日程: 2007年7月28日(土) – 29日(日) 前夜発
山域: 湯桧曽川(上越)
参加者: 坂田(L)・平井・国府谷・坂本・土井
行程:
第1日目: 土合駅(6:00) – 武能沢出合(7:40) – 魚止めの滝(8:10) – 二俣(14:10) – 朝日岳山頂(17:25) – 笠ヶ岳避難小屋(18:15)
第2日目: 笠ヶ岳避難小屋(8:00) – 土合駅(11:30)
7月28日(土) 11:00まで快晴・11:30から雨
午前3時、土合駅は闇夜にひっそりと沈んでいた。改札を抜けて左側のコンクリートにマットを敷き、シュラフカバーにもぐりこむ。地下を貨物列車が通過するたび、冷風が押し寄せてきて寒い。缶酎杯を一缶飲み干してそそくさと寝る。
5時起床。快晴。予報では午後から雨だが、素晴らしい朝だ。
未知の山を訪れるときは緊張する。あたりを漂う山の匂いも異なるし、ビブラムソールの最初の一歩もしっくりとこない。山の魅力に取りつかれて10年、何故か谷川に登る機会がなかった。魔の山と畏怖されるだけに、躊躇していたのも事実。ところが、坂田さんたちのペースが速いため、追いかけるのに必死で、緊張する暇も感慨もない。ひたすら林道を歩き、シャツの色が汗で変わったころ武能沢に着いた。
握り飯をほおばり腹ごしらえ。ほんのちょっと下ると湯檜曽川だ。そして、すぐにゴルジュとなり、魚止めの滝が落下している。日の当たらない陰鬱とした入渓だ。坂田さんリードで右岸から取り付く。最初の岩角が難しいが、残置シュリンゲをつかんで乗越す。小さなテラスから右岸ブッシュを高捲く。前夜の雨の名残だろう、足元はドロドロ。懸垂下降するという記録もあったが、笹や雑木を頼りに河原に出る。本谷が大きくクランク状に曲がると、谷が開けて青空が広がってきた。サラサラと足元を水が流れてゆく、美しいナメが続く。「おい、来てよかったな」。林道歩きの苦労と睡眠不足など、どこかに吹き飛んでしまった。やがて、あの有名なウナギ淵があらわれる。翡翠色の淵が30メートルも続いている。国府谷、平井さんは左岸をヘツって突破。坂本さんの後に続き、小生も泳ぐ。実は沢で泳ぐのは初めてだ。双六谷の予行も兼ねて飛び込む。火照った身体に、水の冷たさが心地いい。背中のザックの浮力は想像以上に大きく、平泳ぎでゆっくりと進む。これぞ沢登りの醍醐味、心が谷川の空へと飛翔しそうな気分だ。ところが、初心者の悲しい性か、ザックに空気を入れすぎた。顔が水面に押し付けられてしまう。必死になって顔を上げようとするが、背中の浮力が、そうは問屋が許さない。左岸のクラックに手をかけて泳ぎを中止。ここからは水流が強く押し戻されてしまう。ほうほうの体で突破する。全身ずぶ濡れ、まるで無様な河童だ。後ろを振り向くと、ラストの坂田さんも、小生が休憩したクラックにへばりついている。溺れたかのような必死な格好、後で聞くと足がつったらしい。
淵を越え右岸の滝を快適に登る。 十字峡かと思ったが、沢が一本足りないので、さらに直進。碧の流れをジャブジャブとゆき、三段30mのナメ滝を左岸沿いに登る。 ここで、ようやく十字峡の全容があらわになる。正面には抱き返り沢の大滝。高さ50㍍というが上部は見えず、盛大な水飛沫を落下させている。いったい、ここはどうやって登るのだろう。本谷は直角に左折し、狭いゴルジュとなった。このゴルジュに手こずる。水流は速く深く、ジェットコースターのようだ。落ちたら十字峡まで流されるのは間違いない。行き詰った平井さんは、何と対岸の岩へジャンプ一発。滑るフェルト靴が空回りして…「おお、危ない」と思いきや、腕力で自らを確保した。やはり、そんじょそこらのオヤジではない。坂本、坂田は右岸をへつる。ラストとなった小生、途中まで右岸をへつり、対岸に小さく飛び、再び左岸に飛び移り、この難所を越える。
ゴルジュ出口に、日の当たる大きなテラス。ここで大休止。ここでビバークしたい、そう思わせる居心地の良さだ。日に暖められた岩の上に大の字で寝転がる。抜けるような空の青さ、山々の緑が眩しい。「このペースならば一日で抜けて、土合で飲むか」「いいですね。どこの温泉がいいかな」。軽口をたたいていたが、数時間後には、この考えが大甘だったことを知ることになる。
ここから本谷は、ナメ滝と釜の美渓の様相を見せはじめる。三条10mの滝を左のチムニーから登ると水流は二股になっている。右岸が七ツ小屋沢、左岸は本谷の小さな滝だ。
やがて10mの垂直滝にたどりつく。行く手をドーンと塞ぐような存在感に圧倒されるが、先行5人組のラストが滝の左岸に挑んでいる最中。いかにも滑りそうなフェースは、下から見るとハングしており、ハラハラしながら曲芸まがいのクライミングを見守る。持参したガイドでは「滝芯へシャワークライミングしながらトラバースし、右岸の階段を直登する」と案内している。我々が選択した左岸は「興味深いが難しい」と解説しているだけに緊張する。リードは坂田さん。手足をプルプルいわせながら登ってゆく。国府谷さん確保で、次は平井さん。ヒョイヒョイと登り滝口へ消えてゆく。その素晴らしいスピードに鼓舞される。次は小生。最初からビビル。一歩一歩慎重に攀じ登っていく。岩は外傾していてツルツルだが、残置シュリンゲに助けられながら、フェースを攀じ登っていく。小さな岩のデッパリに立ち込む。ホールドがしっかりしているため、思った以上怖くはない。最後の草付き3歩に恐怖を感じたが、突破さえしてしまえば達成感にひたれる滝だ。緊張から解放されると、雨が顔を打った。太陽は顔を隠し、いつの間にか頭上は雲に覆われている。「おーい、雨が来るぞ」「本降りになる前に行こうや」。平井さんの指摘で先を急ぐ。赤茶けた二段の滝は左岸の草付きを大高巻き。土砂降りになる前に核心の大滝を越えたい。気持ちばかりが逸り、焦る。しばらく小滝をゆくが、大きな釜を持った滝は国府谷さんのお助けヒモで越える。40m大滝に到着した時には、かなり雨脚が強くなっていた。 さあ40mの大滝だ。滝の水しぶきと雨でびしょ濡れ、緊張が走る。下段はホールド、スタンスとも豊富で難なく越える。上段の滝は、本来ならば乾いた一枚岩を登ってゆくらしいが、雨で濡れていて嫌らしい。左側の緑色でヌルヌルの壁を直登して滝を大きく巻くことになる。平井、坂本、国府谷が次々とフリーで越えてゆき、姿が見えなくなる。しかし、ここで落ちれば滝の下段まで滑落して即死するだろう。悔しいが、上の3人にロープを要請する。いざ登り始めれば、ホールドはしっかりしていてザイルも順調に延びていく。ここから、小さく高巻き大滝の上に出る。これで悪場は終わった、はずだった…。
幕営予定地の二俣に着く。雨はやんだが、どんよりとした曇り空だ。先行5人組みが右岸にテントを設営、素麺を食べていた。我々もザックをおろし腹ごしらえ。ビバーク適地とされているようだが、増水すれば水浸しになりそう。重い腰を上げ、さらなるビバーク適地を求めて再出発する。ところが、ビバーク適地が見つからない。二股から1時間は遡行しただろうか、雨が本降りになる。「おい、もう覚悟して稜線に抜けるぞ。頑張ろうや」。平井さんの号令が飛ぶ。笠が岳の避難小屋を目指すことになったわけだが、約4時間の行程追加か…。ナメや小滝が続く源流域だが、雨の中の強行軍は興ざめだ。両岸のお花畑を楽しむ余裕などあるはずがなく、ひたすら稜線を思い描きながら登り続ける。水が枯れる直前に各自2リットル給水、藪の中を突き上げる。食当として3.5リットル給水したが、ザックが肩に食い込む。もう、やけくそになって藪こぎ。傾斜が緩み、 朝日岳の湿原の一角に出たときは、ヘトヘトだった。霧の中、稜線を縦走すること一時間余り。18時45分、ようやくかまぼこ型の避難小屋に転がり込んだ。正直、ホッとする。ずぶ濡れの衣服を着替え、湯を沸かしお茶を飲むと、生き返った気分だ。強い風がトタンの小屋をたたくが、芋焼酎が気分を高揚させてくれた。ささやかな宴会も、肴のスルメが底を尽きてジ・エンド。疲労困憊のせいか、午後9時過ぎには全員寝てしまった。
7月29日(日) 曇のち晴れ
朝、濃霧の中を出発。ガス欠でウドンが半生だったのはご愛嬌。笠が岳でガスが晴れ、待望の青空がどんどん拡がってゆく。白毛門で大休止。土合への急坂は、馬鹿話をしているうちに何とか克服し、11時45分に土合駅して湯檜曽本谷の旅は終わった。。
(記: 土井)
平井さんは2月にスキーでこけてから膝の調子が悪いとのこと。初日は予想外に長い行程となってしまい、避難小屋で見せてもらった膝が思いっきり腫れ上がっていた。下山後、でっかい注射器2本分の水を抜き取ったとか。下山はかなり辛かったことが想像出来るが、驚くべきペースであった。もし自分だったら…泣きついてもどうしようもないとは言え、弱音を吐きまくっていただろう。平井さん並の根性を見習いたい。
(記: 坂田)