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南会津・黒谷川大幽東ノ沢 – 丸山岳 – 白戸川メルガ股沢 – 袖沢

日時: 2007年8月11日(土) – 15日(水)
山域: 丸山岳(東北)
参加者: 清水(L)・飯田・塩足・志村
行程: 本文参照

今回のルートは昨年、夏に塩足さんと計画していたが、仕事の都合で実施できず、今年に飯田、志村の2名を加え、ようやく実施となった。この地域に関し、北側の守門岳、浅草岳と南西側の魚沼三山には足を運んだが、南会津に位置するこの部分には足を踏み入れてなかった。
岳人でもマイナーな山12選に選ばれているが、ホームページでも多くの記録が掲載され、多いに資料を得る事が出来、暑さと目白アブ(大きさはハエの倍くらいの目が白いアブ)の大群を除けば、天候にも恵まれ楽しい?予定通りの山行を行うことが出来た。
登山時期としては秋がお奨めと言いたいところだが、この時期の上越、会津、東北どこに行っても目白アブの活動は最も盛んな時期で、それだけに人と会うことも少ない。

8月11日(土) 晴れ

只見線が1日3本と接続が悪い為、東京駅10:32発として、お盆休みの帰省客で込み合う東京駅新幹線ホームで合流、(私は出発1時間前に到着、志村、塩足も順次到着、飯田さんは、なんと7:30から来ていたとの事)。
新幹線を越後湯沢にて乗り換え、小出経由で14:36只見駅に到着、事前に予約していたタクシーで大幽沢出合に向かう。
山中に入ったとたんに目白アブが車に集ってくる、大幽沢の出合を見過ごしゴムダムまで登り引き返したため、20分程時間をロスするものの16:20漸く出合に到着、目白アブを避けるようにそそくさと出発。
黒谷川本流の通行禁止の看板がある青い鉄橋を渡り大幽沢左岸の道を行く。
草が伸びほうだいで、ところどころ踏み跡も不明瞭なアップダウンを繰り返し、草いきれの中、大汗をかきながら17:45 取水ダムの堰堤を越え河原に降り立ったところで「目白アブ」の大歓迎を受ける。
体の露出部分は勿論の事、シャツ、パンツの上からも容赦なく襲ってくる。
「チクリ」と来た時にすかさず平手打ちでやっつけるのが秘訣、(一回で二匹は取れる)手遅れになると喰われた部分から出血してくる。
弱く叩くと地面に落ちる前に飛び出し、群れに加わってまた襲ってくる。虫除けスプレーも全く効果なし。
口を空けると呼吸と一緒に口に飛び込んで来るわ、目をつむると瞼の間に挟まってくるわ、どうにも手に負えない。
本日の行動はこれまでとして、天候から見て増水する可能性も無いと判断、若干盛り上がった川原を幕営地とする。
幕営中も目白アブの攻撃は続く、飯田さんのズボンの股の部分は集ったアブで真っ黒く見える、その数は百匹以上、暗くなっても目白アブの退散する様子は無かったが19時半頃には漸くアブの姿が無くなった。

8月12日(日) 晴れ

昨夜、アブの格闘と暑さで疲れたこともあり、6時ちかくまで寝坊、出発は8:00となった。
今日はヨシノ沢上部の二股までの予定なので時間的には余裕がある事と、西ノ沢出合までは巻き道があるが、水量も多くないので今日は最初から沢通しで遡ることとする。
数回の渡渉を繰り返し9:15西ノ沢出合(734m)到着、西ノ沢では幕営地で、我々を抜いていった釣り人がいたのみで今回の山行中で人に会ったのは後にも先にも一人だけだった。
窪ノ沢出合に向かうも途中で私の腹の調子が今一、貧血気味で10:00 平坦な草地で1時間ほどの休憩とする。
窪ノ沢出合手前のサブウリのゴルジェまでは、特に問題なく到達、ゴルジェ入り口から左岸を高巻くが、これも上部のルートが不明瞭なうえ、結構悪く緊張する。
13:17高巻きの終了点、窪ノ沢出合に到着、1:1の流れをヨシノ沢に向かう、目白アブと格闘しながら単調な沢登りを続けること2時間半、1,046mの二股着、草と藪のみで幕営適地などは全く見あたらないが、右岸の草地の草を刈り払い、敷き詰めたら4人用エスパースがゆったり張れるテントサイトが完成した。
炊事と食事は対岸の小さな河原で行うことにして、飯田、塩足は釣りに出掛ける、然し本日の釣果は無し。
この高さまで来ても、数こそは減ったものの、相変わらず目白アブは飛び回っている。

8月13日(月) 晴れ

7:00前に出発、今日は丸山岳頂上を経由して、西面のメルガ股沢まで下降を予定している。
高度差も800m程度を稼ぐ為、沢は次第に傾斜を増しているものの難易度も低いので順調に進む、右股に入り1,400mで奥の二股を右股に入り、更に1,450mの二股を更に右股に入る。
更に傾斜が増し、ところどころ水が枯れる頃、左から入る大きめな枯れ沢に入り、暫く急登が続く、やがて傾斜も無くなり、竹やぶのの中に続く窪沢を辿ると、13:26いきなり頂上の草原地帯に飛び出す。
草地に左右から走る旧道らしきものが見られるが、右は藪の中に消えており、左に登って行くと湿地帯へと道は続き
14:40丸山岳頂上手前の池塘のある草原に到達した。
ここは、今までの登りと比較すると、まさに別天地で、近くに望む丸山岳、会津朝日、魚沼三山と眺望をほしいままにしている。
本日予定であるメルガ股沢を三角沢の幕営地までの懸垂下降を加えての到達は時間的にも体力的な余裕から見て無理があると判断、現在地、又は、丸山岳頂上に幕営と決め、その先のルートを確認する為、頂上に向かう、西ノ沢上部には僅かながらまだ雪渓が残っていた。
15:15丸山岳山頂(1,819.9m)の2等三角点に到着、西面のルートを確認しザックを頂上に上げ幕営をする。
ここは水場が無い為、飲み水は各自持参のものを使用、池塘の水でお茶等の飲み物を調達する。
天気も良く、雷雲の発生も無く、最高の眺望と目白アブもいない陽だまりで、皆干し物を出して、夕暮れまでしばしの転寝。
この日はペルセウス座流星群の通過とかで見事の一言、日程が一日延びたものの素晴しい星空を見ることが出来た。

8月14日(火) 晴れ

日程が1日延びた事と、藪漕ぎとメルガ股での懸垂下降を予想して6:00に出発するが清水トップで早くも視界の聞かない猛烈な藪に方角を失う、南よりに藪を漕ぐこと30分、出発地点の草原に戻る。
昨日の偵察記憶を頼りに塩足トップで再度、藪に踏み込む、所々、木に登り方角を視認しながら西に延びる藪尾根を漕いで8:00会津朝日岳に続く尾根を過ぎ、メルガ股沢と北沢を分ける尾根の頭に到着。
木に登り方角を定め、メルガ股への斜面に藪漕ぎで下降開始9:00川床に到着、後はひたすら沢の下降に入る。
簡単な滝の下降も荷物があると危険極まりない、おまけに目白アブの攻撃も激しくなってきた。
休憩時、汗が引くとアブも寄ってこない為、ついつい休憩時間も長くなる。
小滝の下降で前のめりに倒れ、頭から川床にうつ伏せに倒れカメラが水没したことで、暫くは撮影不可能となる。
20mの滑滝、4m、6mの滝は安全を期して懸垂下降、続く4m滝、3m滝も懸垂下降で下る、右から入る平沢を見送ると沢の流れは穏やかになる、とたんに目白アブの猛攻が激しくなる。
顔の左右、ひたい、首筋、両手、背中と、やっつけても、やっつけても際限無く襲ってくる、一分間に10匹やっつけたとして、今回の山行で何百匹を岩魚の餌にしてやったか数えきれない。
僅かな滝の降りでも両手を使っているときは最悪、無防備に近い為、刺されるにまかすしか仕方が無い、諦めの心境。目白アブの攻撃が一段と激しさを増した16:00三角沢の上部と思われる幕営敵地(1,015m)に到着、本日の行動を打ち切る。この山域は流木が多く焚き火の薪には全く、事欠くことが無い。

8月15日(水) 晴れ

今日も好天に恵まれる。昨夜の一時的な曇りが上部では、にわか雨をもたらしたのか、夜半に沢の水が濁っていたが、増水も無く水は澄んでいた。
目白アブの攻撃を避けるため5:00幕営地を出発、しかし乍、敵も早起きトイレに立つと猛攻を受ける。
無視してパンツ上げると数匹がパンツの中でうごめいている、下手にパンツを下げたら出て行くどころか更に入ってくる、上から潰すしかない。
単調な沢降りを1時間ほど続け6:30袖沢乗越しに至る乗越沢と思われる、左から落ち込む5mの滝に会う、慎重を期し、滝の上部と下流100mほどを偵察、間違いの無いことを確認して遡行を開始。
乗越沢を詰めること30分で袖沢乗越 (1,000m)に到着、しばし休憩後、明瞭な踏跡と目印伝いに仕入沢に入る。
途中の滝を3回程、懸垂下降を行い目の前に広がる袖沢に到達、左程の問題も無く渡渉を終え10:40対岸の車道に到着。
ここから奥只見ダムまで延々、2時間、目白アブと更に普通の大きいアブも加わっての戦いが始まる。
飯田、塩足は暑いのを我慢してゴアの雨具を着込む、流石にアブ除けには効果がありそうだ(私は暑がりだから無理)
只見川に合流する手前の目白アブの群生は空が見えないほどの創造に絶する数で、なす術も無い(何でも白状するから勘弁してくれ!と言いたい心境)ひたすら通過するのみ、特に汗かきの私は彼らの好みらしく他の人の分も集まってくる、人里に近づくに従い徐々にその数も減ってきた。
最後の難関、奥只見湖のゲート(高さ2mの鉄製)難度5級を乗り越え漸く、人里に出る。
奥只見湖から遊覧船で湖上からの山々を楽しみつつ銀山平に渡り、カモシカの湯(キャンプ場の施設)で汗を流し17::29浦佐行きのバスに乗車、帰京ラッシュ前の新幹線で全員座って帰れた。

(記: 清水)

はじめに
私が登山を始めたのは中学生のころからである。そのころ私は陸上競技が中心で短距離、中距離で学校代表に選ばれ地域の大会に出場したこともありました。高校に入ったころから長距離、マラソンに興味を持つようになると同時に登山をはじめ、大学に入ってからはますます登山に興味を持つようになった。私が鵬翔山岳会に入ったのは今から50年以上前になりますが、当時は登山ブームで岳人、山渓など山の雑誌に募集広告がたくさん掲載されていました。私が鵬翔山岳会に入ったのは昭和31年ころであったと思いますが入会条件は25歳以下、男子に限る、であった。入会希望者が60~70名くらい居りました。入学試験はありませんが会に残れるのが大変な時代であった。年間山行日数、体力等により振り落され、1年後には残るのが3分の1くらいに、2年後には更にその半分といった状況であった。当時の登山用具と現在のそれとは進歩において雲泥の差である。それに伴って技術も向上してきた。昔登ることが不可能と考えられていた岩場などその後可能になったというルートが沢山ある。私は登山の歴史、用具の歴史についても非常に興味を持っている。私はいつまでも現役でありたいとの願望があるが、肉体と精神がアンバランスになってきているのが現実である。山は基礎体力を養うことが最も重要である。

大幽沢沢登りにあたって
8月11日~15日まで清水リーダのもと参加させていただきましたが、清水さんにとっても未知の地域であること、どのような結果になるかわからないということであった。そのこともあってか清水さんは綿密に地域の山に関する情報をいろんな角度から収集し、研究し、事前打ち合わせを行うなど万全を期して山行に臨んだ。私は沢登りは過去にかなり経験してきたと思いますが、今回ほど充実した沢登り山行はあまり経験したことがなかった。藪こぎ然り虻の大群にさらされたこと、沢を登って下ってまた登って下ってといったことなどである。山は経験がすべてである。勿論山行について常に反省、検討は当然必要である。そこに技術的な進歩があるのではないかと考える。今回幸いに天候にめぐまれ5日間の充実した沢登りを楽しませて頂いた。清水さんはじめ塩足さん、志村さんには大変お世話になり感謝しています。

(記: 飯田)

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