日時 : 2007年4月30日(月) ~ 5月4日(金)
参加者: CL清水清二(25期) ・飯田平八郎(20期) ・ 塩足京子(66期)
報告者: 塩足京子
2005年のGWからのテーマである「八十里越」に今年も取り組んだ。「河井継之助」にこだわっている我々は「古道」を行かねばならぬのであった。八十里越のことや我々が取り組むことになった経緯などについては、2005年の記録をご参照いただければ幸いです。
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長い歴史の中で三度の大改修をしている八十里越であるが、会津側は自然条件の厳しさから、天保14年・明治14年・明治27年と、改修の度に古道・中道・新道の三つの道に付け替えられた。今、それとは別に「平成の新道(289号線)」が北側の山麓に建設中である。2005年の八十里越の山行で我々は勿論、河井継之助が戊辰戦争時、会津に逃れる為に辿った「古道」を行くことにこだわったが、時間的制約の為、次の年もここに来ることを固く誓い、その年は明治27年改修の「新道」を辿ったのである。翌2006年のGW、新しいメンバーを加え予定通り、失われた古道を求めるテーマの山行を計画した。しかし残念ながら、浅草岳に登りはしたが古道を繋ぐことはできなかった。今年、失われた古道を求めて2回目の取り組みである。
4月30日9:40小出駅に集合。予約したタクシーに乗り込み守門岳登山口の二口の奥のキャンプ場がある駐車場を目指す11:00着。当初、雪の為、手前の二口までしか入らないであろうということであったが、林道歩き40分のアルバイトをせずに済んだのは助かった。初日の荷物の重さはいつも辛いものがあるが、今日は2時間の歩きだけの予定の為、初日に消化すればいいやと、ついつい荷物を重くしてしまった。11:40上天気の中、吸血ブユ(ブヨとも。清水さんの里ではこれを蚊というらしい)に纏わり付かれながら出発する。この季節の山に虫除けが必要だとは思わなかった。12:30保久礼(ほっきゅうれ)小屋着。小屋の周りを雪解け水がジャンジャン流れている。ブユに散々血を吸われながらも12:50やっと重い腰を上げる。今日の予定地、キビタキ避難小屋には14:00に着いた。あんまりの陽の高さにもっと行程を稼ごうかとも思ったが、小屋の前で焚き火で遊ぶことにした。最近の私にとってGWの山の大きな楽しみに雪上の焚き火がある。雪上の焚き火は、熾きが下がらないように少々コツがいる。焚き火で夕餉の支度をしながら、一杯やりだす。「八海山」である。肴は袋一杯の山菜。何れも清水さんが持ってきてくれた。採れたてのコゴミ、木の芽(アケビの芽)、タラの芽、ウド。雪深い地方のそれらの美味さは格別だ。香りが強くやわらかく甘い。雪上焚き火と八海山と極上の山菜。GWの山はやっぱりこうでなくっちゃ!
5月1日4:30起床。晴11℃。小屋の中よりも外の方が暖かい朝であった。我々の他に人は無く、荷物を広げたい放題にして休んでしまったが、もう2人もいればちょっと狭いかな。昨日、飯田さんが焚き火の周りを、とっても素敵にセッテイングしてくださったので、小屋の中には居たくない。飯田さんのスコップ捌きにはいつも感心する。昨夜のキムチ餃子鍋に飯盒めしを合わせ、平和な朝を楽しむ。そういえば昨夕、飯田さんがしきりに長閑だ、のどかだと言っていたのを思い出した。6:40先ずは大岳(1432.4m)を目指す。途中、昨日夕方登ってきた2人パーティーのテントを見る。ショートスキーを楽しむのが目的のようだ。これ以降4日の下山日まで人の姿は見ることはなかった。大岳に予定通り8:00着。8:20出発するが大岳分岐からの稜線は痩せており、少々強い風の中、緊張しながらの歩きとなる。中津又岳・大岳・守門岳の稜線は、東洋一の大雪庇が出来る場所で、雪の少ない今年でも稜線にはその名残が見られる。風を避けての休みを経て、守門岳(袴岳)(1537.2m)10:40着。山頂には雪が無く地面が露出していた。山の名を記した方向板を確認するが、少々方向板がズレているような気がした。烏帽子山や鞍掛山が直ぐそこに見える。10:50いよいよ八十里越の鞍掛峠に向かって歩き出すのだ。守門岳から鞍掛峠までのルートを検討するが、先ず東の袴腰(1527m)まで稜線伝いに行き、そこから鞍部に下ったところから破間(あぶるま)川源頭の雪渓を下降し、破間川の対岸に辿り着くルートを取ることにした。当初、黒姫まで行き、そこから破間川に下ることを考えていたが、破間川の雪渓の状態、黒姫の傾斜、黒姫までの距離を考えると、ずっとこちらの方がいい。傾斜の緩い破間川源頭の雪渓の下降は早いものであった。840mの川床にから見上げる袴腰の山容は迫力があった。この袴腰、実は2005年からずっと「守門スモン」と思っていた山であることが今回初めて分かった。守門岳はこの袴腰の陰でここからは見えないのである。私的には、今日の幕営地はこの辺であった。雪渓から覗かせる流れの中の岩魚と遊びたかったのである。しかし時間的にもまだ早い為、清水さんは鞍掛峠に向かってどんどん歩いて行ってしまう。鞍掛峠までのトラバースを、一番効率のよいルートを選びながら高度を上げていく。ブナの林の中、鹿の糞の乾いたものが沢山実のように落ちている。大きなブナの木が沢山あるこの地の、青空にそよぐ今年のブナの芽吹きの風を楽しみにしていたが、雪が少ない割には寒いのだろうか、一昨年の様なブナの芽吹きの感動を味わうことができなかったのは残念である。15:00雪で埋まった沢に水が流れているのを見つけたところで幕営を決めた(880m)。鞍掛峠(965m)はもう直ぐである。ちょうど小雨も降り出した。今日は掛川さん差し入れのウイスキーをいただきながら挽肉茄子カレーである。20:00就寝前、空を仰ぐと雲の間から真ん丸の大きな月が顔を覗かせた。
5月2日5:00起床。昨夜の月に期待したが、雨はまだ上がっていない。生暖かい14℃。昨夜のカレーにうどんを入れての朝御飯を食べながら、雨の様子を伺う。8:00雨が上がったところでテント撤収、9:00出発する。少し寒くなっていた。9:50鞍掛峠着、八十里越の道に乗る。やっと2005年の山行とルートが繋がった。峠にある祠にお参りをする。一昨年はここにある大きな石の道標は雪に埋まっていたが、今年はすっかり姿を現している。一昨年歩いてきた越後からの道を確認する。長い道のりであったが、今回のこれからの道のりもまだまだ長い。改めて祠に手を合わせる。峠の蕗の薹を今夜の味噌汁の具にいただいた。10:30ここを発すると、越後と会津の国境「木ノ根峠」までは既に歩いているルートである。一昨年は小松横手までのトラバースは山腹にびっしりと雪が付いていたが、今年はところどころの雪面をカッティングしながら11:20小松横手着。田代平の湿原までのルートを検討しザイルを出す。さて行くかの時になって、一天にわかにかき曇り何と雨が降り出した。さっきまで日焼け止めを付けなければと思っていた程の陽射しであったのに、である。ちょっとヤバイルートであったため、雨の様子を伺うことにした。ちょうど良いところに大きな松の木がある。この松は「越後見納めの松」という。脚を負傷した河井継之助が、敗兵5000余人と越後との別れを惜しんだ所である。間もなく、松の木の下の雨宿りでは無理な程の雨となってしまった。当初、にわか雨だと、直ぐに止むさと思って、雨具も上着だけしか着なかったのであるが、パンツまで濡らしてしまうことになるとは。大慌てでテントを張り、様子を見ることにしたが、そこが雪の無い平らな地面であったことが何よりであった。果たして雨は継之助たちの苦しみ悲しみの涙であろうか、と思われる程の激雨になってしまった。15:00を過ぎても止むことはなかった。「我々を供養せねば無事にこの先を行かしてやらないぞ」という声が聞こえたような気がした。ここで停滞することを決め、清水さんと飯田さんは明日の為、ルート工作に出て行った。私は、食糧袋からおもむろに「大根の味噌漬け」を取り出した。それを細かく刻み、米を浸してあった飯盒に入れる。大根の味噌漬けの炊き込みご飯を作るのであった。「桜飯」である。継之助が好んで食べたという飯であった。飯の炊き始めに、大風が一吹きテントを襲った。危うく飯盒を引っくり返しそうになった。おかずは切干大根。味噌汁に先程採ってきた蕗の薹を入れた。
5月3日4:30起床。昨夜の供養飯のお蔭か、清々しい朝を迎えることができた。餅入りラーメンでお腹を満たし6:30発。一昨年は不安定な雪と頭上の大雪庇の為、斜面を行かずに尾根筋を行ったが、今年は雪庇も無くところどころザイルで確保されながらトラバースした。田代平7:20着、20分程ゆっくりと過ごし湿原の平らな道を暫らく歩く。8:20一昨年と同じ、湿原の終わる手前でまた一本立てた。ここからは遠くに清水さんの故郷の山、八海山を見ることができる。9:00とうとう越後と会津の国境、木ノ根峠(845.4m)に立つ。2年越しのテーマ「失われた古道を求めて」の道がここから始まる。一昨年の新道はここから下り気味の道であるが、古道は尾根道を上がる。遠くからの様子では雪が付いていないように見えたので心配したが、懸念した程ではなかったものの重いザックを背負い、アイゼンを付けたままの藪漕ぎはそうとう辛いものがある。傾斜は強く片側は切れている。しかし藪は疎らでよく見ると草の下刈りがされ、狭いがはっきりと道と確認されるところがあった。「古道を辿る会」なるものがあると聞いていた。有志が道の整備をされたのであろう。であるが、藪には違い無く、かなり体力を消耗する。が、ピンクの花と光沢のある大きな葉っぱを持つオオイワカガミの群生やカタクリの花に大いに慰められながらの藪漕ぎでもあった。藪が続くとかなり時間を取られ不安になるが、雪面に出るとホッとする。1010.5m地点11:50着。ここからはもうそんなに藪に悩まされることなく行くことができそうだ。見通しも付きお腹も空いた。12:10昨年の到達点に向かって歩き出す。ここら辺りの雪の消えたところで、かなり幅の広い道を確認できた。13:00とうとう昨年の到達点の1000m地点に辿り着いた。9:30木ノ根峠を出発してから、ここまで時間にして3時間30分。この行程を行くのに4日を費やしたのだ。かなり感慨深いものがある。力を込めて二人と握手をする。13:20昨年歩いた道を辿り、今日の幕営予定地、沼の平に向かう。ガンガンと大三本沢に向かって下降していくが、下りが一入苦手な飯田さんが4日目の疲れと午後の疲れが重なった為か、かなり辛そうである。大三本沢近くまで降りてみると、昨年はタップリ雪があって渡るのに何の心配も無かった雪渓が切れていた。雪渓が繋がっているところまで登り返しのアルバイトを強いられる。15:00沢を渡ったところで飯田さんを待つ間、岩魚と遊ぼうとしたが振られてしまった。15:30ここで幕営もいいなと思ったが、飯田さんは疲れをものともせず予定地の沼の平に向かうのであった。今年73歳になられるお歳を鑑みると驚異的である。沼の平までの平坦なブナ林を過ぎると、沼の平への降り口は崖状で、ここは懸垂下降となる。昨年は雪があった為、全く苦労することは無かったのであるが。16:30沼の淵の流れのあるところに幕営を決めた。早速、薪集めである。今日はスパゲッティ、タップリの水と燃料が要った。麺に絡めるホワイトソースの鍋も火に掛け、タラコソースとの2テーストにした。残念ながらお酒は無い。昨夜の供養酒に散々振舞ってしまったのだ。焚き火と、やや不気味に昇る赤みがかった大きな月に酔えばいい。熾きが下がって掘り炬燵のようになった焚き火に、グジュグジュ雪ですっかり濡れた靴と靴下を乾かし、脚もすっかり暖めて寝た。
5月4日5:00起床。5日目、いよいよ下山日である。ソーメンを熱い汁と共に食す煮麺を作った。葱、切り海苔、おかか、揚げ玉、残った乾物を全部トッピング。薬味も唐辛子、生姜、山葵とある。個人的には山葵が美味しかった。雪で濡れたテントを軽く乾かし7:30出発。ここで釣りの為か、人が上がって来るのを4日振りに見る。昨年もここで人に会った。8:40雪の無い小三本沢の徒渉にザイルを出し、昨年3日を過ごした幕営地の雪の無い様子に驚きながら、山神の杉に9:50に着いた。山行の名残を惜しんでゆっくりと過ごし50分程で浅草岳登山口に降り立つ。11:10今年のGWの山が終わった。3年間、長岡の藩士「河井継之助」のテーマを持った山行は面白かった。美味い酒と極上の山菜とタップリの雪が味わえる、この季節のこの地が私は好きである。来年は何処へ行こうか。
◎費用
JR 東京~小出 乗車券 @¥3890 + 新幹線
タクシー 小出 ~ 守門岳登山口の二口の奥のキャンプ場がある駐車場 一台¥8710
タクシー 入叶津 ~ 只見 一台¥1790
只見温泉保養センター @¥400 (一昨年は@¥250でした)
JR 只見~東京 乗車券 @¥4940 + 新幹線