2008年末合宿

日時: 2008年12月27日(土) – 30日(火) *26日前夜発
山域: 八ヶ岳
形式: アイスクライミング&バリエーション:定着
参加者: 国府谷(L)・掛川・芳野・廣岡・松林・志村・土井
行程:
第1日目: 美農戸口駐車場(8:30) – 赤岳鉱泉(9:00) – 裏同心ルンゼ(15:05) – 赤岳鉱泉
第2日目: 赤岳鉱泉(6:10) – 中山尾根取付(8:00) – 赤岳鉱泉(10:40) – 硫黄岳往復- 赤岳鉱泉
第3日目: 赤岳鉱泉(6:05) – 三叉峰ルンゼ取付(8:00) – 石尊稜(10:40) – 石尊峰直下縦走路 - 地蔵尾根 ‐赤岳鉱泉(15:15) – 美農戸口(17:50) – 茅野経由帰京

12月26日

22:00松林車は新宿駅集合(松林・芳野・土井)。志村車22:30出発(志村・国府谷・廣岡)。中央道PAで合流後、小淵沢道の駅でテントを張り、軽く飲んでから仮眠。

12月27日(快晴)

08:00美農戸口駐車場出発。冷え込みがきつい。鵬翔に入って初めての年末合宿だ。初日夜と2日目朝の食当を仰せつかったため、ザックが重い。直前の集会では「質素でいくべき」という声と「定着なのだから、それなりに工夫を」と、意見が割れた。個人的には、山の食事は軽量化するよう努力している。行動食はナッツ類や飴。単独テント泊では「カップ麺のみ」ということもあるし、酒は200ミリリットル程度だ。しかし、今回は美味い飯が評判の赤岳鉱泉の目の前で幕営するのだから、初日からカップ麺では皆に申し訳ない。そんな訳で、豪勢な晩飯を用意したのだが、冬山フル装備+ガソリン+食料は、いざ背負ってみるとかなりの重荷だった。しかも、半透明の袋に入れた食材がザックからはみ出ているらしい。後ろの芳野さんから「夕飯は鶏ダンゴね」と笑われてしまう。いや~恥ずかしい限りだ。北沢と道を分ける直前に阿弥陀が見える。こうして重いザックを担ぎ、重登山靴で雪を踏みしめると、冬山に入る感覚がよみがえり、全身にファイトがみなぎる。背中は汗でビッショリだが、とにかく、雪に覆われた林道を黙々と歩く。

午前11時前、赤岳鉱泉着。柔らかい冬の日差しの下、鉱泉は泊まり客たちで華やいでいた。生ビールのジョッキを手にした御仁もいらっしゃる。が、そんな別世界を尻目に、我々は雪面を整地して幕営だ。テントの中でお茶をいただいて一服。ホッとした。

2008nenmatu1 体調がイマイチだという松林さんが心配だが、国府谷・芳野・廣岡とともに裏同心ルンゼへ。立派なアイスアックスこそ背負っているが、それは見せかけ。実は小生、アイスクライミングが初めてだ。前を行く猛者3人の背中を見据えならが、内心「お前は氷瀑を登れるのか?」と自問自答しながら歩き続ける。意気地ないというか、何と言うか…。2008nenmatu3

さて、肝心の裏同心ルンゼだが、トレースがまったくない。のっけから膝上ラッセルとなる。人気のアイスルートと聞いていたのだが…。先行する3人と比べ鈍重なせいか、所々で腰まで踏み抜いてしまう。それでも、1時間弱でF1に到着。廣岡さんは「傾斜60度ぐらい。優しいよ」と励ましてくれる。国府谷さんリードの後、いざ初体験。緊張の瞬間だ。アックスは氷に快適に突き刺さり、15mF1は、あっけなく終わってしまった。2008nenmatu4 F2は本来なら3段40mらしいが、雪に埋もれて2段しかない。ここも、国府谷さんの登った姿をシッカリと瞼に焼きつけてトライ。薄い氷の下を水が流れているのが見えて、やや緊張したが、 実に楽しく突破できた。無論、後続の廣岡・芳野ペアはサクサクと登ってくる。たいしたもんだ。F2からは、とにかく一人でラッセル。場所によってはズブズブとヘソまで落ちてしまう。2008nenmatu5 F3も問題なし。落ち口に立つと、深い蒼空をバックに大同心が姿を現した。 白と青だけが支配する静寂のルンゼ。「登山者が多いから」という理由で敬遠していた八ヶ岳だが、一人よがりな思いだったことに気づく。

その大同心をバックに、門のような氷瀑が頭上にある。フカフカの雪が詰まったルンゼを、あそこまでラッセルするのに30分?いや下手をしたら40分かかるかも…。追いついてきた国府谷さんと芳野さんで協議した結果、今日は「タイムアップ」。残念だが、既に午後4時近い。「ルンゼ左岸の稜を超えれば大同心稜のはず」という推測の下、廣岡さんとラッセル。しかし、上がってみた支尾根の下降は相当厳しそうなため、裏同心ルンゼを忠実に下降することに。こうして、オレンジ色に染まるルンゼを懸垂2回を交えて下降し、小生の初アイスクライミングは幕を閉じた。「次回は大同心の肩までアイスを楽しみたい」。そうこう考えながら歩を進めるうち、鉱泉に帰着してしまった。2008nenmatu2

「酒、何を飲む?」「ご飯食べてから」などという会話から推測するに、周囲のテントは既に宴会モードに入っている。我々も負けじと、MSRに火を入れた。

12月28日(雪)

04:00雪。午前1時に外に出た時は月明かりが煌々としていたが、起床した4時には雪だった。今日は芳野さんをリーダーに、廣岡さんと共に中山尾根に行く予定。晴れて欲しいと願いつつ、午前6時にテントを出発だ。国府谷・松林・志村の3人は阿弥陀北稜。
中山乗越から、林の中をジグザクに高度を上げて取付を目指す。残念ながら、ヘタレの小生、またしても芳野・廣岡のペースについてゆけない。途中で「KIZI」もあり、5分は遅れただろうか。森林限界を超えた小さな雪稜で追いついたが、天候が悪い。風は激しく、横殴りの雪。稜線は雪雲の中に沈んで全く見えない。取付直下のリッジで、引き返す3人パーティーとすれ違った時から嫌な予感がする。そして、風雪の取付点でセルフビレーを取ったものの、先行しているクライマーが1ピッチ目上部で動かない。「相当悪いよ」「どうしようか」とセカンドと談合中だ。そして、ついにトップが懸垂で降りてきた。「この吹雪の中、上部岩壁を登る自信がない」と。

決断はリーダーの芳野さんに一任したが、結論は「降りましょう」。風と雪が乱舞する中、引き返す。昼過ぎに無人のテント帰着。昨夜の残りのウドンを温めなおし、ようやく身体の震えがおさまったと思ったら、上空のガスが切れはじめた。そして、あれよあれよという間に青空が広がった。このままテントにいるのも癪なので、硫黄岳をピストンすることに。1時間40分で頂上着。空はすっかり晴れわたり、数時間前に敗退した中山尾根取付が深い谷底を隔ててはっきりと見える。「来年こそ登るからな」「それまで待っていてくれよ」。中山尾根に呼びかけて硫黄岳を後にした。
         
12月29日(快晴)

04:00 凍てついた空に数万の星が輝いている。快晴を約束してくれる兆候だ。2時間後、国府谷さんをリーダーに、廣岡さんと一緒に出発。三叉峰ルンゼから石尊稜を登るつもりだ。中山乗越へ向かい、橋を渡って一本目の踏み跡を沢の中へ入ってゆく。途中、二股を左岸にルートを取ると、右側に石尊稜が派生している。石尊稜へのトレースと別れ三叉峰ルンゼをラッセルしてゆくと、6人パーティーに追いつく。彼らは無名峰を目指しているようだ。ルンゼを詰めてゆくと、核心のF1。本来なら垂直の氷柱12mが雪の急斜面まで届いているはずだが、肝心の氷柱がない。今年は発達しなかったらしい。ハングした草付の斜面が威嚇するように立ちはだかっているだけ。これには国府谷さんもお手上げだ。

左の岩のバンドにボロボロの支点とスリングが2本ぶらさがっている。ここは左上できるようだが…いやらしい。外傾しているうえ、もろい岩から水がしたたっている。ルンゼ上部には立派に発達した蒼氷が舌を突き出して、「登りにおいで」と誘ってくれているが、さすがに無理だろう。「今年の三叉峰ルンゼはダメだな。あきらめしょう」とリーダーの国府谷さん。地球温暖化がうらめしい。

三叉峰ルンゼを断念し、この取付から急斜面をトラバースして、雪壁を登ると石尊稜の下部岸壁。国府谷・小生・廣岡の順番で取付に集合し、さあ、気を取り直して石尊稜チャレンジ。

1ピッチ目のスラブはIII級+らしいが、けっこう難しい。「え~、ホールドないよ」と、国府谷さんも苦しんでいる。垂壁を10m直上して、バンドを左に登っていく。2番手は小生。確かにホールドは薄い氷雪に覆われてい手細かいし、草付きが何ともいやらしい。岩角にアイゼンの爪を乗せ、バイルを必死に打ち込む。本当にIII級+か、ここは…。「こわい!」。心底そう思う。でも、この瞬間が楽しい。もう一度「こわい」と呟いてみると、もう先ほどの恐ろしさは感じない。体重のかかっている左足がプルプルと痙攣しかかっているが、右手のホールドを探ると、ちゃんと手がかりがある。ぐい、と身体を伸ばすと、うまくいった。うまく登れると、スカッと気持ちがいい。スラブを降参させたんだと、満足しながら国府谷さんの下に登ってゆく。

2ピッチ目は40mのスラブと草付。1ピッチ目ほど難しくなく、スラブを直上して草付きを登るとリッジに出る。国府谷さんがビレイしている上部でセルフを取る。登攀の緊張から解放されて周囲を見まわすと、展望は素晴らしく、北アルプスの山々が連なっている。

この先は、上部岩壁まで急な灌木帯の草付き。小ピークに出てから雪稜となるが、ロープが岩角に挟まりびくともしない。リードの国府谷さんのコールは聞こえないし、ビレイしている小生の声もリードに届かない。意を決して登ってみると、そんな状態。いかに笛が大切かが分かった。 この後は快適な雪稜が続き、昨日の荒天がウソのようなポカポカ陽気の中を登ってゆく。

広い雪壁を上り詰めると、大岩が遮るように上部岸壁が立ちはだかっている。我々は、敢えて岸壁登攀せず、右側の雪壁を3ピッチトラバース。最後に急な草付をダブルアックスで2ピッチ登って夏道に出て終了。ガッチリ握手した後は、地蔵尾根を飛ぶように降り、皆の待つ赤岳鉱泉のテン場へ。小生と廣岡さんは、今日中に下山しないといけないため、荷物をまとめて美濃戸へと出発する。バスの最終便には間に合わなかったが、八ヶ岳山荘で汗を流してサッパリとした。価値ある合宿だった。皆さん、ありがとう。

(記: 土井)

阿弥陀岳南稜山行報告

日時: 2009年3月28日(土)
山域: 阿弥陀岳南稜(八ヶ岳)
参加者: 久世(L)・松林
行程: 舟山十字路(6:00) – 旧旭小屋(6:35) – 立場山(9:00) – 無名峰 – 阿弥陀岳山頂(13:30/14:00) – 舟山十字路(17:00)

晴れ後快晴

Amida1 02:00舟山十字路まで路面に積雪は無く、ゲート手前に凍結した雪が残っている程度だった。
駐車中の車は2台のみと意外に少ない。ゲート前の道路わき駐車スペースはそこそこの広さがあり、詰めれば20台以上止めれそうだ。車の中で仮眠。

日曜の天気が荒れそうなので、ビバークの準備はするのものの軽量で日帰りする事にし
06:00出発。ゲート手前50mの分岐を右折し立場川沿いの林道を進む。雪は少なくトレースはしかっりしている。30分ほどで立場川を渡ると南斜面に傾いた旧旭小屋に着く。小屋の左側から稜線に向かった登りに入る。

Amida2 さすがに久世さんのピッチは早い。脚の長さも違うのにピッチも早いと私との差は開くばかり。私のほうは荷物もはるかに軽いのだが。

立場山中腹で2名の下山者に会う。聞けば立場山頂付近で幕営し登頂を試みたがP1上は凍結したうえ昨晩新雪30㎝ほど降り、危ないので断念したとのこと。とりあえずいけるところまで行ってみることにした。

このあたりから少しづつ新雪が増えてきた。所々新雪の下が凍りの層になっている。日中溶けた雪が流れながら凍結したようだが薄い新雪で見当がつかない。まるでワナを仕掛けているようだ。私だけ見事にこける。

Amida4 アイゼンを付けバテバテ気味で立場山着9:00。青ヤギ手前で後発2名に抜かれる。抜かれることの嫌いな久世さんには申し訳ない気分。

無名峰を過ぎるとパノラマが東西に広がるハイライト部分に入る。P1、P2間は景色もよく手ごろな幕営地点が多い。幕営し写真を撮っている登山者が1名いた。
核心P3でロープを出し久世さんのリードで左側ルンゼに入る。コースとしては難しくはないがバテた身だと脚に力が入らない、ピッケルの打ち込みも弱くなってしまう。立ちこみにも腰くだけになる。足元を固めながらゆっくりゆっくり登ることになり、ますます時間が掛かるようになってしまった。Amida6

P5基部 でロープを解きバンドをトラバースする。残った体力を搾り出してはい上がるようにAmida7 14:00阿弥陀岳山頂に倒れこんだ。
絶景である。何度も八ヶ岳には来たが今日が最高。気分爽快、疲労困憊。
快晴で風も弱い。登頂証拠に犬のようにあちこちにマーキングをしながら結局山頂でぶらぶらと30分ほど過ごす。

帰りはだらだらと長い御小屋尾根を疲れた体に鞭打ちただひたすら下る。17:00やっとゲート着。
春山とはいえ雪山の11時間山行は久しぶりだった。イヤー疲れました。
登山は体力が優先することを痛感した山行でした。
久世さんありがとうございました。         

(記: 松林)

タカマタギ山行報告

日程: 2008年2月14日(土) – 15日(日) 前夜発
山域: タカマタギ(上越)
参加者: 久世(L)・飯田・平井・松林

今年の雪不足を象徴する山行だった。

2月13日

夜 新宿にて、久世・飯田・松林集合。
松林さんの車にて、一路土樽駅を目指す。水上の辺りに来ても、ほとんど雪がなく、越後に入ってようやく雪が見えるが、量が驚くほど少ない。チェーンを着けないまま、土樽駅に到着。
駅の待合所にて仮眠。誰もいなく、我々のみにて、とても快適であった。
ただ小雨が止まないのが、嫌な感じである。

2月14日

朝、平井さんと土樽駅にて合流。
雲が厚くなったり、薄くなったりを繰り返しながらの天候で、小雨の中、出発。
平標新道との分岐まで、夏道にて行くが、雪がとても少ない。分岐点に立つ標識が、雪に埋もれずに、夏のまま、はっきりと分かる。薄っすらと踏み跡が残る林道を、わずかに進むと赤布が見え、尾根の取り付き口に着く。
尾根に取り付くが、雪が少なく、藪に僅かにのっているので、シュルンドの様になって、
足がよく雪下に、突き抜けて往生する。完全に土が露出している処もあり、5月の様である。3時間弱登ると、タカマタギの主稜線に出た、更に少し登った先にテントを張る。
本来、今回の山行の目的は、雪洞・埋没脱出訓練であったが、これほどの雪不足では、雪洞はおろか埋没訓練もままならない。2月の豪雪地帯のど真ん中にいるはずであるが・・・。
昼過ぎに、テントを出発。一時間弱で棒立山に着くが、視界が10m程度で何も見えない、
地図とコンパスを使い、タカマタギ山頂へのルートを探しながら進む。所々、雪庇気味の(雪庇というほどではないが)場所があり、気が抜けない。しかしあっさり頂上に到着。
木に標識がなければ、気づかなかったかもしれないが。しかし見えるのは、仲間だけであり、壮大な景色はカケラも見えず、頂上に登った結果だけが残った。
夜はいつもの様に?松林さん差し入れによる豪華な鍋で堪能する。就寝前に外に出ると、
月が出てきていた。

2月15日(日)

朝、ドピーカン。天が私の日頃の行いを、よく見ているとしか言いようがない。
テントを撤収し、山を下る。林道まで少しのところで、10人程度の軽装で、登ってくる人達と出会う。彼らは晴天の中、すばらしい景色を見る事が出来るだろう。
暑いくらいの中、土樽駅到着。湯沢ICへ向かう途中にある「岩の湯」に立ち寄り、汗を
流し山行を終える。
(岩の湯は朝早くからOPENしているし、なかなか良い場所です)

今回は、やりたかった事の殆どが叶いませんでしたが、タカマタギはお手軽な割には、
とても良い山だと思います。

(記: 久世)

大同心大滝

日時: 2009年2月22日(日) 前夜発
山域: 大同心大滝(八ヶ岳)
形態: アイスクライミング
参加者: 国府谷(L)・広岡・土井

Daidosin_4s  今シーズン3回目のアイスは日曜日に夜行日帰りで八ヶ岳へ。
土曜日22時すぎに美濃戸口の駐車場に着いてそのまま車中泊。
エスティマに3人寝るのは結構シンドかった。
翌朝は頑張って4時起床5時出発。途中美濃戸までに何台かのクルマに抜かされながら7時すぎには赤岳鉱泉に到着。
支度をしたらいざ大同心大滝へ。
大同心ルンゼはトレースがばっちりで先行Pがいる様子だが、やっぱり5人パーティの一人が左のラインをリード登攀中。
ホントは、一番易しそうな左側のラインを登りたかったん
だけどな。
仕方無いので一言断ってから右のラインを登ることにした。
ビレイ点は大滝のナメが始まるところの右側にすこし陰になっているところ。真ん中は危なくて居られない。
初めのナメを登って大滝の垂直部下部でまず1本スクリューを入れる。
Daidosin_1s見上げると、おもいっきり立ってる!!
おいおい、大丈夫か? おまけに少々ツララ状だし。
最初は1mも登らないうちにヤバくなりクライムダウン。
と思ったら、リーシュから手首がスッポ抜けて訳が判らず
テンション。膝打った。(1週間経った今でもまだ痛い)
もうこの時点で小同心は無くなった
もうこれは、格好は考えずとにかく抜けなくては、と思い直して
バイルにテンションをバリバリに掛けて登る。
しかーし、3本目のプロテクションを取ったところでギブアップ。
この間、どれくらい時間が経ったのか…。
2m位しか上がってないじゃん。
下には順番待ちのクライマーが10人くらい増えてる。
仕方ないので、右岸から高巻いてトップロープの設置をすることにした。Daidosin_2s
このまま終わったら一緒に来てくれたDさん、Hさんに申し訳ない。
でもこれも思ったより悪かった。一応ロープをだした。
まだ他のパーティも登っているので空いている部分をぬって左のライン
と右のラインを順番に1回づつ登って終了。
午後になって陽があたるようになり、気温が上がったのか、水が滴っていて、
Daidosin_3sサングラスに水滴が付いて見辛かった。
Dさんはサングラスを投げ捨ててた。
少しだけ、左のラインのほうが登り易いようだが、傾斜の違いよりも氷結状態の違いのようにも感じた。
急いで撤収して、美濃戸口の駐車場に戻ったときは5時になっていた。
その後はいつものコース!?で帰宅。
ガーン…大同心大滝ってこんなに難しいんだ。
いままで登ったIV+の滝と全然ちがった。
センスなさ過ぎだな。また来シーズンはイチからやり直しだよ。

(記: 国府谷)

尾白川刃渡り沢

日時: 2009年2月1日(日) 前夜発
山域: 尾白川刃渡り沢(南アルプス)
形態: アイスクライミング
参加者: 国府谷(L)・広岡・土井

Hawatari_1s 1月31日(土)の天候が悪く、当初の駒津沢から日帰り可能な刃渡り沢に計画を変更した。中央道韮崎インター下りて20分ほどにある道の駅の駐車場にテントを張り仮眠。夜中、風が強くテントを打ち時々目を覚ます。2月1日午前6時過ぎに出発。林道の、車で行けるところまで行きそこから歩きで約1時間少し、途中右手に見えるガンガノ沢、岩間(ガンマ)ルンゼの氷結状態を確認しながら林道の終点へ。突き当たり左にある尾白川への急な下降路を下る。

尾白川はこの季節にしては水量が多く、渡渉にやや難儀した。渡渉点から登り返して10分ほどナメやトレースのある雪道を行くと約15メートルの滝に突き当たる。ここは足慣らしをかねてゆっくり登る。ヤスリでギンギンに研いだバイルの刃先を狙い定めた氷に打ち込む。一発でビシッと決まる。次にアイゼンの前爪を蹴りこんでぐっと体を持ち上げる。とても快適だ。これがアイスクライミングの喜びだ。

Hawatari_2s そこを抜けてしばらくのところに長さ約60mの氷瀑が現われる。大きな緩やかな滝で中段ぐらいまで気を使うことなく登れる。滝の出口までの最後の5mが垂直に近い傾斜だがそれほどの難しさはない。国府谷さんのリードで難なく上がる。

Hawatari_3sそこから左上して20分ほどで「双翼の滝」に行き当たる。登攀ルートである左側の滝の状態を見るが融け出していて上部はシャワー状態だ。下部の氷の状態もあまりよくない。バイルを打ち込むと氷柱が壊れてしまいそうだ。この先もあるのでここはやむなく右岸を高巻くことにした。

少し行くと最後の大滝が現われる。しかし、ぐるっと見渡しても氷はどこも薄く、ルートである左側の滝は細く頼りない。見ると途中氷がなく岩が出ている。ここまで上がってきて残念だがちょっと登れる状態ではない。仕方がないので下部の緩傾斜エリアでバイルの打ち込みやクライムダウン、トラバースの練習を30分ほどして撤収した。

Hawatari_4s 下降途中にある60メートルの滝で今度は私のリードで2回目のクライミングをして、この日は終了とした。
帰りの林道からは甲斐駒ヶ岳がよく見え、稜線に雪煙が舞っていた。上空は相当風が吹いているのだろう。途中、珍しいものを見た。道端にカモシカの足の一部と思われるものが落ちていた。熊にでも襲われたのだろうか。

帰りは土井さんおススメの老舗の饅頭をみやげに買い、それから温泉にのんびりつかって新宿に戻ったのは午後10時すぎだった。

(記: 広岡)

甲武信ヶ岳 -冬のはじまり-

日時: 2008年11月29日(土) – 30日(日)
山域: 甲武信ヶ岳(奥秩父)
形式: 登山(小屋泊)
参加者: 志村(L)・他
行程:
第1日目: 駐車場(8:30) – 徳チャン新道登山口(9:00) – 甲武信小屋(15:05)
第2日目: 山頂へ往復(7:10/7:50) – 下山開始(8:00) – 登山口(11:00) – 駐車場(11:30)

1 久~しぶりの山小屋泊まり(2食付7500円)である。
小屋に予約の電話をかけると、「雪あるよ。5センチ位」と言われた。「アイゼン要りますか?」
「軽アイゼン位はあった方がいいんじゃない」との事。インターネットでこの時期の甲武信ヶ岳の記録を読むと、紅葉が見られたりしている。
最後の秋山かな。と思っていた。
天気は曇り。東京は晴れているのに、西沢渓谷に近づくにしたがって厚い雲が垂れ込めている。日差しがないから日焼けの心配は要らないし、涼しくて登るのには丁度いい。
落ち葉の上をカサカサ歩く。遠くの峰峯は白く雪に覆われていた。2_2
ふぅふぅ言いながら、登る。
段々雪が増え雲に近づき、完全なるグレーな雪山になっていた。
「ここどこ?」「今、まだ11月だよね…」「雪山じゃん!」「話が違う~」「あれ~おかしいね~こんなハズでは…」と凍えながら話す。2組の登山者と数人の下山者に会う。
雪が深く傾斜がきつくなった頃、やむなくアイゼンを取り出した。
視界は明るいけれど、周りの景色は真っ白で何も見えない。樹林帯の中を延々と歩く。いつ終わるともしれない樹林帯をひたすら登るのがかなりしんどい。いや、平坦であってもしんどい。
結局、樹林帯のまま小屋まで着いてしまった。
多い所で40センチ位の積雪だった。木々は凍りつき、樹氷のようになっている。雪の中の山小屋がとても良い感じだ。
私たちが3組目位だったろうか。薪ストーブの前に陣取り、陽気な小屋のご主人の徳さんと共に宴会モードに入る。次々に登山者が到着するので徳さんの代わりに登山者の方々が入れ替わり立ち代りストーブを囲み、しばし山談議。小屋泊りもいいものだなー。と思う。面倒くさがりなので、何もしないのは楽チンである。飲んで喋るだけだ。徳さんに「5年に1度位、こんな大雪が降るんだよ。ラッキーだったねー」と言われる。この週、東京では大雨だったがこっちは雪が降ったらしい。ラッキーだったの??
翌日が小屋仕舞い。秘蔵(?)の梅酒をたんと振舞われた。これはラッキー!!!
寒そうに思われた夜も暖かく、しかし、人が多すぎて眠れない…。
3_2 次の日は完璧な快晴!!空身で甲武信ヶ岳に往復。濃いブルーの空に緑の木々が白い雪に覆われて見事な色彩で楽しませてくれる。クリスマスツリーにしたいなぁ~
木々がなくなると、強風が吹きつけて凍えそうになるのだけど、景色が抜群だった。眺望あるじゃない!真っ白な富士山までが一望出来る。4「うわぁ~!」「おぉ!綺麗!!」とか嬉しくてはしゃいでしまう。しかし寒過ぎて長居はできない。携帯で写真を撮ろうと思っていたが、寒さで電源が入らない…。暖めたが、バッテリーがなくなってしまった。
小屋に戻り、徳さんに御礼をして下山。
長い…。いつも思うけど、よくこんな行程をへたれな私が登れたなー。と思う。最後は暑いとか足が痛いとかぶーぶー言いながら、下りた。
「笛吹きの湯(500円)」で温まって、干し柿を買って帰京。
小屋泊りもいいものですね。また来たいな。次は沢登がいい!来夏、どなたか行きませんか?

(記: 志村)

八海山

日時: 2008年11月1日(土) ~ 2日(日)
山域: 八海山(上越)
参加者: 塩足(L)・坂田・和内
行程:
第1日目: ロープウエイ山頂駅 – 八海山避難小屋 – 八ッ峰の岩場を空荷で大日岳まで – 八海山避難小屋泊
第2日目: 八海山避難小屋 – 五竜岳 – 阿寺山 – 山口へ下山を変更し – 八海山避難小屋 – (迂回路) – 新開道分岐点 – 八海山避難小屋 – ロープウエイ山頂駅

  「行かなきゃ」

  山行の参加案内にあった「八海山」の文字が目に入った瞬間、心は寸分の迷いもなく定まり、山行立案者の塩足さんに参加希望のメールをすぐに返信した。

「清水さんに会える・・・」

11月1日、7:00東京発 Maxとき303号の車内で塩足さん、そして坂田さんと合流した。私にとって数年ぶりの会の山行であった。
空は北に向かうにつれ陰鬱な重々しい色を帯び、越後湯沢では、細く柔らかな松葉のような秋雨が静かに山肌を濡らしていた。在来線に乗り換えゆるゆると六日町に近づく。雨足は次第に弱まり雲が切れ始め、そこから薄日が差してきた。

「登り始める頃にはやみそうだね」

8:43六日町到着。駅前の商店で塩足さんが日本酒の八海山とビールを購入する。日本酒(瓶ごと)、ビール、鍋、食材など重量のあるものは坂田さんが全て荷上げを引き受けてくれた。坂田さんのザックをこっそり背負ってみたが背に載せるのが精一杯、よろめきながら2~3歩歩いてみる。
「これ背負ってじゃあ登れないわあ」
「大丈夫です。ハイキングですから・・・」
と淡々と語る坂田さん。頼もしい。

9:25、六日町駅前発の八海山ロープウェイ駅行きバスに乗り込む。そこでこのバスが清水さんの実家近くを通ることを知った。

「それじゃあ、今走っているこの道路は、清水さんがいつも通っていた道ですか?」

「オレッちの家は長い坂の上にあるから、町に出るときは自転車こがずに楽して行けるんだけど、帰りが大変なんだよなあ」

と、生前、清水さんは実家の様子を語っていた。バスは八海山の麓に続く緩やかで長い長い坂を登る。息を切らしながらえっちら自転車を手で押して歩く清水さんがいそうな気がして、その後ろ姿を求め、目は路の上をさまよった。

10:10、八海山ロープウェイ着。ロープウェイ乗り場で阿寺山の登山道崩壊情報を耳にした。2日目は阿寺山経由で下山を予定していたが、この時点で計画変更をせざるを得なかった。直前まで降っていた雨のせいか、登山客は我々を含め2~3組だった。
雨をたっぷり吸い込み柔らかなクッションのように膨らんだ落ち葉を踏みしめ山道を歩く。時折雨が激しく降り出し、レインウェアを出したりしまったり一定しない天気に翻弄される。

11:20、女人堂到着。八海山が女人禁制の時代、女性はここで遥拝して下山したという。10月30日の初冠雪の雪がわずかに小屋脇に残っていた。

11:45、霊峰の結界を越える緊張感もなく、女人堂を後にした。途中、祓川を渡り、急登が続く。足元の岩々の間にはチョロチョロ水が流れ、沢のなめのようであった。そして延々と続く鎖場が始まった。

鎖は水に洗われてキンキンに冷やされていた。握るうちに、溶け出した鉄錆が手の平の皮膚に深く染み込んでいく。急登とトラバースが連続する急峻な岩肌を大蛇が這うように鎖がいたるところに張り巡らされていた。

8合目の薬師岳を経て12:40八海山避難小屋到着。

小屋の壁に「阿寺山→途中の沢が水害で登山道通行止め」の注意書が貼り出されていた。7月27日、八海山を襲った集中豪雨は極めて局地的なもので、阿寺山の下部の沢は大きく崩れた。地元の人たちは補修工事が行われた上部の崩壊のことも含め「こんなことは初めてだ」と衝撃を受けた。「地盤がしっかりしている山」と信じていた八海山が「壊れてきている」ことを認識させた災害であった。

小屋にザックを残し、13:00、ほぼ空荷で八ツ峰に向かう。恐竜の背中を彷彿とさせる険しい岩峰に息を呑んだ。
「鎖だけでこれを乗り越えられるのかなあ?」
両脇が見事にキレ落ちた細い峰のアップダウンを繰り返す。究極のスリルを楽しみつつ1700mの頂の上で終わることのない鎖場に「最後までいけるかなあ」と不安が胸に広がってきた。冷え切った鎖を握りしめる手は寒さで赤らみ指がむくんできた。
途中、大事をとって坂田さんにバックアップをとってもらいながら、なんとか大日岳の頂を踏み、14:50入道岳側に降りた。鎖が垂れているとはいえ「この傾斜でこのボリューム、この高度感を『鎖場』と呼んでいいのだろうか?」すっかりなまった体で無事八ツ峰を越えられたことに深く深く安堵する。

15:00八海山避難小屋に向かって山頂迂回路を進んだ。迂回路といっても侮れない。鎖場とはしごがしつこく続いた。

避難小屋についたのは15:50。部屋は我々パーティーで貸切りだった。気温はどんどん下がっていく。鍋やコンロを出して夕食の支度にとりかかる。

塩足さんが一個のグラスをザックから取り出した。底厚のウィスキーグラスで、底の中央には小さな富士山の影が浮かんでいる。グラスに八海山がなみなみと注がれた。グラス横には一本のろうそくが、倒れないようにカラビナで床に固定され、火が灯された。ろうそくの炎がグラスの中の八海山を明るく照らす。命が宿ったように八海山は神聖な光彩を放っていた。清水さんが愛した富士山、そして八海山・・・それぞれお茶とお酒が入ったマグカップをグラスのふちに軽く当てる。
「じゃあ、清水さん!」
ガラスとチタンが触れ合い「コン」という軽い返事が返ってくる。
まるで蛍のように暗闇の中でまぶしく発光するグラスを3人は無言でみつめた。
心からこみ上げてくるありったけの惜別と悲しみを堪えた。心の中で光に向かって何度も何度も呼びかける。
 「清水さん!清水さん!」

名古屋風味噌おでんとうどん、地鶏を肴に八海山を飲みながら清水さんの思い出を語り夜は静かに更けていった。

その夜、シュラフマットを持っていかなかったために、寒さで私はなかなか眠りにつけなかった。何度も寝返りをうち時折とろとろまどろむ。

夢をみた・・・。

私は実家にいた。夜、戸外で何かが発光したのか、窓ガラスにぼんやり白い明かりが映った。
確かめようと裏庭にでる。隣家との間にわずかに見える夜空を見上げると、無数のまばゆい閃光がまるで花火のように空に広がった。お祭りか、戦争か・・・。閃光が何を意味するのかわかるすべもなく、夢の中で私は途方にくれた。
 
11月2日5:00、塩足さんの声で長い夜が明けた。
「ねえ、夜、誰かヘッドライトつけた?」
「誰もつけてませんよ・・・」
「夜、坂田さんの側の窓ガラスに光が映ったのがみえたのよね。」
寝不足のあまり聞き流しそうになっていた私は、瞬間目が覚めた。
「あの・・・私も夢で同じ光景をみました。」

朝食を済ませ、6:30避難小屋を発った。計画を変更し、下山路は新開道を行くことにした。
途中通過した月の池には厚さ1cmの氷がはっていた。
岩や山肌から染みだした水が凍てつき、滑りやすい足元に注意を払いながらトラバースと鎖場を繰り返す。道の状態と、今までかかってきたペースを考え、避難小屋に戻り登ってきたルートで下山したほうがいいと塩足さんは判断、来た道を一行は引き返した。

8:10に八海山避難小屋に到着し、女人堂に着いたときは9:10だった。昨日と打って変わり好天に恵まれた登山日和で途中大勢の登山者とすれ違う。7月27日の荒天で多くの登山道が荒廃しボランティアたちによって修復されたことを女人堂で出会ったおじさんから知った。通過する遥拝所でところどころみかけた割れた石碑などから、被害の大きさが想像できる。

ロープウェイ手前で立ち止まり八海山を振り返る。八ツ峰越えを思い出しながら
「谷川の南稜より厳しかったかも・・・」
と、意外な感想が坂田さんの口から漏れた。

10:10ロープウェイ到着、清水さんが氏子であった八海神社に向かった。建て直したばかりなのか、新木の若々しい香りが漂う神殿の壁には清水さんの名前の札が掲げられていた。
神社近くでおいしいお蕎麦を食し、食堂内の壁に清水さんが撮影したエベレスト登山の写真をみつけた。

徒歩で山口のバス停まで行く。バス停前の酒屋さんでお店のおばあちゃんから柿をいただき
清水さんの思い出話をする。道路をはさんですぐ向かい側には住む人のいない清水さんの実家があった。
バスを待つ間、清水さんの家の周囲を歩いてみた。一回りして玄関前に戻り、赤い郵便受けの表札部分をみると清水さんの名前があった。
バスの時間が迫る。
背を向けられなかった。
そのまま玄関をみながら後ずさりするように、バス停に続く道路に向かって後ろ向きのまま歩く。清水さんが生まれ育った家は私の視野からゆっくり遠ざかっていった。

「ありがとうございます」

ひとりつぶやいた。

(記: 和内)

南アルプス・黒戸尾根

日程: 2008年11月2日(日) – 3日(月)
参加者: Y(L)・他1名
行程: 本文参照

最近の体力不足は目に余る。高度差2200mを往復する甲斐駒はトレーニングに最適だ。山は、一に体力・二に体力。ひたすら登る事にした。竹宇駒ケ岳神社を6時50分に出発。紅葉はイマイチだが黄葉と針葉樹の緑が彩る中を、落ち葉を踏みしめる音と共に歩く。七丈小屋からは雪が足首まであってかなり寒い。12時15分、8合目にて泊まることにし、1人で頂上へピストンする。頂上からは、富士山 – 雪の付いた北岳バットレス – 真っ白帽子の乗鞍岳 – 槍ヶ岳を中心に白い帯の北アルプス、の大パノラマだった。寒々とした景色に冬の到来を感じさせた。

翌日、回復した彼と頂上を1時間あまりでピストンし、8時半に出発。11時15分には竹宇駒ケ岳神社に戻ってきた。荷物が軽いと日帰りもできるのか・・今度やってみよう。

(記録: Y)

屏風岩・雲稜ルート

日程: 2008年10月12日(日) – 13日(月)
参加者: Y(L)・他1名
行程:
第1日目: 沢渡駐車場(6:45) – 上高地(7:10) – 横尾(9:20) – T4尾根取り付き(10:40/11:00)- T4(12:30/13:00) – 扇岩テラス(15:00)泊
第2日目: 出発(6:45) – 終了(10:20/10:50) – 屏風の頭(12:00) – 上高地(14:50)

10月12日

駐車場はかなりの混雑で、パラパラとしか空きが無い。3連休初日の昨日は、さぞかしごった返していたのだろう。

人を抜き抜き上高地から横尾へ。横尾から10分、河原の土手を超え渡渉し対岸へ渡るのだが、石飛びしていたら、滑ってドボン・・・なんて情けない!

T4尾根の2Pを経てT4に着くと、東稜ルートはテラスごとに人が溜まり、東壁ルンゼも詰まっているのが見える。この時期アルパインルートにこれほどの人がいると思うと、嬉しくなってくる。でもなぜか雲稜にはいないので、自分たちのペースで登れそうで安心した。矛盾しているが、正直な気持ちだから仕方が無い。さて1P目、小ハングの乗越しに手間取り、技術の低下を思い知らされる。人巾ほどの小ピナクルでは、挟まれたまま動けなくなって、笑いながら難儀する。フェースから逆くの字で扇岩テラスへ上がって本日は終了。

ツエルト内を整え温かい紅茶で寛ぎながら、ラジオから流れる渋滞情報に、明日が思いやられる。17時頃まで懸垂の声が響いていた。彼らは登れたのだろうか。

10月13日

さほど寒くなく朝を迎えられた。かなりいい天気なので、緊張もあるが穏やかにスタートする。古くて切れそうな残置シュリンゲにお祈りしながら1Pのアブミを終え、頭を抑えられる右トラバースでパックリ切れているところにかなりビビり、右方向の壁側テラスにて小休止。暑くなってきたので防寒着を脱ぐ。水がおいしい。濡れたフェースを2P(イヤらしかった)、泥のルンゼからボロボロのIII級で終了の大テラス。「お疲れ様」と握手を交わすと、笑みがこぼれる瞬間だ。

屏風の頭から見える涸沢の広がりの中に、紅葉があざやかだ。人がいたのでしばし談笑すると、「昨夜の涸沢はテント500張り」「小屋では1畳に4人だったらしい」話し半分に聞いても・・とにかく凄い人だったのは間違いないようだ。

また人を抜き抜き上高地に着くと、バス待ちの長蛇の列。でも1時間あまりで乗れたのでヨシとするか。汗を流してお腹も満たして、帰路に着く。

(記録: Y)

白馬鑓ヶ岳・山スキー

日程: 2008年5月17日(土) – 18日(日)
参加者: Y(L)・G・他1名
行程: 本文参照

5月17日

山スキーをする人がいない、と思っていたら、Gさんがボードで参加したいとの事。仲間がいるのは嬉しいことです。楽しい滑りをしましょう、とメールを返す。

10時には小日向のコル(1824m)にベースを張り終え、本日は長走沢滑降と決め双子尾根を歩き出す。ひどい藪こぎが続き、やっとの思いで樺平の上部(2140m)に到着(11:35)。「そーれ」と勢い良く広い樺平に滑り出すと、ようやく気分も乗ってきた。そのまま長走沢に滑り込む。雲が流れる青い空に、誰もいない斜面。本日の一番乗りに「きゃっほー」と上機嫌になっていく。せっかく汗して登ったのに、あっという間に滑り降りてしまうのはもったいないので休み休み滑るが(本当は重い雪のため、おばさんは腿がもたない!)、それでも気持ち良さは変わらない。ビールを持ってくれば良かった。

猿倉台地(1600m)が近づき終了。あ – あ。ベースまで登り返してのんびりと過ごす。少し酔っていい気分になった時、前の会のかけ声が響く。顔を出して話していたら、明日も2人滑りに来るとのこと。この時期、狙い所はみんな同じ。仲間が多いのはうらやましいなぁ。

5月18日

6時過ぎに出発。1600mまで滑り降りた後、登りが始まる。ひたすら登る。ジグザグで歩くシール登行は、距離を長く歩くがなかなか高度が稼げない。でも、ボードのためつぼ足で直登するGさんもかなりしんどそう。早く滑りたいが、登った分しか滑れない。楽しみを生む、生みの苦しみ?それが山スキーの辛いところ。結局は山登りなのだ。

11時前、2774mの稜線に到着。広がる白い山並みにため息が出る。満喫したら滑りましょう。トレースのない斜面に「下が見えない」と言いつつまず私が飛び出し、続いてGさん・Y氏が続く。下を登っていたボーダー君がGさんの滑りを見て「ヒューヒュー」谷に響く。斜度が落ちたのでいい気になってどんどん滑り続ける。各自が思い思いのシュプールを描けるくらいどこを滑ってもいい広い斜面、青い空。いいねぇ、いいねぇ。誰の跡も無い右斜面を快調に滑っていくと、シュルンドの段々畑に入り込み、避けきれずに転倒。それを教えると、Gさんは勢いよくジャンプして抜けた。かっこ良過ぎるぞ。オイ。1600mまでの大滑降は、かなり魅力的だった。

コルからは、テントなどの荷物の重さに苦行の様な滑りだったが、そんな事もチャラされる斜面。う – ん。もっと滑りたい。

(記録: Y)