日程: 2006年12月29日(金) – 2007年1月2日(火)
メンバー: 清水(TL)・塩足(黒戸尾根班)
掛川(L)・飯田・志村・坂本・大和田・掛川(浩/会友)(戸台班)
行程: 本文参照
12月29日 「鵬翔1面を飾る」
朝7時に戸台出発の予定だったが、合流に手間取り出発は約1時間遅れた。
静岡から来た私達と志村・坂本組は、途中の道の駅で合流したが、大和田・飯田組とは現地集合で、戸台の駐車場がわかりにくく、また携帯も圏外だったため、連絡が取れず、ちょっと焦った。
次回から、あまり知らない地域ではもっとわかりやすいところにしなければ、と出だしから反省その1。
さて出かけようとしていたら、長野日報の記者がやってきて写真を撮らせてほしいという。「冬山シーズンいよいよスタート」という記事で、1面に載せるという。こんな時しか新聞の1面を飾ることはあるまいとみんなで写真をとってもらう。本当に1面に載せるんでしょうね、と念を押すと、みなさんが下山する頃には、ご自宅に送りますよと、住所を聞いていったが、まだ来ない。ボツになったのかな。
今日は、北沢峠まで約6時間の行程である。
丹渓山荘の手前、八丁坂に入る所で坂本さんらには先行してもらい、先にテントを張ってもらうことにする。先行組より45分遅れの2時45分長衛小屋前テント場着。
今晩の食当は、志村さん。中華風鍋。おつまみや、アルコールも豊富で入山祝いをする。明日は甲斐駒、黒戸尾根から上がってくる清水さん、塩足さんと合流する予定だ。
12月30日 「撤退」
夜中寒くて、隣で寝ていた志村さんには悪いなと思いつつ、何度も寝返りをうっていた。
山行前、大和田さんから、わたしは、かつげない、ついていけない、経験がない、三重苦ヘレンケラー・英子なんですというメールをいただいていたので、余裕をもった行動をとるべく2時に起き、4時15分出発。天候はまずまず。まだ入山者も少ないせいか、われわれがトップ。
トレースもあったり、なかったりで仙水峠まで樹林帯を所々迷いつつ進む。樹林帯を抜けると仙水峠まで広い谷間を進む。風が強い。トレースも無く、この道でいいのかなと少し不安になる。
やがて、駒津峰への登り口の標識に出た。6時。
ここから、駒津峰まで樹林帯の急登である。トレースはほとんどなく、ところどころひざ上のラッセルをしながらの登りとなった。8時半、駒津峰直下に着く。森林限界を超えるとまともに風が当たるので、まつげが凍る。駒津峰から先の稜線は灰色にガスっていて、甲斐駒は見えない。
駒津峰から先の岩稜帯がこのルートの核心部で危険な所だ。
冷たい風に吹かれ、思わぬラッセルを強いられ、体力を消耗してしまった。
突っ込もうという気持ちにならない。志村さんの体調が悪いこともあり、引き返すことに。
下る途中、日が高くなるにつれ、ガスも晴れてきた。途中2,3パーティとすれ違う。仙水峠まで降りると、摩利支天、甲斐駒もよく見えた。しかし、気分はもう早くテントに戻ってのんびり酒でも飲みたいモードになっていた。途中、わたしが少し遅れて仙水小屋に着くと、なにやら小屋の人におこられている。
小屋の立ち入り禁止のロープを知らずに越えて、中に入った為、小屋のおやじさんが怒ったらしい。
坂本さんが爆発する直前、大和田さんがうまく納めてくれた。さすがである。
文学を研究しているので、人の気持ちの機微がよくわかるのだろう。おやじさんによると、明日も40年やっていて初めてという絶好の天気らしい。11時20分、テント場に戻る。青空が広がり、日差しが気持ちいい。
ウランと大和田さんは、ひなたぼっこ。テントもずいぶん増えていた。
夜は鵬翔幹部の物まね大会で盛り上がった。坂本さんの芸は一見の価値あり。
この日、結局清水さんたちは来なかった。無線にも何も反応は無かった。当初の予定では、明日は仙丈に行く計画だったが、清水さんらを迎えがてら、再度甲斐駒に行く事にする。
12月31日 「合流」
今日は、先頭でラッセルするのは避けたいと、出発を5時にした。しかし、この日は前日と異なり、風もなく、また昨日のトレースもしっかり残っていてラッセルもなく、ほぼ無風の中、8時15分に駒津峰に着いた。
ここで、アイゼンをつける。ここからは、やせた尾根や、ところどころ急な雪壁がでてきたが、ザイルを使わずに10時20分甲斐駒の頂上に着いた。北岳が美しい。富士山もくっきりと見え、遠くに駿河湾が日の光を反射してにぶく輝いているのが見える。北も中央もよく見え、坂田君たちはどうしてるかなと思った。
途中から無線で清水さんを呼んでいたのだが反応はなかった。携帯で安達さんと通じたので、話を聞くと清水さん達も昨日は強風のため8合目で引き返し、7合目に幕営したらしい。
ならば、上がってくるだろうとツェルトを張って次の定時交信11時10分まで待ってみたが、やはり通じなかったので、
11時半下山を始めた。下りはザイルを出そうかなとちょっと迷ったが、後続パーティがしっかりバケツを掘っていて、行きと比べて足場がけっこう安定していたので結局ザイルは出さずに降りてしまった。
途中やっと、清水さんと交信できた。すでに登頂し、駒津峰にいるという。どこで行き違いになったのか、不思議だったが、後で聞くと清水さんは登頂後、正規のルートとは違うところを降りてきたらしく、ほぼ我々が頂上への登りで行き違いになったとわかった。駒津峰で1時に合流する。駒津峰からお互いのルートを確認していたら、清水さんの踏みあとを降りてくるパーティが2,3見えた。傾斜が急になるところで、行き詰まり、引き返していく。清水さんから黒戸尾根で久世と会ったことを聞く。黄蓮谷の状態は悪かったようだ。2時45分テン場に戻る。
大和田さんの年越しそばは、水が足りなくてそばがきのようになってしまったが、
なにより無事に合流でき、喜びもおいしさもひとしおであった。
1月1日 「しりセード」
今日は仙丈である。昨日同様好天であることを期待する。甲斐駒と比べれば、距離は長いが、悪いところはないと思っていたので、リラックスしていた。初日の出が見たいというリクエストがあったので、2時に起きる。4時50分出発。7時25分大滝ノ頭。樹林帯の切れ間から、初日の出を拝む。正月山行で初日の出を見たのはあまり記憶にない。途中志村さんが、わたしここで待ってようかな、と弱気な発言。もうすこし行こうよとはげます。小仙丈まで出れば、そんなにアップダウンはないはずだ。がんばれ、由美子。
森林限界を過ぎ、小仙丈、8時35分。昨日より稜線は風が強い。どうも天気は下り坂らしい。
小仙丈より、ところどころやせた雪稜を慎重にたどって行く。仙丈のカールを左手に眺めつつ、鞍部へ下り、再び登り返し、10時10分頂上着。昨日同様360度の視界。風は強くなっていた。
早々に降りはじめる。途中、小仙丈の下りでちょっと急でいやなところだなと思っていたら、後ろで「ああ~」という声が。振り返ると大和田さんがすべりおちてきて、志村さんとぶつかって二人すべり落ちてきた。さほど勢いがついてなかったので、すぐ止められてよかったが、ちょっとヒャッとした。後で聞くと、しりセードをしようとしたらしく、アイゼンをはいたままでは危ないと清水さん、塩足さんが説明する。樹林帯に入ってほっと一安心。
アイゼンをはずし、しりセードで降りたり、各自登頂の余韻にひたりつつ気楽に降りていく。
木漏れ日が当たり、最高の気分だ。12時50分テン場に着く。清水さん達が、長衛荘でウィスキーを仕入れてきた。今日はビールでかんぱいだ。最初、甲斐駒をあきらめたときは、今回はどこも登れないのでは、とも思ったが、甲斐駒・仙丈と二つ登れて本当に良かった。
昼間はいい天気だったが、夜のテント内は嵐のようなにぎやかさだった。
1月2日 「ふるまい酒」
8時にテント場を出る。12時35分戸台の駐車場に着く。高遠の「さくらの湯」に入り、華留運(ケルン)というそばやで、からみだいこんと、くるみという2種類のつゆのおいしいそばを食べる。おやじさんのふるまい酒がたまらなくうまい。
山の楽しみの一つに下山した地元で出会う人や食べ物は、はずせない。
うまい酒、野沢菜、みんなの元気な顔。坂田・平野組も無事下山したらしい。
今年は、この仲間達とどんな景色に出会えるだろう。
(記: 掛川)