西穂~槍縦走

2006年8月4日(金) – 7日(月)  北アルプス縦走(西穂~奧穂~槍)   

廣岡(L)、松林(~6日、土井、平野

 今回、西穂から槍ヶ岳を目指した縦走は、鮮烈なインパクトがあった。穂高の稜線を走破したことは、勝手に決め込んでいた己の限界の向こうに、新たな世界があることを教えてくれたように思う。山行報告ではないが、徒然に感じたことを振り返ってみた。

8月4日
04:30 松本に着くと、ドッと登山客がプラットフォームにはき出された。
大半は松本電鉄の季節列車に乗ろうと6番線に直行するが、僕ら3人は改札を出て駅前の24時間営業スーパーへ行く。目当ては冷凍・豚ロース。
こいつを西穂で鍋にして食ってやろうという魂胆だ。
駆け足で戻り、ギリギリ始発列車に間に合う。
新島々に着く手前で夜が明けた。青い稲穂の向こうに北アルプス前衛の山並みが映る。静かで平穏な景色だが、実はドクドクと脈が速い。一見落ち着き払っているようでも、前途の険しい縦走への期待と不安が交錯し、やたら喉がかわく。

へタレ、玄武沢に苦しむ
06:00 早朝の上高地は、いつ来ても気持ちがいい。観光客もいなく、しばらくすると登山者の姿も疎らになる。梓川の土手からは穂高の雄姿がはっきりと見える。
これから登る、西穂から奥穂のスカイラインが素晴らしい。

帝国ホテル経由で田代橋、穂高橋を渡る。突き当たりが登山口だ。
玄武沢沿いに西穂山荘までは標高差900メートルの登り。このルートは3月に下山したことがあるが、積雪期と盛夏では全く様相が異なる。鬱蒼としたシラビソとコメツガの森をひたすら登ってゆく。朝の登り始めはけっこうきつい。にもかかわらず、トップの松林さんはグイグイと登ってゆく。後ろからは廣岡さんが鼻息荒く迫ってくる。驚異的な馬力を誇る2人についてゆけるのか…いささか不安である。

ザックの食糧が重い。歩き出して間もないというのに、もう歩くのが嫌になる。
「味噌を捨てろ、味噌を」「トマトだって土に戻しちまえ」
せっかくの美林を歩いているというのに、悪魔の囁きが聞こえてくる。
そんな僕を救ってくれたのが「宝水」。ルート唯一の水場だ。清冽な山の水で生き返った。

三つ目の急斜面を登りきると、森の広場がシナノオトギリのお花畑になっていた。甘い香りが鼻腔をくすぐる。オヤ、蜂も飛んでいる。
ここは冬には2メートル近く雪の積もる窪地。「下手に踏み込むと抜け出られなくなるよ」と警告された場所だ。人が踏み荒らさない季節があるからこそ、咲き誇ってくれるのだろうか。山の神様に感謝しつつ花と森を愛でる。
贅沢な昼寝と前夜祭
12:00 西穂山荘着。テントを設営して山荘へ。何はともあれ生ビールで乾杯だ。さっきまでのへタレぶりはどこへやら、ホクホクとした気分で注文する「生ビール下さい!」これほど旨い酒は久しく飲んでいない。ザックから取り出したツマミは生姜と醤油で茹でた豚バラ肉とトマト。捨てなくて良かった。
飲むべきものを飲み、腹も落ち着いたので、さあ次は昼寝。
標高2300メートル、穂高連峰・西の玄関口で贅沢な午睡を決め込む。
仰向けになれば夏の強い陽射しが突き刺さる。ゴロリとヨコを向けば霞沢岳がデーンと視界に飛び込む。気まぐれな風が頬をなでるので、汗をかかない程度にカラッとしている。なんて気持ちいいところなのだろう。松林さんの鼾の旋律に誘われ、知らぬ間に寝ていた。

16:00 夕飯の準備のため起きる。頼りになる腹時計だ。
今夜のメニューは豚キムチ鍋&サラダ。
食材
黒豚ロース500グラム。キムチ1パック。コチジャン1パック。赤味噌大匙3。
野菜はニラ1束、シメジ、エノキ、ビーフン1パック、ニンニク1個、胡麻油、醤油。
キュウリ3本、トマト1パック、5種類の海草。
こいつらのせいでザックが重かったのなんのって…

さて、コッフェルにゴマ油を入れ、薄く切ったニンニクを炒めるところからスタート。さらにキムチが香ばしくなるまで炒め、水1リットルを投入。ここにコチジャン、赤味噌を入れると真っ赤なキムチ鍋の素が完成。豚肉、野菜、ビーフンを入れ醤油で味を調えて、さあ食べるべし。
松林さんも廣岡さんも気に入ってくれたようだ。嬉しいなあ。
あっという間に鍋は食い尽くされ、濃縮されたスープに白米を入れて、韓国風オジヤで締めくくり。焼酎もタップリあって至福な気分である。

気がつけば日が傾きはじめている。遠く白山を望む雲海をウットリするようなピンクに染めて、はるか彼方に最後の一閃を放って消えてゆく。
静かな夜の訪れのなか、湯を沸かしコーヒーをいただく。ホッとする瞬間である。
明日に備え午後7時30分にはシュラフに潜り込む。好天と安全登山を祈り、その後は記憶がないくらい爆睡。

8月5日
男だったら北上?
02:30 廣岡さんのアラームで起床。テントから出れば外は満点の星空。
手を伸ばせば星屑が取れそうな、素晴らしい夜空だ。
天の川を見上げながらコーヒーを飲む。ゆったりした時間はここまで。あわただしく朝食を取る。「腹が減っては戦は出来ぬ」とばかり、イチジクパン、チーズをスープで流し込む。
テントも撤収し、さあ日本屈指の岩稜縦走へ踏み出そう。

そもそも、この縦走を胸に抱いてから3年の月日がたつ。
3年前の3月、西穂頂上から見上げた奥穂は神々しいほど美しかった。
眩い雪の白さと、空の蒼さが一つに接するのが奥穂の頂上のように思えた。この稜線を歩いてみたい、そう思ったのだ。
それから、仕事が忙しくなり、思うように登れない日々が続いた。
それと、剣・長次郎雪渓や白馬主稜などに“浮気”したせいもあって、なおさら延び延びになっていたわけである。
運命とは不思議なものだ。その横恋慕した白馬主稜から帰る途中、大糸線の鈍行で廣岡さんに声をかけたことで、一気に縦走計画が走り出した。

誤算がないわけではなかった。当初、僕は奥穂~西穂の南下ルートを考えていた。
ところが、計画途中で西穂~奥穂の北上ルートが浮上する。
西穂山荘から奥穂頂上までは23のピークがあるが、北上ルートの登りは南下ルートの倍以上の標高差があり、多くの難所が下り展開となり困難度も倍増するという。
へタレ・アルピニストの僕としては北上ルートなど想像すらしていなかったのだが…
「山は登るもの、男だったら北上」。廣岡さんの宣託が下り、計画が決定したわけである。

スリルとアクシデント
04:05 「なんとかなるさ」。そんな甘い空想を腹にため、ヘッドランプの明かりを頼りに登りだす。独標で夜が明ける。左に笠ヶ岳、右には霞沢岳という素晴らしい稜線。遥か下には、ようやく目覚め始めた上高地のホテルの灯りがちらつく。
乾いた朝の空気と馴染んだなと思ったら、午前6時15分には西穂高岳山頂に立っていた。

そして、ここからスリリングかつ恐ろしい縦走が始まった。
いくら登っても、登った分よりさらに下るという理不尽。1時間過ぎても2時間過ぎても、周りのピークは僕らよりも高いし、どう見ても西穂高岳よりも低い。間ノ岳なんて目と鼻の先に見えるのに、2時間もかかるというのだから…
「こんなチムニーを降りるのか」「足場ないぞ、足場が」こんな悪態をつきながら、トラバースや上り下りを繰り返す。とは言っても、内心は嬉しくて楽しくてたまらないのである。

07:00 事故があったのは、岳沢側のルンゼを下降中のことだった。屈曲した僕の右膝が岩肌に触れると、その岩の表層がボロリと剥がれ落ちた。岩屑が落ちてゆくのを信じられない思いで見下ろすのと同時に、「落、落」と大声で叫ぶ。
ゾッとしてルンゼを見下ろすと、20メートル下の松林さんが手を抱えている。
ああ、石をぶつけてしまった…
大急ぎで松林さんのもとへ降りる。軍手をした指の先が少し切れて血が滲んでいる。
幸いバンソコを張る程度で済んだが、しばらく指先の感覚が麻痺したらしい。
猛省しないといけない。
「浮石を踏むことで落石は起きる」という誤った固定概念が原因だ。
「まさか膝が触れるだけでは起きまい」という認識も大甘だった。現に、ロバの耳の登りで廣岡さんが手にした岩が崩れそうになり、手を離せなくなった。
また、今回は落石が当たりそうになるという怖さも味わった。飛騨泣き手前で休憩している登山者が落とした弁当箱がカランカランと音を立てたと同時に、落石を誘発したのである。鎖で降下中の僕の肩越しに石くれがヒュン、ヒュンという音を立てて落ちていった。あの時の恐怖と怒りを思うと、松林さんに申し訳ない気持ちで一杯だ。

気持ちを引き締めて縦走を再開するが、笑顔を絶やさず快くトップを登ってゆく松林さん。その包容力には頭が上がらない。「落石を起こさない」というのが縦走の至上命題になったのは言うまでもない。

間ノ岳に着いたのが07:55。そして、間天のコルへと降りる。ここから天狗の頭までは逆層スラブの登りだ。長い鎖に助けられ、ビブラムソールのフリクションを頼りに一気に50メートルを登る。

1億円払われても下りたくない沢
09:35 天狗のコルに下り立つ。ここから岳沢に下る天狗沢が縦走路唯一のエスケープルートだが、今年は、とてもじゃないがエスケープには利用できない。雪渓がコル直下まで張り出していて、それはあちこちで醜く裂けている。しかも、僕らが見ているなか、いきなり猛烈な雪崩が起きたのだ。
ガラ、ガガーン。それは、雷のような音を立てて始まる。巨大な雪の塊が崩落して、周囲の土砂を巻き込み、無数の雪と石が砕け、跳ね上がりながら雪渓をシャワーのごとく駆け下りる。その破壊力には足がすくんでしまった。これから更に気温が上昇すれば、ここは雪崩の巣窟になるだろう。この天狗沢は1億円積まれても降りたくない所だ。

天狗のコルにたどり着いたときはいい加減、疲労困憊していた。
けれど、ここからコブ尾根の頭まで350メートルの大登がまちかまえている。
容赦ない陽射しのなか、この登りの辛かったことといったら…
まあ、へタレの本領発揮というところか。

ザトペックついにペースダウン
10:25 ここまで快調なペースでこられたのは松林さんのおかげだ。ザトペック松林とでも言いたいところだが、さすがの松林さんも、ついにペースダウン。「眠い。バテタ」と言葉少なげに、一枚岩のルンゼ途中でザックを下ろす。日陰を探し休んでもらうが、顔色が白い。

ここは気持ちのいいところで、ヒンヤリとした岩を背に足を伸ばせる。
目の前には飛騨の美しい山並みが横たわっている。笠か岳から弓折岳のゴツゴツとしたい稜線は、なだらかな双六岳へと続き、黒部五郎岳の広大なカールへと収斂してゆくのが分かる。
幾多もの雪田や雪渓が確認できるし、緑の原生林の中に鏡平山荘の赤い屋根も見える。
その全てを蒼い空が優しく包んでいる。
「畳岩のカフェテラス」とでも呼びたいところだ。

気持ちを切り替えて、今度は僕がトップだ。
だが、ギラギラとした真夏の登りにピッチが上がらない。畳岩尾根の頭を過ぎたころ、最後尾の廣岡さんから休止要請がある。やはり松林さんの調子が良くないようだ。「眠い」を連発して、ふらふらしているという。やっとの思いで辿りついた稜上の大岩の小さな日陰で休む。
ここで松林さんの荷を軽くする。分散したテント、ポリタンクなどを僕と廣岡さんのザックに振り分ける。30分ほど休むと松林さんが回復。顔色も良くなり、本人も「行ける」というのでスタート。

ジャンに感動
11:38 しばらく歯を食いしばって登ると、ひょっこりジャンダルムが姿を現す。
「ジャンだ、ジャンですよ!」
下界だったら、あいつ気が狂ったと思われそうだが、つい叫んでしまった。
後方の松林、廣岡さんも「おおジャンダルム」と口走っている。僕らは「ジャンダルム」という言葉以外知らない原始人になってしまったようだ。それだけ感動したのだと思う。
11時50分 僕らは今、ジャンダルムのてっぺんにいる。標高3163メートル。この特異な形をした岩峰からのパノラマは筆舌し難い。
長い間、登りたいと憧れた頂。いい感じである。ちっぽけな針でしかなかった槍ヶ岳も、魔法使いの帽子なみに大きくなってきたし、西穂からの鋭利な稜線も一望できる。見下ろす上高地は深い緑に覆われ、蛇行する梓川が光っている。
けれど、嗚呼なんてことだ。ここからが、この北上ルート最難関「ロバの耳」の下りである。沈没した財宝船をせっかく見つけたのに、その周りをサメの群れがウヨウヨしているような心境だ。このスリルのために、ここに来たのだから…突入。
ジャンダルムは難なく迂回する。「ロバ」に身構えるあまり印象がない。もったいなかった。

愉悦のロバ、感動フィナーレ
12:30 お待たせ。ロバの耳です。このロバは絵本に出てくるような愛嬌のある代物ではない。全身を針のように逆立て、登山者を威嚇する穂高の山賊である。
ペンキマークなんかない崖をクライムダウンする。あることにはあるのだが、下りだと見えない。だから己を信じるしかない。さらに一歩誤れば谷底への大滑落が待っている崖をトラバースする。
何と言うか、愉悦の境地である。膝は震えないが、落ちたら死ぬという感覚が気持ちを奮い立たせる。あと1メートル、あと50センチ、あと10センチ。手を伸ばしホールドを握る。胸がドキドキ波打つ。こんな楽しい遊び、ほかにある?
今度は左足。苔の生えた嫌らしい小さなデッパリに体重を乗せる。足の指に力を入れ、うまくのっかった。そして、そろそろと右手も移動する。

今度はスッパリと切れ落ちた壁をクライムダウン。
中途半端な鎖はあるのだが、重いザックを背に振られたくないので使わない。
下は見えないし、左側は岩が突き出ているのでどうなっているのか不明。右側は空気しかない。うーん、どこに足を置くのだろう。
思い切って左足をおろし、身体を壁から乗り出すと、辛うじて下方に足を下ろせそうな岩が突き出ている。愚直に足を下ろし、浮石でないか確認する。ところが、それ以上クライムダウンできない。次のスタンスとホールドがどこにもないのだ。それに、鎖は岩のちょっと上で切れている。
下を覗き込むと、暗い谷底が「おいで、おいで」をしている。
さらに首を伸ばすと、ツルンとした岩がどこまでも下にのびている。
ここは絶対ルートではない。無理。
八方塞か?いやいや、左手がつかんでいる岩の向こう側に、左下方へと続くトラバース・ラインがあるのでは?
しかも、そのラインの終わりの岩肌が白っぽくなっている。人が歩いた証拠だ。
ソロリ。そして、またソロリ。空中トラバースの気分である。

12:55 油汗と冷や汗でグシャグシャになって「ロバのコル」に降り立つ。
長くて短い、ギリギリの時間が終わったと思うと、歓喜が脳天を突き抜ける。
ふと、「技術的問題はないよ」という坂田さんの言葉を思い出す。
畏るべし、ミスター坂田。それとも、僕がやはりヘタレすぎるのか…

安全な場所に立って、今降りてきた垂壁を見上げると、松林さんがクライムダウン中。
僕よりも的確に降りてくる。そして廣岡さん。やはりキッチリと決めてくる。
2人とも緊張しているけれど、目が笑っている。
廣岡さんなんてニコニコしてやってきた。
ああ、とてもじゃないけど2人には敵わない。

13:25 馬の背は高感度バッチリ。だが、ホールドは贅沢なほどあり怖くない。
スイスイと登る。が、その終わりで左足を捻ってしまう。
しばらくすると痺れは消えたので良かったが、これが次の日のキレットで大ブレーキをきたす原因になるとは…

14:04 ロバの耳を下り、馬の背を走破し、ついに奥穂高岳頂上。憧れの岩稜縦走を終え、日本第3位の高峰に一番乗り。ヨシ、と一声上げて後続の2人を待つ。
そして、3人でガッチリ握手。
天気にも仲間にも恵まれ、素晴らしい山行だった。
15:00には穂高岳山荘に辿りつき、再び「ホテル鵬翔」を設営。大いに飲み食いし、この日の成果を祝った。

8月6日
楽しくて怖い絶壁
03:00 起床。前夜は風がテントのフライシートをたたき熟睡できなかった。
外に出ると星が瞬いている。やはり風があるのだ。
今日は、松林さんはパノラマコース経由で下山。
廣岡さんと僕は槍ヶ岳を目指す計画だ。だが、昨日捻った左足がよろしくない。
心優しい廣岡さんは「下山も視野に」と声をかけてくれるが、やはり南岳までは行きたい。
パンパンに腫れていた足も、湿布のおかげで回復したようだ。
よし、行くか。

04:50 松林さんと握手し、互いの無事を期す。
涼しい早朝、涸沢岳への登りは快適そのものだ。
しかし、ここから再び難所の連続なのである。
3110メートルの稜線から最低コルまで約170メートルの下り。
V字に割れたルンゼをクライムダウン。ボルトが打ってあり、下りやすい。
岩棚をトラバース気味に下り、滝谷側を転がり落ちるように下る。
「ロバの耳」の下りとは比べようがないが、やはり緊張の連続だ。
オダマキのギャップを越えると、涸沢に落ちる雪渓の最上部に出くわす。
よくぞ解けずにいたものだ。
さらに難所は続く。
滝谷D沢のコルから涸沢槍を迂回し、その先は切り立ったスラブ帯だ。
絶壁の中の狭いバンドを下るのだが、こいつがスリリングで痛快。
恐怖心はどこかに置き忘れたようで、素晴らしい高感度に酔いしれてしまう。
まだ太陽に熱せられていない岩に触れるたび、「頼むよ、支えてくれよ」と祈る。
このスラブ帯は非常に脆くて、常に小岩がパラパラと落ちてゆく。
昨日の反省もあり、トップを下る廣岡さんにOKを出してもらってから下る。

06:00 最低コルでザックを下ろし、水を補給。チョコも食す。
涸沢が一望にできる好ポイントで、松林さんはどこを下山中かと思いを馳せる。
ここからは、北穂南峰までひたすら登り。一部外傾した岩棚を行くが、D沢のスラブ帯と比べたら“楽勝”である。

問題は、廣岡さんの素晴らしい快足についてゆけるか、である。
とにかくペースが速い。というか、僕が遅いのだと思う。
それでも文句の一つも言わず、所々で休止しながらペースを合わせてくれる。
僕が2000ccの国産車なら、松林さんは4000ccのドイツ車。廣岡さんに至っては、4000ccのエンジンを積んだアメ車並みというところか。
こちらも不法改造ぐらいしないと、2人にはついていけそうない。

飛騨泣き、オヤジたちの喝采
08:01 北穂高岳頂上3106メートル。
もう3回目になるが、やはり前穂北尾根の好ポイントである。
早速テラスへ移動し、休憩。
ここで冷静に自己分析してみる。
まず左足。膝に軽い痛みがあるのは毎度のこと。問題は、昨日捻った脹脛を庇っているせいか、右膝にも違和感がある点だ。
廣岡さんも心配そうにしており「下山する?キレットに突入してからでは遅いよ」と諭しにかかる。正しい指摘で、廣岡さんには迷惑はかけられない。
「槍までが無理なら、南岳で休止」ということで、やはり縦走継続することにする。
結論からいうと、A沢のコルから登ったときとは、全く別のルートに感じた。
特に飛騨泣きの核心部の通過だが、登りより下り展開の方が数倍怖かったし、景色も全く異なるように思う。
核心は稜線上の小岩峰だ。ここは北穂から下りてくると、まず飛騨側の垂壁数メートルを鎖なしで巻く。滝谷から吹き上げてくる風が尻をなでるので気持ち悪い。高感度抜群、気の弛みは致命的だ。そして、主稜と岩の間を通過し、このギャップを信州側にクライムダウン。ここが二つめの核心部、ちょっと緊張した。
滝谷B沢の源頭部だと思うが、股の下に谷底が見える。
ここで、トップの廣岡さんが鎖で振られ身体が信州側に大きく流されるのを見てしまったため、ちょっと嫌な感じである。
鎖は使わず足を右側に下ろそうとすると、ギャップの反対側で休憩していたオヤジたちが騒ぎ出す。「兄ちゃん、そっち足場ないで。そのままストン落ちるで」。
身を乗り出して確認すると確かにボルトは左側に展開している。
礼を言うと、「そう、そう、上出来や」と拍手喝さい、大喜びだ。
心優しきオヤジたちに感謝しつつ、A沢のコルへ急降下。
ここでガイド登山であろうか、オバサン軍団とすれ違う。ヒーヒー言いながら登ってくるのはいいが、待機している場所が不安定なため落石を起こさないか極度に緊張する。

灼熱のA沢、痛みと戦う
10:00 A沢のコルは、一転無風の灼熱地獄。水をごくごく飲み地図を確認する。
ここからのアップダウンは見ているだけで憂鬱だ。
100メートル登り、また100メートル下る。細かいアップダウンを繰り返した後、今度は南岳へ300メートルの登り。
本谷カールの雪渓が午後の陽射しで溶けているせいだろう、ユラユラとあがってくる水蒸気で南岳の大登りが揺らいでいる。絶望的な光景だ。

馬の背、長谷川ピークには何の緊張感も感じられなく残念。これまでのルートが強烈すぎ
たのだろうか。ただ、下りで右膝に痛みを感じるようになり急激にスローダウンしてしまった。
ここで廣岡さんに助けられる。ストックを使おうという提案。持参していたことすら忘れていた!そして、膝に湿布を張り鎮痛剤を飲む。
痛みに耐えながら歩いたキレット底部の1時間が、この山行で最も辛い試練の1時間だったような気がする。
しかし、30分近い大休止を取ってくれた廣岡さんの配慮と、そして薬のせいもあり、痛みは和らいでくれた。おかげで南岳への登りでは回復したように思う。

萎えて投了
12:55 南岳の展望台。精神的に疲労困憊だ。南岳のテン場がひどく魅力的に映る。槍ヶ岳への気持ちも萎えてしまい、ついに投了。情けないが、さらに3時間縦走を続ける気力がなかった…
南岳泊を提案したところ、廣岡さんも快諾してくれた。
単独行であったら、廣岡さんは夕方までには槍岳山荘に着いたと思う。
感謝してもしきれない気持ちだった。

01:20 南岳小屋着。
ガスの中、幕営。午後4時までウトウトする。
夕飯は、互いの食糧を全て使い切る。とはいっても、たいしたものは残っていない。キムチとワカメの雑炊。メカブ・キドニービーンズ・ヒヨコ豆・レンズ豆のサラダ。チーズ。ハム1パック。これを分け合い、廣岡さんが小屋から調達した槍ヶ岳ワインで乾杯。

最後はヨレヨレ・ヘロヘロとなってしまい、槍ヶ岳目前でギブアップしたが、
決して忘れることのない縦走となった。
松林さん、廣岡さんに感謝しつつ午後8時30分ごろ就寝。
夢を見ない、深い眠りだった。

                               〈記:土井)

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