日時: 2008年5月31日(土) – 6月1日(日)
山域: 谷川岳(上越)
参加者: 掛川(L)・清水・安達・坂田・塩足・志村・土井・鈴木(泰)
行程: 本文参照
週末の天気予報はあまり良くなかった。土曜日はまあ無理だろうなと思っていたが、案の定、朝から雨だった。
水上から高速に乗り、湯沢ICで降りて、貝掛温泉に繰り出す。
ぬるめの湯をたっぷり堪能し、そばを食べる。それから、再び土合に戻り、登山指導センターで届けを出す。
元ロープウェイ乗場のあったところに山岳博物館(資料館だったか?)ができていて、清水さんが先に行ったが、誰か知り合いを見つけたようだ。
元警備隊の馬場さんかな、と思ったが、群馬岳連の八木原さんだった。
エベレスト南西壁冬季登攀や何かで名前だけは知っていた。朝日新聞社の後援で、名古屋大学の方が1970年代から記録したヒマラヤの氷河湖の写真展の準備をしているところだった。
地球温暖化に伴い、ヒマラヤの氷河湖が大きくなっている様子が航空写真で撮影し、過去のものと比較してみると、よくわかった。
他にも登山用具など飾ってあり、谷川岳の持つ歴史を感じた。
それから、土合の駅に戻り、宴会をした。メンバーの中には土合の地下ホームへ降りる階段が初めての人もいて、観光客に混じり様子を見に行った人もいた。
食事は、おでんやら、焼肉やら豪華なメニューで食当、塩足さんの仕切りでちゃかちゃかと準備も整い、酒もふんだんにあった。食事の後、志村さんの誕生日が5月30日だったのでささやかではあるが、ケーキを用意してローソクを立てて、お祝いをした。
買出してくれた人、食当の人ありがとうございました。
食事の後、寝場所であるロープウェイ乗場へ移動する。まだ起きてしゃべっている人もたくさんいた。
翌朝、清水さんに起こされた。「星が出ているよ」昨日4時起床といったが、時計を見ると3時半。
雨は昨日の夕方ぐらいから小降りになってはいたが、晴れるとは思っていなかった。
みんなを起こし、一の倉へ向う。外へ出ると、朝の薄明りでもはっきりと好天だということがわかったので、うれしく思わずヤッター、と叫んでしまった。
一の倉沢出合は登攀準備をしているクライマーがたくさんいた。その中に、なんか見たことある人だなあと思い、名前を聞いてみたら、昔東京にいたころ、時々通ったウィングというクライミングジムのオーナーだった。いやあ、山の世界は狭いなあとあらためて思ったが、実は僕だけでは終わらないのだった。
テールリッジまでは快適な雪渓歩き。楽だった。テールリッジも上部3分の1が出ているのみ。
結構人も多い。坂田・鈴木は先行し、中央稜の取り付きから烏帽子沢奥壁の下をトラバースして南稜テラスへ行くのだが、残りのメンバーはここからロープを出し、コンテニュアスで行く。
土合の駐車場を4時半過ぎに出て、南稜テラスに6時50分に着く。すでに4パーティぐらい待ちの状態。
雲ひとつなく、晴れ上がった。中央稜、凹状岩壁、変形チムニーに人がいるのが見えた。
清水さんが感慨ぶかそうに変形チムニーを指しながら「昔、あそこから落ちて、助かった」と説明してくれた。40mはあるだろう。本当によく助かったなあ、運の強い人だなあと感心する。
テラスで待っていたら、後からきたパーティの人が実は塩足さんが以前に所属していた山岳会の人達ということが判明した。
なにしろ塩足さんが「お嬢、お嬢」と言われ、見目麗しき乙女が果敢に岩にアタックしていた頃の人なので、これは一体何年ぶりの再会だったのだろうか?なぞ考えるのは野暮ってもんなんでしょう。
2時間ほど待ち、やっと我々の出番。坂田・鈴木・土井パーティが先行。次に清水・塩足ペア、ラストは掛川・志村ペア。
清水ペアは、塩足さんが、リードする。さすがに前の山岳会の人も見ている前で、セカンドなんて、お嬢の名にかけてできないわよ!!という気合満々だ。ホールドをちぎっては投げ、ちぎっては投げというスムーズな登攀で、チムニーの手前でピッチを切る。チムニーのところでトップを代わった清水さんがちょいと苦戦しているようだ。僕は後から追いついて、ここで清水さんを抜いて先に行かせてもらい、清水さん達を上から確保しながら登ってもらうことにした。
次のピッチは志村さんがトップ。25mIV級のフェース。少し右上し、ピンがありません~とかどっちかなあとか、ごにょごにょと言っていたが、どうやらテラスに着いたようだ。
草付帯を登り、再び志村さんがIII級の岩場をリードする。この順番は最後の核心V-5m垂壁の部分は誰がトップをやるかを考えて決めた。ここは、左から岩を越えて行くのだが、
最初ピンが見当たらなかったので、トップはちょっと恐かったようだ。
次のテラスで土井さん、鈴木君に追いついた。なんか坂田君は左からむずかしそうなところを登っていった。
より困難を求めるクライマーなのか、単にルートファインディングが下手なクライマーなのか、いまだにどちらか決めかねるシーンが時々あるけど、「そっちじゃないよ、ルートはリッジだぜ」と言って、僕はやさしいリッジから坂田君のいるテラスを目指した。途中、なんだかずいぶんりっぱな支点だなあというところを過ぎた。なおも進み、ヌンチャクも足りなくなってきて、ええい、ままよ!とランニングも飛ばして行ったが、後5メートルほどで坂田君のテラスというところで、ロープが一杯になってしまった!本当はさっきのりっぱな支点でピッチを切らなきゃいけなかったのだ。馬の背リッジの上部で、坂田君から補助ロープを借りて、なんとかセルフを取り、確保しようとしたら、あれあれ、志村さんが登ってきているではありませんか!
何度もコールしたけど、返事もない、ロープは一杯だし、僕が上で確保していると思い込み来たらしい。
ともあれ、ロープに余裕が出来たので、テラスに上がり志村さんを確保する。
最後の5メートルの垂壁は、昔登った時は、一杯一杯だった。最後の出口でスリングをつかんで這い上がったのを覚えている。今回はあの時に比べれば余裕があったかな。
青空と、垂壁を越えていく仲間の姿のコントラストが印象的だった。
メンバー全員が終了点に立ったのは13時近かった。
そこからまだ、3級程度の岩場が数箇所あった。あぶなそうなところは一応ロープを出した。
坂田・鈴木は3時に一の倉岳到着。1時間ほど遅れて16時に残りのメンバーは山頂に着いた。そこからさらに西黒尾根を下降して、安達さんと全員が合流したのは21時近かった。幸い、久世支部長とは終了点から携帯で抜けた事を伝えており、稜線に出てからは、安達さんとも無線で現在位置を随時交信できたのでよかったが、やはりこれだけ遅くなったのは、真摯に考えるべき事だと思う。。
アルパインではスピードこそ安全を保証するもの。
何が足りなかったのか、それは不可避なことだったのかよく考えて次の山行をより安全にかつ中身の濃いものにする糧にしていきたい。
ともあれ、メンバーそれぞれの様々な想いがつまった山行だった。
最後に私ごとで恐縮だが、西黒尾根下降中に父の訃報を知った。
父は長野の出身で仕事の都合で九州に来て、家庭を持ったわけだが、小さい頃よく近くの山に連れて行ってもらった。
400m程度の山だが、子供にとっては、大自然だった。鉄砲水の後の沢など今でも荒れた様子を覚えている。あんな里山でも確かに「探検する」価値があった。父は子煩悩な人で、子供達をキャンプやら海山に連れて行き、自然と触れ合う機会をたくさん作ってくれた。
僕が山に行くようになったのも、父の影響があったと思う。
来週は父の日。
父に感謝したい。
(記: 掛川)