剱岳北方稜線

日時: 2006年9月8日(金) – 2006年9月10日(日)
メンバー:平野(L)・筆岡・安達・鈴木・廣岡(SL・記録)

8月の初め、鵬翔の集会の二次会で平野さんがビールを飲みながら「今度、友人達と剱岳の北方稜線に行くんだけど、廣岡さんもどうですか?」と声を掛けてくれた。

北方稜線、その魅力的な名前の響きに以前から行きたいと思っていたルートだった。即座にOKして参加することにした。

北方稜線縦走は、平野さんの勤務先のOBである筆岡さんがかねてより熱望していた山行だった。それを実現しようと、同じ会社の同僚の平野さんと鈴木さんが話しを進めていた。剱を良く知る平野さんがリーダーを引き受け、登山計画を立ててくれた。安達さんは筆岡さんの親しい山仲間だ。

つまり、平野さんと私(廣岡)が鵬翔のメンバー、筆岡さん、安達さん、鈴木さんが友人グループで、いわば混成パーティでの山行となった。

9月7日(木) 東京、埼玉~信濃大町~扇沢駐車場
午後8時20分、東武東上線朝霞台駅前から長野県大町市の扇沢に向けて鈴木さんの車で出発。雨の中の上信越道を飛ばし、午前0時(深夜12時)過ぎに扇沢の駐車場に到着した。強い雨が降っていた。先行き嫌な感じはするが、得ていた情報では強い低気圧が来ているわけでなかった。行けるかどうかは当然ながら、明朝、登山口の室堂まで行ってみて判断すれば良い。

ホンダステップワゴンの車内のシートを倒して完全にフラットにする。そして、各々のザックを枕に寝床を作る。なかなか快適な空間ではないか。落ち着いたところで、信濃大町駅近くのコンビニで買ってきた缶ビールを開けて乾杯だ。ところが、寝酒程度で済ますはずが、それだけではなんとも飲み足りない雰囲気になった。そこで、鈴木さんが「じゃあこれ飲む?」と言って、いも焼酎とつまみをザックから取り出してくれた。それから、俄然とモードが切り替わり、誰にも止められない宴会になってしまった。

外の雨はますます強くなり、車体を打つ雨音が大きくなってきた。それが皆の気持ちを高揚させたのだろうか。そのうちに、お互いに気心知れた平野さんと鈴木さんが、リーダーの責任とはなんぞや、という話をし始めた。山行の中で、リーダーはどこまで責任を負うべきか、そしてリーダー以外のメンバーに求められる自己責任とはどういうものなのか、というややシリアスな議論が続いた。二人の主張に大きな隔たりはないものの、互いに譲らず対論はなかなか終わらない。二人の話を私は杯を傾けて「なるほど、なるほど。」と楽しく聞いていた。お酒をあまり飲まない安達さんは途中から眠られたと思っていたが、後で聞いたらずっと起きていたとのこと。ご迷惑をおかけしてしまった。明日が早いというのに、ふと時計を見ると午前3時になっている。「これはいかん!」と皆あわてて横になると、即、全員爆睡状態となった。それまでの議論が一瞬にして消えた。なんとも愉快な山行になりそうな「前夜祭」だった。

9月8日(金) 扇沢~室堂~別山乗越~剣沢小屋
目覚ましのアラームを待つまでもなく、外の明るい日差しに促されるように午前7時に起きる。外を見ると、雨はすっかり上がっていた。少しガスっているが上空は明るい。好天を予感させる空模様だ。気分を良くして、8時始発のトロリーバスに乗った。黒部ダムを経由して室堂に着いたのが午前9時40分。ここで富山側から上がってきた筆岡さんと合流した。名水100選の「玉殿湧水」で水をたっぷりと補給し、出発の記念撮影をする。紺碧色の空高く、筋雲がたなびいている。爽やかな初秋の素晴らしい天気だ。西から北、そして東から南方向へぐるりと見渡すと大日岳(2501m)、奥大日岳(2605m)、立山(主峰雄山3003m)、そして浄土山(2831m)の後方遥か遠くには薬師岳(2926m)も見える。

午前10時15分、今夜の宿泊地、剣沢小屋に向けて出発した。ミクリガ池や地獄谷を眺めながら、別山乗越しを目指す。9月の北アルプスとは思えない暑さの中、ひたすら雷鳥坂を登る。リーダーの平野さんがトップで安定したペースで進む。明日の北方稜線を控えて、足慣らしには丁度良い山歩きだ。雷鳥坂の中間点で小休止。ザックを降ろして振り返ると、立山に抱かれた室堂平の全景が広がっている。弥陀ヶ原方面に伸びる立山道路が、日差しを受けて白銀色に輝き、絨毯のような緑の草原の中をうねりながら続いている。西方に目を向けると奥大日岳とそれに続くゆるやかな稜線が見通せた。素晴らしい景色だ。これから始まる私たちの山旅を祝福してくれているかのようだ。

12時35分、剣御前小舎のある別山乗越しに着く。眼前に剱岳(2999m)の威容が姿を現した。皆で「やっぱり剱はいいなあ。」と感嘆する。皆、剱岳が好きでたまらないのだ。ここから剣沢に下り、13時30分、剣沢小屋に到着した。剣沢にあるもう一つの小屋、剣山荘は今冬の雪で壁がゆがむという被害を受け営業を休止している。そのため剣沢小屋は行き場のない登山客でいっぱいだった。きっと窮屈な寝床になるのだろうなあと覚悟していたら、筆岡さんの関西弁の迫力とユーモアを交えた交渉が功を奏したのか、5人で一部屋を貸切りにしてもらうことができた。みんなで「さすが筆岡さん!」と持ち上げる。

指定された2階の部屋にザックを入れると、すぐに小屋の外にあるテラスに行く。ビールのロング缶片手に全員で明日からの山行の安全と成功を祈って、まずは乾杯だ。ビール、スコッチ、バーボン、焼酎・・・お酒がどんどん供出される。おつまみも豊富だ。今のうちにザックを軽くしておこうなどと皆で軽口をたたきながら、飲み交わす。

テラス前方には、前剱(2813m)を従えた剱岳が美しくも迫力ある山容を見せ、抜けるような青空を背景に、圧倒的な存在感で鎮座している。剱岳はやはり北アルプスでは別格の山のように思う。岩の鎧をまとったかのようなその山容はゴツゴツしていて異彩を放ち、北アルプス山域では一人距離を置くように屹立している。実に風格のある山だと思う。ピークの左手(西方面)に早月尾根が番場島に向けて急傾斜で落ちている。反対の右手(東方面)には源次郎尾根、そしてその向こうに八ツ峰のギザギザの稜線が見える。

秋の柔らかな日差しと、時おり谷を吹き抜ける涼風が体に心地良い。そして、酒を片手に過ぎ行く時を惜しむように剱岳の雄大な眺めを堪能する。これほど贅沢な時間があるだろうか。至福のひと時だ。宴会は会話が途切れることなく愉快に盛り上がり、夕食の時間まで続いた。

剣沢小屋ではシャワーを浴びることができる。水が豊富なのだろう。夕食の直前に浴びてさっぱりとする。夕食は揚げ立てのヒレカツに冷奴、味噌汁、サラダ、ご飯となかなかのボリュームでとても美味しかった。たらふく食べて部屋に戻り、明日の好天を願いつつ午後6時半には布団に包まった。
*小屋のスタッフから北方稜線は遭難事故が多いので、唯一携帯がつながる池の平山に着いたら連絡をして欲しいと要請された。つい3日ほど前にも、単独行の男性が岩場から源次郎谷側に落ちて亡くなるという痛ましい事故があったのだそうだ。

9月9日(土) 剣沢小屋~前剱~剱岳本峰~池ノ谷乗越し~三ノ窓~小窓~池の平山~池の平小屋
午前2時、アラームとともに全員飛び跳ねるように起きる。一番気になるのは天気だ。皆で窓に駆け寄り外を窺う。「おお!剱が全部見えるぞ。」空には満点の星、そして月が輝いているではないか。「いいねえ。これなら行けるな。」と平野さんが嬉しそうに言う。階下の食堂を借りて、ヘッドランプの明りを頼りに早々に朝食を取る。そして皆テキパキとした動きで準備を進める。山での早発ちの時にいつも感じる独特の緊張感だ。靴ひもを丁寧にしっかりと締め、小屋の外に出た。月明かりであたりは明るく意外と暖かい。

午前3時、「では、行きましょうか。」平野さんの一声でいよいよ出発だ。テント場から管理所の横を通って登山道に入る。ヘッドランプがなくても歩けるくらいに明るい。天空を仰ぎ見て、互いに知っている星座を言い合いながら歩く。進行方向の上空には目的地への針路を示してくれるかのように北極星が輝いていた。ほぼその真下に剱岳が月光を浴びて青白く聳えている。高山の冷気を胸に吸い込み、あらためてこれからの山行に心を躍らせた。

30分ほどで工事中の剣山荘前に着いた。ここで最初の一本(休憩)を取る。小屋の周囲は工事用の足場で覆われ、再建の真っ最中という感じだった。昨日は機材運搬のヘリコプターが慌しく飛び交っていた。クレーンなどの重機類も置かれており、大工事であることが窺われる。先を急ぐので10分ほどで出発。ここからずっと岩の登りが続く。平野さんをトップにぐいぐい高度を上げていく。前剱を間近に見る頃、東方の空が徐々に明るくなってきた。後ろを振り返ると、眼下遠く剣沢小屋に明りが灯ったのが見えた。その手前に複数のヘッドランプの小さな光がチラチラと見える。後続のパーティが上がって来ているのだ。人の動きとともに、それまで静かに眠っていた山々が目覚め始めてきたように感じる。西方には富山湾を囲むように富山市の街明りが瞬き、未明の大地に張り付くように広がっている。偉大なる自然のわずかな躍動を、肌で感じることができるのはこんな時だろうか。

この頃からだった。富山湾の方角から南方面にかけて急速に雲が広がってきたのだ。しかも鉛色の低く垂れ込めた雲だ。すでに、その一部が立山の頂稜を隠し始めている。平野さんが低い声で「あまり良くないな。」と呟いた。後ろに付いていた私は平野さんの独り言を聞いて気持ちが沈む。それから半時間ほど経過した頃、平野さんの予感通り私達もガスに包まれてしまった。なんとなく空気が湿っぽい。出発の時の満天の星空は何だったのだろう。北方稜線は、雨は論外としてガスが出てきても状況によっては行動中止としなければならない。視界がなければルートを失う可能性が高まり、動きが取れなくなるからだ。早くも今回の山行は駄目なのか、という重い雰囲気がパーティを覆う。それを察してか、平野さんが「まあ、とりあえず剱の本峰までは行くことにして、そこで判断しましょう。どちらにしても、山の天気はわかりませんからね。」と明るく振舞ってくれる。希望はまだあるということだ。心優しい頼れるリーダーだ。気持ちを取り直して上を目指す。

登りがきつくなるにつれて体が汗ばんでくる。フリースを脱いでTシャツ一枚になると、谷間から吹いてくる風が冷たく感じられて気持ちが良い。岩稜帯の登り下りを繰り返す。いくつかの岩峰の側壁をトラバースし、乗越してようやく前剱の直下に出た。そこで東の雲間から朝日が射してきた。日の出はどこの山で見ても美しい。ご来光に向かって手を合わせ、今日の山行の安全と好天を祈る。そこから10分ほどで前剱の頂上に着いた。ガスはいよいよ深くなってきた。霧雨が降ったのか、所々岩が濡れている。そこに長い鎖場が出てきた。少し難しい岩を直登するようなところにルートが付けられている。一般ルートだが、部分的に3級程度のグレード感があり、慎重に登る。やがて左前方上部に早月尾根との分岐を示す白い道標が見えた。ここまでくれば剱本峰はすぐそこだ。

午前6時45分、頂上に到着。私は、剱岳登頂は昨年の夏と今年の春に続いて3回目だが、今回は北方稜線への通過点だったからか、なんだかあっけなくピークに着いたような気がした。休憩を取り、山頂の祠をバックに記念撮影をする。山頂はガスに覆われ眺望はまったくきかない。ガスの動きで気流が激しく変化していることがわかる。このまま、北方稜線に入れるかどうか。リーダーの平野さんもすぐには判断がつかない様子だ。

平野さんが「少し様子を見ましょう。」と言い、半時間ほど待機することにした。しかし時間が経っても好転する兆しは見えない。剣沢小屋で確認したこの日の天気予報は、午後から雲が多くなるという予想だった。悪くすればそのまま崩れる可能性もある。それまで、じっと風やガスの動きを観察していた平野さんが、腕時計を見た。そして悔しそうな面持ちで口を開いた。「北方稜線に入った後で天候が悪くなるとちょっと厳しいですからね。皆さん、残念だけど、今回は引き返しましょう。」平野さんは29年前、17歳の高校生の時にすでにチンネを登攀している。それ以来、剱には季節を問わず何度も入っている。そして厳冬期の槍、穂高を始めとして海外の山を含め今日まで多くの山や岩壁で厳しい経験を積んできた人だ。平野さんの、山の怖さを十分に知っているからこその判断だ。メンバーはリーダーの決定を当然のように受け入れた。

しかし、メンバーの消沈した雰囲気を気遣ってか、平野さんが言った。「でも、せっかくここまで来たんだから、次のチャンスのために空身(からみ)で少しだけ先に行ってみましょうか。ガスの晴れ間に北方稜線と八ツ峰が見えるかもしれないしね。」皆、これから下山することを自ら納得させたい気持ちもあったのだと思う。「じゃあ、そうしようか。」ということになり、ザックを置いて頂上から10分ほどの所まで下った。

そこは、岩峰がそそり立つ谷の入り口のようなところだった。ここでもガスは激しく動き、視界は悪かった。時折、ガスが風で飛ばされて、黒々とした巨大な岩峰が突然ボーゥと目の前に現れたりもするのだが、安定感はなく、とても天気が良くなるようには感じられない。八ツ峰はともかく、北方稜線の前衛ぐらいは見ることができれば良いと思って粘ったのだが駄目だった。「行けるところまで来たのだから、まあ、これで、あきらめるしかないな。」と仕方なく剱岳の頂上に戻った。

剱岳の頂上に戻ったところで緊張が解けたのか急に空腹感を覚えた。それに、どうせ今日中に下山してしまうのだから食糧を残しても仕方がないと、ザックから(なぜか)「どら焼き」を取り出して、パクパク食べ始めた。すると、私の行動を見た筆岡さんと鈴木さんが、同じように考えたらしく「そういえば腹が減ったな。よーし、こうなったら全部食べてしまおう!温かいコーヒーも飲みたいねえ。」と言い出して、盛大なランチパーティの開催となってしまった。筆岡さんが、「これも食え、これもあるぞ。」とザックから次から次と食べ物やお菓子を取り出してくれるではないか。皆、それを遠慮なくいただく。もう、半分ヤケ食いに近い。追い撃ちを掛けるように、コーヒーにはこれがうまいぞとパウンドケーキまで出てきたのには驚いた。筆岡さんのザックからは何でも出てくるなあ、となってこれ以来筆岡さんのザックは「ドラえもんザック」と呼ばれることになった。

子一時間ほど経っただろうか。沢山食べてランチパーティも落ち着いてきた頃だった。突然あたりのガスが消え、明るくなってきたのだ。「うん?」と上空を見上げると、なんと青空が広がってきているではないか。それまで厚いガスに霞んでいた太陽が眩しいほどに顔を出してきた。皆で「おいおい、こりゃどういうことだ?」と口々に叫ぶ。すると、しばらく黙っていた平野さんがやおら立ち上がった。「よーし、これなら、なんとか行けそうですね。」しっかりした口調で言った。顔は笑っている。時計はすでに午前8時50分を指していた。頂上に着いてからすでに2時間が経過している。北方稜線の行程を考えれば、ここから出発するにはギリギリの時間だ。

安達さんが、「今から出ても(時間的に)大丈夫?」と聞く。池の平小屋まで今日中に届くかどうかということだ。しかしそれはすでに行く(行きたい)ことを前提にした問いだった。平野さんが、ニンマリとして「大丈夫でしょう。」と言う。直後、全員が「おおー!」と歓声を上げた。それまでの沈み加減だった雰囲気が一変して明るくなった。早速広げていたものをしまい込み、大の大人たちが喜々としてザックを担ぐ。「じゃあ、皆さん行きますよ!」と平野さん。「気を引き締めて。」と安達さんが言葉を添える。

午前9時、勇躍、剱本峰から北方稜線ルートへの下降を開始した。不思議なものだ。歩を進めるにつれ天候はぐんぐん良くなっていく。北に伸びる稜線の向こうにいくつかの岩峰が見える。その中でもひときわ大きく見える岩峰がチンネだ。チンネをピークにして東へギザギザの背を見せてダイナミックに下っているのが八ツ峰だ。岩の頂きが激しく上下して、迫力ある岩稜の連なりを形づくっている。

八ツ峰の南側下方に長次郎谷雪渓が白く眩しく光り、そのまま剣沢大雪渓へと合流している。その長次郎谷雪渓と平蔵谷雪渓に挟まれるように立ち上がり、剱本峰に突き上げているのが源次郎尾根だ。長次郎谷、平蔵谷、そして源次郎尾根は、いずれも日本の近代登山黎明期の名ガイドの名前を冠しているのだと誰かに聞いたことを思い出す。顔を上げて、尾根の遥か彼方を見ると鹿島槍ヶ岳(2889m)、五竜岳(2814m)、白馬岳(2932m)などの後立山連峰が変化に富んだ稜線を見せている。思わず歩みを止めて、そのダイナミックな遠景に見とれてしまう。

ふと、目線を戻すと谷底に停滞していたガスが強い上昇気流に吹き上げられて、絹糸のように舞い上がり、稜線あたりで千切れるように分散する。そして岩の彼方に消えていき、同時に青い空が広がる。それを背景にして黒褐色の岩稜群と真っ白な雪渓が融合して広大な山稜を形成し、その遥か彼方には緑の山々が折り重なって続いている。およそ50万年前から始まったといわれる北アルプスの造山運動の賜物とはいえ、神々が作り出したとしか思えない大パノラマだ。本当に雄大で美しい。

 長次郎の頭を経由して池の谷乗越しに向かう。ルートは、所々の易しい岩稜歩きを経て、垂直にそそり立つ岩峰を巻きながら、スラブ状の岩壁を直登、トラバースしていく。途中2箇所ほどちょっと嫌らしい岩場の通過があった。足の下はスッパリきれ落ちている。谷は深く、滑ったらまず止まらないだろう。しかし、ホールドは豊富にあるから落ち着いて行けば大丈夫だ。緊張はするが、高度感とスリルを楽しみながらの快適な登攀だ。

稜線上の少しスペースのあるところで小休憩を取る。今来たルートを振り返ると、剱本峰がガスの乱舞する合間に姿を現した。山すそから伸びてくるすべての岩稜を従えて、揺るぎなく構えている。やはり立派な山だと思う。目を転じると、北に小窓の王の大岩壁が迫り、そこから北西に鋭利な小窓尾根が続いている。やや下を見ると、小窓の王の南壁直下にバンド状のガレ場が見えた。平野さんが、これから池の谷乗越しに至り、そこから池ノ谷ガリーを下って、あのガレ場の急坂を登り返すのだと説明してくれた。まだまだ先は長そうだ。この頃になると筆岡さんも鈴木さんも絶壁の高度感になれてきたようだ。歩きながら二人で冗談を言い合っている。関西風のボケとツッコミの会話だ。それを聞いてこちらもおかしくなる。

やがて、稜線からいきなり落ちている20メートルの垂壁の上に出た。この下が池の谷乗越しだ。ここを慎重にクライムダウンする。岩から体を起こして足元を確認しながら一歩一歩降りていく。ラストの私は特にそうだが、絶対に落石を起こしてはいけない。池の谷乗越しへの到着は午前10時10分。剱岳の頂上から1時間余り、途中何度かの休憩を取ったから5人パーティとしてはまずまずのペースだろう。トップの平野さんの適確な指示もあって全員特に問題なく通過できた。ここで筆岡さんの大好きな大休止を取る。西方に美しく湾曲した富山湾がよく見えた。剱岳が海に近いことを実感する。

さあ、これから後半の核心となる池ノ谷ガリーの下りと小窓の王直下の登りだ。池ノ谷ガリーは岩の墓場と言われている通り、急な斜面にガレ場が延々と続く浮石だらけのルートだ。ちょっと足がずれると落石を起こす恐れがあり、気が抜けない。危険を避けるため、5人が前後の間隔を空けないように進むことにする。ジグザグの踏み後をトレースするように下っていく。平野さんが言うには、前回来たときにはこんなきれいな踏み後などついていなかったそうだ。今では北方稜線には大分人が入るようになったのだろう。

注意を払っていても、時々浮石に足を取られ後ろにのけぞって倒れそうになる。こんな所で石を落としてしまったら、沢山の落石を誘発して大変なことになるだろう。そんな予感を抱きながら気を緩めないようにしてひたすら下る。ガリーの途中に大きな岩があるのだが、ここがガリーの中間点で下りはまだまだ続く。ガリーの底部にあたる三の窓には午前10時50分に着いた。

ここから小窓の王の巨大な岩峰の下部をくぐり抜けるように通過して、再びガレた急坂を登り返す。三の窓から遠望すると、もしその急坂で滑ったら、手前の池の谷左股の谷底に転落してしまうかのように見える。立った傾斜ではないが、足場の悪さを考えて念のためロープを出すことにした。30メートルロープ2本を結び、平野さんが先行して急坂最上部の鞍部まで行き、支点を取って確保する。私はスタート地点で確保することになった。フィックスロープのようにして、それを頼りにして鈴木さん、筆岡さん、安達さんの順番で登っていく。最後に、私が登りロープを回収した。
(平野さんによれば、ここでロープを出すかどうかの判断は難しいところだという。浮石の多いガレ場ではロープの動きが落石を起こすこともあるからだ。)

登りきった所が小窓の王の岩峰の東側基部(肩にあたる所)だ。平野さんが「ここまでくればもう前半の核心は抜けましたからね。」と言う。安心したのか、皆の顔から笑みがこぼれた。筆岡さんが「鈴木さん、おるか?おお、そこにおったんか。まあ、一人も欠けずに(落ちずに)よく来れたがな。」と冗談を飛ばす。鈴木さんは筆岡さんより先に着いているのに、よく言うよと皆で大笑いだ。

ここからしばらく、眼下に小窓雪渓を眺めながらの下りとなる。途中2箇所の小さな雪渓をトラバースするが、草原とお花畑が広がる気持ちの良い道だ。一部茂みが深く傾斜のきつい下降地点があったが、難なくそれを下りきると池の平山を眼前にした鞍部に着く。ここが小窓だ。この地点から東へ小窓雪渓を下って池の平小屋に行くルートもある。しかし、私達は当然池の平山に向かう。池の平山を通らずして北方稜線を語ることは出来ないからだ。午後1時20分に着き、15分後に出発した。

池の平山の登りは思いのほかきつかった。潅木に隠れた急傾斜の岩場を稜線伝いに這い上がるように登っていくのだ。池の平山へは途中二つのピークを経由して到達する。最初のピークを越えてさらに次のピークに向かう。ルートを確認しながら登っては下り、再び急傾斜の岩場を登る。最後のピーク、池の平山頂上への登り下りは、途中背丈ほどの高さのハイマツの中をかき分けながら進む。豊富に茂ったハイマツで足元が見えず、時折つまずきそうになる。転んで運悪く稜線の左側、切れ落ちた西仙人谷側に体が行ってしまったら、そのまま深い谷に一直線だ。そんなことを考えながら下っていた時、私の前方20メートルを歩いていた筆岡さんが、ハイマツの根っこに足を取られて腹ばいになるように倒れこんだ。ハッとして見たが、すぐに立ち上がった。何事もなくて良かったとホットする。

15時20分、ようやく池の平山のピーク(2555m)に到着した。ここで小休止を取り、筆岡さんが携帯で剣沢小屋に連絡、全員無事に池の平山に着いたことを伝える。ところで、池の平山にはピークが二つあるのだろうか。北西の赤谷山に向かう尾根上の目の前にもう一つのピークが見える。地図では標高2561mとある。多分、こちらが池の平山(の本峰)なのだろう。

ここからは、池の平小屋まで右手に八ツ峰を眺めながら、広い草原地帯を快適に下る。ほどなくして、遥か下方に赤い屋根の池の平小屋が小さく見えた。今日の目的地はすぐそこだ。後はのんびり行けば良い。しかし、これが意外と長かった。ゆるい下りだが、この日の長い山行でそろそろ膝が悲鳴を上げ出している。途中、登山道の真ん中に熊のものと思われる真っ黒の大きなフンがあった。池の平山でも同じようなフンを見た。このあたりは熊が多いのだろうか。池の平山から丁度1時間、池の平小屋に到着したのは16時35分だった。それまでの緊張が解け、全身に疲れが襲ってきた。

早速風呂に入る。風呂は簡素な造りだが、熱い湯と肩まで入る湯船で気持ちが良い。風呂を出た後、待ちかねるように全員で冷えた缶ビールで乾杯する。その日の宿泊客は私たちの5人だけだった。乾杯を終えるやいなや、今日一日の山行の興奮で大変な賑わいとなった。途中から小屋の主人がやってきたので、「一緒に飲みましょう!」と無理やり誘う。主人も上機嫌で富山の地酒とつまみを持ってきてくれた。すかさず筆岡さんがとっておきのレミーマルタンを振舞う。とても及ばないが、私もいも焼酎「さつま白波」を取り出した。剱が大好きな男達ばかりが集まって話は尽きず、宴は夜遅くまで盛り上がった。

小屋の主人は木下さんといって、ボランティアで小屋を守っているという。川崎市の山岳会の所属だそうだ。その木下さんの話では、数年前、この小屋は一度閉鎖の危機にあったのだが、富山市内で酒造蔵を営む山を愛する篤志家によって買い取られたのだそうだ。それに共鳴した池の平山小屋を残そうと立ち上がった人たちがモンローの会という会をつくり、今日まで維持しているという。モンローの会の名前の由来を尋ねたところ、池の平小屋から見える八ツ峰の岩壁の一部が、マリリン・モンローの口びるの形に似ているからだと言う。なんとも艶っぽい話で、モンローの会の人たちのユーモアと年代意識を感じさせるものだと思った。こうした活動を続けるのは大変なことのようで、お話を聞いていて頭が下がる思いだった。

池の平小屋から眺める八ツ峰が好きで、十数年来毎年のようにこの小屋に通っているという筆岡さんはその話に感激したようだ。そして、「じゃあ俺がリタイアして、もし小屋のオーナーになれたとしたら・・・。」と次々と(見果てぬ?)夢と数々のアイデアを語り始めた。筆岡さんの話しは、まず内部も外部も改装してこれぞ山小屋と言われるような雰囲気にする、山の写真や絵画、年代物の山道具を沢山飾る、お風呂は露天にして八ツ峰の全景が見える位置に作る、そして、剱が好きな人だけが泊まれる会員制の小屋にする、などと続いた。まあ、自分の別荘を作るような話で、皆で笑いながら聞いていたのだが、その真剣な話しぶりには少し本気も混じっているように感じられた。筆岡さんも平野さん同様に、本当に剱が好きなんだと思う。

ようやく午後9時頃に宴が終わると、木下さんと筆岡さんが外に出て行った。何気なく私も付いて出た。しばらくして、安達さんもやって来た。外はひんやりして空は良く晴れ、満天に星がきらめいている。「何かあるんですか?」と尋ねると、木下さんは「これからが、いよいよ滅多にお目にかかれないビッグなショータイムなんだよ。」といたずらっぽく笑う。

もう少しすると、小屋の裏手にあたる北東方向、丁度、仙人山(2211メートル)方面の彼方から月が出てくるという。9月9日の夜は月齢16日目だからほぼ満月だ。「そのときの八ツ峰を見てごらん。」と木下さんはそれ以上の説明はしない。そう言ったまま眼前に黒く横たわっている八ツ峰を眺めている。筆岡さんは木下さんの傍らに腰を下ろして、やはり前方を凝視している。何が始まるのだろうか?

山の冷気が肌寒い。シャツの襟を立てて両腕を前に組み、背を少し丸めるようにして立つ。上着を持って来なかったことを少し後悔した。10分ほど経った時だった。背後の山上にまん丸の大きな月が昇った。すると、それまでの星々の輝きが霞んでいくかのように急速に天空が明るくなっていった。その時、私は目の前に映し出された世界に息を呑んだ。

月光が八ツ峰の上部を照射し、その稜線を浮かび上がらせた。そして、満月が放つ青白い光によって、チンネから八ツ峰と続く長大な岩峰群が上から下へ、グラデーションのようにゆっくりと照らし出されていく。私の足元を見ると直下に漆黒に沈む谷がある。月の光は、そこから伸び上がるように聳え立つ巨大な岩稜の表面をさまざまな色に変えていく。星明りの元では黒いシルエットであった八ツ峰が、最初は鈍く光る銀色に、そして、徐々に青白く輝いていくではないか。

満月の夜の神秘的で幻想的なあの光景は、見たものにとっては忘れられない思い出となるだろう。毎年のようにこの小屋に通っているという筆岡さんが「あんなの初めて見たよ。凄かったねえ。本当にここまで来て良かったなあ。」としみじみと話していた。実に幸運な体験をしたものだ。自然の大いなるページェントを見終えて、床に就いたのは午後10時過ぎであった。

9月10日(日) 池の平小屋~仙人峠~二股分岐~ハシゴ谷乗越し~内蔵助平~黒部ダム
誰もが昨夜の酒が残っているはずなのに、約束の時間には全員が小屋の前の広場に集合した。予定通り、池の平小屋を午前4時に出発。月明かりはあるものの、樹林帯の道だから足元は暗い。ヘッドランプを頼りに仙人峠まで登る。右手には八ツ峰が静かな姿を現している。惜しむように眺めつつ歩を進める。仙人峠の分岐を右に取り、仙人新道の下りに入る。直後、夜が白みだした。左手東方に目をやると、後立山連峰の稜線が明瞭になってきた。左から右へ五竜岳(2814m)、鹿島槍ヶ岳(2889m)、爺ヶ岳(2669m)の頂きの連なりがくっきり見える。夜明けが近い。

しばらくして後ろの誰かが「ホォー!」と感嘆の声を上げた。東方の稜線上に日が昇ったのだ。その光は力強く眩しい。反射的に西を見ると、八ツ峰に朝日が当たり、上部全体が赤みを帯びた黄金色に輝きだした。八ツ峰の底部には、白い帯のような三ノ窓雪渓が長大な姿を現している。思わず粛然として立ち止まる。昨夜の八ツ峰とはまた別の美しさだ。平野リーダーの配慮で、ここで小休止となった。ザックを降ろし、裏剱の朝焼けをじっくり楽しむことにする。いよいよ剱とはお別れだな、と心の中で思う。

午前6時、急坂を下り終えて二股分岐に至る。良いペースだ。ここから「近藤岩」を左に見ながら剣沢南股に入り、吊り橋を渡る。昨年の夏に単独で来た時には仮設のような橋だったが、今年は強固で立派な橋が架かっていた。それでも渡り口に「一人ずつ渡ってください。」という注意書きが掛かっていたので、それに従って橋に負荷をかけないようにゆっくりと渡る。

小岩が転がる河原を真砂沢方面に向かう。今年は雪が異常に多かったためだろう、途中に融けかかった巨大な雪塊が左岸縁りに残っていた。その影響かハシゴ谷乗越し方面と真砂沢ロッジ方面の分岐あたりで、真砂沢ロッジへの登山道が崩壊していた。そのため丸太で作った仮設の橋を渡り、ハシゴ谷乗越しへの登山道に少し入ったところが臨時の分岐となっていた。午前7時10分、ここで真砂沢から剣沢を経由して立山方面に向かう筆岡さん、安達さん達とお別れだ。共に北方稜線を終えた連帯感を胸に、残りの山行の安全を互いに祈りつつ、全員で固い握手を交わした。

私達三人は黒部ダムへの道を取り、ハシゴ谷乗越しへの急坂をひたすら登る。気が付くとやけに静かだ。平野さんも鈴木さんも同じことを思っていたらしく、ほぼ同時に、「こりゃあ、筆岡さんと安達さんだな。」と口に出した。急に静かになったのは、いつも賑やかに話しながら歩いていたあの二人のせいだね、と大笑いしてしまった。(筆岡さん、安達さん、ごめんなさい。)

日が高くなるにつれ、全身から汗が吹き出るほど暑くなってきた。午前8時にハシゴ谷乗越し(2035m)を通過し、今度は延々と急な下りが続く。内蔵助平(1700m)で水を補給して、内蔵助谷をまたぐ橋を渡る。樹林帯の中を登り返しては下り、黙々と黒部川との分岐に向かった。

途中、黒部三大岩壁の一つ、内蔵助谷の右岸上に聳え立つ丸山東壁(2023m)を仰ぎ見る。通称「黒部の巨人」と呼ばれる高さ400メートルの大岩壁だ。華やかさはないが、超然としたその巨大な姿に感動をもって見入ってしまった。今回の山行でここを通るのが楽しみの一つだったのだが、その威容は私の期待以上の迫力だった。以前何度か登攀したという平野さんが、いくつかあるルートを解説してくれた。中でも代表的なのが「中央壁・緑ルート」で、取り付きから終了点まで約300メートル11ピッチのタフなルートだ。岩壁下部の浅い半円形をした三日月ハングや、中央バンドのテラス右のビバーク地点「ホテル丸山」と言われる小さな洞窟がはっきりと見えた。こんな凄い岩壁は今の私の力ではとても登攀できない。しかし、実力をつけていつか挑戦してみたいと思う。

黒部川との出合いまでの間では登山道が崩れ、何箇所か悪いところがあった。滑り落ちそうな脆い土の急斜面を枝木とコースに設置されたロープをつかみながら慎重に下った。そんなところでも平野さんはロープなど当てにせず、スイスイとわけもなく降りていく。こちらは暑さと早朝からの長い歩行でそろそろ厳しい状況になってきているのに、超人的というのか、平野さんのペースや体の動きは山に入ったときからまったく変わらない。

黒部川出合いから黒部ダムへの道はよく整備された平らな道だ。スピードも上がりそれまでの膝の痛みも消え快調に飛ばす。半時間ほど気持ちの良い林間道を進むと、水滴が霧吹きのように高い木の上から舞い降りてきた。前方を見ると樹林の間に黒々としたコンクリートの高い壁が見えた。黒部ダムだ。

黒部ダムを上流に遠望しつつ、急流の上に架かる長い橋を足取り軽く渡っていく。昼の午後0時20分、黒部川の右岸に着いたところで最後の小休止を取る。残った水をごくりと飲み、チョコレートの粒を2、3個頬張る。疲れた体にチョコの甘みが染み入るようだ。ともかく、ここまで来たことに安堵する。後は、今回の山行のゴールである黒部ダムまで30分ほどの登りを残すだけだ。

「さあ、あと少し。行きましょうか。」と平野さんがザックを背負ったとき、やや大粒の雨がパラパラと落ちてきた。これからの急登での発汗を考えると、カッパは着たくない。先を急ぐ。黒部ダム上部には午後1時10分に到着した。すでに雨は上がり晴れ間が広がっていた。見ると、そこは黒部の景色を楽しむ大勢の観光客でいっぱいだった。群衆の中を歩きながら、その喧騒で一気に下界に戻ってしまったように思う。しかし、それが私達の山行の終わりを実感させてくることにもなった。

なんとも言えぬ充実感に浸りながら、レストハウスで軽い食事を取る。しかし、ここでは長居せず、午後2時過ぎのトロリーバスで扇沢に下った。すぐに大町の温泉に直行して、三日間の山行の汗を流す。露天風呂で楽しかった山旅を振り返り、時を忘れて語り合った。鈴木さんの運転で、来た時と同じ道を辿って川越駅に着いたのは夜の8時過ぎだった。

恵まれた天気のもとで本当に楽しい山行を体験でき、また無事に終えることができた。素晴らしいメンバー、そして山の神様に心から感謝したい。

平野さん、筆岡さん、安達さん、鈴木さん、ありがとうございました。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!