2018キリマンジャロ レモショルート

2018824日〜29

参加者:林

 

行程

8/24(1日目) REMOSHO GATE(2100m) – Big Tree CAMP(2780m)

8/25(2日目) Big Tree CAMP(2780m) – SHIRA2 CAMP(3900m)

8/26(3日目) SHIRA2 CAMP(3900m) – LAVA Tower(4640m) – BARRANCO CAMP(3960m)

8/27(4日目) BARRANCO CAMP(3960m) – BARAFU CAMP(4640m)

8/28(5日目) BARAFU CAMP(4640m) – STELLA Point(5730m) – UHURU Peak(5895m)

BARAFU CAMP(4640m) – MWEKA CAMP(3080m)

8/29(6日目) MWEKA CAMP(3080m) – MWEKA GATE

 

 

 

 

2018年夏、アフリカに行ったのでせっかくだからアフリカ大陸最高峰キリマンジャロに登って来ました。

 

 

8/23(0日目)

 登山開始前日にタンザニアに入り、キリマンジャロ登山の起点となるモシという町に向かう。モシの町で登山に必要な手続きを諸々済ませる。日本から現地ガイドには連絡をしてあったので問題なく手続きは進んだのだが、ある程度の金額をキャッシュで払わなければならなかった。USドルで払うつもりだったのだが、タンザニアに来る前に手持ちのUSドルをほとんど使ってしまっており現地のATMで現地通貨を引き出すことに。その時のレートが1USドル=約2300タンザニアシリング。500ドルほどキャッシュで払う必要があったので約120万タンザニアシリングが必要になる。1万シリング札で120枚。物価の違いからなかなか手にする機会がないであろう量の札束をATMから引き出しリッチになった気分に。

 

 

8/24(1日目)

 9時出発って聞いてたのに8時過ぎにはガイドさんがご丁寧にホテルの部屋まで迎えに来てくれる。ここでは約束の時間は当てにしてはいけない。急いで朝食をとり準備。

キリマンジャロは現在ガイドを付けないと登ることが出来ない。それに加えポーターやコックもパーティーに加わる。私のパーティーはガイド1名、コック1名、ポーター4人に私を加えて計7人。たかだか1人登るのになかなかの大所帯だ。

 

 

 モシの街から登山口までは車で向かう。キリマンジャロには登山ルートが何本かあるが今回私が選んだのはレモショルート。距離は長いが比較的入山者が少な(いっぱいいた。。)、キリマンジャロを西からぐるっと回り込んでいくため景観が良いとのこと。そして場所によってはシマウマやバッファローが出てくることもあるらしいのだ(これが決め手。出なかったけど)

 

 

 道中、入山の手続きやポーターの荷物チェックが入る。ポーターの荷物は1人あたり上限が20kgとのこと。過酷な仕事ゆえ荷物が重すぎると体を壊してしまうのだろう。ただ上限の20kgに加え自分用の荷物も多少あるので結局30kgくらいになっているように見える。

 

 

 なんだかんだしているうちに時間も経ち歩き出したのは13時頃。最初は熱帯雨林の中を歩いていく。ガイドのバルタザァリはとてもゆっくりゆっくり歩くので息も上がらずのんびりと。2時間半ほどで初日のキャンプサイトに着いてしまった。先に登っていたポーターさん達がすでにテントを立ててくれている。しかも中に入ってびっくり仰天。テーブルにお茶セットとポップコーンが用意されていた。至れり尽くせりである。夕食に魚のフライと山盛りのポテトが出てくる。揚げ物をするために油も担ぎ上げて来ていたようだ。おかげさまでボリーム満点で大変美味しゅうございました。

 

 

8/25(2日目)

昨夜の夕食に続き山盛りの朝食をいただく。見せてもらった食材のかごにはアボガドだのパパイヤだの生卵だのetc…まだまだ多くの食材が今か今かと出番を待っている。どうやら太ってキリマンジャロから帰ることになりそうだ。

 

 

この日はシラ2キャンプまで15kmほどの行程。昨日よりバルタザァリの歩くペースが早くなっている。ちょっとは歩ける奴って認めてもらえたのだろうか。ポーター達とも抜きつ抜かれつ。標高3600m程までくるとただっ広いサバンナが広がっていた。富士山頂に近い標高にこれだけの平原が広がっていることにアフリカのスケールの大きさを感じさせられる。

 

 

ここから先は傾斜の緩い道を登っていく。バルタザァリはしきりにポレポレ(スワヒリ語でゆっくりの意味)行こうと言ってくる。ポレポレ歩く。

 

 

キャンプサイトに着くとまたお茶を飲み山盛りのご飯だ。ここまで来ればキリマンジャロが目の前に見えるはずなのだが曇っており見えない。タンザニアに入ってから山には雲がかかっておりまだ1度もキリマンジャロを見れていなかった。

 

 

周りを見ると自分たち専用の持ち運べるトイレを持って来ているパーティーがちらほらといる。キャンプサイトには共用のトイレもあるのだがそれを使いたくないらしい。そんなに汚いわけでもないのに。トイレを持ってくるにはそれを担ぎ上げるポーターが必要になる。それによってポーター1人分の仕事が出来る。もちろん共用のトイレも誰かが掃除して管理してくれているから使うことが出来ているのだけれども。理屈はそうなのだけれども、私はどうも自分の使うトイレを人に担がせるという行為には抵抗を感じてしまう。何かそれは違うような気がする。

 

 

夜、目が覚めてテントから顔を出すと雲が切れており、目の前には月明かりに照らされたキリマンジャロが広大な裾野を広げていた。

 

 

8/26(3日目)

今日は高所順応のため一度標高4640mのLAVAタワーまで標高を上げた後、3900mのバランコキャンプに向かう。今まで登った最高点が富士山頂の自分にとってはここからは初めての標高になる。キャンプを出てからゆっくり歩いて3~4時間でLAVAタワーに着く。高山病の兆候もなく体調も問題ないようでホッとした。

 

 

ここまで問題なく歩けているのはほぼ空身でいる影響が大きいと思う。荷物は全てポーターが持ってくれるので自分で持つのはカメラと雨具と水と行動食くらいだ。片やポーター達は大きな荷物をズタ袋に入れて頭の上に乗っけたりオンボロのザックに入れて運んでいる。中にはジーンズ姿であったりボロボロのスニーカーを履いている人もいる。海パンの人もいたような。。我々の考える登山の装備やウェアなんて彼らには御構い無しだ。もっとも貧しい人が多くそんな装備を買う余裕なんてあるはずもない。生活のためにここで仕事をしているのだ。日本から来て言ってしまえば遊びのために山に登っている自分に比べて、生きるためにあり合わせの装備とも言えない格好で山に登る彼らはとても強い存在だと感じさせられた。

 

 

そして3日目になって確信したことがある。どうもこのパーティーの皆さんはトイレの近くにテントを張る傾向があるようだ。便利なようにと気を使ってくれているのかもしれないけれど、ぼっとん便所の風下ともなるとさすがにちょっと。。。

 

 

/27(4日目)

 本日は最終キャンプであるバラフキャンプに向かう。朝からガスがかかっており出発してすこしするとあられが降りだした。結構な降り方でしばらくするとあたり一面うっすらとあられが積もってしまった。

 

 

 途中にあったキャンプサイトで昼食をとる。昼食をとるためにテントを立てて、調理した暖かい昼食を用意してくれた。これ食べている間に最終キャンプまで行っちゃってそこでしっかり休んだ方が良いんでないかい、とか思ったり思わなかったり。しっかりお昼を食べて最終キャンプに向かう。

 

 

 最終キャンプの標高は4600m。ここにきて多少の頭痛を感じるようになった。急激に動くと息切れもする。空気が薄いことを実感させられてしまう。さて、明日はいよいよ頂上アタック。夜の1時に出発するとのこと。順調にいけば明るくなる頃にはピークに着くだろう。食事をとりさっさと寝て体を休めることにする。18時ごろには就寝。

 

 

8/28(5日目)

 予定通り深夜1時にバラフキャンプを出発。睡眠をとったことで出発時には頭痛は収まっていたものの歩きだしてしばらくするとやはり軽い頭痛がする。何度もキリマンジャロに登っているバルタザァリでも頭痛がすることはあるとのこと。しかし5000mを過ぎたあたりから呼吸が苦しくなってくる。呼吸を意識して深く息を吸う。急激に動かないようにする。それなのにバルタザァリは前の人を抜きたがる。頂上に向けて人が多く行列になっている箇所もあるから気持ちもわからないではないのだけれど。「よしっ行くぞ」って行列の脇を小走りに抜いていく。やめてくれっていうのも悔しいからわたしもそれについていく。苦しいんだよ。

 

 

 この日は満月。月明かりでヘッドライトなしでも歩ける。時折冷たい風が吹き上げる。

何だかとても気持ちが良い。

 出発から4~5時間でステラポイントと呼ばれる場所に着く。キリマンジャロの最高点はウフルピークという場所なのだが、ステラポイントまででも一応登頂として認められるらしい。富士山でいうとステラポイントが頂上浅間大社でウフルピークが剣ヶ峰といったイメージだろうか。

 

 

 この辺りから、どうも意識がふわふわした感じになってきた。これは結局テントに戻るまで治らなかった。後から気がついたが高度からくる眠気だったように思う。本当に眠かった。

 

 

 ここからウフルピークまでさらに1時間ほど。氷河が現れて場所によっては氷の上を歩いていく。ウフルピークに着くタイミングでちょうど雲が切れて眺めが良くなった。いいタイミングだ。ピークは写真をとる登頂者でごった返しており当然私もその中の一人に加わる。バルタザァリと一緒にピークの看板前で写真をとり登頂を喜び合う。やっぱり頂上は嬉しいものだ。

 

 

 あとは下るだけ。眠気と格闘しつつ今来た道を下りキャンプへ。待っていたポーターさん達に登頂成功したことを伝えると、彼らも喜んでくれた。ありがとう。キャンプでしばらく休憩したあとは、さらに標高を下げたところにあるムウェカキャンプまで一気に下り、頂上アタック日の行程を終える。

 

 

8/29(6日目)

 キリマンジャロ登山も今日が最終日。最終日と言っても昨日登頂しているので今日は下山するのみ。出発の準備も終わりいざ出発というところでパーティーのみんなが歌を歌ってくれた。キリマンジャロの歌。彼らにしたら仕事の一部かもしれないのだけれども、私のために歌ってくれるその行為は、少し気恥ずかしくもあったがとても嬉しかった。

 

 

 最後にみんなに感謝を込めてチップを渡す。仲介しているオフィスからもらう給与は十分とは言えない金額らしく、このチップが貴重な収入になるとのこと。そういうことならケチらずに払おう。良い仕事に対してはそれなりの対価を支払うべきだ。良いチームだった。おかげさまで無事キリマンジャロに登ることが出来ました。みんなありがとうございます

 

 

 車の入れるムウェカゲートまであっという間に下りキリマンジャロ登山はこれにて終了。モシの町のホテルに戻り数日ぶりのシャワーとタンザニア産の「キリマンジャロビール」というイカしたビールを味わいつつ、この日の夜はしみじみとキリマンジャロ登山の幸せな余韻を味わった。

 

 

 個人的にはもう少しシンプルに登ってみたかった気もするが、現状を考えるとこのような形の登山になるのだろう。

 キリマンジャロはどこか富士山に似ているなと思う。

富士山を2回りくらい大きくしたイメージ。確かに大きく1回りではなく2回り分くらい大きい。

 

 

特にクライミング要素はなく歩けば登れるところ。ルートが何本かあり好きなところから登れるところ。ステラポイントとウフルピークという2つの頂上ポイントがあるところ。人の多さ。山頂前の渋滞。やはり富士山に似ていると思う。

 

 

 ただアフリカの広大なスケールの中を歩くことはとても気持ちが良かった。そして山で働き生きるガイドやポーターの人々はとても強くカッコよかった。

(記:林)

 

八ヶ岳・赤岳

清らかで美しい八ヶ岳

日時:2019年4月3日(水)
山域:八ヶ岳
行程: 赤岳山荘(6:50)行者小屋(9:10)-文三郎尾根-赤岳(11:35)-地蔵尾根-赤岳山荘(16:00)
参加者:松林(L)・雨宮

 

3日 曇り、晴れ
先日旭日岳東稜の尾根から眺めて見た美しく雄大な赤岳。
考えてみたら赤岳周辺はアッチコッチ登っていたが秋に一回登っただけの赤岳。
トレーニングも兼ねて日帰りで文三郎尾根〜赤岳〜地蔵尾根。

4月になってもっさり降った雪。
澄んだ空気と雲の間から射す太陽の光は八ヶ岳をより際立て美しく仕上げていた。
「たまらん、ここは楽園か」
森も最後の白化粧です。

 

 

後から登ってきたおねい様が
「2月より雪があってビックリした」と。
やったー。
稜線は風もあったがひどくもない。天気も晴れ?
このまま稜線上を歩き続けたいと思う景観であった。

お地蔵さまが我々の下山を見守ってくれる。
ありがと様。

 

 

積雪のせいかトレースも消え道を一度ロストするが登り返して急勾配を雪に遊ばれながら滑りくだり無事行者小屋へ。

珍しくお湯を沸かして、カップラーメンでお腹を満たし。
熱いコーヒーを飲みながら、
目の前に広がる岩肌に化粧されたお洒落な白をゆっくり眺めた。
木々に付いている白い衣装も、じきに流されて若緑が芽吹いてくるだろう。
(記:雨宮)

 

西丹沢山系縦走

日時:2018年6月3日(日)晴れ
参加者:松林
行程:西丹沢ビジターセンター(8:10)-檜洞丸-蛭ヶ岳-丹沢山-塔ノ岳-大倉バス停(18:45)
                 

日曜祝祭日は新松田駅からの始発バスが7:10発と平日より1時間以上早く出発する。

大倉に着けば夜遅くまでバスもあるので体力とヒザの調子を確認するためチャレンジしてみた。
ここならコースタイムをオーバーしても何とか日帰りできそうだ。

 

7:00発の臨時バスは登山者で座席はほぼ埋まっていた。檜洞丸に登る登山者がこれほどいたとは内心びっくり。8:10西丹沢ビジターセンター出発。
途中の休息地もマイカーで来た登山者があふれていた。

 

10:50檜洞丸着。登りはコースタイムを切って順調。檜洞丸から蛭ケ岳までは登山道も狭く登山者が激減して縦走者がわずかなことがわかる。
コースはアップダウンの繰り返しで遠くに見える蛭ケ岳がなかなか近くならない。蛭ケ岳直前のキレットからの急登は鎖場・岩場が続きハイキングコースと様相が一変する。
後方から何組ものトレラン組が追い抜いていく。トレランにも人気のコースらしい。
彼らはフラットな登山道は走り回り、登りでも軽快で早い。昔は私も・・・と一抹の寂しさを覚えつつ「私は無理はしない!」と自分を納得させながら横目でやり過ごすことにした。

 

13:45蛭ケ岳に登頂。一応、コースタイム内で満足!
蛭ケ岳からは登山者も増え、登山道も整備されている。私も大倉から3回このコースは来ているのでここから先は気分的に楽になった。
木道もずいぶん整備されていたがこの木道と登り階段が歩幅に合わない。脚がつり出し、ヒザがうずき出した。
芍薬甘草湯とロキソニンを飲みながらも休み休みの歩きになってきだした。

 

15:30丹沢山で長めの休憩を取った後は気力で16:30塔ノ岳に。この時間帯は行き交う登山者が激減する。
2本のトレッキングポールでリズムを作り、強引に脚を引きつけてペースダウンを防ぎながら膝をかばって大倉尾根を下る。何度も登りなれた尾根が暗く長く感じる。

 

18:45どうにか大倉バス停に到着。登り出しが8:10だから休憩をこまめに取った割には11時間のコースタイム内で下山できたことに自己満足。だましながらももって
くれたヒザに感謝の一日だった。
(記:松林)

2018 春山 明神岳東稜

 

日時:2018年5月5日(土)-6日(日)
山域:北アルプス南部
参加者:久世(L)・松林・西本
行程:
1日目:沢渡(6:30)-明神(8:00)-宮川のコル(9:40)-(11:00)ひょうたん池(12:00)-第一階段(13:00)-幕営地(17:00)
2日目:幕営地(6:00)-バットレス下(6:40)-バットレス取付(7:00)-頂上(8:40)-奥明神沢のコル(10:00)-(11:30)岳沢小屋(12:00)-上高地(14:00)

 

 

私事ですが、昨年の11月に足の肉離れをおこし、その後のザイル祭の時のハイキングで再び悪化させてしまい、1月はお休み。

2月に何とか頑張って東京マラソンには出場出来たのも束の間で、3月はゴルフで腰痛を再発してしまい、3-4月はまたもお休み。これも日頃の悪行の報いであると観念するしかありません。さすがにGWは何とか山に行きたいと思い、松林さんと若い西本君と明神東稜に行くことが出来ました。
ただ諸々あって2日間での山行だったので、穂高の頂を踏むことはできませんでした。

 

 

 

前夜、調布で松林さんにピックアップしてもらい、一路西本君のいる沢渡を目指す。
東京は長袖Tシャツ一枚にサンダルでも、ちょうど良いくらいだったが、沢渡に着いたらとても寒い。それもそのはず、前夜は上高地でも雪が降ったらしく、しかも涸沢では結構積もったとの事であり、道理で寒いはずである。西本君は暖房のある公衆トイレの中で、ずっと待っていたとの事で、悪いことをしてしまった。

 

朝、ちょっと雨が降ったので、少々出発が遅れ、6時半沢渡を出発。タクシーで上高地まで入り、7時には上高地を出発する。明神で横尾方面の林道から外れ、明神池傍の養魚場跡から、ひょうたん池までの踏み跡をたどることになる。判りやすい踏み跡を辿り、上宮川沢を登ることしばらくで、9時40分宮川のコルに這い上がる。

 

雪化粧された宮川のコルの少し先に、4~5人の先行者がいた。かなり軽装なので日帰りアタックかなと思い、聞いてみると長野県警との事、何だろう?
ただ軽装の上、日頃から鍛えておられる県警の方の馬力は凄くて、宮川のコルからひょうたん池までラッセルして頂くことになった。11時にひょうたん池に着くと、東稜にて事故があった事を教えてくれ、ヘリコプターがこれから飛来して、救助活動を行うので、しばらくひょうたん池にて留まる様、依頼される。

 

指示通り、ひょうたん池で大休止、前夜の天幕跡も2か所ある。そのうちヘリがやって来たが、思ったより風が強いのか苦戦している。結局、数回収容を試みたが引き揚げてしまった。一時間以上留まったが、我々も出発することにする。しばらく登ると第一階段と呼ばれるところに突き当たる。一昨日の雪が不安定にのっていて少々悪いので、ここからロープを出して登ることにする。出だしの部分が少し悪いが、その他はそうでもない、しかしながら落ちれば致命的な場所なので、そのあと3ピッチほど、ロープを延ばす。

 

 

途中で負傷した人を下すのとすれ違う。見た目ではちょっと負傷云々が判り辛い感じだった・・・。ロープを外すが、そこから先はラッセルとなる。吹き溜まりでは胸までの雪があり、思ったより時間がかかってしまった。ラクダのコル手前で幕営として、本日の行動を終了する。
実は昨年GWの小窓尾根も入山初日にヘリコプターが飛来して、負傷者をピックアップする現場を間近に見ており、さすがに2年連続で、そのような場面に遭遇するとは、さすがに嫌な感じである。少し風が強いが、問題なく夜を過ごす。

 

 

翌朝6時出発。6時40分にバットレス下の岩場に着く、ここからロープを出して1ピッチ登ると、バットレスの取り付きである。7時バットレスを登攀開始、一歩スタンスの乏しいところがあるが、登攀は1ピッチのみ、上部の雪壁部分で更に2ピッチロープを延ばすと、本当に少しの登りで8時40分、明神岳の頂上に着いた。
頂上でのんびりしていると、明神岳2峰に数パーティがやって来た。結構、主峰縦走もいるのだと感心しました。

 

 

下山は前穂高岳との間の奥明神沢のコルから、奥明神沢を岳沢まで下ることとする。奥明神沢のコルの手前で、一回懸垂下降をしてコルまで下りると、後から数パーティがやって来た。思いのほか、賑やかなコルから、奥明神沢を下るが、最初は傾斜も強く、後ろ向きでの下降となる。なんだかんだと結構下まで、急な傾斜だったが、沢の中は雪が繋がっていて助かりました。
11時半に岳沢小屋に着き、アイゼンを外すと、夏道をのんびり歩いて、相変わらず観光客の多い、春の日差しが眩しい上高地まで下りました。
(記:久世)

2018城ヶ崎シーサイド

  • 二日で一本

日程:2018年12月15日(土)-16日(日)

山域:伊豆 城ヶ崎

参加者:国府谷 他1

 

 

 

12月15、16日はS木さんと城ヶ崎シーサイド。

今シーズンは最初で最後かもしれないともかくふたりでトラッド。

まずは、アップでニュートロンを途中まで。のつもりが最後の乗越部分で掴んだホールドが壊れて落ちた。下の人に岩がぶつからないでよかったけど。

注意しないと。

 

ついでにイントロダクション途中までも登ってみる。

よくオブザベしてからアーリータイムス。トップロープでは登らせてもらっていたけどリードは初めて。

真ん中辺のアンダー持つあたりが核心かな。

ほとんど落ちそうになったけどギリギリ堪えてRP出来た。

これで年を越せそうだ。

ホワイトクリスマスは早々に諦めて、S木さんがRP(再登)したスカッド、NEWをトップロープで登っておしまい。

スカッドとアーリータイムスの終了点のカラビナを酷い方だけ交換しておいた。

夜は大重丸さんでお泊り忘年会

 

16日もシーサイド。 一番乗り

昨日と同じくアップするが、今日はサンライズが混雑なのでサンセット方面に移動。

気分は最高をやりたいのでS木さんに海賊フックからトップロープを掛けてもらう。

カムセットしながら登ってみるがなかなか難しい。

そのうち予報より早く雨が降り出してしまい

2便目が回収になってしまった。 残念。

S木さんには不完全燃焼だったかも。

また来年もよろしくです。

(記:国府谷)

北岳バットレス第4尾根主稜②

 

 

 

当初の予定では年末年始山行は劔岳の小窓尾根の計画だった。期待とともに心に湧き上がる悪いイメージと格闘しつつ少しずつ準備を進めていると、年末にかけて大寒波の予報。諸々検討するもかなり厳しそうという結論に達する。7割方は残念な気持ちなのだが、3割程どこかホッとしてしまっている自分がいた。ホッとしてしまう気持ちがある時点で自分はまだ冬劔に行くべきではなかったのかもと思いつつ転戦先を北岳バットレスに求める。

 

北岳バットレス。

実は個人的に思い入れのある場所なのです。

 

以前、鵬翔に入る前に一人で山歩きをしていた頃、白根御池小屋のキャンプ場でバットレスに登る人達と出会ったことがとても印象に残っている。当時はバットレスを登るなんて考えは微塵もなく、ましてやそんなところ自分が登れるなんて考えてもいなかった。

 

そんな中、キャンプサイトで出会ったおばちゃんに言われた。

「あなたは明日どこに行くの?・・・そう一般ルートで白峰三山縦走。私は明日バットレスで岩登りよ。あなたもそのうち良いお仲間が見つかるといいわね。」

大きなお世話だ。当時の自分は1人で山歩きすることに満足していたのでそう思うしかなかった。それと同時に何か心に引っかかるものを残された。

また、隣のテントの同年代の若者(当時はそれなりに自分も若者だった・・・)二人組がその日バットレスを登ってきたらしく、大きな声で感想を話し合っていた。とても楽しそうに。

うるさい。もう少し小さな声で話してくれ。そう思う一方どこか羨ましくその話し声を聞いていた。

それ以来、北岳バットレス、そして単なる山歩きではない登攀は私の中でどこか一つの憧れみたいなものになっていった。

 

その後、鵬翔に入り1年目の冬に鋸岳に連れて行ってもらった際の丹渓山荘跡での会話をよく覚えている。国分谷さんに今後どこか行きたいところはあるのかと聞かれてバットレスに行ってみたいと答えた。国分谷さんは覚えていないだろうけどその回答にやられてしまった。

 

「バットレスか〜。冬はアプローチ長いんだよな〜。」

 

私の中では当然夏を想定していたのだが、帰ってきた返答はあっさりと冬を想定したものだった。北岳バットレスに冬に登るなんてことは考えも及ばなかった当時の私は、当たり前のように冬を想定して帰ってきた返答に驚いたとともに、当たり前のようにそういう登山をしている先輩がいることがとても嬉しかった。

 

そして去年の秋に念願だった四尾根を登った。困難はさほど感じなかったがやっと登れたと、とても充実した気持ちになれた山行であった。

そして今回とうとう冬のバットレスである。五十島君には言わなかったが、一人密かにふつふつと昂ぶっていた。

 

さて、だいぶ前置きが長くなりましたが以下、個人的心象が大部分を占める記録です。

詳細な行程は五十島君の記録が正確なのでそちらをご参照下さいませ。

 

 

12/29(1日目) 快晴

 

この日はゆっくりと朝に錦糸町出発。

天気予報では風が弱まるのは31日。31日に四尾根アッタクを予定していたので急いだところで仕方ない。これまたゆっくりと安定のガストさんで朝食。

夜叉神峠には結構な数の車が止まっており、こんなに人が入っているのかとびっくりした。

前日に寝付けず遅くまで一人飲んでいた影響かわからないが、どうも調子が上がらない。そして歩きでの長いトンネルの通過はどうも不気味で好きになれない。この日は歩き沢橋までなので行程が短く助かった。

 

12/30(2日目) 快晴

 

2日目は池山吊尾根をひたすら登る。

標高2000m付近の池山御池小屋手前くらいまではほとんど雪もなかった。

結構人が入っている。車が多かったのも納得だ。

単独行者も多く、以前一人で山歩きをしていた頃の自分を何となく思い出す。もっともその頃の自分には厳冬期の北岳に一人で行く力も根性もなかったけれど。

砂払いの手前、標高2600m付近の森林限界ギリギリを幕場とした。

13時前には着き時間もあったので簡単なイグルーもどきを作り快適なベースを作成。

しっかりと衣服を乾かすもこの日の夜は寒かった。

 

 

 

 

 

12/31(3日目)大晦日 快晴

 

いよいよアタック当日。

八本歯のコルからのトラバースを開始する頃に日が出てくるようにと5時頃出発。

ボーコン沢ノ頭まで登ると夜明け前の星明かりの下に北岳がドカンと鎮座している。

期待と緊張と美しさと。なんとも言えない気持ちになる。

 

 

八本歯のコルから下降。トレースはなくここ数日入っているパーティーはないようだった。最初のリッジからの下降が急で1箇所だけ懸垂。その後は雪も結構ついており場所によっては腿あたりまで潜る。沢沿いにはところどころ雪の破断面も見えている。ここ最近は積雪がないのでもう雪は落ち着いているとは思うものの精神的によろしくはない。ラッセルしつつのトラバースをこなし下部岸壁に到着。ここからbガリーに回り込みcガリーをトラバースして四尾根取り付きに向かう。

 

ここも場所によっては腿程度のラッセルになる。しかも第二尾根と第三尾根を越えていかなければならないらしい。四尾根は結構遠くに見えている。cガリーから直接上がれなかったのかとか色々考えてしまうがここは辛抱。雪面をラッセルし取り付きに向かう。秋にはロープを出したヒドゥンガリーも雪がついているのでフリーでサクサク登れ、9:30頃第四尾根取り付きに。想定より時間がかかってしまったが、まあなんとかなる時間だろう。

 

秋にはいやらしかった出だしのクラックも雪がついておりフリーで突破。クラック上部からロープを出す。出だしはベルグラの上にうっすら雪が乗っているだけのように見えて悪そうだけど、そこさえ越えてしまえばそれなりに雪がついているようにも見える。

 

1P。五十島君リードでスタート。出だしは悪そうだったけどそれ以降はやはりそれなりに雪がついている様子。ただやはり所々雪が安定しないようで慎重に。無雪期には豊富にある残置ピトンもほとんど埋まっており使えない。

 

2P。雪壁と所々草付き。難しくはないもののやはりランニングが取れずにランナウトするので気は抜けない。

 

3P。数メートルだがホールドの乏しいスラブが嫌らしい。無雪期もそれなりに大変だった記憶がある。ここは五十島君がランニングを固めて突破。そのままマッチ箱までロープを伸ばす。懸垂支点を雪の下から掘り出さなくてはならない。私のいるビレイ点はちょうど太陽が向かいの尾根に隠れて日陰になり寒くなりそうだ。早く支点見つけてくれ〜と祈っていたら思っていたよりすんなりと掘り当ててくれた。早かったねと聞くと、なんでも無駄のない下降ラインを考えれば支点の場所も検討が着くとのこと。さすがっす。

 

4P。枯れ木テラスに向けての雪壁登攀。右のリッジ寄りを登る。上部の雪の付き方が不安定で、ホールドの乏しいベルグラの緩傾斜に雪がうっすらと乗っている感じでアイゼンもアックスもなかなか決まらない。両手両足どこにも力を込めずにそっとそっと上がっていく。

 

5P。枯れ木テラスから城塞ハング下までトラバース。無雪期はなんでもないトラバースだったが、中途半端に雪がついたトラバースはかなり怖そう。おまけに残置ピトンが雪に埋まってなかなか見つからない。五十島君が慎重に馬乗りになりながら突破。ここフォローで良かった。寒いから早く行ってくれなんて内心思っててごめんなさい。

 

6P。城塞ハング。チムニー内はほぼドライで無雪期と同じ状態。一段上がったところで岩角にかけていたアックスがすっぽ抜けてしまいドカ落ちしてしまった。1ピンめクリップした後でよかった。残置ピトン抜けなくてよかった。下に雪積もっててよかった。反省しつつもどこか開き直れた。荷物を五十島君に預け空身で行かせてもらう。ジリジリと登る。チムニーを抜けて終わりかと思ったら、上部は雪がついて秋より嫌らしかった。なんとかフリーで突破。上部雪田にロープを伸ばしハイマツを掘り出してビレー。

 

ここでロープを解き、後は雪田を登っていくだけ。だけとは言えこれが大変。それなりに時間かかりそうだと覚悟を決めていたら、ここから五十島君がスパートをかける。怒涛のラッセル。追いついたら交代しようと思って後を追うけど追いつかない。感動しちゃった。

最後雪壁を乗り越え稜線に出る。この時点で16時。結構かかった。

頂上はすぐそこ。だけど2人顔を見合わせそのまま下降開始。

へろっへろのヨボヨボになりながら下ること1時間。なんとかヘッデンを出さずにテントについて2人登攀の成功を喜び合う。テントに入ってからもしばらくは何にもする気が起きなかったけれど、胸の内は充実感で満ち満ちていた。

 

 

1/1(4日目)元旦 快晴

 

この日は下るだけ。

出発前には、ありがたい初富士の横から昇るこれまたありがたい初日の出を拝まさせていただく。新年早々ありがたい気持ちで満たされた後は、肉食いたいという食欲に満たされて一気に夜叉神峠まで下る。

 

今回大晦日にバットレスを登れてとても良い1年の締めくくりを迎えることが出来ました。

以前から思い入れのあったバットレスに厳冬期に登れたことは非常に感慨深ものがあります。

強いパートナー五十島君に感謝です。

2019年も登りたい場所は色々とあるので精進していきたいと思います。

(記:林)

 

黄蓮谷右俣

 

日時:2018年12月22日(土)~24日(月)

参加者:坂田(L)、魚瀬、林

行程:22日(土) 竹宇駒ヶ岳神社(6:30)-黒戸尾根五合目小屋跡(12:30)-黄蓮谷千丈ノ滝上(15:30)-幕営

23日(日) 幕場(7:00)-坊主の滝(7:30)-二俣(9:00)-甲斐駒ケ岳頂上(14:50)-2700m付近にて幕営(15:30)

24日(月) 幕場(7:00)-竹宇駒ヶ岳神社(11:30)

 

 

 

12月末の三連休を利用してクラシックアイスルートの黄蓮谷へ。

天気はイマイチの予報だったが、先週末は結氷状態が良かったとの情報もあり期待を胸に竹宇駒ヶ岳神社に前夜向かう。

 

 

 

22日(土)  雨の黒戸尾根

竹宇駒ヶ岳神社の駐車場を出発するタイミングでポツポツと雨が降り出す。

黒戸尾根に取り付くがしばらくは雪が全くなく、今年の暖冬を再確認する。

しばらく行くが雨脚は強くなってる。まさか雨が降るとは思っていなかったのでザックカバーなんて持ってきていない。でも雨になるくらいだから気温も高く多少濡れても寒くない。

ゆっくりと黒戸尾根を登って行き昼過ぎに五合目小屋跡に到着。さすがにここまでくると雪もそれなりに出てきた。

 

 

 

出だしこそ赤布があったものの黄蓮谷への下降路がわかりずらく手間取りながらも、坂田さんの巧みなルーファイで千丈ノ滝の上へ出る。

 

谷に降りてみると勢いよく水が流れている。。。

 

ゼンゼン凍ってないじゃん。

週半ばの暖かさで氷が溶けてしまったようだ。

これはダメだ。この状態では登れないだろうなということで、明日の撤退の相談をしながら本日は終了。

 

 

 

23日(日)

撤退の予定だったのでのんびりと寝ているとテントの横を数パーティーが通り過ぎて行った。

しばらくすれば諦めて戻ってくるだろうとのんびり構えているも戻ってくる様子がない。

朝食を終え、坊主の滝を一目拝んでから往路を戻ろうと出発。

 

 

 

気持ちは完全に撤退だったのだけれど、坊主の滝に着くと先行パーティーがすでに取り付いている。滝の真ん中は穴が空いて水が流れているがラインを選べば登れそう。何より他のパーティーが取り付いているのに私たちだけが撤退というわけにはいかない。とりあえず行ってみようということに決定。

 

 

 

滝の左が一番氷が安定していそうだったので、左のラインから取り付く。
ほんの一部傾斜が強いが快適に2ピッチで坊主の滝を登る。
しばらく行くと二俣。左俣はまた次回。
坊主の滝より上は思ったよりしっかり結氷していたように思う。しかし雪もそれなりに付いておりナメ滝は多くが雪の下埋もれてしまっていた。ただ先行パーティーのトレースがあったのでだいぶ楽をさせていただく。

 

 

昨日の雨とはうって変わり雪降る中谷を詰めて行く。雪に埋もれてしまっており奥千丈ノ滝もどこなのか良くわからなかった。上部で7~8mくらいの滑滝があり巻くことも出来たのだけれど、アイスらしいことを坊主の滝でしかしていなかったので、ロープを出して1ピッチ登る。これが奥千丈ノ滝の一部だったのかしら?
最後に頂上直下の歩きにくいハイマツ帯を抜けて、15時前に山頂に着いた。

 

 

右俣は長い長いと散々聞いていたので、思ったよりすんなりと抜けられた気がした。
当初は2日で終わらせる予定だったが、撤退のつもりで朝の出発も遅くなってしまったので、この日は2700m付近で幕営。
汗と雪で全身びしょびしょになりこの日は寒い夜を迎える。シュラフに入っても寒くてなかなか寝付けない。時折、坂田さんと魚瀬君も、もぞもぞとしているのがわかり2人も寒いんだと思うとなんとなく嬉しくなる。

 

 

 

24日(月)
黒戸尾根はやっぱり長い。
この日はとにかく下るだけ。
長い黒戸尾根をひたすら下り昼前には竹宇駒ヶ岳神社の駐車場に到着。

 

 

今回の右俣は、上部は雪がついておりほとんどアイスのパートはなかった。
先行パーティーのトレースがなかったらラッセルで結構苦労させられたのではないかと思う。
コンディションにもよるのだろうけれど、アイスの難しさというよりも長いルートで荷物も担いで行くとなるとある程度体力勝負なのでしょうか。あとは五合目からの下降路がわかりづらいです。

 

 

次回は左俣でしょうか。
他にもこの辺りには面白そうなアイスが何本かあるみたいなので、黒戸尾根との折り合いをつけてまた行きましょう。

(記:林)

北岳バットレス第4尾根主稜

 

日時:2018年12月29日(土)-2019年1月1日(火)
山域:南アルプス
参加者:五十島(L)・林
行程:
1日目:夜叉神-あるき沢橋C1
2日目:C1-池山吊尾根-砂払手前(2640m付近)C2
3日目:C2(5:00)-八本歯のコル-トラバース地点(6:30)-Bガリー(8:30)-第4尾根(9:40)-城塞ハング下(13:40)-北岳稜線(16:00)-C2(17:20)
4日目:C2(7:00)-池山吊尾根-夜叉神(11:50)

 

1日目:
年末年始にかけて大型寒波の予報があり、数年に1度、とか警報級、などなど目眩するような話を突きつけられた私達の出した答えは、、、転戦。
自分の実力を考えれば冬剱デビュー戦にはあまりにも厳しいコンディションが予想されたのです。

そうはいってもせっかく用意した年末年始の日数を無駄にする事はできず、最後まで悩んだのち冬型が続く状況でもクライミングができそうな北岳バットレスに転戦先を決定。
唯一好天が望めそうな31日を登攀日として甲府市内のガストでゆっくり朝食後、初日は夜叉神からあるき沢橋まで。

 

 

2日目:
砂払手前森林限界ギリギリにベースを設営。
丁寧な整地とブロックの積み上げ、それから翌日の水作りに励む。

 

 

 

3日目:
早起きしたもののバットレス基部へのトラバースが不安だったので5:00出発。
八本歯のコル二俣付近からDガリー方面にトラバース。リッジは初めの2本が悪く1本目で25m懸垂した。

 

 

1週間ほどは積雪していないはずだったがアプローチは上部からの落雪が多く締まりがない雪質で部分的に腰くらいのラッセル。
Bガリーをフリーで越えて更に上部で腰位のラッセル。Cガリーから目印になる草付きを避けるように4尾根取付きまで。

 

 

微かな記憶で横断バンドがあったはずの場所は雪で埋まっていたので確かに悪そうだ。Dガリーより手間はかかるが遠回りして正解?

 

1p

2p

 

1P:五 下部クラックは埋まっていて上部雪田から。見た目にしっかり着雪していても蹴り込むとガリガリと心臓に悪い。
以後殆どのピッチはこの緩い雪とベルグラとの戦いになった。
2P:林 同じような雪壁をたまに掘り出しながら。それなりにランナウトするのでリードは緊張する。
3P:五 トポ上の4Pと繋げて。出だしはランニングを残置でかためまくり(先人に感謝)なんとかフリーで。マッチ箱のアンカーを掘り出して下降。
(初見は側面に降りると思うができればリッジを上部側に下降が早い?)
4P:林 同じくメンタル系の雪面。
5P:五 残置を掘って掘って馬乗りで突破。怖い。城塞ハング下アンカーは埋まっているよう小さめのカムで作成。

 

マッチ箱

マッチ箱

城塞ハング下

 

 

6P:林 城塞ハング。コンディションはほぼドライ+ベルグラ。林さんに譲ってよかったかもしれない。苦労していたが空荷で無事フリー突破。フォローもガン見してフリーで抜けた。核心パートを越えてから20mほど上部の雪田でハイマツ掘り出してビレイ。

 

 

 

時間も押していたので気合を入れ直して稜線までラッセル。30分ほどで稜線に出た。
とりあえず山頂を踏んで、、、とはならず足早にテントまで。
気持ちショートカットもお陰もありなんとかヘッデンは出さずに帰還。
山行中1番冷えた夜はあっと言う間だった。

 

 

 

トポか何かで北岳は独立峰だという趣旨を書いてましたが、少しわかりました。
2度来て山頂を知らないので夏にまたどなたか~。
(記:五十島)

 

足尾ウメコバ沢中央岩峰 チコちゃんルート

日時:2018年11月23日(金)
山域:日光足尾
参加者:五十島(L)・林
行程:銅親水公園(6:20)-ウメコバ沢出合(8:00)-チコちゃんルート(9:20)-岩峰の頭(16:00)-銅親水公園(18:00)

 

 

そろそろ冬支度を初めなくては、というわけでアイゼントレにいってきました。

足尾入門編とあるチコちゃんルートに取り付き。
登りだしから想像以上に悪く難しい。なにより脆さにビビって体があがらない。
1P目はリッジにあがるラインを読み違えたりして1時間近くかかってしまった。
フォローであがってきた林さんのザックには2人分のフラットソールが入っているのですが、ここは我慢してとりあえず行けるところまでアイゼンでやってみる事に。
2P,3P:リッジ登り、簡単だがロープドラッグに注意してランニングを取りたい。

 

 

 

4P:本来核心になるはずのピッチ、林さんのルーファイによって右から簡単に巻けてしまった。
5P:核心と勘違いして気合を入れたⅣ級。ワンポイント難しい所で残置に勇気を貰ってなんとか突破。

6P,7P:クライミングシューズをはきました。伸ばせる所を切ってしまい1P余分に。

下降はフィックスを辿って尾根の反対側に1P懸垂。メンタルを鍛え直してまたきたいです。

(記:五十島)

 

 

“ヤツイチ” 八ヶ岳1DAYトレラン

 

日時:2018年26日(日)
山域:八ヶ岳
参加者:久世(L)・五十島・ウラン(会友)
行程:観音平(00:15)-編笠山(1:55)-キレット小屋(4:10)-赤岳(5:30)-硫黄岳(7:20)-東天狗岳(8:55)-高見石小屋(10:55)-北横岳(14:35)-蓼科山(17:00)-蓼科山登山口(18:13)

 

毎年季節を迎えると、話に出ては消えて行く八ヶ岳ワンデイ企画。
言い出しっぺは自分な気もしますが、時期的に(クライミングが)忙しい事情があり中々実現しなかったのですがやっと歩く事ができました。

 

前日は台風の影響で一日遅れという事もあり夕方にピックアップしてもらい、ウランさんと合流して蓼科登山口に車1台デポしてから再度観音平にて仮眠。山自体が久々でほとんど眠れずに朝(というか夜)を迎えた。

 

 

 

観音平(00:15)スタート。初めは快適なものの権現-赤岳の稜線は鎖が朝露で濡れていて気を使う。

軍手があると良かったです。
ほぼ予想通りのペースで赤岳山頂着。
日を浴びてブロッケンに見惚れたのも束の間、赤岳-横岳-硫黄岳の稜線は強風と濃霧に悩まされ徐々にペースダウン。

 

 

 

特に小柄なウランさんは何度も風に飛ばされそうになっていたかもしれない。自分も短パンに後悔しながらやり過ごす我慢の時間になった。
硫黄岳をすぎると次第に収まりずっと快適になったが、今度は濡れた石の上を歩く下降に手間がかかりペースが上がらない。
少しずつ焦りを感じながら高見石小屋到着(10:55)。
相談の結果、ウランさんと別れ久世さんと端までの縦走を目指す事になった。

 

 

 

日暮れ、遅れ、赤いバンダナという切迫感がストライドを広げたのでしょう。序盤のペースを取り戻し北横岳ヒュッテに到着。小屋で補給を兼ねて少休止、今回日暮れまでに下山できたのは小屋の方にルート情報を頂いたお陰でした。

 

 

 

北横岳の山頂から見る八ヶ岳は美しく、完全縦走を諦めさせるには十分すぎる位だったのですが、次にいつ来るのかと思うと二度とこないに違いないので頑張って歩こうという気持ちを確認して最後のピークまで。

 

 

蓼科山の直下の登りは出し切りました。最後の最後に少しペースがあがるのは、会の文化なのか、支部長の趣味なのか、謎は深まるばかりです。。。

 

 

 

帰りの運転本当にお疲れ様でした。

年に一度のトレランシリーズ、来年は賑やかになるといいですね。

(記:五十島)