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剱岳八ツ峰主稜縦走

日程: 2010年5月1日(土) – 3日(月)前夜発
山域: 剱岳(北アルプス)
参加者: 久世(L)・廣岡
行程: 第1日目: 扇沢 – 室堂 – 剣御前小屋(別山乗越) – 三田平(幕営)
   第2日目: 三田平 – 長次郎谷出合 – 八ツ峰主稜縦走(1・2峰のコル – 八ツ峰の頭 – 池ノ谷乗越) – 長次郎谷出合 – 三田平
   第3日目: 三田平 – 剣御前小屋(別山乗越) – 室堂 – 扇沢

4月30日夜22時に都内出発。ゴールデンウィークの中日といっても中央道は茅野あたりまで断続的な渋滞で、雪の降る扇沢に着いたのは翌朝5月1日4時過ぎだった。駐車場が満杯でスペースを探すのに苦労した。1時間ほど仮眠。6時30分の朝一番のトロリーバスに乗るつもりがチケット売り場はすでに長蛇の列で、結局7時発の便になってしまった。

Dscn3715_s 室堂を9時20分出発。見上げる空は雲ひとつなくどこまでも青い。真っ白な雪の立山が美しい。空気も冷たくて気持ちがいい。しかし、雷鳥平に着く頃には汗ばんで、シャツ一枚になった。時間は9時50分。
ここから別山乗越までの長く単調な登りが続く。荷物が重くスピードが上がらない。久世さんのペースについていくのがやっとだ。剣御前小屋に着く頃から風が強くなった。ここからテント場の三田平までは退屈な下りだ。まだ雪が深くて歩き辛かった。

Imgp1796_s 13時30分、三田平に着いた。すぐに雪のブロック塀作りに入る。テントを強風から守るためだ。硬い雪面にスコップを突き立てて掘り起こし、50センチ大の雪ブロックを作る。それを、テントスペースを囲むように、大体4メートル四方、1メートル半ぐらいの高さになるまで黙々と一段ずつ積んでいく。忍耐のいる作業だった。初日からヘトヘトだ。テントを張り、中でくつろぐ頃には暗くなりかけていた。

夜は久世さん特製の肉と野菜いっぱいの鍋料理だった。(材料を仕込んでくれた久世さんの奥様に感謝しつつ)とりあえず乾杯。たらふく食べて19時にはシュラフにもぐりこんだ。夜中、雪も降り出し、風がテントを打つバタバタという音で何度か目が覚めた。外は相当強く吹いているようだ。雪のブロックがなかったら大変なことになっていたかもしれない。

5月2日は予報通りの快晴だった。4時45分出発。剣沢を下る。テント場からのトレースはなく私達が一番手のようだ。時々、前日に降った雪が深くて足を取られる。5時25分に長次郎谷出合到着。出合にはテントが数張あり、また、下の真砂沢小屋からも数パーティが上がってくる。先行に2パーティと、後ろからも何パーティかは八ツ峰に向かうようだ。ここから長次郎谷を登り返して八ツ峰の取り付きを目指す。ザックの中はロープ、防寒着、行動食と水ぐらいなのに足が重い。長次郎谷は想像以上に長くて傾斜があった。途中から右にトラバースするように1・2峰ルンゼの急斜面に取り付き、しばらく登ると大きくせり出した岩の下に着く。ここは安定しているので一息つける。1・2峰のコルへはさらに急な雪壁を詰めていく。振り返ると登ってきた斜面の意外なきつさに驚く。前方を見ると久世さんはもうずっと先だ。そのスピードに全然ついていけない。恐るべき体力だ。ガシガシという感じで登っていく。

8時にようやく1峰と2峰のコルに着いた。いよいよ八ツ峰縦走のスタートだ。久世さんの「ここからが本番ですよ。」の言葉に気合を入れなおす。

2峰の懸垂ポイントまでは左方向、長次郎谷側に15メートルほどの急斜面をクライムダウン(後ろ向きに降りる)で斜め下にトラバース。ダブルアックス(この時はピッケルとアイスバイル)で確実なポジションを取り、アイゼンの前爪を利かせ、切り立った雪壁から体だけ飛び出すような格好で降りていく。足元から下は何もない。ずっと下に長次郎谷が見える。いきなりこんなところを・・・ホント勘弁して欲しいなあと思いながら慎重に歩を進める。表面はクラストしているが、雪が腐っている箇所もあって油断すると足元からズルッといってしまう。つま先をしっかりと蹴り込まないといけない。前方の久世さんから「ゆっくりでいいから慎重に!」の声が何度も飛ぶ。雪壁が切れたところが懸垂ポイントだ。雪面から張り出したハイマツの枝にロープを掛けて、長次郎谷側に25メートルを懸垂で降りる。

3峰へは細いスノウリッジを進む。そして懸垂で20メートル、4峰への稜線に降りる。さらに、痩せた稜線を進み4峰からまた懸垂下降だ。ここは三ノ窓谷側に約25メートル。支点は青いスリングが一本雪面から出ているだけだった。スリングの下がどうなっているかわからず信頼できないので、支点にできるだけ体重をかけないようにしてゆっくり降りる。もし抜けたらと思うと生きた心地がしない。さらに、降下ポイントが急斜面なので、体の位置をコントロールしながら降りないと谷のほうにどんどん落ちてしまう。稜線ルートに戻るように登り返しながらロープを手繰っていく。通常のシンプルな懸垂下降と違ってけっこう体力を使う。

4峰から5峰はアップダウンを繰り返しながら左右に切れたスノウリッジが続く。三ノ窓谷側の雪庇を踏み抜かないように、出来るだけ長次郎谷側寄りに進む。

Dscn3725_s 5峰は天を衝くようなピナクル(尖塔)状の赤茶けた巨大な岩だ。その中腹あたりに懸垂支点がある。ここに辿り着く手前のナイフエッジは本当に緊張した。その距離はわずか5メートルほどだが、エッジの両側はドーンと深く切れ落ちていて、幅はわずか25センチぐらいしかない。ちょっとバランスを崩したら三ノ窓谷か長次郎谷にまっすぐ落ちて、間違いなくあの世行きだ。久世さんが「慎重に!慎重に!」と繰り返し大声で指示する。一歩、また一歩と左右の足を交互にそろりそろりと前に出していく。恐ろしいほどの高度感に神経を張り詰めながら、辿りついたときには強度の緊張で喉がカラカラになっていた。

Imgp1785_s ここから5・6のコルには長次郎谷側に約40メートルずつ、2回の懸垂で降りる。途中にはブッシュや岩のクラックがあって、ロープが引っかからないように降りる。2回目の懸垂の着地点から5・6のコルまでは安定した斜面を40メートルほど歩く。このコルは広くて眺めも良い。縦走中、唯一ホッとできるところだ、時間は10時50分。休憩の後、遅れ気味なので先を急ぐ。

6峰は大きい。八ツ峰登攀のハイライトの一つだ。急傾斜の雪壁と長い登りが続く。登り始めの壁が一番きつい。概ね30メートル。感覚としてはほぼ垂直に近い。ピッケルとアイスバイルをしっかりと打ち込んで登る。しかし気温の上昇で雪の状態が悪くなっている。時々足元の雪が崩れる。蹴り込んだアイゼンを確実に決めてひたすら高度を上げていく。

最初の壁を越えたところで右に10メートルほどトラバース、突き当たった小さな岩を抱くようにして2メートルぐらいの段差を三ノ窓谷側に降りる。そこから先は延々と続く急なスノウリッジの登りだ。時折、胸を突く急登に息が荒くなる。何箇所か急雪壁を乗越すような部分があった。そういうところはピッケルを深く刺して、体重を前のめりにして思い切って乗り越えて行く。とにかく一歩一歩体を上げていくしかない。久世さんを必死で追うが相変わらず凄いスピードだ。しかし、私を気遣って時々ペースを落としてくれる。

Imgp1788_s6峰の中間点の緩やかな傾斜地で小休憩を取る。時間は11時40分。登ってきたルートを振り返ると、そこにはダイナミックなパノラマが広がっていた。感動する。
ああ、この雄大さが剱なんだなあと思う。辛く厳しい登りを繰り返した後には、こういう神様からの褒美が待っている。

6峰のピークに着いたのが12時10分。ここから三ノ窓谷側への約20メートルの下降は、クライムダウンが一般的のようだ。支点はない。最初は久世さんにスタンディングアックスでビレイしてもらって数メートル降りた。しかし、途中でまごまごしていたら、上から久世さんが「嫌な感じがするなら懸垂にしますよ。」と言ってくれたのでつい甘えて、登り返し、懸垂に変更してもらった。久世さんが雪庇を利用してスノウボラード(Snow Bollard: 雪の平べったい柱状のもの)を作りその外縁にロープを回す。これを支点にして降りる。私はスノウボラードでの懸垂下降は初めての経験で、本当にこれで利くのかとちょっと心配になる。久世さんの指示に従って体重を静かにかけながら降りた。

Dscn3731_s 6峰から7峰は細いナイフリッジを辿っていく。長次郎谷側は岩がむき出しになった垂直の壁、三ノ窓谷側ははるか下の谷底まで何もない急斜面だ。その表面は、純白のシーツを敷き詰めたように滑らかだ。少しでも滑ったら絶対に止まらないだろう。ここから谷底までの高度差は800メートルぐらいか。息を深くして一歩ずつ足を置くように登っていく。見下ろすと体ごと吸い込まれそうで目がくらむ。

それにしても素晴らしい高度感だ。いいようのない高揚感が体の中から沸き起こってくる。危険な場所にいるのにあまり恐怖を感じなくなっている。不思議な感覚だ。

Dscn3730_s 7峰のピークからの眺めは素晴らしい。これから行く8峰への美しく切り立った白い稜線が続き、その先に八ツ峰の頭(かしら)が見える。その右手前にはクレオパトラニードル、奥にはいつか登ってみたいと思うチンネの雄姿がある。そして、左に目を転じると堂々たる剱岳本峰が聳えている。まさに威容である。剱岳のピークから左下に真っ直ぐ荒々しく落ちていくのが源次郎尾根だ。
すべてが美しい。自分がこんな世界にいることの幸せをかみしめる。時間と空間が融合した時空の世界、その異次元の世界との境目にいるようだ。空を限りなく体の近くに感じる。これがアルパインクライミングの醍醐味であり魅力なのだ、と思う。

さて、7峰のピークの下降も懸垂になる。三ノ窓谷側に約30メートル。ここも危険な箇所だった。ピークから懸垂ポイントまで、岩に薄く張り付いた氷の表面をクライムダウンしないといけない。わずか3メートルぐらいの距離だが、その先はまっすぐ落ちている。ノービレイでは正直いって恐い。久世さんが先行してそこから確保してくれた。この支点はしっかりしていたので安心して降りることができる。しかし、やはり着地点が不安定で少々難儀した。

8峰はピークまで約50メートルの雪壁を一気に登る。壁の半ばあたりから傾斜がせりあがるようにきつくなる。60度以上はあるだろうか。万が一のことを考えて、ここで初めて久世さんにロープを出してもらった。久世さんがトップで行く。ピークの向こうに姿が消え、しばらくしてから「上がっていいよー!」のコール。私も続く。雪壁はかなりの急傾斜で両側は切り立っているが、登ってみるとピーク手前のクラストした数メートルを除けば、下から見たほどの難しさは感じない。

Dscn3732_s しかし、8峰からの下りは極めて細いナイフエッジだ。雪稜の先端が刀先のように鋭くなっている。8峰のピークから久世さんにビレイしてもらい、私が先行する。歩いてみると思ったより雪がもろい。進むにはかなりの緊張を強いられる。それを久世さんに伝えると、エッジの中間点まで行って、スノーバーでランニングを取るようにとの指示が出る。ハーネスにぶら下げていたスノーバーをはずして、エッジ雪面の深くまで刺し込む。そしてセットしたヌンチャクにロープを通す。これで少しは安心だ。さらに気持ちを集中して前進する。
胸越しに手を伸ばし、ピッケルのスピッツェ(柄の先端)をナイフエッジの向こう側(三ノ窓谷側)に刺して、体を手前(長次郎谷側)に置く。ナイフエッジの先端が脇の下にくるような立ち位置だ。前に差し出す足もとの雪が崩れないか確かめながら、足裏に静かに体重をかけていく。そして確実にスタンスを取りながら、蟹歩きのようにじわじわと移動する。

これほどのスリルを感じるルートは初めてだ。慎重に辿り、10メートル先の安定した小さなコルまで行く。ピッケルを刺して支点を作り久世さんを待つ。この頃から急にガスが出てきた。風も強くなった。天気が崩れるのだろうか。時間はもう15時。しかし、ここまでくればあと少しだ。

さて、いよいよ最後のピークの八ツ峰の頭(かしら)に向かう。ここもやはり急登だがこれまでのルートに比べればずっと易しい。トップの久世さんが難なくサクサクと登っていく。私も後に続く。最後のピークを目前にして解放された気持ちで登る。
ところが強い風に吹かれてロープがたわみ、途中の岩に引っかかってしまった。いったん下ってロープを手であおり何度もはずそうとしてみたがダメだ。仕方がないのでハーネスからロープを解いてフリーで上がる。八ツ峰の頭に着いたのは15時30分だった。晴れていれば富山湾が一望できると期待していたのに、ピーク全体がすっぽりとガスに覆われてしまって何も見えない。残念だ。Dscn3734_s

八ツ峰主稜の縦走は、池ノ谷乗越への下降でようやく終わる。事前の調べでは懸垂で降りる、とあったのだが、ピークに支点らしきものはなかった。久世さんにスタンディングアックスの体勢で確保してもらう。ここは出だしが良くない。ところどころ岩が露出していて表面の雪が薄く不安定だ。しかも下降ルートの幅90センチの両側は垂直の壁だ。クライムダウンを続けながら途中の岩場に支点を探すが見当たらない。仕方なくそのまま慎重にゆっくり降りた。

Dscn3747_s_2私たちが池ノ谷乗越に着いた時にはすでに16時を回っていた。この時、天気はすっかり回復して空はきれいに晴れていた。北西には、3年前の同時期に辿った小窓尾根の迫力のある大きな岩稜群が間近に見えた。あの時久世さんは剱尾根を単独で登り、あらかじめ行程を合わせてこの池ノ谷乗越で落ち合い、幕営した。その翌朝、共に剱岳本峰のピークを踏み、久世さんは別山尾根、私は早月尾根を下りそれぞれ東京に帰った。懐かしい思い出だ。

早朝からのタフで厳しい縦走登攀を無事に終えて、久世さんとがっちり握手した。八ツ峰をやったという達成感、なんとも言えない充実感である。
こんなときこそ、生きていることを実感する。

Dscn3750_s帰りのルートは剱岳本峰を経由しての下山という選択もあったが、時間と天候急変の可能性を考慮して長次郎谷を下ることにした。大休止の後、長次郎谷を一気に下りる。
Dscn3753_sImgp1795_s左に、今朝登ってきた八ツ峰の白く優美な稜線の連なりを見上げる。その姿は、はるか下方の谷筋から、真っ直ぐに、激しく上下にうねるように伸びて、そのまま天空に駆け上がっていく巨大な白い龍のようだ。
その背中ともいえる稜線をなぞるように点々と続くトレースが見える。あれをずっと登ってきたのだ。またひとつ山への気持ちが強くなった。

気づいたら、久世さんの姿ははるか彼方の下にある。猛然と走り下り、出合い近くでようやく追いついた。

長次郎谷の出合までの私はまだ元気だった。しかし剣沢の登り返しでへばった。この登りは本当にきつかった。出合いからテント場まで2時間程度の行程だが、だらだらとした登りが果てしなく続く。途中から久世さんに先に行ってもらう。いくら歩いても景色が変わらないように思える。ずっと前方で足の遅い私を久世さんが時々待ってくれるが、なかなか追いつけない。本当に信じられないほどのタフさだ。それでも遠くから私の動きを見ていてくれる。情けないことに、テント場に続く最後の登りではもう足を上げるのがやっとだった。

テントに着いたのが19時20分。なんとか暗くなる前に到着した。テントの中では、私の安全を確認してから先行した久世さんがお湯を沸かして暖かいコーヒーを入れてくれていた。実にうまい。疲れた体に熱いものが染みとおっていく。そして、無事の登攀を祝って乾杯した。

Dscn3755_s当初、翌5月3日は源次郎尾根を登り、その日の夜に東京に帰る計画だったが、私の体力と全体の行動時間を考えて登攀は中止した。

Dscn3757_s5月3日、5時起床。テントを撤収、7時に出発した。時折、名残惜しく、剱岳とその向こうに重なって見える源次郎尾根と八ツ峰の稜線を振り返る。剣御前小屋を8時に通過、室堂に着いたのは9時30分頃だった。あたりはすでに大勢の観光客で賑わっていた。帰りは乗り継ぎの待ち時間もほとんどなく、11時30分には扇沢に着いた。大町温泉で汗を流し、東京帰着は18時だった。

Imgp1802_s今回の山行は、私の実力で行けるのか不安があった。登る前、久世さんが「八ツ峰は一瞬のミスも許されないルートです。」と言った。実際、私はそれを随所で思い知った。私の力不足で行動時間は約15時間弱。体力を消耗したが、精神的にも技術的にも得るものは大きかった。そして今回も山からたくさんのことを教えられた。やはり山は素晴らしい。
久世リーダーに心から感謝したい。

(記: 廣岡)

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