日程: 2022年12月28日(水) – 2023年1月2日(日) 前夜発
山域: 槍ヶ岳(北アルプス)
参加者: 林(L)・江戸
行程:
第1日目: 自宅(前夜21:30) – みどり湖PA(仮眠)(1:30/4:30) – 新穂高温泉(5:30) – 葛温泉ゲート(8:50/9:20) – 七倉山荘(10:00) – 高瀬ダム(11:00) – 林道終点(13:00) – 名無し避難小屋(14:00) – 湯俣山荘(16:00) – 伊藤新道分岐付近(16:30/17:00幕営/就寝20:30/翌4:30起床)
第2日目: 伊藤新道分岐付近(6:50) – 硫黄尾根取付(7:30) – 中東沢出合(10:20) – 千天出合(15:30) – 天上沢傍(16:30/17:00幕営/21:30就寝/翌5:00起床)
第3日目: 天上沢傍(7:30) – P2尾根取付(9:00) – ロープ使用箇所(13:30/15:30) – P2尾根2000m付近(16:30/17:00幕営/2030就寝/翌4:30起床)
第4日目: P2尾根2000m付近(7:30) – P2(9:00) – P3(10:00) – P4(11:40) – P5前衛峰通過(13:00) – P5巻き道途中(13:30/撤退開始) – P2尾根1980m付近(16:30/17:00幕営/2130就寝/翌5:00起床)
第5日目: P2尾根1980m付近(7:30) – P2尾根取付(9:10) – 千天出合(10:40) – 中東沢出合(12:00) – 硫黄尾根取付(13:30) – 伊藤新道分岐付近(13:50) – 名無し避難小屋(15:30/1600幕営/22:00就寝/翌6:30起床)
第6日目: 名無し避難小屋(8:50) – 林道終点(9:20) – 高瀬ダム(10:40) – 七倉山荘(12:20) -葛温泉ゲート(12:50)
私にとっては初見の、坂田氏・林氏にとっては因縁の、冬の名クラシックルートに挑んだ記録。
※当初は坂田氏含め3人パーティとなる予定だったが、諸事情により坂田氏は不参加に。後ろ髪を引かれる思いはあったが、年末に向けて準備を進めた。
当初の行程は、12月29日入山の4泊5日+予備日2日。車両を1台新穂高にデポして葛温泉側にもう1台で回る作戦。
直近で天気図を確認したところ、12/29辺りで一時冬型となった後にしばらく緩み、再び冬型が強まる1月3日までは猶予がありそうだった。
この予報を鑑みて、行程を1日早め28日に入山することとした。
28日(水) 晴れ
葛温泉ゲートに到着すると、周辺は膝下くらいの積雪で林道の先は除雪済。天気は快晴。
ゲートにいた指導員の方が言うには、今年は例年よりも雪が落ち着かず、また良く沈むとのこと(12月中旬まで殆ど雪が無かった所に数日前の冬型でドッサリ積もった形)。また、数時間前に硫黄尾根を目指す別パーティが入ったとか。ゲート到着が遅くなったこともあり、我々も早々に林道を歩き出した。
高瀬ダムの堰堤までは舗装路ウォーキングで、堰堤からは膝くらいの雪道になった。それでも先行者のトレースのお陰で快速で進んだ。途切れることなく続くトレースを延々と歩き、湯俣山荘まで来た辺りでこの日は時間切れ。伊藤新道分岐の吊り橋付近で幕営した。
29日(木) 雪
夜半から風が強まり、朝になると雪が舞っていた。
この日は、何としてもP2尾根取付まで抜けて渡渉をクリアしておきたい。欲を言えばP2の肩まで行きたい…などと目論んでいたが、それはトレース前提のアマい考えだった。硫黄尾根取付でトレースが無くなってからは、ブカブカの雪に行く手を阻まれペースが落ちた。
雪は踏んだら踏んだだけ沈んでくれるので1歩1歩に時間が掛かる。下が藪ならしっかり踏み抜いて身体がハマる。高巻きの斜面では踏み抜いた先の草を踏んで滑る。目の前の雪を崩して固め、恐る恐る体重を乗せて結局沈んだ時などは実に虚無感が大きい。
一方で、渡渉ではそこまで苦労しなかった。厚手ビニールを両足に履き、アイゼン+ワカンを着ければ、その後の装備替えは殆ど必要なく非常にスピーディだった。結局10回以上は渡渉したので、毎回靴を脱ぐよりは時間を節約できたはず。
中東沢出合~千天出合間では、左岸側・右岸側に一回ずつ悪いヘツリがあり、両方ともフィックスがセットされていたものの、前者はロープを信用しきれず高巻きした。後者もリーダーがロープに気付かなければ高巻きする羽目になっただろう。
この日も日暮れ前まで粘ったが、P2取付までは辿り着けず最後の徒渉を残して天上沢脇で幕営。
右足が袋の上から浸水していたようで、寝る前まで靴を乾かす羽目になった。
30日(金) 晴れ
前日のビニール蒸れとシュラフの濡れで夜は酷く寒い思いをした。天気は快晴。
P2尾根取付手前の渡渉を終え、やっとビニール袋から解放された。しかし酷いラッセルからは解放されなかった。
200m程上がった頃には既に昼過ぎ。雪は相変わらずな上に傾斜が出て悪くなってきたので、この辺りでロープを出す。計3Pのうち最初の2Pは尾根筋を、最終ピッチは尾根筋の岩場を回避して南寄りの草付きをダブルアックスで登ったが、最後は実に悪かった。
傾斜が緩みロープを解く頃、後ろから2人組のパーティが追いついてきて、ラッセルを分担してくれた(福岡の山岳会の方だとか)。また、P2手前の肩まで来たところで時間切れとなり幕営の整地をしていると、もう1パーティ上がってきた。薄暗い中言葉を交わしてみると、馴染み深い背の高いお兄さんと初対面の優しそうなお兄さんの2人組だった。
ペースは既に想定より1日遅れで、実際のところ我々だけならこの日で撤退を決めていたものと思うが、ここにきてマンパワーが3倍になったことは我々を勇気づけた。翌日のP2以降の積雪具合によっては、まだ可能性があるように思えた。
翌日の行軍で昼までにP4、日暮れまでに北鎌のコルまで到達することを最低条件として、我々は山行を続行することとした。
31日(土) 晴れ
朝から3パーティが出揃い続々進んでいく。
P2、P3までは相変わらずの積雪。6人でラッセルを回せたため体力は温存できたものの、急登では一気にペースが落ちた。
途中、樹林帯で足元の雪を踏み抜き2m程落下した。落ちた時に枝を掴んだため事なきを得たが、ここで心のフンドシを締め直す。
P3以降は表面がクラストした雪や露岩した箇所が増え始め、若干楽になる。日暮れまでに北鎌のコルへ辿り着く希望は見えてきたものの、吹き溜りでは相変わらず腰まで埋まる。P5以降の巻き道でどれだけ時間を取られるかが気に掛かった。
P4に到着すると、P5からP9、その奥の独標までが1つの景色に収まり、北鎌尾根のスケールの大きさ、ルートの美しさを全身で体感した。今後の道のりの長さも、同様に…。
昨日に合流したパーティの内、福岡Pの方々はここで撤退を決めた。残るは我々と、お兄さんPの4人。
その後、P4から50m程降り、P5の巻きに入った…と思っていたら、巻いていたのは前衛峰という痛恨のミス。後になって気付いたが、前衛峰の千丈沢側にはフツーに歩けるラインがあった(もう一組のお兄さんPはそちらを行っていた)。結局、ルーファイを怠った代償にラッセルでかなりの体力を使ってしまった。また、天上沢側のラッセルは相変わらず最悪だという事実が脳裏に刻まれた。
前衛峰を超え、真のP5が見える所まで行くと、先行していたお兄さんPが巻きに入っていたのが見えた。やはり雪はかなり深そうで、その先のルンゼ状を詰めていく所でもかなりの時間と体力を使うことが想像できた。
彼らに付いていく選択肢もあったと思う。だが我々には彼ら程の登攀スキルは無いし軽量化も詰めていない。何より二人共体力精神共に消耗しきっていた。先に進んだとしても、2日で槍まで抜けきる確信は無かった。停滞に耐えられる燃料もない。
我々は撤退を決めた。
翌月1日(日) – 2日(月) 雪
帰路は25kmくらいで徒渉も10回程重ねることになったが、結局1日半でゲートまで辿り着いてしまった。丸2日掛けて進んで来た湯俣山荘までの道程も6時間で通り過ぎていた。トレースの有無で、こんなにも違うものか。
結局の所今回の敗退は、最後まで自分達で道を切り開く覚悟と準備を怠っていたが故の必然だったのだろう。そもそも情報収集の時点で、ラッセルが核心となる可能性について真剣に受け止めていなかったと思う。失敗。
ちなみに入山前の予報に反して1/1の時点で上の方は吹雪いており、先に進んだ2人の安否が気になったが、彼等はこの悪条件でも無事突破したようだった。力の差を感じた。
思ふこと
- ・今回の条件では6泊分の準備では安全マージンは殆ど無いに等しく、余裕を持つなら6泊7日の行動予定に加えて停滞日を設定するくらいが適当だったかも。(仮に高瀬ダム~硫黄尾根取り付き間のトレースが無いことも想定すると+1日?)
- ・6泊分の装備でザック重量28kg超と、軽量化を完全に怠っておりました。福岡Pやお兄さんPと装備について話していると、我々の軽量化に対する創意工夫の無さに恥ずかしくなる始末。ちなみに私の食当で持って行ったぺミカン2食は、ネパールエボ1組分と同じか少し重いくらい。ぺミカン屋は今回で廃業することにします。
- ・渡渉で使ったビニール袋は0.15mm厚で、折り返し部分や口元はストレッチフィルムで閉じ。袋の口元を固めたつもりでも行動中にずり下がるので、袋の縦幅は余裕が欲しいかも。
改善点は他にも多数。結果は敗退でも得るものは多い登山でした。次に来るときは荷物の重さを3分の2以下にしたいところだけど、財布の軽量化も進みそうで恐ろしい。
(記: 江戸)
また敗退しました
28日(水) 曇りのち雪
満を持しての北鎌尾根再チャレンジ。
以前の日程不足を教訓に、今回は5日間の予定に予備日2日を加えて計7日間を確保した。
初日は下山時用に車を1台新穂高温泉に停めて、もう1台で葛温泉ゲートまで向かう。これ遠い。
葛温泉ゲート前にて山岳指導員??の方と少し話していたら、今年は雪が少ないところに急に大雪が降ったから根雪がなく、雪が滑るしもぐるかもしれないとのこと。この時はそんなものかなくらいに話を聞いていた。
この日は先行で硫黄尾根に入ったパーティーがいたようでトレースがついていた。入山が思っていたより遅くなってしまったのと、私の股関節が痛くペースが上らず初日は湯俣まで。
29日(木) 雪
今日中に尾根くらいまであがれたらいいなと思いつつスタート。
出だしはトレースがあったがトレースは硫黄尾根に向かっておりそこから先はノートレースに。ここから沢沿いのラッセルが雪が多くなかなか進まなかった。雪がふかふかで斜面は固まらないし沢沿いは踏み抜くしで嫌になる。
渡渉はポリ袋を2重にしてストレッチフィルムで補強した上から、私はアイゼン・ワカン。10回ほど渡渉があったがなかなか良い感じだったように思う。ワカンを履くとポリ袋にアイゼンが引っかからない。
暗くなるまでラッセル(8割江戸君が)したが全然進まず先天出合の先までで時間切れで幕営。P2基部までもたどり着かず渡渉も1回残してしまった。
30日(金) 晴れ
幕営地からしばらく進み最後の渡渉をしてP2基部にやっとこさたどり着く。
ここから急登をひたすらラッセルしながら登っていく。上部の急な岩場みたいな草付きでロープを出す。夏はなんてことなく登れたところでも雪を処理しつつのぼるからえらい時間がかかってしまうし悪く感じる。結局3ピッチロープを出した。登っている間に2人組(福岡の山岳会の方でした)の後続が追いついてきた。最後は4人になって尾根にあがる。そして気が付くとこの日も日暮れ。
標高にして350m程登るのに丸1日かかってしまったことに愕然とした。ここまでのペースを考えるとこの先抜けるのは厳しく、ここで撤退かなとほぼ気持ちは固まっていた。のだけれど日暮れ後に以前会にいたI君パーティーが幕営地に到着した。偶然だったけれど彼らも我々より1日遅れで北鎌尾根に入っていたらしい。強力なパーティーも加り計6人になったことでラッセルの負担も減ること、また人が来たことで精神的にも余裕が出来たことから、リミットを決めてもう1日だけ先に進んでみることにする。
31日(土) 晴れのち雪
この日は何となく3パーティーとも出発の時間も揃ったので出だしから6人で進む。人数が増えてラッセルの肉体的な負担が減ることもあるし、気持ちも軽くなった。それでもP4あたりまでは雪が多くて大変。P4あたりから稜線上の雪は風で飛ばされておりクラストして岩場も出ていくらか歩きやすくなってきた。それでも厳しいことは変わらず福岡の2人はここで引き返すとのこと。我々はもう少し進んでみることにする。
その先P5手前の必要ないところで余計にピークを巻いてしまうミスをしてしまった。斜面は雪がたっぷりで稜線に戻るのに一苦労。この先も巻くたびにこんなんかと考えると気持ちが折れてくる。
P5の巻きに入る時点で13時を回っており我々もここで引き返すことを決めた。
この先、もし全てがうまくいけばまだ抜けられる可能性はある。それでも燃料がギリギリになってしまうことが想定出来た。もし予定が乱れてしまえば、それ以上は許容量を超えてしまう。それに2人ともここまでの行程で結構消耗してしまっていた。
先行してP5の巻きで猛ラッセルをしているI君パーティーに引き返すことを伝え撤退とした。トレースのついた道を引き返し、途中登ってくる1パーティーとすれ違い昨日のテン場まで戻った。悔しかった。
翌月1日(日) 雪
この日は予報に反して終日雪。かなりの量が降っていた。下る我々はなんてことはないけれど、稜線上はかなり吹雪いているはず。
下りながら自分たちのつけたトレースを見て、なんかきれいだなとか思う。
帰りの渡渉はポリ袋が破れて浸水したけどもういいので押し通る。
この日は名無避難小屋で快適に過ごす。命の水がなくなって悲しんでいたら、昨日すれ違った神奈川の某山岳会の方も撤退してきて、今日中に車まで戻ってしまうということでおつまみと一緒に茶色いお水を恵んでくれた。ありがとうございます。正月だしもらったスルメを炙って食べた。
2日(月) 晴れ
葛温泉ゲートまで黙々と歩く。ダム沿いの林道がひたすら長かった。車の手前の車道が凍ってて転びまくった。最初にみつけたセブンで食べたナナチキが敗退したのにやたら美味しかった。
今回は雪が多く前半のペースがあがらずに余裕がなくなり敗退となってしまった。雪があることは仕方がないけど、反省点をあげればもっと軽量化するべきだった。食料を筆頭にまだまだ削れる余地は多い。途中合流した2パーティーは20キロ前後の荷物らしかったが、我々は自分26キロ、江戸君28キロ。まだまだ削れる。2人して今度からは軽量化しようと誓った。ただ残念なのは軽量化するともう江戸君のエスニック香るペミカンが食べられなくなることか。
入山2日目とかはもう2度と来たくないとか思ってたけど、また行かないといけなくなってしまいました。
(記: 林)