White christmas at Mt.YATSUGATAKE

阿弥陀岳北稜バリエーション登攀
Witer Variation Route of Mt.AMIDADAKE (North ridge)
(English version below)

山域:南八ヶ岳(阿弥陀岳)
日時:2005年12月23日~2005年12月25日
メンバー:坂田、後藤
計画:
 ・12/23 阿弥陀岳北稜登攀
 ・12/24 赤岳主稜登攀

12/23
6:00 美濃戸口
 日の出前に歩き始める。途中で阿弥陀岳に向かっていることに気づき引き返す。

7:00 美濃戸口
 道を間違え1時間のロス。
8:00 美濃戸山荘
  車道歩き、積雪は多くても30cm程度だが気温は低い。崖に発達した氷柱が美しい。
 美濃戸小屋から南沢に入り長者小屋に向かう。
 途中までは踏み跡もしっかりしていてラッセルは無い。
10:00南沢大滝周辺
 南沢大滝の辺りでアイスクライミング(滝が凍っていてアイスクライミングのメッカになっている)に向かうトレースに入り込んでしまう。1時間ほどロス。
 ここから先は小屋に向かう人が少なく、開けた場所ではラッセルが必要。積雪60cm程度。
12:00 行者小屋
 テント設営。風が大変冷たい。我々が行者小屋に着いた第一陣だった。
 到着が遅れたため(当初10:00を予定)阿弥陀岳に登るのをあきらめる。
15:00ルート工作
 行者小屋より文三郎に向かい、途中で阿弥陀岳北稜の沢に入る。積雪が深く樹林帯の通過をあきらめて沢沿いに20分ほど登る。
 沢の入り口と登山道の位置を確認して引き返す。
16:30 テントへ戻る
 夕食:シチュー・ピラフ

12/24
7:00 起床
 起床が遅れる。天候は雪。昨日より良くなっているのは風が強くない事くらい。夜間に30cm以上積雪があったことを知る。
9:10 アタック開始
 阿弥陀岳北稜へアタックを開始。昨日は通過を諦めた樹林帯に先行パーティのトレースがある。
 10分程で先行パーティに追いつき、ラッセルに参加。坂田さんの強力なラッセル。
11:00 第2岩峰基部
 20分程休息。アイゼンをつける。
 先に岩に取り付いたパーティは講習会で人数が多く、途中に割り込ませてもらう。感謝。
 岩登りは2ピッチのみ、特に難しい部分は無し。
14:00 阿弥陀岳山頂
 岩稜部を突破した辺りから急速にガスが晴れ、美濃戸口の辺りが見えてくる。強烈な吹き上げ有。
 山頂に付く頃には南西方向を残してガスが消え、赤岳から北八ヶ岳方向へ印象的なスカイラインが広がる。
 大同心のなんて垂直なことか!
15:00 中岳
 阿弥陀岳-中岳間の下りに時間を使う。雪は十分についていたが、下降の難しい部分が数箇所有。
 中岳-文三郎新道かんは谷の最上部かつ阿弥陀、赤岳に挟まれた最も低い区間のため、強烈な風が吹く。
 周囲温度は-20℃程度、体感温度は-40℃に達すると考えられる。風の吹き付ける体の左側は頬骨の辺りの露出部が痛みを覚える。
 此処の風に意思があるとしたらそれは狂気だろう。そんなことを考えた。
16:00 文三郎新道
 文三郎新道に入り、少し下ると樹林帯に入る。
 狂風の無いのが大変すごしやすい。
 左手にさっき登った阿弥陀北稜が、右手には取り付く予定だった赤岳主稜が手に取るように見える。
 ミニチュアのように全てがくっきり見えてなんだかうれしくなってくる。そうだ、今日はクリスマスイブなのだ。
 最も信頼できる仲間と過ごせる喜びよ!
16:00 行者小屋
 テントに戻って確認したところ、手の指先端が計9本白くなっている。感覚はあるが、凍傷直前のようだ。
 原因はネオプレン製の手袋に違いない。通気性が無く冷えると温まらないのだ。
 男二人だがプレゼントにもらったキャンドルと行動食のケーキで楽しく過ごす。

12/25
7:00 起床
 雲ひとつ無い快晴。朝、最初に山頂が輝き、光の部分が広がっていく。
 稜線では強烈な雪煙が登山者を襲っている。
10:00 行者小屋発
 今日は早く下らなければならない。僕達もプレゼントを渡したいのだ。
 坂田さんに借りたフリース手袋が大変暖かい。
 日差しに少し緩んだ雪道を駆け下る。
12:00 美濃戸口
 1時間で下ろうと云っていたが、2時間掛かった。妥当な線だろう。
 美濃戸口で待ちわびていたダットサンに飛び乗る。
 途中の温泉で垢を落として手足を解凍することにしよう。
 東京に戻らなくちゃいけない。

八ヶ岳広河原沢

日時: 2005年12月17日(土)~2005年12月18日(日)

参加者: 鵬翔山岳会: 坂田・静岡山岳会: 伊東・古川・鈴木

山域: 八ヶ岳広河原沢

形態: アイスクライミング

行程: 第1日目: 舟山十字路~二俣~左俣~10m大滝~中央稜~二俣・第2日目:二俣~ポストクリスマスルンゼ~クリスマスルンゼ~二俣~舟山十字路

12月16日(金)

ようやく古川さんと調整が付いて一緒に行くことが出来た。1ヶ月前くらいから誘われていたのだが、会の行事や個人的都合から延び延びになってしまったのだ。昨シーズンのこの時期、広河原沢はぼろぼろでろくでもなかったようだが、今シーズンのこの冷え込み!氷が呼んでるぜ!

22時頃、韮崎駅まで迎えに来ていただく。昨シーズンに芦安アイスでご一緒した古川さんが現れたとき、誰だか分からず失礼してしまった。伊東さん・鈴木さんとは初顔合わせ。車は伊東さんのフォレスター。

実は電車の中で、スパッツを忘れたことに気付いて愕然とする。今シーズンは12月から大雪のニュースが流れているというのに。でも、八つだからな。でも沢やし…。しかも革靴。広河原沢は初めてなだけに不安が増す。

道路はほとんど積もっていない。美術館近くから舟山十字路方面へ入るが、さすがに雪が10cmほど積もっている。昨シーズン2月に南稜を登った時並。混んでるかと思ったが、時間がまだ早いのか車がほとんどない。

前夜祭をして寝る。

12月17日(土)

06:30 出発

この時期としては雪はあるが、トレースがあってラッセルというほどでもない。120リットルザックが重い。何が入ってるのやら。日数当たりではアイスの時の荷物が一番重い気がする。のんびり歩く。伊東さんの体調がイマイチのようだ。

二俣

テントを設営。何張りかは既に設営されていた。

11:00 F1

ここが氷結具合のバロメーターになるかと思うが、例年になく状態が良いとのこと。釜は薄く氷が張っているだけなのでうまくへつらなければドボン。大滝まではロープを1-2度出したくらいだったと思う。リードは全て古川さん。手頃な滝が続いて気持ちが良い。氷結も問題なし。昼頃からは雲が出てきて冬らしいどんよりとした空模様。

13:00 10m大滝

良く発達していて、見た目には簡単に登れそう。けど先行のおばちゃんがひーひー言ってる。古川さんリード。真ん中から右へラインを取る。意外にてこずっていたが、登ってみて理由が分かる。取り付いてみると傾斜が強いし氷がもろい。回収の度に腕がパンプへとまっしぐら。最後はロープをテンションさせながらもう必死。登りきった時には腕の感覚もなく、カラビナさえ外せない。手に血が戻ってきた時に激痛が襲う。暖めようが噛もうが無駄。うずくまりながらひたすら耐える。フィフィをを使って楽に登れるようにならなければダメだ。フリーにこだわるのはその後。後続の鈴木さんも苦労していた。

15:00 中央稜へ

もういい時間だ。上部にもう1つ大滝があるが、ここから中央稜へトラバースして戻ることにする。出来れば阿弥陀まで抜けたかったが、次回の課題だ。さっきのおばちゃんを含む先行パーティは懸垂しながらそのまま右俣を下った。中央稜の方がダッシュで下れるから早いだろう。樹林帯のトラバースは時にはももまでのラッセル。この時期にしてはやっぱり多い。スパッツを忘れてきたのがここで響く。軽い雪だったのは良かった。

17:30 二俣

予定していたよりも上流で尾根から外れてしまい、方向が怪しくなったが問題なかった。到着した頃には薄暗くなり、雪が降り始め、風も出てきた。予報では天候が悪くなるとのことだが…。夕食は各自で用意したものを食べるが、たくさんつまみ食いさせてもらった。なんせ用意した食事が慌ててコンビニで買ったパンだけだっただけにありがたかった。アルコールも各自で持参。この辺は鵬翔とはちょっと違った雰囲気だ。面白い話をいろいろ聞け、他のメンバーにも会いたくなった。

12月18日(日)

起床

朝はカップラーメン。天気はまぁまぁ。気温は-19度だが、それほどには寒さを感じない。風がないせいだろう。古川さんが早めに帰る必要があるため、左俣を詰めずにクリスマスルンゼを登ることにした。まだクリスマス前だが、今シーズンの低温で期待大だ。伊東さんは膝の痛みがあるためテント番をすることになった。一緒に登れないのは残念。

出発

9:00 ポストクリスマスルンゼ

クリスマスルンゼはすごいボリュームに発達している。毎年通っているパーティが過去最大と言っていた。既にトップロープで取り付いていたので、まずはポストクリスマスルンゼを登ることにした。ルンゼは雪が詰まってラッセル。ところどころ氷壁となっていて慎重に登る。いざ上部に行ってみるとそこそこ立派な岩壁が目の前に現れたが、肝心の氷が付いてない。水が枯れてしまった?やむなく下降する。バックステップで慎重に。

9:30 クリスマスルンゼ

本命のクリスマスルンゼにトップロープを張ることにする。古川さんがトップで登る。上部で水を浴びてあちこちが凍り付いて寒そう…。ビレーも寒い。気温は-17度。時折風が吹き抜け、体が震える。いつの間にか増えたパーティも余りの寒さに耐え切れないといった風。ようやく出番。トップロープなんで思い切って登ろうと張り切ったのは良かったが、数メートル登ったところでロープが凍り付いて動かなくなってしまった。古川さんがプルージックでなんとか上まで行ってくれ、無事に登りきることが出来た。氷の目の前でぶら下がっていたのですっかり冷え切ってしまった。えらく時間を食ってしまったので、鈴木さんは取り付くことが出来なかった。申し訳ない。寒さから逃れるべく急ぎ足で降りる。ちょっと下るだけで寒さはすっかりましになった。

13:00 二俣

伊東さん、お待たせ。早速撤収して下山。こんな時に限って晴れ上がってくる。暑い。最後はほとんど駆け足で下ったのであっという間に舟山十字路へ着いてしまった。

3度目のアイスクライミングは楽しかった。大滝は散々だったからまた修行するぞ!

(記: 坂田)

Winter ! ,Most Beautiful Sesason

谷川岳雪上訓練報告

山域:谷川岳
期間:2005/12/17~05/12/18
行程
 12/17:上野~水上~谷川岳ロープウェイ駅~天神平~熊穴沢出合手前幕営
 12/18:幕営地~天神平~谷川岳ロープウェイ駅~上毛高原駅~東京駅
参加者:清水(清)、塩足、志村、清水(幸)、後藤[記]

12/17
7:20上野駅
 水上1号にて水上に向かう。途中清水(清)さんと合流。
9:40水上駅
 豪雪のニュースを聞いていたが、見た感じはさほど積もっているようには見えない。
 バスにて谷川岳ロープウェイ駅へ向かう。
10:20谷川岳ロープウェイ駅
 新型のロープウェイで天神平に昇る。
 初対面の谷川岳が目に飛び込んでくる。空気がクリアで遠近感がまったくつかめない。
 とにかくでかくて、ハイコントラストで、空の一角を切り取ったように鋭角だ。
10:30天神平
 快晴、日差しが強烈。
 天神平で積雪3mと聞いていたが、屋根の雪は60cm程度。降った新雪が圧縮されたようだ。空気と雪は乾いている。
 11:00発、天神岳を北にトラバースして谷川岳方面に尾根を歩く。
 途中清水(清)さんのヒマラヤ遠征時の仲間と出会う。いつもこの人の経歴には恐れ入る。
 お互いにこんなとこで何やってるんだなんて云っている。
12:00天神岳北稜線にて休息
 眼下の沢に大きな煙突状の構造物がある。関越トンネルの換気口だ。
 初めて参加する清水(幸)さんがまったく疲れていない、なぜ? 後で聞いたらマラソンをやっているとの事。
13:00熊の穴沢出合手前
 目の前に谷川の雄姿を仰ぐ。実に美しい。
 テントを2張設営。雪がやわらかく、固まらない。圧雪に苦労する。
14:30雪上訓練
 今回は雪山が初のメンバー(自分も含む)向けに雪上歩行の練習。つぼ足、アイゼンでの歩き方、わかん、スノーシューでの雪上歩行を行う。
 夕方の空が美しい。谷川から北に伸びる峰から灰色の手が稜線を侵食してくる。今夜は荒れそうだ。
15:30雪上訓練終了
 キムチ鍋の夕食
 夜半より吹雪。二度雪下ろし。気温はさほど低くない。-10℃程度か。
 一夜で1m以上の降雪があったがテントの丈夫さには感心した。

12/18
8:00朝食
 カレーうどん。昨夜のキムチ鍋とあわせて地上よりたっぷり食事を戴けた。感謝しております、塩足さん。
 天候は吹雪だが、風は徐々に弱くなる。積雪と風雪で谷川岳にアタックは不可能だが、閉じ込められることは無さそうだ。
11:00テント撤収
 天候の回復を待って天神平へ下る。昨夜の降雪でトレースは確認困難だが、スノーシューが頼もしい。
12:30天神平への下り
 20名程の大パーティに追いつく。先頭が新雪のラッセルに苦闘していて動きが遅い。
 スノーシュー・わかんを使っているメンバーでラッセルを交代(清水(清)、志村、後藤)。
 空身で効率的なラッセルが出来たと思う。かっこよかったですよ、志村さん。
13:30天神平着
 ロープウェイにて下の駅へ降りる。
14:00(?)水上
 昨夜の降雪で水上-沼田間が止まっているとの事。バスでそのまま上毛高原へ向かう。
15:00(?)上毛高原駅
 水上-上毛高原間で天候はあっけらかんと晴れてしまった。典型的な北関東の冬といった感じである。
 新幹線にて東京へ
17:00(?)上野駅

今年初めての雪、最高でした。
今年はスキーも楽しそうです。もちろん山も。

記:後藤(67期)

富士山耐寒訓練(敗退)

日時: 2005年12月3日(土)

参加者: 坂田(単独)

山域: 富士山

形態: 耐寒訓練

行程: スバルライン~3250mで敗退

今シーズンこそはガンガン登るぞ!と気合いの冬。スタートはもちろん富士山での耐寒&耐風訓練。誰も集まらず(涙)。けどスタートで引き下がる訳には行かず、単独で登ることにする。鵬翔に入って冬を3回は迎えたと思うが、なんと単独は初めてなのだ。一人で山を登るなんて考えられなかったが(一人だと根性が続かない)、メスナーを読み始めてその気になってしまった。

まず第1の関門であるスバルラインは定時で開通。五合目の駐車場は強風で停めた車が揺さぶられる。すごい雪煙に気分も沈む。風で飛ばされるのか今シーズンはほとんど雪がついていない。もう10時かぁ、と時間にせかされて出発。計画ではギリギリの行動時間のはずなのでいつまでものんびりはしてられない。荷物は軽い。70リットルザックだが、寝袋なし、ツエルトなし、食事はジフィーズなしと過去最軽量を謳いたいくらいだ。

一人だとハイペースだ。飛ばし過ぎてすぐにバテるのは目に見えているのだが、気持ちにゆとりを持てないのだろう。せっかちに歩く。あっという間に単独も混じった5パーティくらいを抜き去れば、もう前には誰も居ない。6合目を過ぎると振り返っても人の気配を感じなくなった。週末の富士山がこんなに寂しいとは。

雪がほとんどない分、巻き上げられる砂礫がすごい。全身が埃っぽくなる。ざらざらの道には氷が張り付き、滑るのでアイゼンを付ける。アイゼンを履くとガリガリと引っ掛けて歩きにくい。なんとも中途半端なコンディションだ。3000メートルを超えるといよいよ風が強く、柵に張られた鎖を掴まないと進めなくなった。風のやみ間がほとんどないのが気の利かないところだ。先週末は静岡山岳会が富士山に登頂しているが、第1日目は3250mまでと聞いていることもあってもうちょっと進むことにする。3250mの小屋を目前にした最後の100mは1歩1歩がきつかった。まだ昼前だったが、これより上で体を風にさらすことに恐怖すら感じるほどで、続きは明日だ。ここでツエルトを広げることは無謀だと悟り、7合目まで下ることにする。昨シーズン、ビバークした地点だ。下りは何度か風に押し倒され、登山道をずるずる滑った。見慣れた場所に着いたことにほっとする間もなく、必死にツエルトを広げてどうにか柵にツエルトをくくりつける。中に入ってもはためき過ぎるツエルトを抑えなければならず落ち着かない。ようやく靴でも脱ごうかと思ったその時、ビリッと音がしたかと思うとツエルトが真ん中の縫い目から避けてしまった。しばらく使われていない会のツエルト。劣化していたのだろうか。呆然としつつもテープをとりだして張ろうとするが、テープがツエルトにくっつかない。星空ビバークをするか、下山するか迷う。最後は砂礫を浴びながら寝ることに嫌気がさし、下山を決める。根性なし!

下りは登りの何倍も時間を食った気がする。登山道沿いに設置された風防を掴みながら少しずつ下る。7合目の下部にテントを見付けたが、他のパーティのほとんどは6合目までとしたようだ。佐藤小屋から吉田口の方へ下りてしまい、余計な歩きをしてしまった。駐車場に着いたのは18時近く。スバルラインは使えないので車で寝ることにする。敗退の実感が嫌でも沸いてくる。これで良かったのか、何度も思い返す。初めての単独で、初めて下した敗退の決断。後味がなんとも悪い。「勇気ある敗退」なんて、俺には使えない。根性なしに敗退なんて簡単なことだ。自分に負けたのだ。

(記: 坂田)

雨飾山(1,963m)

2005.11.05(土)~11.06(日)

メンバー:(L)清水、飯田、塩足、和内

日本海は鈍色を帯び、空から降り注ぐやわらかな光を群青の波先にきらめかせ凪いでいた。海は静かに秋の終わりを告げていた。

11月5日(土)10:00、飯田さんと私を乗せたタクシーは親不知観光ホテルを発ち日本海を左に眺めながら北陸道をひた走る。

たった数時間前、私たちは冥界のような暗闇の中、栂海新道を黙々と歩き続けていた。山行の終焉に向かっていたのか、光を求めていたのか、そしてこの後に私たちを待ちうけるものは続きなのか、それとも新たな始まりなのか、タクシーの車内に射し込む暖かい陽射しにまどろみながら、軽い疲労と寝不足でさまざな思考が頭の中で混濁していた。タクシーは清水さん、塩足さんと合流する雨飾山荘に向かっていた。

11月4日(金)清水さんをリーダーに飯田さん、塩足さん、和内は23:33発の夜行列車に乗り、上野駅を後にした。翌5日(土)早朝4:45、糸魚川で清水さんと塩足さんが先に下車、後に合流する雨飾山荘に向かい、飯田さんと私は今夏に走破が叶わなかった白馬-親不知縦走の最後を完遂すべく泊駅で下車。タクシーで前回の惜敗の地、坂田峠から栂海新道に入りついに白馬-親不知の道を一本につないだのだった。

タクシーは次第に海から遠ざかっていった。うつつの中で、栂海新道を行く暗がりのモノトーンの世界と雨に湿った枯葉が放つ甘く香ばしい山の香りを思い出す。記憶というにはあまりにも生々しすぎた。

「これは完結したことなんだ。」

意識を過去から引き剥がし、次に視線を向けようと、私は重い瞼を開いた。

山は紅く燃えていた。山肌の炎を鎮めるかのように青天の空から霞がたなびいていた。景色のまぶしさに目を細める。

タクシーは山に深く分け入り一時間ほどで雨飾山荘に到着した。すでに清水さんと塩足さんが私たちを待っていた。

軽い食事と給水を済ませ、4人になった一行は11:25 雨飾山登山開始。

急登のうえ、露出した岩と泥道に苦戦。一歩一歩前進するたびにザックの重さを足と背中で感じる。

時折下山するパーティーとすれ違う。紅葉の見頃を過ぎたとはいえ、日本百名山だけあって人の往来は絶えない。私は相変わらずどん尻になり先を行く清水さん飯田さんとの間に距離がひらいてしまった。私のすぐ後ろには塩足さんが続き、私の怪しい足取りやストックの使い方、身のこなしに細やかなアドバイスをしてくださった。疲労と眠気で目が回る。完全にパーティーのペースを狂わせている自分に「八十里の時と同じだあ……..」と自己嫌悪。

日はどんどん西に傾いていく。急登の稜線が、日陰のガレ場がどこまでもどこまでも続いていく。だらだらとあちこちの々から垂れる無数のトラロープをつかむことすらしんどくなってきた。

「ほら見て」と塩足さんに促され振り返る。西日に映える山の色彩が空に淡く滲みだしていた。力強く発光する真昼のそれとは異なる時間の変化に、山の息遣いが聞こえてきた。私の息の方がもっと上がってたけど。

ぬかるみの道を進み、左手に中の池をみやり笹平に近づいていることに期待を膨らませた、が、行けども行けども笹平に至らない。  「ここで曲がれば…..」「ここを登りきれば!」 と何度も期待し、落胆。

ようやく笹平に到着したのが16:30だった。名前の通り、平地一面を笹薮が覆い、冷たい強風にあおられ葉が擦れ合う不気味な音が一帯に響き渡る。雨飾山頂はもう目と鼻の先だ。

日もとっぷり暮れ、我々は登山道の平らな場所をみつけそこで幕営した。

 

夕食は野菜カレーだ。付け合せはヤマゴボウのたまり漬の汁でほんのり黄色く色づけされたご飯とツナ。

とてもおいしかったが、私が特に目から鱗だったのが余ったゴボウ漬の汁の使い方だった。白米に汁を混ぜて炊くだけでほどよい塩味が加わり、ごはんを立派なメインに昇華させる。

鍋以外の塩足さんの隠し技をみた。

11月6日(日)風向きが昨夜から変わっていた。空を焦がすバラ色の朝焼けに「うわあ・・・」と心が躍り、テントから飛び出さんと腰を浮かした。すると、「ああ、天気が荒れる空だ。」「典型的だな。崩れるぞ。」と、残念そうに空模様について語り合う清水さん、飯田さん。

「あれ、空、見に行かないの?」と。塩足さんに言われ、「い、いいです・・・いいです」 

脳天気にひとりはしゃいで、ちょっと恥ずかしかった。

朝食を済ませ、早々にテントを撤収し、ザックを笹平にデポ。空身で山頂をピストン往復した。

強風吹きすさぶ笹平を6:50に発ち、山頂には7:00に着いた。

360度の大パノラマだった。目の前には北アルプスの雄大な嶺々が雨飾山の前に立ちふさがる壁のように連なる。

「あそこを夏、あなたたち歩いてきたんでしょう?」

眼前にある連峰の上を、人差し指で白馬岳から日本海の方向になぞりながら塩足さんは言った。

「えっ、そうだったんですか?」 本気でボケる私に「そうって・・・自分たち行ったんでしょう?」

ギラつく強烈な日差しにめまいを覚え、飲む水はすぐに汗となり、人の声に聞こえる虫の羽音に何度も惑わされたあの夏の4日間は今も鮮やかに記憶の箱の中にある。今、同じ道を違う角度から平面でトリミングしてみる。記憶が感情を吸い込みどんどん目の前の景色が2次元から3次元に膨らんでいく。飯田さんと共に歩んだ道が途方もない冒険だったことに今更ながら気がついた。

 

寒風はますます強さを増し、四方八方から山頂の私たちをいたぶる。石仏に別れを告げ7:15山頂を後にした。笹平でザックをピックアップし、7:30、雨飾荘に至る小谷温泉側の道を下り始めた。

「雨が降る前になんとか・・・」どんどん雲行きが怪しくなる空を何度も仰ぎ睨みながら落ち葉を踏みしめ、晩秋の雨飾山を下る。途中、冷たい風の中半ズボンで登る単独行の男性や10人強の団体さんらとすれ違う。昨今のブーム「きのこ狩り」をしている人もみかけた。何度もアップダウンを繰り返し、どんどん高度を下げる。途中休憩で飯田さんからブナの実をいただいて食べる。人間が食べるにはかなりのプチサイズだが、油を含んだ胡桃のような味わいは後を引く。

下り切ったのだろうか、平地が続き左側から川の流れる音が聞こえてきた。そこは枯れ草が茂り、湿地帯のように小川が無数に走り、木道を歩きながら、皆、脇に流れる小川の中に目が釘付けになった。

「岩魚だ!でかい!」「山女!」

次から次へと姿を現す魚たち。顔を上げると前方にはキャンプ場施設の建物がみえた。

「ああ、終わりなんだ。」

 

キャンプ場からは舗装道路が続き、脇の草むらにあけびを探しながら村営の温泉まで歩く。

私がみると、木々からぶらさがるものは枯葉やら蔓しかみえないが、清水さん飯田さんは何かを見出す。

常人を越えた眼力だ。生まれて初めて食べるあけびの味はほのかに甘く、種を咬むと渋みが口の中にひろがった。野趣溢れるスイーツだ。

 

眼下に村営の温泉がみえてきた。11:50、村営の温泉着。枯葉降り落ちる中、露天風呂で疲れをいやした。

帰りは雨の中バス停まで歩いたが、雨足が次第に強まり、途中の旅館でタクシーをひろうことにした。

降りそぼる秋雨に打たれながら歩いていると、一陣の風の中に黄色い葉が鎖のように連なり、絡み合いながら空一杯に拡がり舞った。

雨飾る美しい光景だった。

(和内 記)

金城山(1,369m)越後巻機山塊

2005年10月22日(土)

清水清二、他(引率登山)

金城山は標高こそ高くはないが、巻機山から派生した尾根と、その昔上杉家の城山として知られる坂戸山の間に位置し、急な尾根に岩場、鎖場が数箇所あり、頂上岩峰は東側が切り立つっており、地元では昔から八海山と並び信仰の山として親しまれている。登山ルートは4本ほどあるが、交通の便から自家用車で入山して頂上稜線を周回し、5~6時間で同じ登山口に降れる西面の五十沢側のルートが人気は高い、それを反映してか東面のルートは荒れている。時期的には5月の残雪と10月中旬の紅葉と岩峰のマッチングが美しい。

10月22日

八海山麓の実家を6:56のバスで六日町駅前に向かう、天候は昨日の晴天と比し、日本海に寒冷前線が張り完全に降り坂で肌寒い、予想では今日は雨。

8:00千葉県印西市をバスで早朝4:00に出発したチームと合流、五十沢(いかざわ)側登山口に向かう、8:30中川新田(280m)でバスを降り、登山開始する。今回は五十沢側登山口から「水無コース」を登り東面の雲洞庵に至るコースを下降した。

水田地帯から沢道を行くと数台が停まれる駐車場に出る。その上部、登山口の看板を左に入り木の橋を渡り小沢を渡ると、いきなり固定ロープの急登となる、尾根に出てなおも急登が続く、眺望は良くところどころ、ロープが固定されているが足場は悪い、6合目から7合目にかけて鎖の岩場が数箇所出てきて粘土質の足場は滑りやすい、やがて尾根もなだらかになり、頂上の避難小屋に至る。尾根上に出ると越後三山(八海山1,778m、中ノ岳2,085.2m、駒ケ岳2,002m)と、坂戸山638.9m、魚沼平野が一望される頂上近くからは正面に割引岳1,930m 巻機山1,967mが大きく迫り、天候さえ良ければ谷川岳の連峰も望む事が出来る。頂上避難小屋から南西には岩峰と鎖場が続き頂上の標識と碑が祀られている。

避難小屋前の台地以外は休憩できるような安定した場所が得られない為、9合目付近まで降る。

左に「大月コース」を分け、鎖場をいくつか降り、「滝入コース」の分岐を雲洞コースに降る。この頃から霧が雨に変わり本降りとなった。下降路は荒れており、固定ロープの張られた沢筋は所々、道が崩壊した部分もあり滑りやすい草付きも多く不安定。4:00雲洞の集落に到着。

雨は翌日の朝まで降り続き、上越の山は1,200m付近まで、初冠雪となった。

秋の苗場より

苗場山 山行報告

平成17年10月15~16日

前夜発~和田小屋(かぐらゲレンデ)~苗場山~和田小屋

CL 牧田、後藤、志村

(志村記)

10月15日(土)晴れのち土砂降り

18:00 横浜駅集合…ですよね?おーい!おーい! (集合時間になっても誰も来なかったようです。 後藤)

牧田車で出発。

寄せ鍋(闇鍋?)の材料と沢山のパンを買って…

24:00 車好きの警察官に職務質問の末、到着!

(別に職質されるようなことをしてたわけではないんですが、天場を探してうろついている車はちょっと怪しかったのかも知れません。 後藤)

スキー場近くの駐車場にテント設営

10月16日(日)曇り時々晴れ

何時だっけ?後藤君に起される。眠い~。

(6:30です。もっと早く起こせば良かった… 後藤)

朝食の後、移動。

10:20 かぐらみつまたスキー場和田小屋駐車場より出発。

(ルートはスキーゲレンデ沿いになっています。 後藤)

山頂近く、かなり急な斜面。前を歩く後藤君のスローモーションが

印象的。迷惑かけてゴメンナサイ。登っても登っても

遥か彼方に山頂が見えます。キ、キツイ・・・

14:20 登頂!

苗場山の上は、天界のようでした。もしくは、昔読んだ童話の

世界。白い霧の中、一本の木道。点在する沼。広がる湿原。

とにかく幻想的で、ひんやりとした冷気が辺りを包んでいます。

15:00 下山開始。

(実は14:00がタイムリミットと考えていました。この時点でヘッドランプを使用した下山がほぼ確定していましたが、装備面で問題は無いと判断。本来は避けるべきと思いますが。 後藤)

思っていたより、長く感じました。

暗くなって来たので、頑張って歩く。

17:30 終了。辺りは暗くなっていますが、まんまるのお月様の

お蔭で、ヘッドランプ使わず到着出来ました。良かった。

越後湯沢の温泉に入って帰途につく。

牧田さん、運転大変でしたね。お疲れ様でした。

夏の山に一番多い色は「あお」でしょうか。

木々の「あお」、空の「青」。殆ど視界一面が「あお」で彩られる。

これが、1年の内、ほんの一瞬 ほんの一瞬だけ黄色や赤に染め替えられる。

寒色から暖色へ。肌寒い空気の中でほんわか暖かい色に

包まれるなんて、なんて素敵なプレゼントでしょう。

今年はそんな贈り物を頂いた気分です。

秋、いいなぁ。

牧田さん、後藤君、皆様ありがとう。

(根性使用度 ★★☆☆☆)

越後三山(魚沼三山)縦走

日時  : 2005年10月8日(土) ~ 10日(月・祝日) 前夜発

参加者 : CL清水清二 ・ 飯田平八郎 ・ 塩足京子

報告者 : 塩足京子

10月7日(金)

東京駅20:24発の上越新幹線に各自乗車しての集合であるが、連休前の東京駅は大変なごった返し状態であった。切符を買うのにかなりの時間がかかった飯田さんは、心臓バクバクもんのスレスレ乗車になる。携帯Telで連絡を受け迎えに行った清水さんが、発車のメロデイーが流れ危うく閉まるドアに飛び込みの乗車。飯田さんとは会えなかったという。が、間もなく飯田さんからの携帯Telが鳴る。無事、乗車しているとのこと。確保した自由席のシートまで移動してもらう。連休にはやはり指定席を取っておくべきか。反省をしながら、列車は浦佐駅22:10着となる。在来線に乗り換え直ぐに22:16発、小出に向かう。小出駅着22:24。小出駅の待合室には既に、仮眠体勢のグループがいた。外は雨がパラついていたので暖かい待合室内はありがたい。寝込みに入った頃、突然の大声に起こされた。駅員である。ここを出て行けという。0時であった。気持ちの良い眠りを中断され飲み直してしまった結果、翌朝は二日酔いの方がいた。

10月8日(土)(曇りのち晴れのち雨)

5:00迎えに来てくれた予約タクシーの運転手に起こされる。5:30出発、枝折峠着6:00。タクシー代¥7,640。計画書を登山口のポストに入れて6:40発となる。雨の確率の高い天気予報に反して、強い陽射しを浴びながら大汗をかいて登りだす。それでも休めば冷たい風が心地よい。色付き始めた山々に秋を感じながら、ゆっくりペースで行く。9:10小倉山着で小倉尾根と合わさる。1時間も歩いたところで湿原地帯になった。百草の池と呼ばれているところで、池が復元しつつあるとのことである。太陽はいつの間にか姿を隠し、やがて11:20雨が降り出した。雨具を着ようかと言う飯田さんであったが、小屋はもう直ぐであろうし、また清水さんとも離れていた為そのまま10分程歩いたが、随分濡れてしまった。その先で清水さんは傘を差して待っていた。ここで飯田さんと私は雨具を付ける。駒の小屋11:50着。雨はかなり強く降っている。予定はこの先の中ノ岳であるが、本日の行動をここで終わることにした。テント場もあったが今回は、最近立て直したのだろう、2階建ての快適な小屋に泊まることにした。「維持管理協力金@¥2,000」で使わせてもらえる。狭い入口は雨を避ける休憩者の出入りでごった返していた為、先に雪渓からの水場に水を確保しに行く。小屋に戻ると2階に、3人のパーティが入っていた。その後、強い雨の降りに2人3人と上がって来た。その中の1人を見て突然、清水さんが声を上げる。『丸山じゃないか!』飯田さんともびっくりの様子である。かつて鵬翔会員でいらした“丸山隆司さん”であるとのことであった。パラグライダーをなさっていて、今日の雨予報の中、重い機材を背負って来ている。2階の部屋は、1人半畳計算なら30人収容できるが、今日の13人で一杯だ。各パーティの夕飯の仕度のコンロで暖まった上に、管理の良い小屋の毛布に包まり、夜中、納豆状態になってしまった。涼みに出ると雨の勢いは弱まっており、明日朝を期待する。

10月9日(日)(雨のちくもりときどき晴れ)

しかし雨は依然と降り続けていた。丸山さんは天気になるまでここに停滞されるとのこと。駒の小屋6:00出発。駒ケ岳6:20着、視界は全くない。晴れていれば、今から向かう中ノ岳、右に八海山、左に荒沢岳が堂々と聳えているはずだ。ガスの中を黙々と歩く。檜廊下と呼ばれる、大這松の根がからみあう木登り状態の道を抜けると、段々視界が得られるようになった。そこには見事な紅黄葉を纏った山があった。真に美しい紅であり黄である。緑の中にそれらが点在しているところもあれば、

紅黄で占められているところもある。ガスが掃われるたびに感嘆の声を上げながら中ノ岳への登りを行く。中ノ岳非難小屋着10:30、中ノ岳山頂で記念撮影を行い11:30祓川へと下る。祓川着12:00、ここでタップリ水を得られる。水は中ノ岳非難小屋にも、天水用の大きなポリタンクがあった。しかし今回の不安定な天候に、我々は何時何処にテントを張ってもいいように、行動水も含めて一人4リットルの水を持ち運んだ。安全安心登山が一番だろう。余裕のある今回の山行で、トレーニングにもなる。この水場にはテントを張るのに良い場所があったが、後ろ髪を引かれながら先を行く。川を渡って御月山(ウットリする山名だ。是非、いつかここ祓川でお月見をしたい)を越えると、道は左右が切れた稜線歩きとなる。オカメノゾキまでアップダウンを繰り返しながら、ウンザリするほどガンガン下る痩せた尾根が確認される。雨に濡れた道は滑りやすく、慎重に下る。途中で八海山から来たパーティ何組かにあったが、法螺貝を吹きながら登って来る2人組がいた。さすが修験者の山「八海山」である。何回かここに来られているとのことであったが、今日みたいに滑りやすいコンディションの悪い日は無かったとのことである。スリップに気を付けながら16:50荒山の一寸手前の小ピークに、一張テントを張れるスペースを見つけた。ここから先は急登にかかる。五竜岳まで行かねばテントを張るのに適した場所は無い。この痩せ尾根でこれだけのスペースを得られれば上出来だ。「秋の日は釣瓶落し」間もなく日が暮れる。一泊山行の予定であったので、二泊目の今日は食糧、酒はそれなりのものであったが、まあ贅沢は言ってくれるな。美味いものは下山したら鱈腹食える!上弦の月を一瞬見たが、サーっと雲に隠れてしまった。明日の天気を心配する。

10月10日(月)(くもりのち小雨)

早く起きるつもりが、飲みすぎ!?の為チョッと寝過ごしてしまった。今朝もガスで視界が無い。テントを撤収し6:15荒山通過。五竜岳にはもっと掛かると思っていたが7:45着。ここにはテントを張れる広いスペースがある。小休止を取って、いよいよ八海山の一峰に取り付く。入道岳着8:40、この山は清水さんの里では「丸ヶ岳」と言うらしい。山頂にある石にもそう彫ってあった。ここからいよいよ八海山のアトラクション的連続クサリ場が始まる。ホールド、スタンスは豊富にあるが、侮って落っこちれば死に至る。大日岳へはいきなり緊張の登りとなる。9:40通過。その後、幾つものピークをクサリを使って上り下り、或いはトラバースする。不動岳まできたところで、向こうから来た人たちがクサリ場を下ろうとしたところで団子状になっていた。彼らが下るのを待たねばならない。10人以上はいたか。雨模様のこんな日にも登ってくる人が大勢いるのだなと驚

お宿に泊まってクライミング

2005年09月23日(金)~2005年09月24(土)

城ヶ崎ファミリークラックエリア フリークライミング

メンバー:L坂田、後藤、(鈴木正、鈴木知)、国府谷(記)

9月22日 翌日の早出に備えて長津田の鈴木家へ前乗り。立派なリビングで今回の合宿(ツアー)の成功を祈ってささやかな前夜祭の後、川の字。快適!!

9月23日 朝6時に出発。伊豆スカイライン経由で伊豆高原駅の駐車場へ9時過ぎに到着し遊歩道を歩いて10分くらいでファミリークラックのある吊橋下の入り江へ降りる。ここは蜘蛛の巣がいっぱいなので坂田君に落ちている木の枝を渡して一番乗りを譲る。

とっても暑い。おまけに台風が接近している為か湿度も高い。そんなで予想通り誰もいなかった。

まずは、アンクルクラック(5.9)とファザークラック(5.10b)にトップロープを張ってそれぞれトライする。クラックは特に湿っているということもなく問題ない。

帰り際にアンクルクラックを国府谷リード、後藤、坂田がプロテクションをセットした状態でリードする。キャメロットが外れて坂田君がグランドフォールした時はびっくりしたが、怪我はなかったので一安心。

今回はめったに無い民宿泊まりとしたため、徒歩10分の八幡野港近くの大重丸へ向かう。清潔で広いお部屋と美味しい料理とお酒に大満足。是非また来たいものである。

9月24日 もちろんこの日もクライミング。嬉しい。心配された天気のほうは、前夜かなり強く雨が降っていたが朝には止んでいたため、またもや目いっぱいご飯を食べてゆっくり出かける。やっぱキャンプもいいけど布団で寝られる宿はいい。

今日も昨日と同じくファミリーへ行く。壁が乾いているか吊橋から観察すると大丈夫そうであった。

この日はシスタークラック(5.7)とベビークラック(5.8)をトップロープで登る。このぐらいなら皆こなせる。とりあえず一回ずつ登ったところで雨が強くなり片付けて今回は終了とする。

台風が来ている中、一日半遊べたのは上出来でしょう。

個人的にはファザークラックがリード出来なかったのが残念でした。最後の部分が余裕を持って出来る気がしなかった。

近いうちにまた行くでしょう。また、もっと上手くなったらシーサイドも行きたい。

いろいろお世話になった鈴木夫妻に感謝。

以上

南八幡平 葛根田川溯行

日時  : 2005年9月17日(土) ~ 19日(月) 前夜発

参加者 : CL清水清二・塩足京子

報告者 : 塩足京子

9月16日(金)

東京駅20:04発の東北新幹線に乗車、盛岡駅22:27着。今宵は、ここで仮眠を取る。駅裏の駐輪場に出る人通りの少ない出入口のシャッターの外で、シュラフカバーを広げる。高層ビルを眺めながら、屋根のないところでのお休みである。

9月17日(土)(曇りのち晴れ)

いつの間にかシャッターも開き、盛岡駅5:22発の田沢湖線で雫石に移動する。雫石駅5:37着。予約してあったタクシー1台が待機。計画書を提出する為に、交番に寄って滝ノ上温泉に向かう。滝ノ上温泉の駐車場を通過し、県道終点地である葛根田地熱発電所のゲートまで入る。6:10着、タクシー代¥5,860。滝ノ上温泉の駐車場には、掛川さんの車が置いてあるはずだ。

ずっと続く地熱発電所のパイプと噴出する蒸気に驚きながら、橋を渡り葛根田川を左手に見て歩く。堰堤を2つばかり見送り20分程歩いたところで入渓点とする。沢靴に履き替え7:10発。ゆったりした川幅の葛根田川をのんびり歩く。せいぜい膝上までの渡渉に緊張は無い。8:00秋取沢着、10分程休み8:40大ベコ沢(698m地点)着。出合いの、カモノハシの鼻先の様な形の大岩を流れる水のラインに声が出る。ここでも10分程休む。実はこの2ケ月程、私の腰の調子が悪い。こんなに重いザックを背負っていては、治るものも治るものではない。が、行きたい時には行きたい。爆弾を抱えているようなものであるが、爆発しない様に騙し騙し行くだけだ。腰痛がひどくなる前に、休ませてもらう。この先から深い淵が見られるようになる。

一枚岩が釜状に深く掘られ、誠に美しい造形だ。お函と呼ばれるゴルジュ帯は、ゴルジュではあるが人一人が通過するのに問題無い張り出しを持って形成されている。ゴルジュ帯のお釜を覗くのに作られたような天然の通路だ。青い筋を持った岩に魅せられる。9:45ゴルジュ帯の中で左から20m程のナメ滝が入る。大石沢10:05着。掛川夫婦が2日前、ここで幕営したはずだ。今日は3~4人用のテントが一張あった。後に、この持ち主と出会うことになる。ここで40分程ついのんびりしてしまった。流石にそんなにゆっくりしていたら、すっかり寒くなってしまった。晴れているのに、又、大して濡れてもいないのに、真夏とは違う空気の冷たさである。そういえば虫にも悩まされることもない。1ヶ月も経つとこうも変わる。11:15滝の飛沫を浴びながら、沼ノ沢を横切る。11:20中ノ又沢通過。11:35葛根田大滝を確認する。大滝はしっかりした踏跡のある左岸を高巻くが、高巻きの下り口が大滝のやや真上にあたり、重い荷物を持って振られると15mスコンと落っこちることになる。4m程のクライムダウンを、清水さんに荷物を持ってもらって私は空荷で降りる。ここまで来れば、今日の宿泊予定地である滝ノ又沢との出合は目と鼻の先、暫し滝上からの滝壺の景観を堪能する。滝ノ又沢との出合は、絶好の幕営地と聞き及んでいる。岩魚を釣るのも楽しみに先を行くのであったが、釣り下ってくる人影を見て厭な予感がした。3人パーティーの内の1人の網びくを見て驚いた。20匹位の岩魚がそこにあった。先の、大石沢出合にテントを張ったパーティーである。3人でその岩魚どうするの!岩魚づくしの晩餐もやり過ぎじゃないの

滝ノ又沢との出合には13:00前に着。左岸に真平らなグランド状の台地であった。先の大石沢パーティーから、既に1パーティーが入っていると聞いていたので、網びくの岩魚に加え更にブルーな気分でいたが、真平らな、しかも誰もいない幕営地に小躍りしてしまった。数箇所の焚き火の跡がある。3パーティー位あっても何とかプライバシーは保てそうであるが、心の狭い私は独り占めの快感を味わいたい。しかし間もなく男2人のパーティーが入ってきた。我々が焚き火を作って「冷し中華」の遅い昼食を作り始めた頃、この男性2人は釣竿を持ち、それぞれ滝ノ又沢と北ノ又沢に入って行った。「あぁッ!もう岩魚は絶望的!」私の心が叫んだ。それでも暗くなる前、気を取り直しハンゴー炊飯を清水さんにお願いして北ノ又沢に入った。如何にも岩魚がいそうな滝壺が直ぐにあったが、散々掻きまわされたところなど、私如きがヒットできるはずも無い。もう少し上に行く。やがて左から6m程の滝の掛かる沢が落ちている二俣に来た。明日はこの滝沢を登る。釣竿を持った今日の私は、そのまま水量の多い右を行く。傾斜は無くなり釜も無いが、それでも小さな落差のところに竿を入れてみた。来た!‥‥。小さな命を二ついただいた。小さな命に卵も詰まっていた。その夜、清水さんに作っていただいた「ちらし寿司」と「ハーブソーセージのスープ」「岩魚の卵の酒醤油漬け」そして「岩魚の燻製」。これが今年最後かなと思いながら、いつまでも小さな岩魚を焚き火であぶっていた。チビリチビリと飲やりながら燻製が出来るのを楽しんだ、秋の冷え込みを感じる夜であった。!

9月18日(日)(曇りのち雨)

5:30過ぎ、明るくなって起床。空はどんよりしている。朝の焚き火で暖を取る。8:00溯行開始。直ぐに昨日確認した左の滝沢に入る。水量比1:2でこちらの方が少ない。ここを越えると平坦な歩きが続き、間もなく3:2の二俣(934m地点)になる9:00着。ここも水量の少ない右を行く。前回の白神山地の藪コギを反省し、今回はしっかり下調べをしてきた。快適なナメ沢を40分程も歩くと20mの滝にぶつかった。右岸を急斜面の直登で高巻く。続いて10mの滝、右の壁に立て架かってあった木を利用して尾根に上がり、藪コギで難無く突破する。その上の二股を左に入り、その後、右、左からの沢は、水量の多い方を選んで源頭を目指すことにした。やがて水が涸れる辺りで水筒の水を補給。間もなく藪に入ったが、5分位の藪コギで道に出た。1,168m地点である。ドンピシャであった。思わず清水さんと握手を交わす。11:00前であった。

ここまで、私の腰はおとなしかった。藪コギも物足りないくらいで終わってしまった。後3時間も歩けば大深山荘である。しっとりと雨も降り出した。松川温泉に下って極楽気分を味わうのもいい。起伏の無い山道の深い森を抜けると、山上湿原が点々と広がる。魅力的な湿原の花々を愛で、晴れていれば岩手山が見える筈だ。今回の山行の余裕に満足感を覚えた。しかしそれも束の間、歩き出した早々緊張感から解き放たれた私の身体は、我が儘を言い出すように私を困らせ始めた。30分の歩きが1時間に思える。2時間も歩き通したかのような疲れを腰に感じ、私の歩きは1時間が限界であった。地面に額を付け「アッラーの神」