬力(見方によってはハンドルの無い暴走車)には頼もしさを感じる。
9:00 飛騨沢との出合に到着、ここで蒲田川右又谷の本流に出くわす。川の水量は多く、簡単に渡れるような場所が見つからない。先行者の渡渉地点は、どう見てもたっぷりと水に漬かっているように見える為、二手に別れ何とか濡れずに済む渡渉地点を探す。漸く坂田リーダーの見つけた場所を渡渉地点としたが水深15cm程の滑りやすい足場に苦労し、濡れずに渡渉できたのは僅か数名。下山日の渡渉で、さほどの問題は無かったが、入山日ならばダメージは大きいと考えざるを得ない場面だった。
10:00夏道の登山道に到着、よく踏まれた雪道を新穂高に向かう。(後で解ったが昨日、雪崩の遭難現場に向かった山岳救助隊と生存者の20~30名が数時間前に下山した為に完璧なトレースが出来たとのことである)
渡渉で足が濡れたメンバーは休んでいられないらしく、途中で休憩も取らず一気に新穂高に向かう。
この頃から上空をヘリコプターが行き交う。昨日は天候が悪く行動が出来なかった為と思われる。県警ヘリコプター6回、報道と思われるヘリコプター2回の出動があった。各機が往復するためしょっちゅう頭上でヘリコプター音を聞きながら新穂高へ向う。
11:35坂田・鈴木が新穂高到着、遅れること1時間以内で大和田、他5名が到着。雪に埋もれた車の除雪を行い平湯に移動し、平湯の森で入浴・食事を済ませ東京に向かう。思った程の渋滞もなく帰京できた。

今回の山行は同じ地域での大きな事故があったことも捕らえ、各人色々と考えることも多かったと思います。私なりに今回の山行を振り返り検証をしてみましたので、今後の参考にしていただけたらと考えます。

1. 予測天気図と実際

今回に関しては、支援天気図と週間予測が極めて一致していたこと、12月29日から崩れてきた天候の回復は1月2日頃からと読めたが、実際の天候も全くその通りでした。良い条件での登山を望むならば、好天に合わせて登山計画を組むべきかも知れません。然しながら、社会人で、しかも勤め人の場合、天気に合わせて山行計画を組んで実行することはなかなか出来る事ではありません。ましてや長期の休みが確保できる年末年始の場合は、現地での判断による行動しか方法が無いのが現実ではなかろうかと考えます。然しながら、ここまで科学的な予知方法が進歩してきた今日、パーティの命を預かるリーダーとしては、状況により総合的見地から日程の変更、山域も含めルートを大幅に変更すのも一つの選択肢と考えます。色々な山行での体験が経験として積み上げられる事により、的確な判断が出来る人材が育つことを期待します。

2. 雪崩の予知に関し

斜面に雪が積もった場合、重力とのバランスが崩れれば雪崩が発生するのは自然の摂理であり、これには斜度、積雪量で判断出る方程式や法則はありません。原則的に雪の斜面は雪崩れると考えるべきでしょう。自分の居る斜面が雪崩れるかどうかの判断は、それなりの知識と経験によるものが現状と考えます。今回の入山時にはブドウ谷、チビ谷及び滝谷出合上部の枝沢と、多くの沢に全層雪崩の跡がありました。しかし新たな全層雪崩が発生する為には、それなりの降雪と気温等の条件が必要となります。半面、条件によっては、同じ場所でも数回に渡り表層雪崩が発生することは充分にあります。地形と状況を見ることにより新たな雪崩が発生する要素があるか無いかの判断もできます。今回の槍平での雪崩事故に関しては、事故現場にいた訳ではないので断言は避けたいと思いますが、テントが潰された状態で流されていないことから考えると、奥丸山岳方面からの新雪表層雪崩によるもので、2m程の段差のある飛騨沢の沢床を越えた新雪がテントの上に落ちて来たことも考えられます。
私が参加した1975年のNepal Himalayaのダウラギリ主峰サウスピラー登攀の際に5名のメンバーを雪崩で失っていますが、雪崩を避けるために岩稜の末端に設営したキャンプに、隣のルンゼから溢れた新雪表層雪崩が岩稜を飛び越え落下したことにより、真上から潰されています。助かったメンバーは体を半身にして就寝していた事が要因と考えられますが、亡くなったメンバーはいずれも窒息死の状態でした。寝袋に入って就寝中、顔の上にテントの生地と雪が落下し、その重みで動くことも出来なかったと推測されます。
これらの状況から考えれば、雪崩の出ない斜面は基本的にあり得ないと考えることも出来ます。新雪表層雪崩の場合、落下する雪そのものもありますが、雪を含んだ雪煙状の衝撃圧の威力も証明されています。NET情報では長野、新潟の豪雪地帯で発生する「ホウ雪崩」と言われるもので、スピードは時速200km以上に及び、1938年12月に黒部川志合谷の工事用宿舎で84人、1918年1月に越後湯沢で158人、それ以外にも黒部川出し平で34人、竹原谷で21人と多くの犠牲を伴う被害が記録されています。

3. テント場(幕営地)の選択

冬山に向かう場合、絶対に安全な幕営地はあり得ないのが結論です。雪の少ない稜線、広大な平地は雪崩の危険性は無いものの、強風の脅威に晒されます。今回の槍平の幕営場所の選定に関し、西に槍平小屋、北に冬季小屋と樹林帯、東に南岳西尾根に続く樹林帯があり、あの場所での幕営地として考えた場合、比較的に安全性は高いと言えます。建物の近くに幕営する場合、建造物の屋根からの落雪、建造物の破壊による事故もあり得ますが、槍平小屋は東西に細長く建設されており、その東面に設営したことは、小屋の屋根からの落雪、建造物の破壊を受けるような雪崩、何れからも保護された場所と考えます。但し、風の向きによっては吹き溜まり場所となり、夜中に数回の除雪を迫られる場合も考えられます。幕営地の上部に斜面がある場合、雪崩に対して全く安全な場所はあり得ないと言っても過言ではありません。大きな雪崩は対岸にまで押し寄せてきます。森林帯でも樹齢が若く成長の早い潅木を見た場合(例えば白樺等)その樹林帯は長期的には大きな雪崩が発生している場合もあります。唯、それが50年に一度か30年に一度かは樹齢を見ることで目安にはなるでしょう。無雪期の登山を通して地形とともに沢の出合や対岸の植生等を観察しておく事も大切です。
中崎尾根の幕営地に関しては、尾根筋に出ることにより積雪・雪質も安定していることを期待していました。当初の幕営予定地は尾根通しにコル迄下降して更に登り詰め2,400m付近で幕営の予定でしたが、尾根上の積雪も多く不安定なことと、翌日の天候も期待できない状況から最悪閉じ込められて脱出する場合、改めてラッセルしながら登り返す労力と時間の無駄を考え、リーダーと協議して決定しました。翌日の幕営地に関しても同様なことが言えますが、冬の幕営地選定に当たって、利便性は二の次としてまずは安全性最優先で考えるべきです。
幕営地の決定をする際の要素として、冬山の日照時間も考慮に入れた時間的タイミングも重要です。勿論、時期によって日照時間に差はありますが、幕営の為の整地、設営に要する時間も考慮して、遅くとも日没の1時間以上前に幕営地に到達、又は選定を済ます必要があります。冬は日没と同時に、またたく間に暗くなります。パーティ登山の場合、メンバーの足並みにバラツキがある場合は特に時間的な余裕を持つ必要があります。

4. ラッセルに関し

今回の入山時、滝谷出合上部で会ったパーティの多くはワカンを持参していなかったか、持参しているにも拘わらず装着していなかった。近年、日本列島の温暖化現象か不明ですが山の雪は少なく、正月の上高地でも足首程度でラッセルなど考えられなかった。仮に多少の降雪があったとしても年末の暮れには何処もトレースが作られており、ラッセルの苦労などあり得ないと言った考えも当たり前の状況にあり、いきなりの大雪で立ち往生してしまったのが現状かと考えます。今回の冬山の天候状況は一昨年の爺ケ岳の東尾根~鹿島槍ケ岳の赤岩尾根依頼、久方ぶりにラッセルをしたと言う感じがしました。短時間での多量の降雪は状況によっては閉じ込められる可能性もあります。パーティとして、ラッセル力があるか無いかでは、あらゆる面での安全性にも繋がってくると考えます。今回の我がパーティには幸いな事に、坂田・鈴木の機関車並みの強力なラッセル車がいたこともあり、閉じ込められる心配は全くありませんでした。又、最近の傾向として、アルミパイプを加工したワカンが主流のように見えますが、つま先が長く装着も構造上、靴がフラットに接触することから平地での効果は認められる反面、斜面の登りには足首に負担が掛かってきます。それに伴い、ステップ確保の為の蹴り込みが要求されます。
雪の斜面に於いて、先行者のステップを崩しながら登ることは、新たなステップを作る必要が出てくる為、時間を費やすと同時に著しく体力を消耗します。ワカンでの歩行も登山技術の一つかと考えます。

5. 日程と予備日の関係

今回の山行計画の日程は予備日を含め、12月30日(前夜発)~1月4日でした。然しながら1月4日から仕事と言うメンバーが数人居ました。その為、実質的な計画は1月3日で予定を組んでいました。その意味では計画書も予備日を含め、現実的には1月3日までとするべきであったと感じます。
坂田リーダーが1月3日の夜から次の計画があるため、2日には下山したいとの希望は聞いていました。但し、これに関しては私としては極めて楽観視していました。何故ならば、リーダーとしての責任においてパーティで入山した以上は、次の山行等は二の次で、当然、現在、山行を共にしているパーティの安全が保証された上で初めて許されることが前提だからです。

(記: 清水)

スキーへのお誘い(犬塚さんからの手紙)

前略

今年の猛暑のあと鵬翔山行記録集の立派な一冊を受け取り働く忙しい方々が僅かな暇を見付けての山行とまた、ことこまやかな報告を執筆なさってそれを編集の纏めるまでのご苦労さぞや大仕事でどんなにたいへんだった事とお察し致します。早速ねぎらいのお便りをと思い乍らとうとう年末になって了いました。もちろんわずか乍らの寄付は直ぐにしました。老の見にできることは少額の寄付位でお許し下さい。私の大好きな鵬翔ですので、皆さんが気持を合わせて会を運営して下さる事が喜びです。
何とぞよろしく続けて下さい。

平成19年12月20日
犬塚寿子

別便、思うままに書き連ねました。乱筆乱文お許し下さい。

(別便)
Img_0001s日毎に寒さ増してきました。今年もあと二週間で終わろうとしています。定年退職後早や三十年近くなり歳月があっと云う間でした。しかし、その間の山行のなんと忙しかったこと。退職して身体がサンデー毎日となったので毎週近県の山や九州や北海道のハイキング位の旅行を楽しんでいたら、恵那山へ行く前夜体調がおかしくなって、翌日医者へ駆け込んだら急性肝炎で全体安静とのことでそれから半年足らずでこのままでいるより憧れのネパールの山を見たいと思い丁度チャンスがあったので、覚悟してサウスアンナプルナの山小屋まで足を伸ばし、その前にランタン谷で自信をつけ三年間で五回もヒマラヤを眺め最後はゴーキョピーク5360mで20km先のエベレストを遠望し、次はK2を見たくてパキスタンへ、ナンガパルパット等を眺め、航空機上よりK2を見下し、山も上からではつまらないと感じました。それからインドへヒマラヤの続きを見に飛んで満足し、最近は米寿になったので温泉旅行で我慢している身となりました。そして、この年でどれくらいの体力でハイキングができるのかしらとためしてみたくなり、去る六月の梅雨始めスポーツセンターで「初めてのハイキング」と銘うって参加者を募集していたので、全然知らない仲間と一緒なら甘えの心も持てないから却って自立身で歩けるのではないかしらと思い切って参加し、Img_0002s 30名位だったと思いますが山梨県西沢渓谷で前に二度行ったので大体分かっていたのですが、最初歩き始めは雨が大分降ってましたが、間もなくやんでどうやら完歩できましたので、ほっとしました。でもスキーは未だやるつもりですが、仲間が減ってしまって二才下の友人と二人になったのに、その友人も今年三月に妙高池ノ平スキー場でボードの若い女性に打っつけられて左大腿骨々折で家人に絶対駄目と云われ、現在単独スキー行になりました。
それで出掛ける場所は知人の居る妙高高原か丸沼スキー場に決めましたので、平日行かれそうな方はご一緒に滑走しませんか?お声をお待ちしています。。多分今シーズン位で続きそうもありません。Img_0003s

宝剣岳 – 檜尾岳(中央アルプス)

日程: 2007年11月23日(金)~25日(日) 前夜発
山域: 宝剣岳 – 檜尾岳(中央アルプス)
参加者: 清水(L)・塩足・斎藤・鈴木(泰)
行程:
第1日目: 千畳敷(9:55) – 浄土乗越(11:06) – 宝剣岳(12:00) – 遭難の碑(14:00) – 極楽平(14:30) – 濁沢大峰(15:30) – 檜尾岳中間コル手前(16:00/幕営)
第2日目: 檜尾岳中間コル手前(7:00) – 檜尾岳(8:00) – 引き返し地点(10:00) – 檜尾岳(11:40) – 赤沢の頭(15:30/幕営)
第3日目: 赤沢の頭(7:00) – 檜尾橋(8:15)

写真はこちらから(清水撮影齊藤撮影)

木曽駒と言えば千畳敷!雑誌などで見るたびに行きたくなる場所であったため、行く前から楽しみになり、家でも雑誌を広げて千畳敷を眺めていた。

前の晩は新宿から高速バスに乗り、駒ヶ根駅前にある立体駐車場の中にテントを張った。近くにはトイレがあり、0時まで開いているスーパーがありで非常に快適だった。
そして当日はロープウェーで一気に千畳敷まで上がり、建物の中でゆっくりと身支度が出来、少々違和感があった。千畳敷を見ようと外に出ると、雲も風も無く、目の前には見たくてしょうがなかった光景が広がっていた。やはり本物は期待を裏切らずきれいだった。青い空をバックに何枚も写真を撮った。

アイゼンを履くのに手間取ったが、清水さんと齋藤さんに助けてもらい、いざ出発!!
歩き始めてすぐに暑くなりだし、すぐに一回目の着替え休憩になった。ここから僕が一番目になり、清水さんに言われた通り、前を歩く人のトレースを追いながら後ろが離れてないか確認しながら歩いた。
すでに多くの人が先に入っていたため、乗越浄土までは快適な道が出来ていた。途中で一度休憩を取った時に、清水さんから雪山で休憩をするさいの場所の選び方を教えてもらい勉強になった。
この先も夏道が見えていたので、ジグザグしながら乗越浄土へ到着した。前方には木曽駒ヶ岳が見えた。
左側には宝剣小屋と本日のメインイベントの宝剣岳が見える。宝剣岳は岩という印象だったが、見たかんじでは困難さはそれほどないような気がして、生意気ながらも大丈夫だという確信を持っていた。
小屋の前で休憩をしながら、ザイルをザックから出して肩にかけた。何だか格好よくなれた気がして気分がよかった。宝剣に取り付くと、陽が遮られているために少し寒かった。あれだけいた人間も、宝剣を登る人はとなると、ほんの一握りのようである。そのため少しラッセルがあり、休憩で冷えた体もすぐに暖まった。雪が降ると岩が目には見えないため、たまに岩が邪魔で足の置き場を何度も探したりして体力を削られた。しかし、そんなことも初めての経験なので、どうすれば足場が一発で決まるだろうかなどを考えたりしながら歩いていた。そうしたらいつの間にか頂上付近にいたため、あっという間に宝剣の頂上に着いてしまった。なのでこの間の記憶がほとんど無いため、書きようがありませんでした。
宝剣からは御嶽山がよく見えた。御嶽山は僕が山を好きになるきっかけを与えてくれた所なので、その時を思い出しながらシャッターボタンを押した。そして頂上で記念写真を撮った。寒さの影響で、清水さんのカメラが少し体調不良気味だったが、なんとか持ちこたえたようだった。
下山は慎重に足を運んだ。一ヶ所だけ少し危なそうな所があったが、みんなザイルをだす必要も無く通過したので、ザイルはもう必要ないなと思っていたら、塩足さんが左側が1~2メートル切れ落ちている所でザイルを出してほしいという。そこで清水さんと僕が先に行き、清水さんがロープをFIXしようとしていたと思われるが、結局のところいい支点が見つからなかったために、スタンディング・アックスビレイを清水さんが行った。初めて見るスタンディング・アックスビレイは非常に興味深かった。そしてロープを操作する清水さんが格好よかった。
スタカット・ビレイをしている間に、単独者が先に行ったため、この先はずっとこの単独者のトレースを追うことになる。極楽平では、大パーティー(15~20人)が千畳敷から直接登ってきていた。このパーティーに追いつかれると面倒だということになり、濁沢大峰のキツイ登りも休憩をしないで一気に登った。ここの登りはラッセルと傾斜のせいで、すぐに息があがり苦しかった。しかし後ろの塩足さんはもっと苦しそうだったので、少し気休めになった。濁沢大峰から後ろをみると大パーティーがどんどん近づいてきていた。そのせいで疲れが抜けきらない内に早々と出発することになった。この時点で随分と時間が経っていたため、テントを張れる場所を探しながら歩いた。最終的には登山道の上にテントを張ったが、面積が少し足りなかった為にテントの一部が下に落ちていた。僕がそこに寝ることになったが、よく眠れなかった。初日の晩御飯は噂に名高い塩足さんのキムチ鍋が登場した。
キムチをそのまま担ぎ上げただけあって、とてもおいしかったです。
寝る前に外に出てみると少し欠けた満月が浮いていた。その明るさはヘッドライトがいらないほどで、周りの山すらよく見えた。一通り夜の山を見終わり、名古屋と思われる街の明かりに目をやった。平地に広がり続ける街の明かりを見ながら人間の力は凄いなーと関心しながらも、それらによる温暖化の問題が頭をよぎった。

翌日の天気も良好で、この日も単独者のトレースを利用するが、この日はスノーシューにしたらしく、アイゼンで踏み込むとズボズボと膝下くらいまで雪に埋まり、ちょっと辛かった。
桧尾岳に着く頃には風が吹き始めていた。休憩するときには風の無い所が必ずあり、そういった場所はポカポカとしていて気持ちよかった。桧尾岳から空木岳が見えたが、まだまだ遥か遠くのように感じられた。清水さんも今日中には予定していた所までは行けないだろうと言っていたが、この先で雪の状態が変われば大丈夫だということで空木岳を目指すことにした。単独者は桧尾尾根を降りて行ったので、ここからは白い雪面に一番最初に足型スタンプをつけられて、ちょっとドキドキしながらも嬉しかった。
カモシカの足跡を辿りながら歩いていたが、道は一向に良くならず、桧尾岳から1時間~1時間半程行った所で引き返して桧尾尾根を降りることにした。自分の作ったトレースだが、有ると無いとでは、かなり違った。途中で勝手に一部道を変えたが何も言われなかったので良かった。
桧尾岳から改めて予定していたコースを目で辿ってみたが、やはり長いな~と感じた。避難小屋の前でアイゼンを脱ぎ、小屋を覗いてみたが、シュラフが7つくらいあり、畳もあって快適そうであったが、ネズミに注意と書かれていた。
下山を開始してからすぐにラッセルになった。上から見ている分には、ほとんど雪が無かったように見えていたが、桧尾尾根の下山が一番深く潜り、意外に時間がかかってしまった。ここを降るからいいものの、もし登りだったら間違いなく途中で心が折れていたと思う。しかも距離がながい。こんな長い時間がかかる下山は初めてで、飽きるし眠いし完全に気が抜けていた。
この日のテント場は赤沢の頭で、またしても道にテントを設営した。水が無かったので雪を集めに行ったが、枝やら葉っぱやらの不純物が多く、塩足さんと清水さんが何度もタオルで濾して頑張っていた。
二日目の鍋は何鍋か忘れたが、とにかく痛い鍋だった。僕の口の荒れが尋常じゃなく、口の中はもちろんのこと、舌まで切れていて、熱さで痛くて、おまけに塩足さんおすすめのゆず胡椒が言葉すら失わせるほどに痛かった。あまりの痛さに涙が止まらず、僕は子供の頃に親に叱られて泣きながら食べたことを思い出した。食欲は完全に失せ、早くこの時間を終わらせたかったが、痛さでそれすらできず、久々にこんな最悪な晩御飯をむかえた。

下山後はこまくさの湯に入った。露天風呂から千畳敷を眺めることができ、気持ちよかったので、一人で長湯をしてしまった。
 
PS. 下山途中にムササビを発見したので、次回はカモシカとムササビを追いかけ回すのに来たいと思います。

(記: 鈴木(泰))

岩と雪の世界へ

日程: 2007年12月8日(土) – 9日(日) 前夜発
山域: 石尊稜(八ヶ岳)
参加者: 芳野(L)・志村・他1名
行程:
第1日目: 美濃戸口(7:20) – 美濃戸(8:20) – 行者小屋(12:00/13:00) – 中岳沢のコル(14:30) – 行者小屋(15:30)
第2日目: 出発(6:20) – 石尊稜取付(8:10) – 主稜線(13:30/13:45) – 行者小屋(14:30/15:10) – 美濃戸口(16:40) – 美濃戸(17:30)

12月8日(土)

今回は、前の会の仲間・S女史を誘った。一回りの年齢差があるが、いつもやる気にあふれ、頭の下がる人である。岩や雪稜のバリエーションに2人だけでも良く行ったので、気心が知れている。初めての志村さんには悪いが、今回はバリエーションだから経験者参加に目をつぶってもらうことにした。

美濃戸までの凍った道が私の運転では不安で、美濃戸まで走る車を横目に、車は美濃戸口止まりとした。美濃戸まではトレーニングと思って歩け歩けだ。美濃戸山荘前の南沢登山道入り口に「橋が流れ、通行止」のロープが張られている。エッ!橋はすぐそこなので入ってみると、丸太3本で仮の橋があり、難なく通過できた。30分先で左へ折れ上がるところを、先頭集団がそのまま沢沿いに進んで行く。「?」どう考えてもおかしいので、トレースはないが正規ルートを進む。1時間以上先でその先頭集団が後ろからやってきた。あのまま南沢を詰め、ドロドロになったと言っていた。この道は初めてなのだろうか。

行者小屋着は12時になった。阿弥陀岳ピストンは中止とし、テント設営後暖かい甘酒を飲み、のんびりとする。静岡山岳会の人達がいたので挨拶を交わす。時間があるので雪訓に行くという。私達も、穏やかで真っ青に晴れた空のもと何もしないのが勿体無く、中岳のコルまで歩くことにした。明日の石尊稜のためにいろんなピッケルの使い方を知って欲しかったし、合宿前だし、ただでは一日を終わらせてはいけない、と。

コルからは、冷たい風が吹き渡る中に権現岳方面が見渡せ、清清しくさえある、下山の途中でビーコンの練習を行う。シーズン初めにやらなければいけない事の一つ。お世話になりたくはないが・・ 16時をまわると日も陰り、寒さも増す。テントに入って女3人、お酒を呑みつつおやつをパクつき、お腹いっぱいになって眠りに着く。

12月9日(日)
私の時計はすでに5時20分を指していた。回りは静か過ぎるが、4時半起床の予定だったのであわてて起床を掛け、準備に取り掛かる。α米ができるまでに靴を履き、スパッツまで付けたのに「3時前ですよ」… 3時間も時計が早くなっていたらしい。ごめんなさい、ゴメンナサイ、すみません、申し訳ございません。また、寝た。そんなハプニングがあって、5時半出発の予定が6時を回ってしまった。

天気予報と違い、夜中に雪が降り続いていた。トレースを消す程ではないが、ヤな感じ。赤岳鉱泉近くの三又峰ルンゼに残るトレースに入る。でもトレースの上に雪が乗ったまま誰も歩いた形跡が無い。石尊稜に誰も取り付いていないなんて信じられない。不安になって地図で確かめたりした。トレースはそのまま沢を進み、壁が迫ると左手に上がる。左の尾根へ早めに取り付けば良かったが、膝までのラッセルのまま急登となり、7mのトラバースで尾根へ上がった。安定したところで準備を確認し、芳野リードでスタートする。樺の木でビレーをしたが、初めての志村さんにも1本を預け、その後の指導等コマゴマはS女史に任せる。

3mの草付き後、岩に取り付く。私もS女史も何回かこのルートに来ているが、アイゼンで取り付くしょっぱなの岩は、手強く感じる。良く探せば見つかるピンも、岩との保護色でキョロキョロするばかり。岩の凹部に薄っすらと乗っている雪を払って状態を確かめ、ピッケルを岩に引っ掛けて上がったり、小さな雪面に打ち込んで支えにしてみたり、アイゼンの前爪を利かせバランスを保つ。志村さんチャンと登ってコイよ、と思いつつ時々本気モード。ガバの様な手がかりも下向きだと手袋で滑るし、下から見て行けると思ったルートも悪かった・・ 1歩ずつ確認を取りながら進むので、下部2Pはかなりの時間を要した。その先は雪稜になるが単純でもなく、しかもザイルをつけたままの3人だと尺取虫状態で、距離を伸ばせない。途中下から2人パーティが登ってきたので道を譲ると、サッサと登って姿を消した。トレースをつけてもらう格好になったのは、ラッキーなのか? 天候は、吹雪いて晴れて、雪が舞ってまた青空がチラリ、そしてガス、と目まぐるしく変わり、寒さ厳しい八ヶ岳らしい。ガスが晴れると、八ヶ岳・岩稜帯の真っ只中にいる。その岩と雪の世界に、女3人だけ。チョット痺れますね! 上部は、細い岩のリッジから始まりガバがしっかりしていて、快適に登れる。右に回りこんで雪面を12m、岩で支点をとり一旦切るが、確保していて寒くて震えが止らなくなってきた。また岩のリッジから太い枝の下をくぐり左へ回りこみ、ルンゼ状から雪面へ。また岩にてビレーの後、左方向30mで稜線の縦走路に出た。

晴れていた。清里も赤岳も赤岳鉱泉も、全部手の中にある感じ。「お疲れー」と3人で握手を交わすものの、寒くてたまらない。ザイルを片付け少し下ると、風が当たらない暖かかい場所だったので休憩とし、やっと食べる物にありつく。終了した達成感と危険地帯を離れた安堵感、そして疲労がない交ぜになった状態で、地蔵尾根を下る。途中、自分達が登った石尊稜のトレースが見える。よく登ったね、志村さん!1月の編笠山とは雲泥の差じゃない。登れば登るほど、登れるようになるのだ。
行者小屋でゆっくりしたかったが時間に余裕は無い。片付けながらお茶を沸かし、温かい飲み物をおなかに入れると落ち着いた。美濃戸まで休憩せずに歩き、最後の坂をぜぇぜぇ登って美濃戸口の駐車場に着く頃は、真っ暗だった。

延命の湯にてさっぱりし、その食堂にてお腹を満たして帰路に着く。本当にお疲れ様でした。

(記:芳野)

——-
雪上訓練前に雪山に行きたい。と思った。
芳野さんに連絡すると、快くOKの返事を頂いた。お願いしたのは自分なのに、仕事が立て込んでいる事を言い訳に、計画の一切をやってもらってしまった。これにも言い訳するとすれば、芳野さんの計画や食事や装備等の技術を盗もう作戦なのだ。
八ヶ岳は丁度1年前の雪上訓練。ヒーヒー言いながら行者小屋に辿り着いた印象が強烈だ。
今年はどうだろうか?
前夜発。荷物を詰める程に募る不安感。私の不安度は荷物の重量に比例している。これに水を入れると思うと憂鬱な重量だ。
芳野さんが以前に入っていた山岳会の友人のSさんと、女3人の山行が始まった。
美濃戸口よりゆっくり歩き始める。結局、テント等重量装備を芳野さんが担いで下さる。いつもながらカッコいい。去年と同じルート(しかし荒れていた)をやはり去年と同じ位のヘタレ具合で到着した。もう1歩も歩きたくない!成長のない自分。1年という時間は私にとって何だったんだろう…?
12時までに出発できるようであれば阿弥陀に登る予定だったが、出来なかった。本当に申し訳ないと反省する。ピーカンに晴れた素晴らしいメルヘンな雪景色の中で、甘酒を飲んで一息ついた。静岡山岳会の面々が近くで休憩しており、久しぶりの再会を楽しむ。いつも清水さんが山で知り合いに会うのをすごいなーと思っていたけど、私も少しは山の世界で顔が広くなった?なんてね。
阿弥陀の登頂は無理としても、行ける所まで行こうということに。空身になっても、既に足は重い。途中静岡山岳会の雪上訓練中に出会うと、見得を張ってそこだけでもスタスタ歩きたい!と思うが、張る元気もなかった。呆れました?恥ずかしいけど、仕方ない。私がノロノロ登るのを待ってもらって訓練の邪魔を…すみませんでした。
コルに立つと、小同心・大同心が見える。急峻な岩である。『山』ではなく『大岩』に見えた。明日登るルートはさっぱり分からず。しかしとても難しい事は分かった。
下山し、ビーコンの使い方を教えてもらった。ビーコンは鵬翔内で目下の議題。購入・トレーニング・実践と待っている。あまりの高価商品に躊躇う私だが、後を尽きない雪崩事故にやはり買うべきなのだろう。自己防衛として。ゲームの様に宝探しをしているのは楽しいけれど、探すのは至難の業だ。雪崩が起きたイメージをすると怖い。探す立場になった時、今より力がついている事と火事場の馬鹿力が出るのを祈るばかり。
石尊稜へ。
出発すると、また、静岡山岳会の面々に会った。気合を入れなおす。
昨年、平野さんと坂田さんが行ったルート。人気なので待ち時間が寒かったと聞いていた。トレースもばっちりなのかと思っていたら、誰も居なかった。昨日のトレースの名残がある程度。雪をかきながら進むが、私にはラッセルもままならない。初バリエーション。見上げる先には岩壁が聳え立っている(ように見えた)。アイゼンの先で登るのに勇気がいる。
「ロープ着けて」その瞬間、何故か頭の中が真っ白になった。え?どうやるんだっけ?
ハーネスにロープを着ける方法がすっ飛んでしまった。あまりの事態に言い出せず、焦ってロープをひねくり回している内に、なんとか思い出し、正気になった。
セルフをとり、ロープを整理する芳野さんを手伝っていいのか分からない。狭いスペースに割り込んで逆に邪魔なのか、それともやはり近寄ってロープのもつれを解いた方がいいのか…。しばらく考えるが、狭くても落ちる事はないと判断して近寄ってみた。
「これからビレイ中寒いから何か着るなら今だよ」と言われ、「大丈夫です」と答えたものの服を着るのは大変なのでネックウォーマーだけをつけた。この判断で救われた。本当は服も着れば良かったのだけど…。芳野さん先頭で登り始める。「上がってきて」「セルフとって」「先行って」「ロープ上げて」「ビレイして」…と次々に指示を飛ばしてもらう。支点も岩だったり木だったり、ハーケンだったり、状況に応じた判断が要求される。当たり前なそんな事も初めてなので新鮮に感じられた。とにかく、登る事に集中する。無雪期の岩に登るのとはやはり全く違う。手袋3枚重ねではホールドをしっかり掴めないし、アイゼンの前歯で立つと踵が浮いて靴が脱げそうな感覚なのも心もとない。ピッケルで岩を捉えるのも、不安だ。しかし、フリーの岩場とは違い、必ず捉えられる場所が見つかった。
「足元良く見て」と下を向くと高度感があって、とても怖いので、足元の下は見ないようにする。天気がイマイチだ。うす曇から突風、薄日、雪、と目まぐるしく変わる。寒くて足は震えたままだが、富士山の経験を生かして、震えたまま発熱を心がける。耐寒訓練より寒いじゃん!太陽出ないかしら。その反面「日焼け止め塗ってない。太陽出たら紫外線に当る!」なんて乙女心が本当に面倒くさい。
途中、ベテラン&若手の二人組みがカマキリの様に現れて去っていった。きっと去年の平野-坂田組もこんな感じだったんだろうなぁ~。
時間が気になる。目指す終了点はまだ遥か先だ。芳野さんも心配しているだろう。無我夢中で上を目指すと、延々と終わらないかと思われた岩壁が最後雪の斜面になって、突如終わった。
芳野さんの笑顔が私を迎えてくれる。「ここが縦走路だよ!良く頑張ったね~!」と。3人で手を取り合うものの、放心状態でぼーっとしてしまった。今までのイマイチな天気が、私たちを労うかのように、ぱーっと晴れて青空の元にルートを浮かび上がらせてくれた。こんな所を…。やはり、喜びよりも、夢を見たかのような現実離れした感覚が続いた。
昨年の赤岳登頂時は猛吹雪だった。晴れた冬の八ヶ岳の険しい山容が目前にある。格好いい山だ。最高だ!
強風から逃れ岩陰に腰掛けると、登攀中に出来なかった行動食を簡単に食べた。
後は下山。つかの間の稜線を楽しみ、あっという間にテント場に戻った。
急いで撤収作業をすると、日暮との競争で一気に美濃戸口へ。真っ暗になり、そこから駐車場までの林道に辟易した頃、今回の山行は終了した。
温泉に入り、隣の食堂に入る。いつもなら食欲を失って「蕎麦を…」と言う所。同じように「お蕎麦にします」と言った後、「やっぱりコロッケ定食!」と。コロッケ定食が食べたいと思える自分に驚いた。あ~、私の成長はお蕎麦からコロッケ定食分なんだ…。と思うと笑っちゃうやらがっかりするやら。
今まで何度か石尊稜に登っているという芳野さんに、「今までで一番登頂が嬉しかった」と言わしめる程、迷惑をかけてしまった。今回も登っている最中は”もう辞めよう”

雪上訓練

日時: 2007年12月15日(土) – 16日(日) 前夜発
山域: 谷川岳天神尾根
参加者: 清水(L)・国府谷(SL)・飯田・平井(16日)・坂田・塩足・志村・松林・土井・齊藤・鈴木(泰)・佐藤
行程:
第1日目: ロープウェイ乗り場(8:05) – テント場(9:40) – 雪上訓練(11:30/14:50)
第2日目: 起床(5:00) – 出発(7:00) – 熊穴沢避難小屋(8:15/8:30) – テント場(9:00/10:30) – ロープウェイ乗り場(11:00)

12月14日(金) 小雪

天神尾根雪上訓練に参加した。今回は松林さんの車にお世話になる。夜10:30に新宿西口ロータリーに集合。
10分前に松林さんと合流。その後、国府谷さん、佐藤さんが着き、土井さんが仕事から抜け出してきた。
土合駅近くまでほとんど雪はなく、結局ロープウェイ駅までチェーン無しで到着。

深夜1:30 ロビーに向かうが、もうほとんど寝静まっていて手分けをして探すも鵬翔の判別がつかない。
適当に場所を決めようと思った矢先に知った顔が大きないびきを掻いていた。
後着組のささやかな酒盛りの後、寝袋にもぐる。

12月15日(土) 晴れ

Dscn1466s  朝、周りの支度の音で目が覚めるが鵬翔のメンバーはまだ半分も起きていない。
ほとんど周りがいなくなった頃、ようやく支度が始まった。6:30起床。
しばらくして外を見ると、もうロープウェイが動いている。
土日祝日は1時間早く7:00から営業すると分かった。
8:00にロープウェイに乗り込み、天神平スキー場へ8:20到着。天神尾根を登り始める。
トレースはあるものの雪が多く登りずらい。
元気な若者集団(坂田、志村、佐藤、鈴木の面々)はトレースを外し、腰までのラッセル訓練で登っている。
(その元気がうらやましい。)
Dscn1467s 1時間ほどでテント場にする天神峠に到着。設営にかかる。テント場も大賑わいで方々にテントが設営されていた。
11:30 設営終了で今回目的の雪上訓練が始まった。
昨日に降った雪が斜面に積もりまだ柔らかい為、固めて練習場を作る。
雪上歩行・滑落停止・スタンディングアックスビレイ・コンテの停止 等々を教わる。
転がり役が上から勢いをつけて転がるのでアックスビレイが吹っ飛ぶ経験は参考になる。
昼もわすれて練習していたせいか、陽が傾き始めた頃にはお腹がすいてきた。14:50に練習を終了する。
テント3張りに分かれ、夕食は大テントで皆で食べる。おいしい○○鍋でした。○○が思い出せない。でも味も良く、おいしい鍋でした。食当様。
稜線のテン場の為、夜は時に強烈な風が吹き、テントの上にも音をたてて雪が積もっていた。Dscn1486s

12月16日(日) 風雪

翌日、小テント組(国府谷、松林、齊藤)組は少し早出をして、西黒尾根経由で下る計画だった。
4:30に起床。素うどんを食べ6:00に出発しようとテント撤収するが、朝から風が強く、吹雪状態が
収まらない。大テントに相談をし、一緒の行動とする。
テン場はそのままで、7:00天神尾根を登り始める。他のパーティーも同じルートで活動を始めた為、一時渋滞待ちに。相変わらず横殴りの風雪が吹き抜ける。昨夜の雪で一層

つぼ足も深くなっていた。
8:15 熊穴沢避難小屋到着。雪もだいぶ深く、これより先は止めテン場に戻る。
9:00 テン場に到着。ちょうどこの頃、平井さんが合流する。
10:30 撤収。ロープウェイにて麓へ。
帰りの立ち寄り湯は湯テルメ谷川(550円)で暖まり帰路についた。

今回の谷川は日中の寒いときで-5℃。夜の寒いときでも-10度でキンキンの寒さではなかった。
それでも雪は十分に有り、それぞれ収穫があったのではないでしょうか。
幹事、講師のみなさんありがとうございました。

後日談に、帰京後ジムで岩トレが催されたと聞きましたが・・・(育ち盛りの食欲のようでスゴイ)

(記: 齊藤)