剣岳・剣尾根山行報告 

2004/5/1(土)~3(月)前夜発

単独:久世直紀

慌しい月末の締め日を、何とかこなして同僚からの飲み会の誘いも振り切り、我が家へたどり着く。バタバタと山行の準備を整え、イカレタ愛車で山へ誘う。一人の山行は剣大滝偵察以来であり、ちょっとした心構えが必要だった。諸々あり単独での剣岳である、しかも剣尾根は5月とはいえナカナカ手強い処である。なーんて悲壮感を少し醸しながら、独り車を走らせ中央道を進むと、4月30日が5月1日になってしまった。そして日が変わってすぐの2時くらいに扇沢へ到着、すでに駐車場は一杯で何とかスペースを見つけ仮眠する。(本当に車が溢れていました)

5月1日 (晴れ)

朝起きると、6時半に臨時のトロリーバスが出るとのこと、始発が7時半のはずで予定していたのに、朝から猛ダッシュでトロリーバス改札口に整列する羽目になった。黒部ダムでは景色も見ず我先の徒競走、お陰で朝食は黒部平(ロープウエイの始発の駅)にて食べる事になりました。天気は申し分ないが、結局すべて一番乗りながら室堂着は9時半くらいとなり、計画書を富山県警に提出したりして、出発は10時頃となってしまった。重い荷を背負い、観光客を掻き分け室堂を出発、快調に別山乗越まで進む。此処までは多少トレースもあり、楽もできたが此処から先はスキーのシュプールしかない。剣沢もトレースは皆無で、三田平にも天幕があまりない。スキーヤ-も此処までくると山小屋泊まりが多いのかもしれない。雪がグズグズの剣沢を下り、午後1時前には長次郎谷に入る。しかし長次郎谷もグズグズの雪で予想以上に苦しい行程になる。途中スキーヤ-1人と、2パーティ-が上部から降ってきたが、この日の午後、この谷を詰めたのは他にはいなかった。ほとんどラッセルに近い登りが終わり、予定より遅く夕方5時前くらいに池ノ谷乗越に着き幕営(BC)、他に3パーティほど天幕があった。全員に確認した訳でもないが、富山側(馬場島)より前日に入山したらしい。チンネに行く人や写真家との事で、誰も剣尾根には行かないらしいということが、何となく気を楽にさせてくれた。それもあったのか、疲れたのかその日は夕飯後8時にはすぐに眠ってしまった。

5月2日 (晴れ)

4時過ぎ起床、さすがに外はまだ暗い。朝飯を食べ、準備が整う頃には明るくなり、他の天幕の人達も動き出していた。天気は良好で、5時半過ぎに池ノ谷乗越を出発、初めて池ノ谷に足を踏み入れる。下り始めはやはり傾斜が強く、雪もある程度締まっているので慎重に降る(昨日の長次郎谷の登りもこれくらい雪が締まっていたら楽だったのに・・・)すこし傾斜が緩やかになると、そこが三の窓で、此処にも天幕が3張くらいあった。初めての場所であり、チンネ・ジャンダルム・小窓の王そして遥か向こうの後立山連峰を一つ一つ確認する。余りゆっくりも出来ないので、そこそこに三の窓からさらに池ノ谷を下る。三の窓からは、昨日同様ぐずぐずの雪質となり、膝上くらいまで足を雪にとられてしまう。池ノ谷尾根を過ぎ、剣尾根がやっと見えてきたら、そこがR4で二人組がちょうど取付こうとしている処だった。R10を捜しながら更に降っていると、池ノ谷の下方から3人組が登ってくるのが見える。感じからして剣尾根に行くのだと見受けられたので、R10が近いことが分かり、意識的にピッチを上げるとR10の取付きに先に着くことが出来た。 R10はすっきりとしたルンゼで、コルEが取付きからでも確認することができる。取付くと結構な急斜面で、目の前のコルEになかなか辿り着けず、20分後ようやくコルEに達すると、小休止中に三人組も後を追うようにコルEにやって来た。先行する事にしたが尾根上はいきなり急傾斜のハイ松帯で、雪が中途半端に付いていて少々面倒な登行になった。腕力勝負の木登りをしばらく続けていると3峰に飛び出す、やっと視界が少し良くなり池ノ谷の二俣やら早月尾根、小窓尾根の下部が見えてくる。富山湾は霞んでよく見えないが、馬場島周辺ははっきり見ることが出来、独りで登っていることを忘れさせてくれる。

コルD上の20Mほどの岩場は左側から巻くことにしたが、これが予想以上にシビアな草付きで、きわどい登攀になってしまった。後続のパーティー(3人組)は、ロープを出していた様であった。森林限界が近づいてきたら、2峰はすぐ目の前である。ワンポイントのいやらしい岩場を超えると2峰に着き、すぐ目の前はコルCになっていて、いよいよ本格的な登攀の開始である。 コルCからドームの頭までが、剣尾根の核心部であり、まず人工登攀も交えた40Mほどの岩壁を超え、その後2ピッチのリッジを登ると通称「門」と呼ばれる岩壁の登攀があり、この岩壁も人工登攀を含め2ピッチ要する登攀となり、ドームの頭に到ることになる。コルCはとても狭く、取付き付近に確保のハーケンも見えないので、2峰のハイ松でロープの末端を固定して、最初の40Mの岩場を単独登攀する。登攀を開始する直前に後続Pが到着、3人に見られながらの登攀でちょっと緊張する。見た目以上に豊富な残置に助けられながら、ほとんど人工登攀で登り、終了点にロープをFIXして取付きに懸垂下降する。ところが取付きに着く寸前でのトラバース部分で、ハンマーがロープと絡んでしまい、下にいた後続パーティ-にロープを引っ張ってもらう失態をしてしまった。(反省)

FIXしたロープで再度岩壁を登り、さらに2ピッチほどのリッジを登ると目の前に、「門」の威容が迫ってくる。「門」はそんなに大きくはないが見栄えのする岩壁である。狭くて下が切れ落ちているトラバースをすると、「門」の取り付きである。いきなり狭いチムニ-のフリーで始まり、すぐ人工登攀になり左上にトラバース気味に登って行く。ただ先ほどの岩壁と違い、残置も少なく所々フリーも交えての登攀であり、しかも最後は草付き混じりで終了点に辿り着くのである。思った以上に時間がかかった様で、後続Pを大分待たしてしまった。ロープをFIXして懸垂で降りる、今度は失態をせず(これが普通だが)。また登り返して、さらにその上の簡単な岩場を1ピッチ、ロープを使って登り、さらにガレ場を少し行くと尾根に出てドームの頭へと辿り着いた。この時2時半過ぎになっていた。ドームの頭からの景色は最高で、剣岳の頂上、剣尾根の頭もそう遠くない距離に思えた。 しかし単独での岩場の登攀(特に
「門」の登攀)によって、体は疲労が蓄積していて、コルBからの岩稜がやけに辛そうに思えた。とりあえずコルBに行き、その先を進んでみるがいきなりロープを数ピッチ出さねばならない岩場で、残置もあまり確認できなかった。核心部分を越えたのと、目の前の岩稜を登るには疲れていたことや、ビバークするのが面倒になってしまった(用意は万全でしたが)事などで完登を諦め、下半部にて登攀を終了しBCに戻ることにした。コルBからR2を降り、池ノ谷を三の窓経由池ノ谷乗越まで登り返す。後続パーティ-もコルBからR2を降っていった。その後2時間かかってコルBからBCへ戻ったが、もう本当にバテバテになってしまった。BCに戻ると、隣の天幕の写真家の人がチンネで滑落があり、軽症で済んだ事故の事を教えてくれた。そして剣尾根から無事に戻ってきたことを喜んでくれた。何か写真家の人が無事を喜んでくれたことで、コルBから降ってしまい完登できなかった事も少し気が紛れた。天幕の張り綱を再度張りなおして(これが翌朝の助けになった)、疲れたので2食分の夕飯(といってもラーメン2袋)を食べてすぐ寝てしまった。

5月3日 (くもりのち雨)

朝テントが潰されるくらいの風で叩き起こされる。しかしまだ4時くらいなのでウトウトしていたら、本当に台風並の強風が襲ってきて寝袋から飛び起き、テントを支えていた。ポールが折れそうになる位の、風が絶え間なく襲ってくるので、火も付けられず朝飯はもちろんお茶1杯飲めずに、BC撤収のタイミングを見計らうことにした。ようやく7時頃若干風が落ち着いてきた隙に、あわててテントを撤収する。独りでテントを支え、たたむ事は厳しかったが何とかザックの中にしまい込んだ。BC撤収が何とか完了するころからまた風が強くなったが、長次郎谷を下ると幾分風の勢いも収まってきた。八ツ峰、源次郎尾根にもそれぞれ何パーティ-か取り付いているのが見える。二日前、登りに4時間近くかかった長次郎谷も下りは1時間もかからず出合まで着いた。ただ此処から別山乗越までは辛い登りが続き、荷物は濡れて入山時よりも重く、さらに雪はまたグサグサになっていてまさに踏んだり蹴ったりである。ときどき雪に足をとられ、ひとり苛立ちながら、ようやく三田平に着くが、この頃より天気が急に変わり始め、上空に雨雲も立ち込めるようになってきた。三田平も数張のテントがあり、別山側の斜面では2~3パーティ-が雪訓をしているのが見えたが、まさかこの中にウランちゃんがいるとは夢にも思わず、それを横目に見ながらヒーヒー言って別山乗越の剣御前小屋を目指していました。剣御前小屋の手前くらいからポツポツと雨が降り出し、雷鳥沢を下り雷鳥平に着いた時には本降りの雨になってしまいました。雨が降った為なのか、朝飯を食べなかった為なのか、兎に角雷鳥平から室堂まではまったく歩が進まず、1時間くらいかかってしまい午後2時前に室堂に着いたときは、もう一歩も動けないと感じるほどバテてしまって、富山県警に下山届を出しに行くのも面倒に感じてしまった。室堂で蕎麦を食べると大分楽になったが、GWで観光客が多く扇沢に着くまで3時間も要し、ようやく山行が終了しました。(記 久世直紀)

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