日程: 2011年12月24日(土) – 25日(日)
山域: 那須岳(北関東)
参加者: 松林・中村
第1日目:
溝の口(6:00)発 – 大丸温泉駐車場(9:30) – 避難小屋(11:30) – 茶臼岳(12:00) – 朝日岳(14:30) – 清水平(15:30)
第2日目:
清水平(7:30) – 中の大倉尾根(9:30)-北温泉(12:30) – 大丸温泉駐車場(13:30)
今回は、困難なところがない楽しい冬山山行で、テントで鍋を囲んだ忘年会をやろうという趣旨だった。
24日早朝に松林さんに溝の口駅近くでピックアップしてもらったが、西高東低の冬型天気図だったので東京は快晴で、那須岳も問題ないだろうと、気楽な気持ちで出発した。
大丸温泉からみると那須岳中腹以上は雪雲に覆われており、予想がはずれたが、登っているうちに雲が消えていき、避難小屋に着く頃は快晴で、風も弱く、予想通りの楽しい山行となった(雪が少なかったのは残念だったが)。
登山者には5-6パーテイに会ったが、ほとんど皆茶臼岳往復、一部朝日岳往復もいた。
茶臼岳を往復後朝日岳に向かう。避難小屋からすぐの剣が峰の右側斜面のトラバースは、傾斜が少しきつく少々厭らしかったが、難なく通過。朝日岳の上りの鎖場は、雪がついていなかったので問題なかったが、もし雪がついて鎖が埋もれたらザイルを必要とするいやらしい通過になるだろうな、と話しながら行った。
朝日岳から360度の展望を楽しみ、清水平へ。雪は少なかったが、夏道が溝状になっているので雪が吹き溜まり、腰までのラッセルとなるので、夏道のわきを降りて行った。
清水平は風を遮るところが少ないので、夏道のわきの少々低くなっている半分くらいは風を遮るだろうと思われるところでテントを張った。
夜は予定通り鍋で盛り上がった。
就寝後、風が強くなりそのうち雪も降り始め、夜中テントが激しく揺すられ、また雪の降り当たる音も激しくなり、なかなか熟睡できなかった。
翌朝も天気は回復せず、風雪ともに強かったが、気温はあまり低くなく視界は100mくらいあったので、7:30に出発。
三本槍岳はあきらめてxxx尾根をめざしてラッセル。始めはツボ足、すぐワカンをつけた。距離にして1㎞、標高差にして100mほどだったが、中の大倉尾根につくまで2時間もかかってしまった。その後尾根を降りていく間もワカンを付けっぱなしで、脛から太腿までのラッセルを北温泉まで強いられた。
ルンルンの山行を期待していたが、やさしいとはいえ一度天候が悪くなると冬山は急変するということをあらためて実感したが、逆に久しぶりに悪天の中一日中ラッセルさせられたこともあり、充実感を味わうことができた。
(記: 中村)
Category Archives: 2011年山行
阿弥陀北西稜偵察?
山域: 阿弥陀岳北西稜(八ヶ岳)
日程: 2011年12月18日(日)
参加者: 国府谷(L)・坂田
八ヶ岳もやっと冬らしくなってきたようです。
12月18日は前夜発日帰りで阿弥陀北西稜メンバは坂田さんと二人。
17日20:30に高円寺で土井さんと合流。
土井さんは単独で阿弥陀中央稜とのことで行き帰りのクルマは一緒になった。
23:00ころに小淵沢道の駅着で仮眠。
翌朝4:00起床。坂田さんと合流。
舟山十字路で土井さんと別れて美濃戸口へ移動。
美濃戸まで上がるクルマが多い為か美濃戸口駐車場は空いている。
5:30頃に美濃戸口を出て北沢と登山道と北西稜の別れるところに着いたのは9時を過ぎていた。
それらしいテープとトレースを頼りに北西稜取り付きまで登って行くと2人組がいた。
鉱泉か行者から来たようだ。
ここまで急登が続くがラッセルはさほどでもない。
彼らを追い抜くことなくトポの露岩付近に着いたのは10時過ぎ。
ちょっと悩んだけど強風と時間が押していることから敗退決定。
前のパーティは登って行った。えらいなぁ。
そのまま帰るのもナンなので、行者小屋から鉱泉経由で下山しました。
15時前に美濃戸口着。
土井さんも16時過ぎに無事降りてきて、一緒に帰宅しました。
いいところなく終わった週末であった。
この時期に美濃戸口から日帰りはきついのかな、我々には。
クリスマス寒波来るみたいで今週末も寒そうです。
年末はどこいきましょうか。
(記: 国府谷)
ザイル祭
場所: 氷川キャンプ場(奥多摩)
日程: 2011年11月19日(土) – 20日(日)
参加者: 国府谷(幹事)・久世(想太朗)・飯田・松林・齋藤・下島
今年もザイル祭の時期がやってきた。
いつもはハイキングや岩トレなども併せて実施するのだが、今回は天気予報が芳しくない為、氷川キャンプ場のバンガローで行うザイル祭の儀式(?)だけである。
久世車に同乗している国府谷、下島さんで途中のスーパーで買出しをおこなった。
キャンプ場に到着するころには、恒例の齋藤さんが釣り上げた虹鱒の塩焼き(焼き具合は絶妙である)も用意されており、急いで今回のメインデュッシュの寄せ鍋の準備を行った。
食事の準備が整ったところで、飯田さんの口上による山での安全を祈念する儀式が行われた。
その後はいつもどおりの懇親会が夜更けまで続いたのであった。
翌日は、朝食を済ませて片付けをした後に現地解散とし、そのまま電車で帰宅する方ともえぎの湯に行く方に別れた。
(記: 国府谷)
八ヶ岳
山域: 裏同心ルンゼ・中山尾根(赤岳鉱泉BC)
参加者: 国府谷(L) 坂田 廣岡
日程: 2011年11月26日(土) – 27日(日)
行程:
第1日目:
美濃戸(7:00) – 美濃戸口(8:00) – 赤岳鉱泉着(10:00) – 裏同心ルンゼF1(11:30) – 大同心基部(15:45) – 赤岳鉱泉(17:00)
第2日目:
赤岳鉱泉(6:30) – 取り付き(8:30) – 終了点(12:40) – 硫黄岳(14:30) – 赤岳鉱泉(16:00) – 美濃戸口(17:45)
アイスクライミングフリークの皆さん
こんにちは
全然寒く無くてどうなっているんだ?と心配されている方も多いと思われますが、先週末(26、27日)の八ヶ岳の状況をお知らせがてらレポートします。
金曜夜に新宿で廣岡さんと合流し24時過ぎに道の駅小淵沢着。
車内で仮眠。坂田さんも到着。
26日 晴れ
翌朝美濃戸口に移動。赤岳鉱泉にBC設置。全然雪がない。
積雪1センチ??地面のほうが多い。
一応予定通り裏同心ルンゼに向かう。
雪がとても少ないので河原が歩き辛い。
F1が見えるところに来るとF1上に先行Pあり。
滝を登っているようだ。
滝に近づいてみると氷の裏側に水の流れが見えるがじゅうぶん登れる。
そのまま登っていき、F4のナメも踏み抜くことなく最後のF5までいけてしまった。
その先、大同心稜へ向かう浅い涸滝も氷が露出している。
先行Pはそこを登っていったが、我々は時間も押していたので、ロープを出さなくて済むように、さらに左側の草着きを登って大同心基部まで行った。16時前。
ここまで赤岳鉱泉から4時間以上かかっている。
雪が少なくて滝の露出部分が多いので登り応えがあった。
BC着は17時。ギリギリ暗くなる前に帰れた。
27日 晴れ
翌日曜日は中山尾根。
中山乗越からトレースがあり、取り付き手前まで来ると2人組が1ピッチ目を正面から取り付くところであった。
彼らはお上手でその後はずっと先に行ってしまった。
我々は3人なのですべてワタシがリードすることにした。
我々も正面から取り付く。トポでは右下に下がってから凹状を左上とあるがそちらはピンがなく、正面にあるハンガーボルトに導かれて(?)登る。
岩には全然雪が着いていないのでかなーり楽。
でもそれなりには寒いのでオーバー手はしている。
手袋アイゼントレみたいな感じである。
2ピッチ目出だしの凹状のスラブ?もさほど苦労しない。
中間の草着きリッジは雪がちょこっと乗っている程度でロープを着けなかった。雪がもっとあったほうが楽かも。
上の岩場はちょい右から。かぶり気味の部分を乗り越え最後の部分は左から巻いて終了した。一応登山道までのトラバースもロープを引っ張った。
下山は硫黄岳経由としたが少し余分に時間が掛かってしまったかもしれない。
急いでBCを撤収して美濃戸口着は18時前であった。
道の駅でお風呂と食事を済ませて帰宅しました。
以上
(記: 国府谷)
秋の深南部 前黒法師と大札山から蕎麦粒山紀行
日時: 2011年11月22日(火) – 23日(水)
山域: 前黒法師(寸又峡周辺)
参加者: 掛川(L)・URAN(会友)
行程: 本文参照
紅葉を楽しみに深南部の入口の山に行ってきた。朝静岡市内の家を出て、川根路をたどり順調ならば3時間かからないで登山口の山犬の段につく。静岡には「段」という地名が多い。「月夜の段」「平治の段」「木馬(きんま)の段」、木馬とは材木を山から切り出すときに地面に枕木のように並べて使った路のことだ。段とは平たいところを指す言葉らしい。
当初、山犬の段に車を停めて寸又三山の一つ沢口山を登り、翌日同じく山犬の段から蕎麦粒山を経由して高塚山という計画だった。
ところが林道が工事のため大札山までしか行けないことが当日わかり、急遽寸又の前黒法師を行けるところまで行こうという計画に変更した。事前にちゃんと調べておけばよかったなと後悔した。(今から考えてみると大札山の登り口から山犬の段までは林道を1時間程歩けば行けるので、退屈ささえ我慢すれば当初の計画通りやってもよかったのかもしれない。)
寸又峡温泉の駐車場に車を止め、歩き始める。駐車場の紅葉はまさに見頃を迎えていた。ここんところ寒さが厳しくなってきたため、紅葉がようやく進んできたと駐車場の方が言っていた。
観光客に混じりながら林道を歩き、大間ダムにかかる夢の吊り橋を渡る。長さ、高さとも畑薙の大吊り橋に比べるとかわいいものだ。吊り橋を渡り対岸にわたると急登になり林道に出た。林道をしばらく歩くと前黒法師の登山口があった。急な登りをしばらく行くと湯山の集落跡に出た。もともと寸又峡温泉の源泉はここにあった。当時の温泉は昭和13年の大間ダムの建設と共にダムの底に沈んでしまった。地元の方に聞いたところ、割と早いころに棄村したようだ。今では石組みの塀が尾根沿いに南に面して点々と残っているのみだ。
周囲はスギの植林に囲まれているのでおそらく林業を生業にしていた方が大部分だったと思われるが、険しい尾根沿いに残る石塀を眺めながら、どういう生活が営まれていたのだろうかと興味がわいた。
ここから少し上がったところが栗の木段で、時間的にももうこれ以上は無理なので食事をしてここから下山した。時間があれば、ここからさらに1時間程登った尾根がイワカガミの大群落と聞いたので、是非見てみたいと思ったが、またのお楽しみにした。
下山して、その日は中川根のウッドハウスおろくぼというペンションに泊まった。
以前は町営だったが現在は民間に委託されている。名前のとおり、大井川の材木をふんだんに使った作りで、天井も高く、広々としている。敷地内に天文台もあり、金土日は地元のボランティアの方が説明をして下さるそうだ。この日はたまたま役場の集まりがあり、運良く天体望遠鏡を覗かせていただけるように取り計らってもらった。木星を見た。小さかったが縞模様がわかった。それから赤いガーネット星というのを見せてもらった。この星は1000光年離れているそうで、今見ている姿は1000年前の姿だ。しかし星のスケールでは1000年もそれほど長い期間ではないらしい。年をとってきたせいもあると思うが、最近は色々後先のことを考えることが多くなってきた。
翌日は、天気も崩れてきたらしく西の空や高いところにも昨日は見られなかった雲が出ていた。おろくぼの方に見送られて、大札山の登山口に向かう。登山口の駐車場には10台ぐらい車があった。
大札山へはけっこう急な登りだが、登山道の脇の樹木には名札がついていて樹木観察にはいいところだ。点々と生えるヒメシャラの木を過ぎ、稜線近くなるとアセビが生えている。典型的な静岡の山の風景だ。大札山の頂上からは右に浜松市街、正面は御前崎、左は駿河湾から伊豆半島まで見渡すことができる。頂上から北に伸びる尾根にはアカヤシオというツツジの群落があり、4月が見頃らしい。5月になれば次にシロヤシオが咲き始める。その頃はずいぶん花見の客で賑わうことだろう。
蕎麦粒山への稜線はいくつかピークを越えけっこう長くて急だ。ブナの大木が出てくるようになると頂上は近い。蕎麦粒山の頂上からは広くて歩きやすい道を山犬の段まで下る。駐車場とトイレと立派な50人収容できる山小屋(無人)がある。
お昼を食べていると雨が降り出してきた。久しぶりに雨に濡れながら林道を下った。また、季節を変えて訪れてみたいなと思った。
(記: 掛川)
with 静岡山岳会 in 小川山
まずは齋藤さん撮影の写真から(こちら)
谷川岳登攀報告
(画像入りはこちら)
日時: 2011年9月24日(土)-25日(日)
山域: 谷川岳(一の倉沢2ルンゼ・Bルンゼ)
メンバー: 久世(L),松林
行程:
前夜: 荻窪駅南口集合(22:00) – 練馬IC- 水上IC – 谷川岳(23:00) – ロープウェー駐車場(テント泊)
第1日目: 起床(3:30) – 駐車場出発(4:40) 一の倉沢出合(5:30) – 夏路 – テールリッジ – 南稜テラス – 本谷バンド – 2ルンゼ – ザッテル – Bルンゼ゙~国境稜線(17:00) – 頂上 – 西黒尾根 – 谷川岳ロープウェー駐車場(21:30)
第2日目: 南稜登攀中止し、湯テルメ谷川経由帰京 – 荻窪駅南口解散
この山行の1週間前から動きの遅い大型台風の影響で長雨が続いていた。21日には台風が上陸し、暴風雨のため集会も急きょ中止になった。その直後の山行だったので、谷川岳山岳警備隊や登山センターにコース状況を確認しながらも一抹の不安を抱えての出発になった。
西黒尾根から平標を目指す土井さんが車に同乗することになり、荻窪駅南口より3人で谷川岳ロープウェーに向かう。当初、ロープウェー駅ロビーでいつものように仮眠する予定だったが、震災後、夜間のロビーは閉鎖となっており、駐車場からのエレベーターもストップ。真っ暗だ。しかたなく駐車場の車の横にテントを張って仮眠。他の登山者も同様にテントを張るか車で寝ていたようだ。駐車する車の台数は少ないのでテントスペースは十分にある。が、深夜から早朝にかけて入ってくる車の音がうるさくて眠れない。以前はロビーの床暖房が効いて暖かだったが、冬季は寒さと車の音の対策をたてないと睡眠不足で登ることになりそうだ。
9月24日 早朝小雨、午後曇り、夕方晴れ
4:30駐車場発。雨具を出すほどではないが、霧雨で出合までの路は濡れていた。夏路をたどりヒョングリの滝へ懸垂下降し、テールリッジ下部樹林をぬけた所でクライミングシューズに履き替えハーネスをセットした。岩のくぼみにはまだ雨水がたまっていたが雨もあがり岩の表面も乾きだした。日はささず、国境稜線はずっと雲の中で見えない。
南稜テラスでロープを出し、テラスから懸垂で本谷バンドに降りる。
南稜テラスからの2ルンゼ
いよいよ2ルンゼだ。ここ2週間の長雨でルンゼは沢登り状態で水量もかなりあった。普段から湿ったルンゼとのことだが、ルンゼの中はコケが繁茂し、両側からも水がにじみでてくる。滝はシャワー状態で登攀中はエリ、ソデ口から体の中に水が流れ込んでくる。
濡れてぬめった岩はごまかしが効かない。技術力の低下と体力の無さを痛感する。
リードで小さな滝ですべり落ちてからは急速に自信喪失になってしまった。いたるところ滑りそうな気がする。濡れた体も冷えて力が入らない。ルンゼの先は相変わらずガスの中。
ザッテルを超え懸垂下降した当りから晴れ間が出てきた。2ルンゼの薄暗い谷底から明るいルンゼに出て視界も広がりほっとする。ルンゼ内は水の流れはあるが岩は乾いていてマッターホルン状岩峰までは気持ちよく登れた。が、Bルンゼに入ってからが緊張の連続だった。草付きは、しみ出た水で粘土状になっていて、つかんだ草は根こそぎ簡単に抜けてしまう。足元はズルズル滑り、滑ったらアウト。疲労感が大きくなり、踏ん張りが利かなくなってきた。
粘土壁にクライミングシューズを何度もけり込んで足場を作ってからゆっくり体を立ち上げる。スピードが落ちると体力は消耗する。靴もズボンも泥だらけになってしまった。
最後の草付きもガスで方向を見失い、本来のルートとは違うルンゼ北側を登ってしまった。
泥足で滑りながら急峻な熊笹のヤブコキをがむしゃらに続け、やっと国境稜線に出た。時間は既に17:30。稜線から西側はうそのような晴天。沈み行く夕日に痛むヒザをかばいながらヘッドランプをつけ西黒尾根を下り、谷川岳ロープウェー駐車場に着いた時は21:30になっていた。
9月25日 晴れ
今回の登攀では体力・技術の低下を思い知らされた。長雨後の悪条件も言い訳にしかならないほど登り切れなかった。体力の無さが自信のなさになり、思いっきりの悪さにつながった。体を引き上げる脚力・腕力・指の力の不足。バランス感覚の低下。ヒザの痛み。
どれをとっても「こんなはずではなかった・・」の思いをしながらの登攀、下山だった。
最後に。こんな状態にもかかわらず最後まで引き上げ、つきあってくれた久世さん。ありがとうございました。
(記: 松林)
笠ヶ岳
日時: 2011年10月4日(火)
山域: 笠ヶ岳(志賀高原)
参加者: 掛川(L)・URAN(会友)
行程: 硯川駐車場(10:30) – 笠ヶ岳山頂(12:30/13:30) – 硯川駐車場(15:30)
10月4日 晴れ
笠ヶ岳は、特異な形をしているので遠くからでもすぐわかる。志賀高原の車道を上がっていくと、溶岩ドームが固まった笠ヶ岳の北面は白く粉を吹いたように見えた。
駐車場から見える横手山の山腹も白くうっすらと雪をかぶっていた。ホテルの脇を抜けて、熊の湯スキー場に出た。朝露の残るスロープを上がっていく。別の斜面では、シーズン開始に備えて草刈をしている。日当たりが良く、すぐ暑くなって上着を脱いだ。斜面はフワフワして気持ちよかった。NZの牧草地を思い出した。正面には前山スキー場のリフトとその向こうに志賀山が見える。
リフトの途中で道は右折して水平道に移る。道の脇には、黄色いコシアブラ、赤いオオカメノキ、そしてダケカンバの黄色い紅葉があった。ほとんどアップダウンもないトレールだ。
段々笠ヶ岳に近づくと、道は笠ヶ岳の北面を回り込むように付いている。その辺は、積もった雪が日差しと共に溶け出してポタポタと雨の中を歩いているようになり、雨具を着た。
ところどころ、ザラメ状の雪が固く残っているところもあった。峠の茶屋付近は切通で南に面していて雪もなく、明るかった。
ここからの登りは地図上では急な登りを予想していたが、木の階段がついた整備された道が頂上付近まで続いていた。ほとんどの人が峠の茶屋まで車で上がり、そこから30分足らずで笠ヶ岳の頂上に行ってるようだ。
頂上では360度の展望が楽しめた。穂高から白馬、浅間山、草津白根、北信五岳、雲がかかっていて頂上ははっきりしない山もあったが、景色はいい。
一時間近くのんびり過ごして、元の道をたどる。既に雪も溶けきったのか、雨のようなしずくもやんでいた。
次の日、小布施でりんごを買ったら、そこの奥さんが、「山は雪が降ったそうですね」と聞いたので、「ええ、少し積もってましたよ」と話した。
(記: 掛川)
中央アルプス 空木岳 (静岡山岳会との合同山行)
日程: 2011年6月4日(土) – 5日(日) 前夜発
山域: 空木岳(中央アルプス)
参加者: 国府谷(L)・飯田・平井・(静岡山岳会より9名)
行程:
前夜: 平井車にて駒ヶ根菅の台駐車場付近にて仮眠(国府谷・平井)・静岡駅にて静岡山岳会会長の車に便乗し駒ヶ根菅の台駐車場にて仮眠(飯田)
第1日目: 菅の台駐車場 – 三本木地蔵登山口 – 池山避難小屋分岐 – マセナギの頭 – 空木岳避難小屋分岐 – 空木岳避難小屋
第2日目: 空木岳避難小屋 – 駒峰ヒュッテ – 空木岳山頂往復 – 空木岳避難小屋 – 三本木地蔵登山口 – 菅の台駐車場
6月3日
私は19時静岡駅で静岡山岳会会長の車に便乗させてもらい、5名で23時頃駒ヶ根菅の台駐車場に到着。既に静岡山岳会の方5名が駐車場の奥の方でテント2張り張って私たちの到着を待っていた。1時間ほど前に到着していたようである。国府谷・平井は夜も遅かったので、どこで仮眠しているか確認しなかった。
6月4日
3時半起床、朝食の後、5時半頃テントを撤収し、出発の準備をしていた。その頃国府谷・平井と合流できた。参加者12名、車3台に分乗し林道を登っていく。今日は晴天である。三本木地蔵登山口にて身支度を調え、7時頃出発する。
林道終点から遊歩道コースを登る。カラマツ林の中を直線的に進む。旧池山小屋跡を左下に見送り、細かく蛇行すると水場に着く。新池山小屋、池山を巻いて空木岳方面へ進む。マセナギはササ原で南側が大きく崩壊している。ここから尾根を進むと、大地獄、小地獄と呼ばれる桟橋やハシゴ、鎖場などがありスリリングな登りである。慎重に登る。やがて森林帯を抜け直接空木岳へ登るのと空木岳避難小屋への分岐点に到着した。14時くらいだったろうか。本日予定の空木岳避難小屋へ向かう。
這松・灌木混じりの雪道で道がはっきりしない藪こぎを静岡山岳会の小田会長がトップで進む。14時頃空木岳避難小屋に到着した。本日は誰もこの小屋を利用した形跡はない。空木岳頂上往復するかとの話しもあったが、私を始め皆かなり疲れているので本日はここまでとし夕食の準備に掛かる。
小屋の周囲はまだ雪に覆われている。幸い春山で谷筋は雪の解けているところが小屋の近くにあり水が流れていた。雪を解かして水を作る必要が無く助かった。17時から18時頃から夕食が始まる。
この避難小屋は我々12名の貸し切りである。持ち込んでもらったビール・ワイン・焼酎・ウイスキーなどで乾杯する。尚、今回は私とURANちゃんの恒例となったBD山行なのである。
静岡山岳会会員の方々の心遣いで直径30から40cmくらいもある手製のバースデーケーキを2個も差し入れてくれ、私はこの時まで全く知らずビックリしてしまった。静岡山岳会会員の方々には心より感謝している。
実は、私とURANちゃんは生まれた月日がたまたま6月9日と同一であったことから何かの縁であったということで記念に山行をやろうというのが始まりであった。12名全員でおいしいケーキを頂きお祝いをしてもらった。
夜の更けるのも忘れて歌を歌ったり談笑したりの楽しいひとときであった。
私はおかけでこの度喜寿を迎えることが出来ました。
6月5日
昨夜半から風雨で本日はどうなることかと思っていたが、夜が明ける頃には風雨も収まり曇り空ではあったが行動には支障なく、3時半起床、6時出発というリーダーの指示に従って朝食後空身で空木岳を往復することになった。
ピッケル、アイゼンを使っての雪面登りである。小田会長をトップに予定通りの時間に出発した。
我々の登るコースは誰も登っていない。途中這松帯で藪こぎがあったりで手こずったが、やがて雪のない登山道に出た。
駒峰ヒュッテを通り、7時頃空木岳頂上に到着した。
天候はあまり良くなく遠望は聞かなかったのが残念であった。でも頂上を踏んだ達成感は何とも言いようがない。日本の百名山の1つですから。
記念写真など撮った後、来た道を通らず空木平、避難小屋へ通じる雪深い下山道を下る。
避難小屋が近くなった頃静岡山岳会会員の数名は滑落停止の訓練をやっていた。
9時頃には身支度をして小屋使用料一人1000円を払って小屋をあとにした。
下りも皆慎重に行動した。14時頃には駐車場に到着した。菅の台バス停から少しバス道を登ったところの公衆浴場で全員ひと風呂浴び、国府谷・平井はそこで別れ、私は静岡山岳会会員の人たちと食事の後、入山したときとは別の車のメンバーと別れ、私は静岡駅まで送ってもらって帰宅した。
(記: 飯田)
聖岳登山
日時: 2011年7月12日(火) – 14日(木)
山域: 聖岳(南アルプス)
参加者: 掛川(単独)
11日夜静岡を立ち、12日朝長野県側の便ケ島登山口に着きました。
聖光小屋の青木さんに挨拶をして、登山を始めました。
約6時間ほどで聖平小屋に着きました。
小屋は15日から営業ということで、もうスタッフもほぼ準備が終わっているようでした。
翌日、薊畑、小聖を経て聖本峰に立ちました。
今年は雨が降ったあと登山道がえぐれてルートがわかりにくく、歩きにくかった。
本峰で、お花と線香を上げ、亡くなった方のご冥福をお祈りしました。
それから、テントを張って救助を待っていたところや、ビバークしたところを確認しながら奥聖まで往復しました。
まだ小屋明け前ではありましたが、数名の登山者に会いました。
また、聖頂上付近、および奥聖との稜線ではライチョウの姿も見れました。
心肺機能は問題ありませんでしたが、靴がずれてくつずれが痛かった。
14日、小屋のみんなとまたシーズン中に行きたいと話して下山しました。
(記: 掛川)