日程: 2008年1月20日(日) 前夜発
山域: 赤岳西壁主稜(八ヶ岳)
参加者: 坂田(L)・鈴木(泰)
行程: 美濃戸口(6:35) – 美濃戸山荘(7:16) – 行者小屋(8:43) – クレッターオン(10:28) – クレッターオフ(14:05) – 赤岳(14:25) – 美濃戸口(17:40)
この冬、鳳凰三山から初めて北岳バットレスを見た僕は、その壁を登れたらどんなに格好いいだろうと思い、強い興味をそそられた。
下山後、壁のレベルが全くわかっていない僕は、坂田さんにバットレスを冬に登りたいと言った。
それはもちろん無理だと言われたが、バリエーション等をよくこなすことによって登れるようになっていくと言われたので、バリエーションの意味がよくわかっていなかったが、早速行きましょうと坂田さんに言った。
初めてのバリエーションは八ヶ岳の赤岳主稜に決まり、八ヶ岳に行ったことのない僕は、緊張と期待で興奮していて、「やってやる!」と、かなり気合が入っていた。
しかし山行の数日前になってショッキングな出来事が起こった。
その日からは山のことがどうでもよくなってしまった。僕は何度も自分の精神状態を確認して、山に行くべきではないと思ったが、自分から言い出したことと今回の山行を楽しみにしていた坂田さんを裏切る気にもなれず、「どうにでもなれ!」と思っていくことにした。
前夜発で坂田さんを京橋でピックアップすることになっていたので車を走らせたが、精神状態は相変わらず不安定で、意識が別のところに逝っているために、速度が50キロを超えるとハンドル操作の反応が完全に遅れるために非常に危険だった。
そんな状態で京橋に着くと、坂田さんは「よう行く気になったな」と言い、僕は全くだと思った。
その日は初めて坂田さんと山とカメラ以外の話しをした。僕は意外に坂田さんに共感できることがたくさんあり、あまり思いたくなかったが、似てるのかなと思ってしまった。
美濃戸口付近で仮眠をして、翌朝は暗いうちから出発した。坂田さんは胃腸の調子が悪いと言っていたが、いつも通り速く歩くために付いて行くので精一杯だった。精一杯だった割に僕の頭の中はショックな出来事と、坂田さん歩くの速いなの繰り返しが続き、山の中を歩いているのに山のことが全く見えていなかった。僕はやはり来るべきではなかったと思った。
そのままボケーッと歩いていると行者小屋に着いていた。よく見ると初めての八ヶ岳のパノラマが広がっていた。僕は心の中で「ほら見ろよ!」と言った。それは自分に言ったのか、誰のために言ったのか判らないが、それからはほんの少しだけ山への集中力が増した気がした。
そこから先は傾斜が増し、森林限界を越えてからは風が強く、噂通りの寒さだった。
取り付きには既に2パーティーがいたが、1パーティーは少しずれたマイナーなルートから登っているらしく、僕たちとは関係なかった。
しかし先に行ってるパーティーが落石やらチリ雪崩を見せ付けるので、バリエーションは半端じゃねーなーと思い、少し不安が増していた。
斜面を横切って取り付き点まで行くと、先に居たパーティーが降りてきて帰っていった。
これでこの壁に邪魔者はいなくなり、自由な登攀ができるようになった。
1ピッチ目は出だしが核心?だったようなきがしますが、何でもない所だったので、僕でもあっさり抜けることができた。
問題はビレー中の寒さで常に足踏みをしながら力んでいた。
2か3ピッチ目で、ただ歩くだけの所があり、その先からがまた岩場になった。
岩場だったが難しい所は無く、一ヶ所だけ右手のホールドが無い場所があり、左手のホールドも自分の頭より高い所に一ヶ所あるだけの場所があった。、僕はフードが邪魔で左のホールドを見つけるのに少し時間がかかったが、見つけてしまえば何でもなく終わってしまった。
多分そこがこのルートの核心だったと思う。何故なら、帰りの車の中で坂田さんとそのホールドの話しをし、二人して同じムーブをして、一番難しかったと話したからだ。
僕は山の先輩と同じムーブをして核心を抜けられたことが結構嬉しかった。
その後は、坂田さんが変な所でピッチを切ったために、信用度の薄い岩で僕をビレーしたりしていたが、それもまたバリエーションの醍醐味だったようだ。絶対に落ちることは
出来ないと思う瞬間でもあった。
頂上直下に着いた時には天候が悪化していて、景色は何も見えなかった。おまけに風が強く寒いので、ロープをそのままザックに押し込んで頂上に向かった。頂上で適当に記念撮影をして、初めての八ヶ岳もバリエーションも考えないで、とにかく風の無い所を目指して足早に下山した。
下山は時間がギリギリになりそうだったので急いで歩いていた。川沿いで坂田さんは真っ黒い生物の真横を気付かないで素通りしていった。僕はその生物を熊だと思い、ピッケルを構えて刺す姿勢をとった瞬間、その生物と目が合った。僕は目が合った瞬間に熊じゃないと思ったが、頭の中は闘うこと以外を排除していたので、それがカモシカだと思い出すまで時間がかかってしまった。
僕が安心してピッケルを下ろし一呼吸大きめにつくと、カモシカはまた葉っぱを食べ始めた。すると今度は先を行く坂田さんの方から小さいカモシカが飛び出してきた。どうやら子連れらしく、二人してしばらくの間カモシカを見ていた。
僕はカモシカを初めて見た。しかもあんな至近距離で。野生の生物がみんなあんな目をしているのか知らないが、初めて見る目に少し恐怖がわいた。でも興味もわいてきた。
車に着いたときには真っ暗になっていてが、ギリギリまで遊んだな~と思った。
(記: 鈴木(泰))
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こんな絶不調は珍しい。火曜日から食欲すらなくなった。平日でラッキーくらいに思っていたのに土曜日は朝から病院へ駆け込むはめになり、昼過ぎに鷹取山へ到着したが復活にはほど遠く、3本ほど登りはしたもののすぐに帰りたくなったくらいだ。けど赤岳主稜を中止する気にはなれなかった。泰の期待を裏切って、日曜日を棒に振るなんてことはありえないし、自分も泰をバリエーションの虜にすることを楽しみにしていたのである。
一方の泰も原因も症状も全く別物だったが、(もっと)絶不調。けど行く気に変わりはないみたいなのでそのまま決行した。コンパクトだけれどもイケてる八ヶ岳の岩稜たちを目にし、取り付いてしまえば、その間はきっといつもの自分を取り戻せるのだ、と期待して。
泰に京橋駅でピックアップしてもらい、美濃戸口へ向かう。道路に雪はなかったが、美濃戸口分岐から先はうっすらと白くなっていたので、ここに停めることにする(ノーマルタイヤのため)。既に外気温は-11度。日曜日の夕方には南岸低気圧の影響で、東京でも雪が降るらしい。頑張って5:30には起きることにしよう。
寒い朝。シュラフから出るのが億劫だったが、何とか予定通りだったと思う。無理をしてでも食べないとと思い、きなこ揚げパンをほおばるが、油の臭いがウッと来る。普段は好物なのだが、選択を誤ったか…。
いつものようにちょっと遅れて出発したが、まだ暗かったのでまずまずか?歩き出すと意外にサクサク歩け、イイ感じだ。泰もしっかりついてくるのでパワーが出た。日帰り装備で軽量なのも効いてるのだろう。やはり持久力は落ちてしまっていて、ターゲットタイムよりも美濃戸山荘まで5分、そこから行者小屋まで10分ほど遅れての到着となった。それでもまずまずということにしておこう。いつもよりも筋肉疲労が強いが、頑張った甲斐があった。ほんとは調子の上がる時に泰と張り合いたかったが…。
行者小屋からは大同心から阿弥陀まで一望出来、天気に恵まれた。寒い。おやつを補給して文三郎道へ。アイゼンを付けなかったが、トレースがフラット&急斜で登りにくい。すぐにアイゼンを装着することにする。今シーズンから使っているグリベルのアイゼン、この寒さでフロントのバンドが固くなってしまっているためか、コフラックのブーツにしっかりはまらない。サイズがギリギリなことは先の穂高縦走で分かっていたのだが…。やっぱりジョイント部を交換する必要があるようだ。今は仕方がないので、靴を浮かせたままバンドで締め上げる。
なかなかの急斜でふくらはぎに負担が掛かる。視界が開けたところで西壁を見渡すと、まず2パーティが目に付いた。それぞれ異なるルートに取り付いている(主稜よりも北側)。どっちが主稜なんだろうか、などと考えながら見ていると、手前のパーティがひどい落石を起こしながら行き詰まっている。クライムダウンして取り付き直していたが、スノーシャワーを浴びながらのクライミングで、さすがにあれば違うようだ。もう一方のパーティも遅々としてなかなか進まない様子。そうこうしている内に彼らがつけたと思われるトレースに行き当たった。取りあえずハーネスなどを装着して(これが寒かった~久々の憂鬱)、トレースをたどってみるが足場もイマイチだし、どちらのパーティも主稜に取り付いているとは思えず引き返す。文三郎道をもう少し上がっていくと、「あー、これやん!」と納得。1パーティが取り付いているところだった。また、先行パーティのトレースをたどるが、ハード過ぎるバーンでもなく、雪崩の起きそうな状態でもなく、恐らく最も快適な条件でのトラバースだったと思う。取り付き点だと思って見上げたルートはチョックストーンのあるチムニー状のものだったが、かなり登りごたえがありそうだった。それにしてもスーパーメジャー級なのに支点がないなぁ、といぶかしく感じていたところへ上からロープが下りてきて、先行パーティが懸垂下降してきた。え?撤退?と思ったが、そちらへ目をやると、残置シュリンゲの掛かったかわいらしいチョックストーンが目に入った。今度こそ、正解だろう。
このチョックストーンは正面から簡単な乗っ越しで抜けられ(体感グレードIII-II?)、かなり拍子抜けだった。ここよりも上部岩壁の核心の方が難しく感じたが、それでも泰にして「一般道に毛が生えた程度っすね」くらいなレベル。全ピッチを稜線までスタカットにしたが、泰が力を付けてくれば、コンテでもっとスピード出して登れるだろう。ただ寒かった。風が八ツでは無風と言っても差し支えないくらいだったのが救いか。それでも天気は徐々に悪化していったのだが。雪は平年並かやや少ないかもしれない。いつもであれば各ピッチごとに記録を書くところだが、特筆すべき所もなかったので省略させてもらおう。
なんて余裕な風に書きながらも、赤岳のピークを踏めたのは嬉しかった。なんてったって泰の初バリ、うまく行って気分は爽快!
天気は下り坂。特に頂上からの視界もないし風が強まって寒いのでさっさと下りる。泰にとっては、この下りの方が核心だったかも?さすがにダッシュという訳にはいかないようだ。雪が本降りになってきたというのに、のんびり下る。安堵感からか、腹も減った(お、なんか体調良くなってるやん!)。行者小屋にはもはや、さっきまで主稜の隣を登っていた仲間達くらいしか居なかった。テントはきれいに撤収されている。後から調べてみると彼らが登っていたのはショルダーリッジだったようだ。支点はあったなどと話していた。トポにはグレードは主稜と同じだが、ルートファインディングはショルダーの方が難しいと書かれてある。今はほとんど登られていないのでは?ここでたっぷりおやつを食べる。うまい!と思えるのは幸せなことだ。
中途半端について歩きにくかったアイゼンを外す。泰はそのまま。案の定、美濃戸山荘までは凍った足場に四苦八苦。もう足元意外を見る余裕もなく、途中出会ったカモシカに30cmくらい近くをかすめたようなのだが、泰に言われるまでその存在に気付かなかったくらいだ。本降りになる雪に、ノーマルタイヤの車が気になってくるが、雪道運転には慣れている方なので支障はないだろう。いつもは加速する心臓破りの坂も、今日のコンディションでは筋肉破りの坂と化し、たらたらと登るだけだ。美濃戸口のバス停を過ぎるとすっかり暗くなった。
泰のauが車を停めたところで圏内だったので、すぐに清水さんへ連絡する。後で、留守電が入っていたことに気付く。遅くなって心配掛けてしまった。
初バリ、泰にとってはもの足りなかったかなぁ。けど1日たっぷり遊んだし、これまでとはちゃう面白さもあったやろ?そして泰には少しでも早くいつもの調子を取り戻してもらいたいのだ。なんか張り合いないやんっ!?
この入門ルートで、目標へ向けてまたでかい一歩を踏み出せた。まだまだ遠いけれど、一気に駆け上がっていきたい衝動に駆られている。
(記: 坂田)