日時 : 2006年7月15日(土)~16日(日)
参加者 : CL清水清二 ・ 廣岡和繁 ・ 坂本憲昭 ・ 塩足京子
ゲスト平野喜一
報 告 : 塩足京子
奥秩父や奥多摩の山々といえば、林道開発や堰堤工事、伐採、植林etcで全ての谷が大なり小なり何らかの影響を受けているものと思っていた。ところが多摩川水系の谷の中で、唯一太古の姿をとどめている谷があると聞いた。その谷「大常木谷」の匂いを嗅ぎに、居ても立っても居られなくなったが、その時の私は比較的近い沢であったにもかかわらず、直ぐに行ける状態ではなかった。今回の入渓はそういう思いがあってのことであった。
7月15日(土)
前夜、遅くまで仕事の平野さんには申し訳ないが、9:00に塩山に集合すべく新宿7:16発のあずさ73号に乗ってもらった。平野さんの山歴には心強いのもがある。臨時の電車であったため、連休の混雑をかわすことができた。通常、都内から電車でのアプローチは青梅線奥多摩駅からであろうが、奥多摩駅からタクシーを使って大常木谷出合まで行くとなると、如何せん奥多摩駅にはタクシーが2台しかない。そこで、塩山集合となった。駅前の塩山タクシーは前にも利用したことがあるが、大変親切で良心的な会社である。5人でタクシー1台で行くのだから経済的に大助かりだ(1台¥8420)。タクシー代を払った後(10:00)も、一ノ瀬川への下降点を心配して探してくださったりもした。一ノ瀬川は遥かはるか下なのである。
何箇所か下降点があるようであるが、結局「この付近は転落死亡者事故多し!」の看板のところにある踏み跡を辿ることにした。ここで入渓の用意をして10:40発。かなり急ではあるが踏み跡は良く踏まれており、程なく一ノ瀬川本流に足を漬ける。少々本流を下っていくと大常木谷の出合が左手に見えた(11:05)。ザックには竿を忍ばせてある。果たして出番はあるのであろうか、心躍らせながらいよいよ入渓である(11:20)。今回のこのメンバー組は初めてであった。まもなく谷は狭まり小さな滝が出てくる。お助け紐を伸ばしてもらい右から岩を乗っこし、次は大木を斜めにかけた釜をザイルに引かれて泳ぐ。やがて水量豊富な滝にぶつかる。8mの五間ノ滝である(12:00)。ドボンと釜に入り滝の右手を行くが、ホールドはしっかりおり、泳ぎがからきしダメな私はここの方がずっといい。まもなくまた狭いゴルジュの泳ぎが出てくるのである。資料では五間ノ滝上は美しい滑床の流れが続くとあり、特に泳ぐようなことは書かれていないので、今回は水量が多かったものと思われる。ウエットスーツで身を固めた廣岡さんは、好んで水に飛び込んで行く。やがて谷は左に大きく曲がり、迫力のある滝が現れた。25m千苦ノ滝である。ここは左岸の巻き道を辿ったが、良く踏まれており肝を冷やすこと無く滝の上部に降り立った。まもなく右手よりアサノハ窪が合わさり長さ10mの山女魚渕となる。ここでザックをビート板にしなければならぬような泳ぎがあるんかいと(私はザックを背負って泳ぐことはもとより、ラッコ泳ぎもできない)かなり覚悟をして挑んだが、思った程深いところには出くわさずホットした次第であるが、続く早川淵でもやばいところは全て平野さんの出してくれるザイルを頼って行くことになる。モミジ沢と出合い10m不動ノ滝が現れると、これで核心部は最後という思いが、ここはたっぷり楽しもうという余裕をもって左壁の直登に挑んだ。大常木谷はゴルジュ帯に加え、沢が綺麗であることの証しか、至るところに苔が付いていてラバーソールの沢靴であった廣岡さんと坂本さんは滑りに痛く苦労されていた。この沢ではフエルト底が有利なようだ。今宵の幕は、途中で2組のパーティに追い越されている為、会所小屋跡まで行かずにその前で張ることにする。16:00であった。
焚き火の火床を作る前に雨が降り出した。ここで火を消してはなるかと必死の取り組みとなる。パタパタやる団扇が2本、雨でダメになったが、やがて雨の勢いが強くなる前に焚き火を安定させることができた。ホット一安心、面目が保てた次第である。ここで平野さんと私とでは薪の組み方に違いがあるのがわかった。私は先ず、煮炊きのための火である。飯ごうや吊り下げ式の鍋ばかりであるとか、その時に集めた薪の状態によって別の組み方になるが、大抵は横ハンドル式のコッヘルを安定よく置く為に太い木を並べて置き、火の勢いはあまり上げない。平野さんは景気のいい火を好まれるようだ。焚き火は面白い。人それぞれの個性が出るという。焚き火の前でお酒を飲みながらくつろぐ時でも、小まめに火の面倒を見ている人もいれば、豪快に薪を投げ込む人もいる。長い間、焚き火を熾すことを他人任せにしてきた。何ごとにも道なるものがある。まだ自分が熾すようになって日が浅いが、焚き火にも焚火道なるものがあることを知る。焚き火の美学にこだわりたいと思うようになった。
持ってきたお酒を全て飲みつくし、テントを張らないで被ったまま寝てしまった。夕飯の支度をする頃には雨は上がっており、酔いも回って心地よく焚き火を楽しむことができたのであるが、寝入って間もなく額に雨粒を受けることになる。寝ぼけ眼でポールを差し込んでテントを設営する。雨はかなり降ってきた。坂本さんは焚き火の傍でお休みであったが、朝まで雨には何の抵抗もされないままであったようだ。豪快な坂本さんは、この山行では「リンカーン」と呼ばれた。馬力のある車リンカーン・コンチネンタルV8のリンカーンからであるが、彼の燃費の方はまだ定かではない。
7月16日(日)
雨は朝になっても上がらず、予定では今日はそのまま溯行を続け縦走路に出、飛竜山を経て明日、丹波に下山することになっていたが、会所小屋跡から大常木林道で二ノ瀬に下山することにした。岩岳尾根を経て丹波へのルートは最近の情報が無く不安であった為、一番早く下れるであろうこのルートを選んだ。とは言っても、平坦なルートで安易にこの山が終わることに、寂しさを感じての下山であった。もっと遊んでいきたいという思いがたっぷりあったのだ。果たして、この平坦で安易と思われたこの道に5時間うんざりすることになる。尾根という尾根をことごとく周り込んでいく為、ちっとも高度が下がらない。13:20やっと辿りついた三ノ瀬であったが、携帯Telが使えない。為、バンガローで塩山タクシーを呼ぶのも一苦労であったが、塩山駅に着いた(1台¥9380)後は、塩山タクシーの営業所にザックを預かってもらって、駅裏の塩山温泉郷の銭湯(@¥400)に空荷で向かう幸せを得た。お天気に恵まれず岩魚とも遭遇できなかったけれども楽しい山行でした。いつか是非、ピークを目指して完登したいものである。
ところで太古の姿をとどめるこの大常木谷の奇跡は、明治時代に遡る。時の東京市長であった尾崎行雄氏が、東京の命の水たる多摩川の安定的な水の確保を目的に、多摩川水源地帯の大部分の土地を手に入れ管理してきたという話であった。今も東京都の水源林として、一帯を都の水道局が管理している。この話を聞いて昨今の、自分のことだけしか考えないお偉い方々との違いを感じ、同時に私が何を未来に守っていけるのであろうかとも思った。