2009春合宿

日程: 2009年5月2日(土) – 5日(火)
山域: 明神岳東稜・前穂高岳北尾根(北アルプス)
形態: バリエーション
参加者: 国府谷(L)・廣岡・土井・松林(北尾根のみ)

第1日目: 上高地(8:00) – 明神(8:45) – 宮川のコル(10:33/10:45) – ヒョウタン池(11:50/12:10) – 第1階段(12:41/13:05) – バットレス基部(ラクダのコル)(16:30)
第2日目: バットレス基部(5:55) – バットレス取付(6:11/07:10) – 明神岳(7:32) – 前穂(10:01) – 奥穂(12:43) – 白出のコル(13:20/14:10) – 涸沢(15:10)
第3日目: 涸沢(5:40) – 北尾根5・6コル – 3峰コル(08:00/09:30) – 3峰 – 前穂(14:29) – 奥穂 – 白出のコル(16:30) – 涸沢
第4日目: 涸沢(5:20) – 横尾 – 上高地

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近くて遠い山。上高地から見上げることができるのに、孤高を誇っている明神岳は、そんな称号がピッタリの鋭鋒だと思う。09年春合宿は、この明神岳東稜から涸沢を目指し、さらに前穂北尾根も登るという欲張りな山行となった。国府谷さんという強力無双なリーダーがいてこそ実現した山行だったが、〝家財道具一式〟を背負ってのバリエーションは、自分の実力(体力不足と認識の甘さ)を知る良い経験となった。

5月1日(晴れ)

仕事を終わらせ、午後10時に松林さん、飯田さんと調布駅で待ち合わせ。合宿参加の残り5人とは沢渡で集合する予定だ。深夜の高速をスムーズに飛ばしたが、今春からスタートした1000円高速には感動した。八王子ICから松本IC(約280km)が一人330円。財布の中身が寂しい昨今、我々には力強い味方だ。沢渡第2駐車場に午前2時着。入山前夜は、いつも深夜の宴から始まる。山行が無事終わることを期し、缶ビールで喉を潤して3時に寝た。

5月2日(晴れ)

午前5時起床。さすがに眠い。車の外に出ると、隣の車から志村さんが顔を出して「おはよ~」。渋滞のせいで1時間しか仮眠していないというのに、この明るさ。若さには勝てないなあ。身づくろいを済ませ、一台に4人のすし詰め状態、タクシーで上高地へ。沢渡から上高地間のバス代が1200円に値上がりしたため、タクシーの方が安い。一昔前に考えられなかったことだ。
午前8時、8人全員で元気よく出発。まず、明神で我々「チーム国府谷」が東稜に向けて離脱。徳沢で後藤・志村組が蝶ガ岳へ向かい、残る久世・松林・飯田の「チーム久世」は横尾経由で涸沢を目指すことになっている。飯田さんは75歳。でっかいザックを背負ってもピンシャンしている。往年の山屋、恐るべし。

「気をつけて」「涸沢で会おう」。5人の激励を背に、明神橋を渡り右折。養魚場跡地と信州大学の施設を目安に森の中に分け入ってゆく。地形的にはガレた広い谷で、ここが下宮川だろう。国府谷さんをトップに、廣岡さん、そして自分。まあ、実力通りの順番だ。かすかな踏み跡を頼りに、とにかく森を上へ上へと目指してゆく。やがて、デブリ混じりの明瞭な谷となり、30分もすると3人パーティーの背中が見えた。その少し上では、2人組が左岸の小さな谷筋へ這い上がろうとしている。「ヨッコラショ」。樹の根を頼りに、我々もボロボロの斜面を這い上がり、谷を上がってゆく。暑くてたまらない。

窮屈だった谷も、高度を稼ぐうちに広まってゆき、赤茶けたガレ場で一気に視界が開けた。左手に明神5峰。頂上からの展望は秀逸だといい、いつかは幕営してみたいと思っている。午前10時30分、上宮川の斜面で一本だけ生えている木の下で最初の休憩だ。喘ぎながら見上げると、雪の斜面の奥に、コルが確認できる。その上部にヒョウタン池があるはずだ。記憶が正しければ、明神からヒョウタン池は高度差800m。そして、池から明神主峰(2931m)まで更に600m。「まだまだ先は長いなあ」。とりあえずザックを下ろすと、谷を駆け降りた涼風が、どんくさい44歳を歓迎してくれた。やれやれである。

暖かい春の陽射しのなか、眠気と闘いながら雪の急斜面をゆく。弱音をはきそうな心を鼓舞しながら歩を進めるのは、けっこう辛い。「頑張れよ」「こんな程度か、お前は」。歯をくいしばって、廣岡さんの背中を追いかける。
せっかく穂高の一角にいるというのに、まだ身体が山とシンクロしていない。ぼくは、単調で苦しい登りのとき、山とは別の、何か楽しいことを考えるようにしている。雪の消えた東稜は、荒らされていない、とびっきりのお花畑だと聞く。だから、ここでは、斜面に咲き誇るであろう花々を想像してみる。「ミヤマトリカブト、ハクサンフウロウ、それにタカツメクサ」「イワギキョウも咲いているかも」。アレレ、次の花の名前が思い浮かばない。柄にもなく美しいものを愛でようとしたのが失敗だったか。あっという間に現実の急斜面に引き戻されてしまい、実に興ざめだ。
あれこれ考えているうちに、ようやくヒョウタン池。池といっても、この季節は雪に埋まった変哲もない雪原だ。登ってきた上宮川の向こう側には霞沢岳。芳野さんと登った2年前が懐かしい。そして東側を振り返れば、眼下を梓川がうねうねと蛇行している。

ここで幕営できたらと思う。うららかな春の一日、テントの中でゴロリと昼寝。ウットリするような贅沢な時間の過ごし方だが、そんな夢想を見透かしたように国府谷さんの号令が飛ぶ。「さあ出発しましょう」。
ギアを装着して、お神輿を上げた。ここからは、やせた雪稜。グングンと登ってゆくと、「第1階段」と呼ばれる岩場に突き当たる。先行2パーティーが登り切るのを待ち、いざ我々の出番。くたびれたフィックスロープが垂れ下がっているが、それは無視。1ピッチ目は、まずブッシュ混じりの木登り。すぐに大きな岩に遮られるが、岩伝いに右上して雪壁を小さく登って終了。2ピッチ目の雪壁は、腐った雪が次々と足元で崩れてしまい、いやらしかった。廣岡さんも難儀している。露出している木の根などを頼りに這い上がるが、9年前に滑落死亡事故があったのは、ここではなかろうか。「気を抜くなよ」と気合を入れなおす。

雪綾と雪壁が交互する快適なピッチが続くが、ここで我々は2パーティーに追い抜かれた。ロープを出したのでスピードが落ちたのだ。残雪期バリエーションに対する哲学の違いだから、その是非は論議できない。ただ、滑落が許されない場所で、雪が腐りはじめていた。そして、我々の隣をノーロープで一気に追い抜こうとした1人は、グズグズの雪でスリップした。幸い、後続メンバーが背中を支えて事なきを得たが、見ているだけでゾッとした。「いちいちロープを出していられない」というのも真理だろう。でも、パーティーの実力を考慮して、躊躇することなくロープを出した国府谷さんに感謝したい。

午後3時、梓川を隔てた蝶ガ岳と肩を並べるくらいの高みまで至る。谷を挟んで見える前穂東壁が荒々しい。この角度からの前穂は初めてで、新鮮だ。ただ、頭上の岩峰たちの影法師が谷間に下りてきている。日差しも心なしか弱まり、元気がない。そろそろ今宵のテン場が気になる頃合いなのだ。明日は、前穂・奥穂を越え、涸沢で久世さんたちと合流する計画。逆算すれば、やはり最低でもバットレス基部までたどりつきたい。そのせいだろう、国府谷さんのピッチがトップギアに入ってしまった。

徹夜明けの登高で消耗しているようだ。いくら登っても周りの山々は我々よりも高く感じてしまう。「5峰なんて、ちっとも高さが変わらないぞ」「東壁は、むしろ高くなっているんじゃないか」。錯覚だと分かっているが、小癪である。そして、安全なテン場が見つからないため、神経がささくれる。小さなシュルントの下にツララが8本。ポキッ。一本失敬して口のなかで転がす。舌の上で融けた氷柱が、心と身体を潤してくれた。よし、これでまた頑張れる。

午後4時20分過ぎ、先を行く国府谷さんが雪稜の上で手を振っている。しかも、遠目からも笑っているのが分かった。ピークの向こう側にテン場があるようだ。午後4時30分、何とかバットレス基部、ラクダのコルにたどり着いた。
狭いコルの安全な場所には、先着パーティーのテントが5張り。我々は、雪稜を整地するしかない。日が暮れる前に雪を切り崩して今宵の宿を立ち上げた。東側斜面の一部は整地しきれず、テントがちょっと宙に浮いている。隙間に雪のブロックを押し込んだが、平気だろうか。
テントの中に転がり込めば、そこは天国。萎れていた体の細胞が、熱々のココアでザワザワガヤガヤと元気よく騒ぎはじめる。携帯で天気を確認すると、明日も大きく崩れることはなさそうだ。安心してキャベツとベーコンのスープをいただき、あっという間に睡魔に負ける。夜半、風がテントを叩いたが、疲労困憊のせいか子守唄にしかならず熟睡できた。

5月3日(晴れ後曇り)

午前3時30分起床。空が白々としはじめたなか、トイレのため外に出た。雪稜から転げ落ちないようロープを腰に巻きつけて用をたす。眼下には明神と徳沢の灯りがゆらめている。「小屋の人たちが朝食の準備を始めているのかな」。寒いので長居は無用だが、一級の展望トイレだ。
テントを撤収して、ザックを背負う。早朝の空は、どこまでも青く、雪稜は静まりかえっている。目の前には黒々とした小さなバットレス。世界は白と青と黒のみ。さあ、これからだ。東稜の核心部が始まろうとしている。

最初の岩場は左側の草付から難なく越え、次の岩場の基部でロープを出した。国府谷さんのリードを詳細に観察する。最初のピンから右岩に移動する際、右足アイゼン先端を岩の亀裂に入れて立ちこみ、凹角を上がっていった。その先は岩が邪魔して見えないが、ガリガリという音から奮闘しているにちがいない。途中からスラブへトラバースしはじめ、わずかなスタンスを探しながら右足を目いっぱい伸ばしている。絶妙なバランスだ。後続パーティーは国府谷さんのアクロバティック登攀を目にして「あんな登り方するのか」「左側に逃げられないか」なぞと相談中。2番手の廣岡さんも、やはり途中からトラバースしたが、スタンスが見つからずガリガリとアイゼンで派手な音を立てている。ホールドも細かいのかもしれない。その登攀を見て、待機中の連中は岩場を諦めたらしい。トップは左側の雪のガリーへとさっさと消えてしまった。
廣岡さんが視界から消えてしばらくして、コールが響く。「おーい登ってきて」。いよいよ自分の番だ。亀裂に立ちこむと簡単に狭い凹角に入り込めた。ストッパーを回収しながら岩溝を直上する。下からは見えないが、上部にホールドがあると聞いた。そのホールドにさえ手が届けば、トラバースせずに済むわけだ。「ここは一つ冒険してみようじゃないか」「落ちてもセカンドだから」と無責任にも再スタート。岩溝にねじこんだ左足をテコに、今度は右足で立ちこんで背伸びしたら、あった、あった。素敵なホールドが。そして、あっけなく核心を突破してしまった。
後は雪壁をグイグイと登るのみ。岩稜帯を越えたら、ひょっこりと明神岳主峰に出た。南側眼下には梓川と上高地、そして目の前に明神2峰。西に目を転じれば、西穂、奥穂、前穂と続く3000m級のスカイライン。自分が勝ちとった高さを実感する。

前穂へは、明神主稜線を忠実にたどり、奥明神沢最上部の雪壁に合流した。午前10時に前穂頂上。行動食を詰め込み、30分後には奥穂へ向かう。まったく忙しい一日だ。そして、奥穂までの吊り尾根が実にしんどかった。トレースはあるのだが、時に夏道を、時に稜上を、岩と雪のアップダウンを繰り返す。最低鞍部からは、はるか下に涸沢のテント村が米粒のように見える。ここから下降できたら、どんなに楽だろう。未練がましく覗き込んでいる自分に腹が立った。

空には筋雲が流れはじめ、天候は下り坂だ。黙々と尾根を行くが、一か所、雪の薄い壁のトラバースで肝を冷やした。1番手がピッケルとアイゼンで道筋をつけ、2番手はその雪を落としながら進む。そして、3番手の僕の時には、雪が落ちてしまっている。ピックを突き刺しても意味のない草付。雪が落ちて、妙にのっぺりとしたスラブ。「ここ、どうやってトラバースするんだ?」。泣きたくなった。渡り切ってしまえば、ちっぽけな壁にすぎない。ところが、自分の心の弱さが、そんな壁をも大袈裟な難所に変えてしまう。精神的弱さを克服してゆくのもアルパインクライミングなのかもしれない。

午後2時40分、奥穂。もうオーバーヒート寸前。「明日も、この吊尾根を登るのかよ」「北尾根はやめて北穂東稜にしたいなあ」。国府谷さんには明かせなかったが、心身とも弱っていた。奥穂からは下るだけ。白出乗越で一服した後は、尻セードで一気に涸沢へ下降だ。童心に戻ったようで、最高の気分だ。

涸沢は、GWにしてはテントが少ない。行き交う人々の中で、久世さんの姿を見つけたときは本当に嬉しかった。テン場を整地してくれていただけでなく、お茶まで沸かして待っていてくれるとは。山岳会ならでは、仲間を実感できる瞬間だ。自分たちのテントを設営後、久世さんのテントに合流。まだ午後4時だが、もう腹が減ってたまらない。国府谷チームも久世チームも、しめし合せたかのように麻婆春雨。材料は微妙に違うけれど、同じ大コッヘルで調理してしまう。山では飲むもの食べるもの、すべてが旨いのだ。些細なことは気にしていられない。それにしても、松林さんのザックからは珍味が出てくるわ出てくるわ。まるで、魔法の泉のようだ。サーモンと海老には参りました、本当に。

5月4日(晴れ後曇り)

3時半起床。昨日の疲れが取れていない。それでもヘッドランプを灯して準備にかかる。
北尾根5・6のコルまでは雪がクラストしていて快適だ。ところが、雪壁からダケカンバの木がまばらに顔を出している当たりで体調が急変した。腹が痛いのである。脂汗も出てくる。国富谷さんから遅れ、廣岡・松林さんにも抜かれる。恥も外聞もなく尻を出した。だが、出るものが出ない。皆に遅れること10分、真っ青になってコル到着。6峰の雪壁の這い松の陰で「KIZI」を打って、ようやく楽になる。
既に廣岡・松林さんは5峰を登り始めているし、国府谷さんからは「平気ですか?登れますか?」と憐れみの声をかけられる始末。ああ、情けない。力が入らないのだが、ここは踏ん張らないと。「もちろん、いけます」と威勢よく返事をしたが、どうもヘッピリ腰で格好悪い。
気を取り直して5峰。急な登りが続くが、そう大したことはない。涸沢側を見下ろすと、数人が北尾根を目指してきている。「彼らに追い抜かれたいかん」と思うと、どこからかファイトが沸いて出てきた。
個人的には、続く4峰が手ごわかった。特に、上部の奥又白側のトラバースと雪壁は、一瞬の油断もできない。スリップすれば即身成仏間違いなし、汗たらたらだ。トレースはあるのだが、先行する3人の落とす雪でステップが消えてしまい、手袋で掘り起こすのに必死。本当は確保が欲しいところだが、猛者ども3人はスタコラと登っていってしまう。グルグルキュルキュルと、腹の具合も追い討ちをかけ、スピードが出ない。「おーい、皆待ってくれ」。

3峰のコルには既に3人組が取りついていて、さらに3人組が待っている。我々4人は3番目。
今回の我々は実に変則的な登攀形式だ。国府谷さんリードを松林さんがビレイ。松林さんと廣岡さんは2本目のロープでつながっていて、さらに3本目のロープで廣岡さんと私がアンザイレンされている。登りきった廣岡さんが、小生をビレイするわけだ。理由あっての形だが、とにかく時間のかかる登攀スタイルであることは間違いない。廣岡さんがプロテクションを回収してゆくので、ロープはルートと関係なく伸びている。従って、確保こそされているが、ルートファインディングは「自分次第」というわけだ。
3峰1ピッチ目のルートは二通りで、右寄りのカンテ側壁(IV級)と左手の凹角状(III級)がある。当然、凹角状をゆく。小テラスから左に登り、かぶった岩を乗越すのだが、夏には簡単だったムーブがアイゼンを履いていると難しい。しかも、ロープは緩んだまま。さては、上部の岩にでも挟まったか。廣岡さんに声をかけても届かない。仕方なく、一段降りてから赤茶けた一枚岩を抱えるようにしてトラバースし、斜上バンドに入り込んだ。
2ピッチ目は、雪のついた斜面から右の岩溝へと誘導されていった。夏は左側のチムニーを登ったので、この岩溝は初めて。岩溝の左側に窓のような穴があったのには驚いた。岩溝の突き当たりからが3ピッチ目。急な凹角を登っていくのだが、これがけっこう面白い。この頃から、西穂・奥穂に雲が迫ってきて槍ヶ岳もガスに隠れてしまった。4ピッチ目は涸沢側がスッパリ切れ落ちた雪稜を直上。岩が重なり合ったような岩稜帯を左に越えてゆくと、3峰終了だ。
最後の2峰も高感度のある岩稜だったが、まあ3峰に比べたら屁のカッパ。2峰クライムダウンもさっさと終わらせ、もう最終章。ガスの立ち込める前穂で、無事登りきったことに感謝して握手しあった。
そして、昨日も手痛い目にあった吊り尾根へ突入。やはりというか、ほうほうの体で登りきったとしかいいようがない。奥穂への最後の登りでは、あまりにもスピードダウンしてしまい、国府谷さんにロープを持ってもらう始末。国府谷さん、本当にありがとうございました。

5月5日(晴れ後雨)

今日は下山するだけで気楽だが、高速の渋滞を回避するために早起き。涸沢のお椀の底から、穂高のモルゲンロートを眺める。去りがたい気持ちでいっぱいだが、やむえまい。飯田さんを先頭に下山。雪に埋まった横尾谷は歩きやすかった。徳沢当たりから雲行きが怪しくなり、上高地でパラパラと小雨が顔をたたいた。沢渡温泉「湖畔の湯」から眺める新緑が眩しかったが、日焼けした皆の顔も輝きに満ちていた。充実した山行だった。

(記: 土井)

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