北アルプス船窪岳 船窪新道(七倉尾根) —舟窪小屋の一夜

山域 : 北アルプス船窪岳 船窪新道(七倉尾根)

日時 : 20061007() 09() 前夜発

参加者: CL清水清二 ・ 牧田達也 ・ 塩足京子

静岡山岳会/小野田和世 ・ SL掛川浩世(ウラン)

『 先週末からの悪天により、大量の遭難事故が発生しました。白馬岳、奥穂高岳、前穂高岳、御岳、尾瀬、小蓮華山、北海道旭岳、何れも天候の急変による、凍死でした。我々5人も船窪岳から烏帽子岳の縦走を計画していましたが、7日の雨が午後からミゾレ、やがて雪に変わり、8日の朝は10cm~15cmの積雪を見るに至り、船窪小屋に1泊して下山してきました。剣御前の小屋では50cmの積雪が記録され、白馬岳周辺では新雪表層雪崩も頻発しています。私の経験ではこの時期、大雪に見舞われたのは17年振りですが、帰宅後の天気図を見る限り、あっても不思議のない状況と思います。たまたまNetで検索していましたら、17年前の事故の事が見つかりましたのでアドレスをお知らせします。読んで見てください。これから冬までの間は、常に考えられる事ですので充分に注意してください。

http://www.e-net.or.jp/user/tan/foot%step/ochibo/senior/zelt01.html 

以上の記述は、1010日清水さんが発信したメールです。今回の山行報告はこれで充分かとも思われましたが、一応詳しい行動記録を下記の通り申し上げます。

報告者: 塩足京子

今回の山行は、端から船窪小屋に泊まろうと言うことで計画されたものであった。今年の静岡山岳会の会報の中で報告されていた、船窪小屋での出来事(簡単に言えば「船窪小屋を管理されているお母さんの人柄を表す出来事」ですが、詳しくはこの会報を見ていただきたく思います。鵬翔には4冊いただいてあります)が印象に残っていた私に、ウランちゃんからの船窪岳への山行のお誘いは即座にOKである。連休3日の初日に船窪小屋に2食付で泊り(¥8500)、翌日は烏帽子岳まで縦走し烏帽子小屋泊。3日目にブナ立尾根下山で入山場所の七倉に戻るという計画を立てた。せめて烏帽子小屋では食事は作ろうという、気分は山小屋利用で紅葉を楽しむお気楽山行であった。

1062354新宿駅発ムーンライト信州81号~翌70508信濃大町駅着の東京組2人を、車利用の静岡組2人と名古屋からの牧田さんが信濃大町駅でピックアップしてくれ七倉に向かう。天気予報では今日は雨模様、明日は晴れであった。登山開始時、雨は降っていたが気にならない程度で、薄い雨雲の上に青空も覗いていた。谷は靄っていたが、この靄は直にサッと晴れるものではないか、案外早く天気は回復するのではないかと期待できるものであった。案の定、間もなく陽が射し始め630七倉から船窪新道を登り始めた我々はTシャツ一枚であったが、いきなりの急登に大汗を掻きながらの歩きとなった。歩き始めはまだ木々の彩りは無く、それでも今日は天気になるだろう、直に青空の下紅葉を楽しめるだろうと大いに期待が出来るものであった。ところが陽射しがある中、時折パラパラと雨が降り出す。薄い雨雲は青い空を覗かせるが結局無くならずに、弱く降ったり止んだりを繰り返す。雨具は着ないままで暫く歩いていたが、歩き始めてから3時間もした頃から徐々に冷え始め、Tシャツ一枚で休むには充分寒くなってきた。雨も冷たくなってきたのでやっと雨具の上を着る。1030ハシゴの連続する鼻突八丁を越えた辺りより紅葉が綺麗に色付いたのが見られるようになり、雨の中ではあるが度々足を止め撮影大会となる。岳樺の白い幹と黄色い葉っぱが他の木々の紅葉に映え、ひときわ印象に残った。天狗の庭を過ぎると一層赤みを増した草葉に足が進まなくなる。視界をさえぎる樹木は無くなり、天気が良ければ北アルプス連峰が望まれるのであろう。船窪小屋がもう目の前の稜線を越えたところでの強い風に驚きながら、1145船窪小屋着。小屋の前でタルチョが風にはためき、軒には鐘がぶら下がっていた。

戸を開けると決して広くはない玄関であったが小屋の方が出迎えに来て、我々のザックと濡れた雨具を引き剥がすように持っていかれた。何だなんだと思いながら靴を脱いでやっと上がると、いきなりお茶がでてきた。先ずはお茶でくつろげ、ということである。ザックと雨具は小屋の方がそれぞれ、ザックはベッドのところへ持っていかれ、雨具はハンガーに掛けて干してくれたのである。今日は連休初日である。山小屋には小屋一杯の人(60名程)が居たが、誰もが和やかで常連客も多くいたようだ。皆、ここの管理人であるご夫婦が好きで、この小屋を大切に思っているのがよく分かる。お昼を食べながら牧田さんが秘密でボッカしてくれたビールをいただく。500cc 6本ありがとう!昨夜の寝不足が、一杯やって間もなく眠りの世界に引きずり込んでいった。1700ご飯ですよ~の声に起こされるまで、フカフカの布団で夢を貪っていた次第である。囲炉裏を囲んで第一陣18名が座った前には、期待を裏切らない御膳立である。サクッと揚がった天ぷら、野菜の煮物、山芋が入ったサラダ、蕗味噌乗せ豆腐、紫米、味噌汁と器が並び、ルバーブのデザートも出てお腹一杯だ。この後二陣、三陣の御膳を済ませたこの部屋で、ネパールティーを楽しむ会が模様されるという。お茶よりおチャケだよ!とは思ったが、ウランちゃんに誘われて参加した。何と、お茶の後にケナー、バイオリン、プロのアコーデオンの演奏が用意されていたとは本当に驚くべき小屋である。今日の雨の中、演奏者たちはそれぞれの楽器を運んできたのである。デリケートな楽器である。並大抵でない苦労を推す。ランプの明かりの中、木造りの小屋に音が柔らかく反響し、それだけでも充分に感動したものであったが、その頃外はミゾレ混じりの大風であった。猛吹雪と化していたのかもしれない。平和で芸術的な小屋の中と、時折聞こえる小屋を揺れ動かす風の音とのギャップが、或いは風音と入り混じった演奏が私を泣かした。後で考えてみると、この演奏はこの時吹雪の中に倒れて行った方々へのレクイエムだったのかもしれない。「いつかある日」も奏された。

108日朝、目覚めると外は一面真っ白な雪の世界であった。前日の紅葉真っ盛りに彩られた山は全て10cm程にも積もった雪の下に隠されてしまったのである。夜中、猛烈な力で小屋に体当たりする風に何度か目が覚めたが、雪が積もっているとは思いもしなかった。一気に冬の北アルプスになってしまった。アイゼン、ピッケルを持たない我々である。風もかなり強く即、烏帽子への縦走は取り止めであるが、明日晴れるかどうかで、今日下山するかしないか930まで迷った。明日晴れれば青空に映える紅葉と雪の山が堪能できるが、低気圧の想定外の停滞である。明日の晴れも保障の限りではない。もっと雪が積ると、或いはアイスバーンになると下山もままならなくなる。1010下山開始となった。小屋を離れる時、アルバイトの子が鐘を鳴らして見送ってくれた。既にトレースの付いた雪上歩きは快適で、昨日の紅葉景色との違いをしきりにデジカメに納めながらの下山であった。1400無事、七倉の駐車場に辿り着く。雪は鼻突八丁の上辺りから無くなり泥んこ道になったが、皆の雨具の下は内股まで泥がついているのに、清水さんはスパッツも汚していない。正しいアイゼン歩行のお手本であろう。泥汚れを落として車上し、葛温泉の高瀬館(¥500)で身体の汚れも落として今回の山行は終了であるが、一日早い下山にまだまだ続きの話ができあがった。チョコッとお話ししましょうか。

温泉ですっかりお腹が空いた我々は、大町駅前の観光案内所で紹介された蕎麦屋の座敷で美味しい蕎麦を食べているうちに、何だかもっとここらでゆっくりしたくなってきた。安い宿があったらもう一泊しようか、と話はまとまり、もう一度、大町駅前の観光案内所を尋ね、果して素泊まり¥4500のところを¥3500で牧田さんが成立させた。温泉掛け流しの木崎湖畔の民宿(湖山荘)である。大町の創立300年という酒屋で酒一升とワインを購入しての投宿であった。今日、烏帽子小屋で食べる予定だった料理をコソコソ作り肴とし、20:00頃楽しい宴会は始まったが、短時間で酒半升とツマミの茗荷を食べ過ぎた私は、この宴会の模様を殆ど覚えていない。翌朝の4人の冷たい視線で、昨夜のことは“推して知るべし”である。

109日の朝食は、大町の高台にある「大町市立山岳博物館」の前でご飯を炊いた。綺麗に晴れ上がった空の下、雪を被った北アルプスの山々が聳える。日本海に近い山ほど、雪が付いているのがハッキリ分かる。白馬岳での遭難を思いながら、私は昨夜のことも反省しながら、口数少なく最高のパノラマの前でご飯をいただいた。思いがけずに紅葉と雪山を味わった山行であったが、この度無くなった多くの方のご冥福を祈らずにはいられない。蛇足であるが、船窪小屋には船窪のコルで無くなった方の七回忌で来られたグループがいらっしゃった。「10月の山を、北アルプスでなくても決して甘く見てはいけない」改めて胸に刻んだ山行であった。合掌

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